の世界
58 冬の湖畔の木 20012
冬の湖畔の木

-北海道 七飯町大沼-

存在

木と共に、静かに存在について考える。

さすらいの果て

出会うところ、憩うところ。

人の住む世界にも、湖畔の木のような人がいる。

人は彼のところに行って

疲れた心を癒している。

安心と憩い−人の心の持つ永遠の願い。

 

 上の詩は、今回送ります一本のハルニレの木のもとで想った詩です。そして、この詩は、1998年のカレンダ−の裏に湖畔の木の写真と共に掲載させてもらったものです。この時の写真は新緑の葉を春の光に輝かせたものでしたが、今回の作品は冬の湖畔の木です。この木はハルニレという木で、ハルニレは豊穣な土地を好んで生え、しかも生育するにはなかなか色々と条件がそろわないと育たない木だそうです。そのため北海道を開墾して、農地にする場合、ハルニレの木を目印に開墾を進めたという話しはよく知られています。

 ハルニレの木は英語でエルムといい北大などはエルムの学園と呼ばれます。確かに北大の構内を歩くと、100年以上を経たハルニレの大木が目立ちます。どうして北大にこんなにエルムの大木があるのか調べたことはありませんが、当時北大をこの土地に開学した人々がハルニレの木を選んで残したことだけはよくわかります。ぼくも北大理学部横のロ−ンに駿立するひときわ大きなハルニレの木に感動し、札幌冬物語というポストカ−ドの一枚になってもらいました。このポストカ−ドは冬の晴れの中にそびえ立つハルニレの木を超広角レンズで狙ったものなのですが、白い雪で粧われた細かく分かれた枝先まで克明に描写したいと慎重に写したことを覚えています。2001年2月のカレンダ−も北大のナナカマドと白樺でしたが、樹木については街の中とは思えないほど北大の環境はすばらしいと思います。慶ちゃんも北大の構内で見事なアカナラの葉を拾うことができたといって、大喜びしたことがありました。

 しかし、残念なことに最近北大の方針らしいですが、ハルニレが倒れると困るから切ってしまおうという責任回避の様子が新聞等で見受けられます。そこでただ独り反対しているのが、写真館通信でも紹介した小野有吾先生です。
 先生は、筑波大学から北大に来られた方で、ぼくが人生に迷っていたとき考えた地球環境科学研究所(北大の構内にある)に勤務されいます。
 専門は氷河地形に関することですが、御本によると旭川にあるカタクリやエゾエンゴサクという早春に咲く花々の大群落に出会ったとき、それが開発によって失われてしまうことに反対することなどを出発点に北海道の自然を守ることに尽力されています。カタクリやエンゴサクの群落、つまり早春のエフェメラル(春の妖精たち)のお花畑ですが、このお花畑ができるのに数万年かかっているわけです。それをゴルフ場にするには、数日あればいいのだそうで、多くの人がこのお花畑の価値に気づいて復活させるには、また数万年かかるというのです。

 そして、北海道の人はあんなものどこにでもあるじゃないか!と言う、ことについて、どこにでもあるどこにでもあると思っていて気づいたらどこにもなくなってしまうものがたくさんあるともおっしゃっています。

 気づいたときにはもう遅くて、あと数万年しないと元通りにはならないわけです。ぼくの知っている人もカタクリの葉や花びらをおひたしにして食べる人をよく見かけるのですが、なにも一万年かからないとできないものを食べなくたっていいのにとよく思います。

 話しはそれましたが、

北大のハルニレも倒れたら危険だから切ってしまうとか、落ち葉が邪魔だから切ってしまえという話しをあちこちから聞きますが、百数十年を経た木を平気で切ってしまえる神経にぼくは驚きますし、小野先生は数百年も生きた木が倒れるときには何らかの信号を出すはずだから、そのことをすばやく察知したらいいとおっしゃられています。100数十年を生き抜いた木が数秒で倒れることはなく、数十秒かまたそれ以上かかるのだそうです。 そして、もし、そのことを察知できないとしたら、それはもはや生き物としてとして生きていく能力を欠いているのではないか、とまで述べられています。

そして、最近はついに矛先がハルニレからポプラに移ってきています。新聞等でご存じの方もおられると思いますが、理学部と工学部の前のポプラ並木16本が切られることになりやはり小野先生だけが反対の声を挙げています。北大にいるたくさんの有閑な教授たちの声は全く聴こえてきません。ぼくの父にこのことを話してみると「だったら大きな校舎も建てられないね」と言っていました。なぜなら神戸の震災を経験した彼は、多くの人は建物の下敷きになって死んだのであって、木の下敷きになって死んだと言う話しを聞かないというわけです。

