の世界
66 秋の大三坂 200110
秋の大三坂

-北海道 元町 大三坂-

■今月は大三坂の秋の作品

 前回の北国通信で、函館の大三坂(だいさんざか)のことに触れさせてもらったので、今月は大三坂の秋の作品にしました。この作品は亀井勝一郎の生家あたりの秋の風景で、紅葉したナナカマドが大変美しいところです。ナナカマドの紅葉は真っ赤に染まる少し前、赤と黄色とが8:2位に混じる頃がもっとも美しいとぼくは思っていて、この日も秋晴れとこの色彩のコンビネ-ションを狙って一日中大三坂近郊を歩き回りました。ナナカマドが紅葉する頃、あたりの民家の壁を見ると、ツタも赤く色づいていてこちらも燃えるように赤くなっています。そして坂道に立つ民家の玄関先には菊の花が咲き誇っていたり、終わりに近づいたイカを干す風景が見られるのもいいものです。やはり秋晴れの一日というのはいい気持ちですね。なんて日差しが心地よいのでしょう。ナナカマドの紅葉からは少し遅くに桜が紅葉して、少し遅れて銀杏ですか。これらは函館では博物館か五稜郭公園に行くといいですね。去年、桜の葉が紅葉する季節、博物館のある函館公園を散歩しました。函館公園と言うのは明治12年に開園した北海道最初の公園です。函館山の東側、奥づまったところにあり、普段は深閑としていて、落ち着いた雰囲気があります。ここは桜が美しい公園で、花の時期は大勢の人でにぎわうのですが、秋の紅葉の季節にここを訪れる人は稀で、寂しいくらいにひっそりとしています。ここを散歩すると、秋晴れの日差しもどことなく違って感じるから不思議。静かです。
 

 函館公園の一角には小さな私営の遊園地があります。「子供の国」という遊園地で、慶ちゃんも小さい頃よく遊びに来たそうです。僕たちがここを訪れたわけは、函館に大観覧車ができるという話が沸騰した時、子供の国のチビ観覧車(10人乗り)の存在を世間の人にアピ-ルするのが目的でした。僕たちはかたくなに大規模な開発には反対で、この遊園地のような素朴なところこそ子供にとって最上のものと考えています。この素朴で小さな遊園地でさえ、子供にとっては大きな存在として彼等の目には映ります。それで、彼等が大人になってここを訪れた時「え!こんなに小さいの?!」と驚くところに面白さがあるとぼくは考えます。しかも、この遊園地を歩いてみると、プラスチック製のベンチ一つ一つに従業員の人がかわいらしくア-トしていたりします。狭くて小さいから、取るに足りない物にでも行き届いた愛情をかけられるのだと、思うわけです。しっかりそのベンチは写真に撮らせてもらいましたが、大げさにベンチを写している僕を不思議そうに従業員の人が見ていたことをよく覚えています。
 

 写真の楽しさはこうして「何かないかなあ?」と思い思いしながら街を歩いてみて、そのときどきに心に触れたものを写していくことだと思います。ぼ-っと見ていたい時もあるんだけど、目を皿のようにして感じたくなる時もあるのですね。どちらもいいものです。北国通信の人で、何かと紅茶を飲みながら、風景をぼ〜っと眺めたり音楽を聴いたりする人がいますが、これもいいですよね。ぼくは、コ-ヒ-を飲みながら散歩するのが癖です。発想に生き詰まった時こうするのですが、いいものです。人にはお茶を飲みながら過ごす時間が欠かせないのかもしれません。お茶を飲む、お散歩する……、とくれば木立の下にベンチがなくちゃ!ということで、その点五稜郭公園を秋に散歩するのは楽しい。背中のリュックにはあつい湯を入れたポットを持って歩いてみましょう。疲れたら素敵なベンチがありますよ。秋になるとこうして散歩したくなるわけなのですが、函館の秋ではもう一つ素敵なところがあります。香雪園です。
 香雪園は元町からかなり離れたところにあるが、ちょうど今頃紅葉が非常にきれいな和風な庭園です。 ここには楓の小道があってその色彩はあまりに見事で、見た人は絶句するに違いない。今から何十年か前、 この小道を造った人がいたわけですね。見事な感覚だと思います。もし、僕にお金があったらきっと並木道をつくるだろうなあ!春夏を思って造る並木じゃなくて、秋の紅葉を思って造る並木が一番造りたいなあ。もちろん季節季節に一番ふさわしい並木があったらいいのでしょうね。木があると心が豊かになる。ぼくはそう思うのだが、街の中に行くと、街路樹や庭木さえ邪魔だと思っている人がたくさん住んでいる。木があると心が豊かになると思う人がいれば邪魔だと思う人が入る。この差はどこから来るのだろうか?
 

