■2001年4月2日から20日までの19日間ぼくたちは春の風景を求めて本州を旅した。
まず、2日北海道の室蘭から新潟の直江津港行きのフェリ−に乗る。室蘭から直江津までは約17時間かかる。夜11時に乗って、翌日の夕方4時に直江津に着く。
直江津についてすぐ、ぼくたちは長野県の野沢温泉村の近くの北竜湖に向かう。一目北竜湖が見たかったからだ。北竜湖への国道沿いは細く曲がりくねり、道路沿いの斜面にはたくさんの残雪を残していた。函館より雪解けは遅い。目指した北竜湖は小さな池のような湖だったが、まだ湖面は凍っていて、樹木に緑の葉もなく季節外れの雰囲気の中で静まりかえっていた。春が来ると、北竜湖は桜と菜の花でその湖畔が美しく飾られると聞く。しかし、今回の旅では機会に恵まれず、函館に帰る途上でも春爛漫の北竜湖に立ち寄ることはできなかった。しかし、季節外れだったが、北竜湖をとりまく小さな村の雰囲気はとても印象に残った。とくに木の電柱に古くさい傘をつけただけの電球がとりつけられている風情はよかった。
直江津から北竜湖のある飯山市に向かうと必ず、千曲川にぶつかる。かねてから前田真三氏の作品で千曲川を写したものがあったから、一目見てみたいと思っていた。かすかに残る夕暮れの光の中で、初めて見る千曲川を感激しながらぼくは見ていた。その後、すっかり暮れた飯山市の街の灯を見ながら、どういうル−トで神戸まで行こうかと悩んだ。更埴市のアンズにはまだ早いし……、などと考えながら、結局再びもと来た道を戻り日本海に出る。そして、海沿いに日本海を南下し、糸魚川を経て富山県に入り、翌日は魚津市に流れ下る、早月川を遡ることにする。
早月川から見る剣岳や立山連峰が美しいと聞いていたからだ。しかし、実際行ってみると、砂防ダムなどのために川に水が流れていないし、砂利の採取のために広い河原は工事現場のようになっていた。かなりがっかりしたが、雲間から垣間見た剣岳は真っ白でとても美しく荘厳だった。剣岳という山はかなり難しい山だと、小さい頃から聞いていたのでぼくは剣岳2998mを仰ぎ見ることにかなりの尊厳を持っている。願わくば、轟々と雪解け水の流れ下る早月川から、剣(つるぎ)を仰ぎ見たかった。
早月川の次は、上宝村にある双六谷に向かった。ここも上流にダムができていて、水量は乏しかった。せめて雪解けのこの時期だけでも、川に水が流れていてほしい。こうやってどんどん憧れが消えていく。大雨でも降らないと、川の写真が撮れないなんて悲しい現実だ。
■御岳山
」気持ちを取り直し、色々と立ち寄りながらぼくたちは富山県を過ぎ、岐阜県を南下していった。そして、この日の夕刻は岐阜と長野の県境にある御岳山に岐阜県側から近づいていった。月に輝く御岳山を写したいと思ったからだった。岐阜県側から近づいて行く御岳山へのアプロ−チは思った以上に険しく、山深く、標高も1000m以上になっていった。そして、深く大きな谷を隔てて見る御岳山の様相は巨大だった。その御岳山を上弦を少し過ぎた月が美しく照らしていた。もうこれで、この光景とは二度と出会えないのだろう、美しい月夜だった。その夜、ぼくたちは杉林の中で眠った。その夜、月は杉林の中にも差し込んでいた。
翌日、ぼくたちは岐阜県、中山道の馬篭宿に行った。馬篭宿は近代化されたお土産やさん通りになっていたが、馬篭宿をとりまくのどかな農村の風情は良かった。ぼくはここで、紅梅を夢中になって写した。紅梅の下では、一人の農婦が鍬で畑を耕していた。
馬篭宿からは名古屋に出て、一路神戸に向かった。途中、奈良に寄りたかったが、日没のために寄れなかった。名古屋を出て、約3時間で目標の神戸にたどり着いた。
■奈良へ、忘れられぬおじさんとの出会い。
神戸で、3日を過ごした後、ぼくたちは奈良に向かった。今回の旅の主目的は奈良の桜咲く農村風景を撮ることだった。まず、ぼくたちは奈良県大宇陀町本郷(おおうだちょう)というところにある、又兵衛桜を撮りに行った。7大きなしだれ桜で、大きく紹介されていたから、一度見てみたいと思っていた。しかし、実際行ってみると、あまりの混雑であきれ果ててしまった。
そこで、ぼくたちはこの桜を写すことを断念し、近くの山間に広がる農村域に入っていった。恐ろしく狭く急な山の斜面に小さな村々が点在していた。
