ある時、ふと海が見たくなることがある。
例えば、焼きのりを食べていて、磯の香りがしたとき。魚屋できれいにキラキラ光りながら並べられた近海産の魚を見たとき、また本当に偶然……。
神戸で生まれ育ったぼくの青春時代は海と共にあった。
神戸は海とはいっても港だ。漁港ではなく、大きな貿易港だ。そして、港の岸壁にはいつも大きな貨物船やタンカ−が停泊していた。そして、港周辺には川崎造船の下請けの小さな船会社の工場がところ狭しとひしめいている。
小さい頃、巨大なタンカ−の進水式を見たことがある。ぼくの父が言うところでは、神戸の港に戦艦大和が入港したことがあって、見に行ったという。ぼくの小さい頃、神戸港には活気があった。その代わり、港は排水で汚れ、砂浜は埋められ、自然の海はどこにもなくなっていた。
神戸でも、父の小さい頃は砂浜があって、そこで泳いでいたという。しかし、ぼくが小さい頃の神戸港は汚くて、危険なところになっていた。よく、「危険、ここで遊んではいけません」という標識があった。それでも、ぼくたちはそこを遊び場にしていた。今、神戸に帰り、小さい頃遊んだ危険な海に行ってみると、完全に鉄格子がはめられて、海に出られないようになっている。
ぼくたちは海を見るために十何mという防潮堤をよじ登ったものだが、今ではその可能性がない。完全に遮断されてしまっている。夏に神戸港に行って、岸壁に立ち、海をのぞいてみると、真っ黒なコカコ−ラのような水が、うねうねと重々しく波打っている。
そこに転落したら気持ちが悪いだろうなというおぞましい感覚。
そして、記憶によく残っているのが、港の倉庫群のこと。いつ行っても倉庫のまわりでは家畜の飼料の匂いがたちこめていて、こぼれた飼料に無数の鳩が群がっていた。そして、夜の倉庫街の暗さ。電球ではなく、暗い水銀灯が青白い光をぽつんと投げている。 そして、倉庫群に連なるように造船関係の鉄工所が赤錆色に汚れ、そこで働く人たちは皆、灰色の作業着を着て、黒く汚れていた。そして、それらに隣接して、小さなスナックやめし屋やたお好み屋があって、その裏側には何かしら妖しい雰囲気の店が光を投げている。
神戸の港を思い出すとき、そんな情景が心に浮かんでは消える。自然の海ではないのだけれど、なぜだかそんな海が妙に懐かしくて、そんな海の情景がぼくの人生の原点にある。
中学に入ってからは、行動半径も広がって、神戸港から瀬戸内海へと出ていく。特に淡路島はぼくの第2の故郷と言えるくらいよく通った。当時、釣り場紹介の本があって、授業中に今度の日曜日にどこに釣りに行くか、その本と潮見表を見比べながら検討した。
淡路島というと、瀬戸内海に浮かぶ大きな島なのですが、瀬戸内海は潮の流れが速く島の西側と東側では全く潮の干満が違っている。
西側が満潮の時なんと東側は干潮になっている。一般に魚というのは満潮前後2時間くらいによく釣れる。だから潮見表を見て、満潮の条件に合うところに行くのです。
瀬戸内海、特に明石海峡、鳴門海峡といった、海峡に近いところで釣りをしてみるとよくわかるのですが、信じられないくらい潮の流れが速い。まるで深い川のように流れています。40号の重りがあっという間に流されてしまいます。(釣りの重りは鉛でできています)だから、海峡で船釣りをするときは、釣り糸に「びし」という小さな重りを30cmくらいの間隔でつけたものを使います。
海峡の船釣りでは、「ベラ」という虹色の魚をよく釣りに行きました。瀬戸内海近郊の人ならよく知っているベラもここ北海道の人で知っている人はあまりいません。
最近、北海道の市場でも結構南方系の魚を見るようになりましたが、べらは一度も見たことがありません。べらという魚は生まれたときみんなメスで赤ベラと言い、それが大きくなってくると、性転換して青ベラと呼ばれるオスになる不思議な魚です。とってもきれいな魚で俗にマムシ(多分、オニイソメのことだと思う)と呼ばれる餌を小さく切ってそれを、きつね3号という小さな 釣り針につけて使います。
最近では、あまり釣りには行かなくなりましたが、市場で輝く魚を見ると心は躍りますし、上手にこしらえられた浮きを見るとむしょうにほしくなります。小さい頃、釣具屋に太く、大きく、ていねいに美しく塗られた浮きが幾本も売られてあって、大きくなったら、あの浮きを使って魚を釣りに行ってみたいと思って憧れていました。大きな浮きを使って釣る大きな魚というと、北国にはあまりおらず、南の国にたくさんいます。今でも、機会があったら、南へ釣りに行きたいと思います。
北国に住んで、南への憧れは、そこに棲む魚たちと、美しい星空と、温かい気候です。しかし、そこには四季がないとききますと、少し寂しくもなります。四季以外の魅力をいつか南の島の中で感じてみたいと思います。まずは釣りと、南十字星から……。
■今月の作品『水平線』