 しかし、確かなことは、街中ではこの違った心同士が相殺されて0になっているということだ。+とーが加えられて、おまけに行政者によって中和されて限り無くゼロになっていく。高いお金をかけて街路樹を植えるのに、枝は全部刈り取ってしまうこの現実とはいったい何だろう?だから、函館という街は元町から出て、一般の住環境に行くとどこにも木がなくて殺風景なところが多い。特に新しくできた街ほど、木がないところが多い。函館なら本町、柏木町、時任町、杉並町に行くといい。ここには未だいい感じの函館の面影が残る。木があるないの問題ではなくて、雰囲気のことだけれど。そして、もし函館を感じてくれるなら、五稜郭の交差点を起点に湯の川方向と函館山方向の電車道を走ってほしい。高いビルのない函館らしい町並みの表情が残っている。そして、函館らしさというと十字街だろうが、これは前回お話させてもらったように、失くなってしまった。今回はかつての十字街を忍んで、十字街の写真も同封してみました。写真中央にあるのがお菓子の三ツ源。洋服のベルファム。この古めかしい雰囲気がもうここにはなくなった。「街並みの再開発」どうしてもう少し待つか、違った開発ができなかったのか?悔やまれる。経済発展から取り残されることを逆手にとることはできなかったのか?もう一度言うと、もうこの写真の風景はない。もう少しすると、ピカピカの商業施設が立ち並ぶ。悔しいですね。また一つ、思い出がなくなってしまった。自分が好きで撮った写真が各地で昔の記録写真になっていくことを最近感じる。決して記録で撮ったわけではない。しかし、もはや僕のフィルムの中にしかない風景がなんと多いことだろう!