 インドの地震も建物が崩壊して人命が失われたことを指摘していました。
決して木が倒れて数万人の人は死ねないと言うのです。先日も丘のうえの小さな写真館の近くの人が「近くの木を切らせた、実に美しくなった」と自慢していました。「どうしてそんなことをさせたんですか?」と聞いたら、虫が木にいるからだとの答え。なんと木がなくなると実にきれいにさっぱりとする、と思っている。木を切ったらどうなるか、さっぱりした後のことまでは考えない。木を切る前には、切るか切らないかどうすべきか、先々のことまでじっくり考えないといけない。丘のうえの小さな写真館のまわりの木を無断で切ってしまった老人だけはいいだろう、しかし、彼亡き後、そこに住み続けていく人のことまで考えて行動すべきだった。時は人一人の人生分だけ流れているわけではない。ひとつの空間には同時代を生きる人だけではなく未来にもそこに生きる人がいて、その人たちにも等しく同じ時が流れて行くのだということを忘れてはならないだろう。そして、現代の我々の行為を知らずにけなげに笑って遊んでいる未来に生きる人たちの笑顔を見ることはつらい。  

■湖畔の木が便畔の木になってしまった!

 続けて、今回の作品冬の湖畔の木ですが、この木の作品制作も、今中断している。というのは、去年、この木の側に便所ができたからで、湖畔の木ではなく、便畔の木になってしまったからだ。
 ぼくはこの木を四季を通して陰から見てきましたが、去年その側になんと二つ目の便所が完成してしまって、ショックを隠せない。    
 なぜ、10mも離れていないところに便所を二つもつくるのか理解できない。ここはキャンプ場の北のはずれにあたるが、狭いキャンプ場にどうして2個も便所がいるのだろうか!
 そして、
この静かで美しかったキャンプ場も便所ができたせいで、有料になる。

 キャンプというのはいままでぼくたちのようなお金がない人がしょうがなくそこを利用して、テントを張るところだったんですが、最近なぜか、キャンプ場が高級になってきている。そして、高級になった分、お金がかかる。
 そして、テントも
家のような大きなテントが乱立するようになった。ぼくらのテントはモンベルのム−ンライト。型ですが、月明かりの下でも素早く組み立てられることを目標につくられたテントです。これでも大きいと思っているのにム−ンライト。型の20倍はあろうかという大ゴウジャスなテントで余暇を楽しまれています。だから、湖畔の木と静かに会話するように写せていた時はもうこれから来ないのかなあ、と思うと残念でなりません。ぼく以外にもこの木に惚れている写真家もいるのですが、彼もきっと悲しみにくれているのでしょうね。ぼくは今まで、春夏秋冬と湖畔の木と共にいることで、心憩うことができましたが、これからは10m先が見えない霧の日か、吹雪の日にしか感じられないのでしょうか。

 ぼくはそこに24時間はいませんからいいのですが、ハルニレの木はかわいそう。ずっとこれから湖を見ることができず、便所の壁を見て生きて行かなくてはなりません。そんな木の人生を思うとたまらなくなります。木を切ってしまったわけではないのですが、こんなことになるなら、いっそ殺してくれと木は語るかもしれません。そんなハルニレの木ですが、ぼくだけはぼくが生きている間だけは見ていてあげようと思っています。
 

■高速道路建設で星が見えなくなる

 これもつらい話しですが、函館の街を見おろす丘のうえに二本の木があって、ぼくの作品集のひとつ二本の樹の物語としてポストカ−ドにしている、そんな木があるのですが、最近この木の近くにでっかい高速道路ができて、ものすごい明るさで夜の道路を照らすようになってしまいました。

 その影響は丘のうえまで届き、また天まで届き星が見えなくなってしまいました。高速道路ができるまでは、丘のうえは美しい夜空が広がっていたのですが、もう今では昼より明るい街灯がギラギラ光って、ほとんど車通りのない高速道路を照らしているのです。あれでもものすごくみんなが利用しているというのならぼくもあきらめがつくんですが、夜になったら、函館というところはそういうところなんですが、車がものすごく少なくなるんですね。それなのに時折通る車のために、首都圏並の明るさで道路を明るく照らしているのです。
 
そして、この高速道路のせいで、ぼくが北海道で最も均整のとれたポプラの木と絶賛していた木が枯れてしまいました。
 
地下水脈というのがあるのですが、これが道路によって分断されると、木は雨水だけで生き延びていくことができず、枯れてしまうことがよくあります。丘のうえの二本の木も根本にバッテリ−を捨てられてぼくたちが救出しなかったらあの世にいくところだったことは前にも話したとおりです。


 こうして、北海道一均整のとれた美しいポプラはぼくの作品の中にその美しさを残す以外は誰にも知られることなく、この世を去っていったのです。
 
もし、札幌から函館に来られることがありましたら、この道路建設の陰で悔し涙を流しながら死んでいった一本のポプラの木があったことを思い出してあげてください。

 この高速道路は北海道縦貫自動車道という国がどうしても建設を進めている道路の一つで、完成して有料化されれば、地域の人は誰も通らなくなるでしょう。そして、またこの道路と連結して、かつて北海道開発庁長官、阿部文男が賄賂事件で捕まった、あの江差までの高速道路も再び建設が再開され、これまたあまり利用されそうにない道ができそうです。

