- 単品ポストカードの世界-
ポストカード
1枚…100円(税込)
五稜郭の美しい四季を写真でつづる丘のうえの小さな写真館自慢の五稜郭の星シリーズのポストカードです。数年前、五稜郭を望む五稜郭タワーが新造され、今まで以上に五稜郭がより美しく鮮烈に見渡すことができるようになりました。丘のうえの小さな写真館のポストカードを通し是非五稜郭の美しい四季の様子を是非お楽しみ下さい。
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、作品中にある丘のうえの小さな写真館の白抜きマークは画像保護のためのもので、実際の作品には描かれていませんので、ご安心下さい。

五稜郭についてー写真とポストカードで贈る五稜郭の四季の姿ー
写真家 山下正樹
 これが運命なのか、僕は函館の地で生きる写真家になった。そして、幸運にも五稜郭の撮影をする機会を与えられ、こうして五稜郭のポストカードを発行させていただき、全国の方々に五稜郭の四季の写真をお届けできることは何よりも嬉しいことです。本当にありがとうございます。
 さてそこで、このポストカード購入を機に、どうして五稜郭がここにあるのか等、簡単に歴史をたどってみますので、どうか一読下さい。

■五稜郭はどうして函館にあるのか
五稜郭は今から約140年前、1864年に30才の青年であった、武田斐三郎(たけだあやさぶろう)によって築城された城郭で、彼がオランダの築城技術を学び、周囲に死角がなく、攻撃目標となる天守閣のような高い建造物を持たない、地に張り付いたような星形の城郭として築城されたことが大きな特徴です。つまり、姫路城や大阪城のような高い天守閣を持った従来の日本の城造りではなく、五稜郭は西欧の技術をとり入れ、時代の流れを読んだ最新の思想によって造られた城郭であったと言えます。
 さて、どうして江戸幕府が函館にこうした洋式城郭である五稜郭を築城したのでしょうか?それは、迫り来るロシアからの北辺の国防のためであり、またペリー来航以来の国防のためでした。
 しかし、幸運にも五稜郭は一度も国防という本来のために使われませんでしたが、残念なことに日本最後の内乱の舞台になってしまいます。

■蝦夷共和国の建国
時は幕末、薩摩・長州の連合軍(新政府軍)はついに江戸幕府を倒します。しかしそうした幕府崩壊に対し、あくまで江戸幕府の存続を願って、幕府の軍艦奉行であった榎本釜次郎(えのもとかまじろう)は幕府を脱走し、開陽丸を旗艦とした榎本艦隊を率いて、新しい国を造るために北海道函館の地にむかって出航します。1868年8月19日のことです。
 こうして榎本は明治新政府の正立を認めながらも、これと対立する蝦夷国家の建設を進め、徳川家臣団の王国を造ろうとし、五稜郭を拠点に「蝦夷共和国」の建設に向かうのです。そしてついに榎本は榎本艦隊を北海道噴火湾 鷲の木の地に上陸させます。そして函館府を追放し、五稜郭に入場、ここに、蝦夷共和国の建国を宣言します。つまり、一時的にしろこの日本に薩長の明治新政府と榎本の蝦夷共和国という二つの国家が併存することになります。
 しかし、榎本が蝦夷共和国を建てると、松前藩がそれに抵抗し、榎本軍の前に立ちはだかります。結果的に、榎本は松前藩を滅ぼすことになるのですが、その戦いの途上ちょっとした気のゆるみから、旗艦 開陽丸を江差沖で失います。こうして松前藩との戦いには勝つのですが、旗艦開陽丸を失ったことは榎本軍を窮地に追い込んでいくことになります。

■箱館戦争
榎本が五稜郭に入場し、蝦夷共和国を造ってからわずか5カ月後、新政府軍は、甲鉄艦という強力な軍艦を率いて榎本軍に攻撃をしかけてきます。しかし、開陽丸など迎え撃つ軍艦を持たない榎本軍は、簡単に新政府軍の上陸を許し、結果、新政府軍に降伏してしまいます。こうしてわずか5カ月で蝦夷共和国は滅ぶわけです。この戦いのことを函館戦争と呼ぶわけですが、この戦争をもって完全に江戸幕府の勢力は駆逐されたこととなり、明治という新政府による新しい時代の幕開けとなっていきます。

■現在の五稜郭
こうしてロシアの北辺防備のために造られた五稜郭でしたが、結果的に江戸幕府崩壊の最後の決戦の場、つまり日本人による内乱の舞台になるとは、なんともやるせない気持ちにまります。いつの時代も戦いはいやなものです。でも、おかげさまであの戦い以来140年あまり、五稜郭は戦いの舞台にはなっていません。
 そして、今では五稜郭といえば、大地に刻まれた星の城郭として市民に大事に守られ、平和な雰囲気に満たされています。
 春には桜が満開になり、桜が終われば、新緑はことのほか濃さを増し続いてツツジ、藤…が咲き、更に冬には市民の手で星形に電飾され、寒い冬を暖かく包み込みます。そう、現在五稜郭はまさに花と星の城郭であり、平和と静寂の聖域になっていると言っても過言ではありません。
 こうした、平和に包まれた五稜郭の四季を撮影した作品がこのポストカードでありますが、その歴史背景には悲しい戦争の悲劇があったことを忘れるわけにはいきません。だから我々の責務として二度と戦争が起きないように、戦争の辛い思い出をいつも胸の片隅に置きながら、この平和の有り難さをかみしめていたいと思うのです。

<五稜郭まとめ>
■五稜郭
日本初の洋式城郭で、死角を無くすために星形とし、攻撃目標となる天守閣などがないのが特徴。
設計者は武田斐三郎(たけだあやさぶろう)で、総面積252000Fの星形の城郭。
ロシアに対する北辺防備のために幕府によって築城される。

■蝦夷共和国
明治新政府に対し幕府脱走軍である榎本釜次郎が五稜郭を拠点に造った国家で、徳川家臣団の王国になることを目標に
建国されたが、わずか5カ月で、明治新政府軍に降伏し、滅びることになる。

■函館戦争
榎本軍と明治新政府軍との戦い。

■開陽丸
榎本軍の旗艦となる軍艦だったが、松前藩との戦いの途上、江差沖で暴風雨によってあえなく座礁、沈没してしまう。この開陽丸の沈没は、榎本軍の敗北を早める大きな要因となる。