◆2002年カレンダ-「北国の小さな物語」

 最近は写真展の準備とカレンダ-の発送が重なって、猛烈に忙しい。カレンダー、今年こそ速く創ろうと思っていたのに、やっぱり三ヶ月近くかかってしまった。なぜ、こんなに時間をかけないとできないのか?とできたてのカレンダ-たちを見て、そう思う。写真の選択が一番時間がかかる。とにかく今年はいい写真がたくさん撮れた。そのせいもあってついにぼくは1週間かけて、3万枚のフィルムを見ることになった。この12枚をその中から選びだすことは大変なことだ。あれもいいこれもいい……,と選んでいくと際限がない。お金があったら2種類くらいは創りたいものだとつくづく思う。しかし、このカレンダ-はなりは小さいが実によくできている。ぼくは冷蔵庫に貼って予定を書き込みながら使っている。月の動きも満月、上弦、下弦新月と4種類にして良かったと思っている。最初は新月をただの黒いマ-クにするのがいやで、渋っていた。しかしある時、慶ちゃんに新月さんマ-クを頼んだら、今のように居眠りしている月を描いてきた。「これだ!」とぼくは思った。なかなかいい発想だと思った。
 カレンダ-を創るということは、言い換えれば時間を研究することに等しい。いろいろな資料を集めては読んで、過去の人々がどんな風に生きてきたのかを知ることができる。ぼくは昔から時間と空間とに興味があった。そして、なんらかの形で時間の研究者になりたいと考えていた。カレンダ-を創るということがその答えだと思った。ぼくはかなり多くの時間に関する書物を読んだ。そして、これからも尽きることなく調べていこうと思う。そして、この成果が少しでも、フィ-ドバックされればと思う。日本を始め諸外国の風土文化伝習も調べたいと思う。時間というのは今だけではない。過去にも豊かな時間があったのだ。
 と、思いつつも明日から注文が来なかったらどうしようと毎日思う。しかし、今は多くの人が優しいメッセ-ジと共にカレンダ-の注文をくれる。みんなの暖かい愛情に支えられて、時間を研究していられるわけで、そう考えると感謝で胸がいっぱいになる。カレンダ-も今年で5年目。印刷の人も製版の人も年々うまくなっていく。
いくら仕事だとは言え、よく不満一つ言わずにこの難しい紙に挑んでくれるものだと思う。直接印画紙に出力したカレンダ-を見ると、もう、目の覚めるような色彩の鮮やかさに目を見張ります。製版者が最高の技術を駆使したことがビンビン伝わってきます。ぼくも負けてはおれません。8月の白鳥座の写真。4角に行くと星がなくなっていってますよね。しかも、レンズの収差が強く出て、星が点像になっていない。しかし実際には4角にもちゃんと星は写っています。(この8月の作品は写真展に飾りますので、会場で見てみて下さい)
 しかし、印刷では出てこないのですね。これではダメなんですね。解決策はあります。それは僕の努力に尽きます。努力です!もう少しお待ち下さい。もっといい作品を造りますので。

◆ε-200反射望遠鏡

 12.5cm屈折に続いて20cm反射望遠鏡を手に入れました。“ε-200”という名前の反射望遠鏡です。合わせて赤道儀も160JPという大型の物にしました。
どうして2本もいるの?と質問されそうですね?………何から話そうかなあ?
まず、ε-200というのは焦点距離800mmF4という性能です。12.5cm屈折は800mmF6.4なんですね。このF6.4とF4との差が問題なんです。これは絞りにすると1.5絞り分くらい違うんですが、例えばF4で30分で写るものがF6.4だと100分くらいかかる計算になります。だから、100分かけないと写らなかったものが30分で写ることになります。それじゃあ100分かければいいじゃないか?と思うでしょ?ぼくもそう思うのですが、実際は単に時間だけの問題ではない、という確信があったので試してみたくなりました。
 しかし、このε-200、古い物だったので、これがやっかいでした。焦点距離が800mmもあると、何が何でも中判カメラ(大きいフィルムの入るカメラ)をつけなくてはなりません。(小さいフィルムだとアンドロメダ星雲など、視野からはみ出るものが出てきます)そこで、中判カメラを探すと何と信じられないことに14万円もするのです。(望遠鏡より高い)ということで、頭をひねります。その結果、全国の中古カメラ店に電話をかけまくって、ようやく安いカメラとアダプタ−を見つけてきました。ボデ-は大阪で、アダプタ-は京都で、取り付け部は東京で見つかりました。これらが手許に届いた時には感動しました。そして、これらをちょっと改造して取り付けてみて、見事に引っ付いた時には涙涙でした。僕の理論ではこのε-200という望遠鏡が一番良く写るはずなんですが、ちょっと古いと言うだけで、手にも入らなくなると言うのは寂しいですね。本体は東京の中古望遠鏡屋さんで偶然見つけました。奇跡ですね。これを見つける数日前まで、ぼくは慶ちゃんに、どう考えても考えても「ε-200が理論的に一番いい」と話していたのです。その矢先のことでした。赤道儀も160JPという大型のものして、13.5kgもあるε-200をのせるようにしました。両者合わせて80kg位になります。もう、鏡筒のせたら動きませんよ!しかし、後は写すだけです。楽しみです。考えたり探したりする苦労も写せるという楽しみがあるからできるのでしょうね。憧れのε-200をアンドロメダに向けて感動している僕を思って下さい。やりますよ!がんばですよ!久しぶりにに燃えております。