■水族館付き観覧車の建設 

 函館の緑の島に建設が予定されていた水族館付き観覧車の建設は日本政策都市銀行がお金の融資に慎重なので、少なくとも6月までは延期になりました。この観覧車の建設には西部系の国土という会社が主体で、函館市との第3セクタ−で運営していく予定なのですが、80億円のうち79億円を借りて、1億円の会社でやろうとしています。これはぼくたちが家を造るのに、100万円しか持ってないのに、8000万円の家をロ−ンで買うようなものです。ぼくはしきりにもっと小さくていいから、無理をしないで、背の高さと同じ程度の水族館から始めたらどうですか?と提案するのですが、誰も耳を貸しません。議会ではどうして高さ104mの観覧車なのか?なぜ、105mにしないのか?とクレ−ムがでるそうです。104mだと日本一になれないらしいです。どういうわけか大きさにこだわる。以前函館の動物園をタモリが馬鹿にしたらしいのですが、ぼくは逆になんてかわいい動物園!と思ったし、その側にある遊園地はなんてかわいい遊園地!と思ったものです。小さい遊園地は細かく細部まで気が届けられていて、なんてかわいいベンチ!といつも張りつめている重い心がおもわず和らぎます。そして、この水族館付き観覧車のできる緑の島、これがそもそも評判がよくない。この島は実は何を隠そうヘドロでできている。
 
ヘドロをたゆまなく運んでくるのは亀田川という函館の動脈にあたる川。亀田川は家庭排水や護岸工事等で痛めつけられ、砂利を運べなくなり、彼女が運ぶものはいつしか砂利ではなくヘドロになっていた。その結果、かつては北海道への第一歩の位置にあった函館港は船舶の往来によって汚れたわけではなく、川が運んでくる排水のために北海道で一番汚い港と呼ばれるようになっている。観光でここを訪れても、海に出たり、見ることはできず、かつて綱いらずの港と言われるほど美しかった砂浜の情景はどこにも残っていない。さらに観覧車建設と駅前の高層ビル化が進んでいて、京都以上、恐らく日本一の変質を経験する街として横浜国大の先生たちは危ぐしている。もちろんぼくも悲しんでいますし、北国通信をしていただいている方の中にも、函館を心から愛されている方も数多くおられます。そして、緑の島ができて巴の港として市章にもなっている美しい曲線を描いた港の姿が寸断され嘆いている市民の方も大勢いらっしゃいます。ヘドロで緑の島をつくった事情はわかるのですが、つくる前にもう少し慎重に未来や歴史のことを考えてほしかった。函館はできてから3000年。自然の時の流れだけに任せれば、黙っていてもいつかは今の函館を造った亀田川によって函館湾は埋め立てられ、この美しいくびれた街の姿は無くなっていくだろう。今のように美しい姿はそう長くは続かない。黙っていても短命な美しい乙女の姿を無惨にも引き裂く緑の島!しかも緑の島も美しい乙女も同じ亀田川という母から生まれた。しかし、一方は美しい砂からできもう一方はヘドロからできている。この違いはどこから生まれたのだろうか?胸に手をあて、考えてみなければならない。明日仕事があるから、と色々な理由で考えることから逃げる人が多い。ぼく自身、同様耳が痛い。こんなことにかかわるために函館を愛したわけではないけれども、この美しい砂でできた乙女の命を守りたいとぼくは思う。

P.S. 
人間の世界のわずらわしさにほんろうされた2月でした。北国通信にもそのことが色濃く出てしまいます。しかし、わずかな心の慰めですが、西の空に美しく金星が輝いています。望遠鏡で見てみると、深く切れ込んだ三日月の形をして見え、大気の 影響で深い金色のまわりに赤と青の色彩が見えますね。夜明け前には火星も上り、夜中にはプレアデスのまわりに木星と土星が 寄り添っています。今日は月もその側にいて、ほっとさせてくれます。最近、禁漁期でイカ釣りの光がないので、夜空が暗く冬の一等星たちが見事ですね。丘のうえの小さな写真館の玄関から北の空を見ると、とっても暗く、不気味さまで漂っていて、あの空に向かって行ってみたいと、日々思います。こぐま、りゅう、ケフェウス、カシオペア……暗い北の空は、ちょっぴり寂しいが、放浪を求める心がうずいてくる。さっき、ベ−ト−ベンのバイオリンソナタ第5番“春”を聞きながら車を走らせていました。 快調な2楽章のリズム。慶ちゃんから色々教えてもらいながら、聞きました。あの2楽章のような春を迎えられるよう遅れている仕事をやっつけて、輝く春を迎えたい。もうそこまで春が来ています。言葉にできない春の気配がもう世界を満たしています。