この作品は、北海道の日本海側での撮影で、沈んでいく太陽を追いかけながら、北へ北へと走っていました。
この日は日が沈むかなり前から、空気がどんよりとして日の光が減光され、ぎらぎらした太陽の輝きはなく、そのため、日の入りにはまだ時間があるというのに海は黄金色に赤を混ぜたようなあまり見ない色彩に輝いて見え、それは美しい海でした。
この作品は海を見おろす小高い牧場から300mmの望遠で撮ったもので、凪いだ穏やかな海が、刻一刻とその色彩を変えていきます。いつもは一瞬しか見せてくれない美しい出会いなのですが、この日は数時間にわたってゆっくりと変わる色彩を楽しむことができました。北海道の日本海側というと、道南はかなり荒々しいところが多いのですが、札幌より北側になると小高い丘陵が、海になだれ込む感じのところに道が通っていて道北に行くにはかなり快適な道になります。何もなく、変化に乏しいのですが、それがかえってよかったりします。北海道に来たての頃、札幌から稚内に向かう途上、水平線の向こうでところどころ雨が降っている光景と出会うことになります。つまり、雨が降っている様子を横から見たわけです。この大陸的な光景にぼくは打たれます。見渡す限り、海、空、陸という無限の中にぼくは若い可能性を求めたわけです。可能性というと、月明かりの夜の根釧原野をどこまでもどこまでも独り走っていたことを今でもよく思い出します。北大に来た多くの友人たちは、ここを去っていった人が多いのですが、きっとぼくと同じような体験を通じて、北海道を感じていたのだと思います。この無限性が若さには必要なのだと思います。そこを経て、新たなる世界に旅ゆくのもよし、そこにとどまってさらに求めるもよし、北海道は今なお、さまざまな魅力に包まれています。
水平線というと、1月10日の皆既月食の夜、久しぶりに噴火湾の方に行きますと、室蘭の明かりを気にしなければ、空と海の境がまるでなく、どちらも黒一色です。その夜は雨で、残念ながら皆既月食は雲の向こうの出来事になってしまいましたが、久しぶりに見た夜の暗黒の水平線に感動しました。その後、晴れた夜に同じところを通りかかると、何と水平線から星が上がってきている。あ!しし座だ。やれ、シリウスだ!と大騒ぎ。日本のような湿気や光害の多い国では地平線や水平線に星が見えることはまれです。限りなく透明な黒い夜空が水平線近くまで続いていて、水平線のすぐ上に星が輝いているのを見る嬉しさは何にも代えがたいと思います。
その時はちょうど春の星座たちが上がってきていたので寂しい星空でしたが、その時慶ちゃんに質問してみました。「夏の天の川と冬の一等星でにぎやかな星空どっちが好き?」って。彼女は冬のオリオン座を中心とした、おおいぬ座、こいぬ座、ふたご座……といった一等星が目立つ星空が好きだそうです。ぼくは夏の射手座の天の川が好き。無限の可能性を感じるから。天の川は肉眼では雲のようにしか見えないけど、双眼鏡などで見ると星に見えてくる。星空が無数の星で埋められているかもしれないと空想できるのがいい。でも、冬空を飾る冬の大六角形も捨てがたいのはわかる。おおいぬのシリウス、子犬のプロキオン、双子のカストル、ぎょしゃのカペラ、おうしのアルデバラン、オリオンのリゲルこれらを結ぶと、大きな六角形になる。冬の大六角形。このことはあまり一般的には知られない。まるで大きな雪の結晶のよう。冬の星空もとってもロマンチックです。
しばらく行って、その日は大船温泉下の湯という200円の温泉に入りました。お湯の色は淡いブル−。川のほとりにあるほったて小屋の温泉。温泉に入る前に、最近買ったニコンの双眼鏡で、夜空を見てみました。オリオンのM42、アンドロメダ大星雲M31、プレアデス星団M45「すばる」、ペルセウス二重星団、一角獣のばら星雲など。双眼鏡はあまりにもお手軽だ。車からぱっと取り出して、わずか2分もあればめぼしいものはみんな見てしまえる。(※M〜というのは夜空にある無数の星雲星団のうち比較的明るいもので、でフランス人のメシエという人が探してカタログにしました。それで、彼のイニシャルからM〜と呼びます。全天で110個ほどあります。)
写真館の前では函館が明るくてあまり見えなかった、M42が今夜は青白く感じるくらい淡い星雲のところまでよく見えます。すばる(プレアデス星団M45)には星の放つ光の強さを感じます。ペルセウスからカシオペアにかけての天の川の中にある二重星団には奥深さを感じます。これは天の川の無数の星を背景に小さな散開星団が二つ仲良く寄り添っているものです。肉眼では小さな雲のようなものが仲良く寄り添って見えています。今まで、双眼鏡と言えばペンタックスの2cmのものしかありませんでした。今回手に入れたのはニコンの5cm。ペンタックスの2cmも結構よく見えると思っていたのに、比べてみると全然違うのにはびっくり。ここで、2cmとか5cmとか言っているのは、双眼鏡のレンズの口径のこと。一般に望遠鏡や双眼鏡の性能はそのレンズの口径で表します。理論的には口径が大きければ大きい程よく見えます。また、一般に双眼鏡には『7×50』『10×70』と書いてあります。前の数字は倍率を表し、後ろの数字は口径を表しています。7×50とあれば、倍率が7倍で、口径が50mmの双眼鏡ということです。今回手に入れたのはこの7×50の双眼鏡で、双眼鏡ではこの7×50が標準的なものです。 一般に“5cm7倍”とか“7倍50mm”と呼びます。理論的には2cmに対して5cmのものは25÷4≒6から約6倍の集光力があり、口径が大きいほど解像力があります。だからできるだけ大口径のものを選ぶとよいのですが、値段が高いのと、大きくて重いので、程々のものということになります。さっきから“理論的に”としきりにいっているのは、理論的には同じ性能でもその見え方は全然違うものがあるということです。つまり、双眼鏡や望遠鏡では口径だけではその性能を十分に表しきれないわけです。口径以外にも、ひとみ径、合焦最短距離、見かけ視界、プリズムの善し悪し、レンズの構成、コ−ティングの善し悪し。ピントの合わせる方式の違い、像の平坦性、色収差など、それに見た目の格好良さ……といったさまざまな要素があります。それで、最終的にぼくたちはニコンの「7×50トロピカル」という双眼鏡を選びます。定価55000円。中古で28000円のものです。この双眼鏡をのぞいてみて、まず驚くのはびっくりするくらいシャ−プに見えるということです。さすがはニコンということになります。量販のカメラ店の店先にある双眼鏡と比べてみますと、問題にならないくらいよく見えます。というより、店先にあるものは全然見えないといっていいほどです。双眼鏡を知っている人が仕入れたらあんなものは店に並ばないはずです。全然良くないのに、値段だけは一人前です。首をかしげてしまいます。そんなお話とは次元が違うのですが、今回手にした双眼鏡と同じ理論的性能の双眼鏡がツアイス製(Zeiss、ドイツのメ−カ−)だと20万円くらいします。どうしてこんなに値段の差があるのかと思いませんか?うわさによると、ニコンのようにカリカリにシャ−プなのではなく、適度に甘さが残されていて、それが何とも言えない良さなのだそうな。20万円となると、絶対に買えませんから永遠の憧れということになるのでしょうね。
カメラの世界にもZeissのレンズはあって、中判ではハッセルブラッドというカメラのレンズはほぼZeiss製のレンズです。前田真三氏はハッセルブラッドを使っていましたから彼の作品はZeissのレンズで写されたものが多いです。写真では広角から望遠まで何本もレンズをそろえるのですが、その一本が30万円とか高いものだと80万円くらいします(家より高い)。めん玉が飛び出るとはこのことです。ぼくのレンズの何倍もします。どうしてこんなに高いのか、気になるところです。どこが違うのでしょうか?ぼくの使用するレンズで自慢できるのは安いものですが、接写専用のマクロC80@F4Nというレンズです。珍しくMamiya(マミヤと呼んで、古くから中型のカメラをつくっている日本のメ−カ−)も自信作だったのでしょう。確かになめらかで柔らかな写りをします。比べてみると、印刷でもその違いがわかります。ぼくの作品の中で、小さな花などはほぼこのレンズで撮っています。
以上ですが、もし、双眼鏡を購入されるときはくれぐれも慎重にお願いします。カタログを取り寄せるなどして性能を充分比較して選んでみてください。双眼鏡は望遠鏡に比べ格段に手軽で、簡単に星や鳥や海や空や太陽以外の何でも良く見ることができて、楽しいものです。新品もいいのですが、中古の方がよかったりもするので中古専門店も要チェックです。見かけ視界は広いほど良くて、ひとみ径も大きいほど良くて、両目いっぺんにピントを合わせるタイプは操作性は抜群なのですが、防水性ではなく、また、マルチコ−トだといいんだけど、取り扱いが難しい……。もし、わからないことがあったらぼくに聞いてください。お気軽に!ではまた。
P.S. 現在、氷点下12.0℃です。楽しみにしているのに、なかなかこれ以上下がりません。その代わり雪がたくさん降っています。あんまりたくさん降るので、かまくらをつくっています。仕事の合間を見て運動がてらつくります。もう背の高さを超える高さになりました。雪の結晶も今年は多く降ってきます。なのに、撮影台が今一歩完成しない。このままだと、結果が出るのは来年以降になりそう。今年は、さっぽろ雪祭りに参加しなくてよくなったから、流氷に行けそう。今年は流氷の着岸も早いそうです。寒く冷たいオホ−ツクの海。いつか世界中の海に行ってみたいですね
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