ぼくたちは恐る恐る山間の道を登っていった。その途上、桃の花と竹林の美しいところがあった。そこに車を止めて、写していると、一人のおじさんに声をかけられた。「函館から来たの……?」おじさんとの話はそのことから始まった。おじさんと別れ、ぼくたちは更に上へ上へと登って行った。想像以上に道は続いていった。ほぼ行き当たったところにヒガンザクラの大木があって、瓦屋根に映えて美しかったので、これを写していると、さっきのおじさんがやってきた。まだ、いたの?という感じだ。こんな奥まで来る人はほとんどいないというようなことを話し、記念にといって、橘と二本のアスナロの苗木をもらった。「彼は何かを記念して、木を植えるんだよ」とぼくたちに語り、これが1番目の孫が小学校に入ったとき植えたサザンカで、これが娘が……、という感じで、いろいろと彼の記念樹を見せてもらった。かつて、ぼくの息子が生まれたとき、隣町の園芸の方から白花のエゾムラサキツツジを記念にもらった。「記念に木を植える」というのは何という人間的な素朴な発想だろう!でも記念に木を植えることができる庭を持っている人は少ない。木や花のない家は何とも寂しい。
■奈良県西吉野村
翌日は、慶ちゃんの機転で奈良県西吉野村を写すことにした。ぼくは曽爾村(そにむら)や室生村に行こうとしたが、彼女は西吉野村を押した。それで、ぼくたちは西吉野村に行くことにした。
結果的に、西吉野村はすばらしいところだった。主に西吉野村は柿を産することで知られる。確かに、村中の山々は柿の木で埋め尽くされているようだ。ちょうど、新梢を出し始めたばかりだったので、柿畑はあまりに地味だったがこれが秋になるとどうなるのだろうと思うとわくわくしてくる。
11月にもここに来ようと誓い合った。柿だけかと思えばそうでもなく桜やモクレン、桃などが満開で、静かな西吉野の山村は春の美しい色彩にひときわ輝いていた。旅ゆく人もぼくたち以外になく、ぼくたちは目星をつけている山村の奥の奥まで入っていった。のどかな春の風景がどこにでもあった。しかし、そのどれもが小さかった。北海道で目にする何よりも小さくメルヘンチックに見えた。最近、天国のように素敵なところに何度となく出会う。奈良にいたときも、また北海道に帰ってからも幾度となく出会う。写真作品にこの雰囲気が残り、伝えられたらどんなにいいだろう。いや、残すことがぼくの仕事のはずだ。最近の出会いは、それはそれはすばらしいことが多い。
■岡山県鴨方町へ
奈良の旅を終えたぼくたちはいったん神戸に帰ってから、岡山県鴨方町(かもがたちょう)に向かった。目指すは桃の花だった。しかし、鴨方町には桃の花はあまりに少なくて、写真にするには難しすぎた。そこで、ぼくたちは一路、岡山県の内陸部を通り、兵庫県に帰ることにした。一日だけだが目的のない行き当たりばったりの旅である。途中、山つつじが鮮やかだったり、ヤナギがとてもすばらしい河に出会ったり、なかなか楽しい旅だった。全く目的を決めずこのようにさすらう旅はいいものだと思った。何に出会うか一日が終わるまでわからない、そんな自由がたまらなくよかったりする。
■山梨県一宮町
岡山から神戸にいったん帰り、すぐにぼくたちは山梨県一宮町にむかった。桃の花をどうしても写したかったからだ。途中、長野県南アルプスの西側に広がる谷や盆地の梅や桜を撮影し、その後、一宮町にたどり着いたのは翌々日の夕方だった。
まず、びっくりしたのは山梨県一宮町近くの八代町の街路樹がアメリカハナミズキで、しかも紅白紅白とかなり凝っていたということだった。アメリカハナミズキはぼくも大好きな樹木で、嬉しくてしょうがなかった。
目指す、一宮町の桃は今がちょうど満開で、今回お送りする作品はこの一宮町の桃畑からです。
一宮町というと甲府市の近くのほんの小さな町ですが、山や平地で、桃を栽培していて、隣の御坂町と共に、桃色一色っていう感じのところ。
桃源郷というのとは少し感じが違うんですが、その量に圧倒されます。桃まつりもちょうど終わったところで、観光客の人も少なく、農家の人も親切だったので、楽しい時間を過ごすことができました。しかも、奇跡的にも南アルプスも遠望でき(南アルプスが見えたのは30分だけでした) 長いこと風景やってると、今回のような奇跡のように晴れることがたまにあって、神に感謝するようなことが起こります。この日も、ず〜っと曇りで、天気予報では雨でしたが予報がはずれ、午後から晴れだしたのです。しかし晴れだすやいなや、透明度は下がり、30分もしない内に南アルプスは見えなくなってしまいました。
こうして、長かった撮影の旅を終えたぼくたちは一路、直江津に向かい、フェリ−に乗って函館に帰ったのでした。そして、北海道に上陸してみると、3℃しかなくて、ショックを受けました。そして、空の美しさに心打たれました。北海道は空がきれいです。
しかし、春まだ遠いという感じでした。4月20日のこと。それから、ぼくは北海道で、カタクリの花を写したり、水芭蕉を写したりしています。旅での撮影は車での移動中に休めるから比較的楽なのですが一日中カタクリや水芭蕉を写していると、とってもしんどい。それでも、ふらふらしながら、次々と写していく。ここ北海道でもぽつぽつ桜が咲き始めた。今年は松前の桜を写そうとか色々考えが巡る。5月、6月7月と北海道に最高の季節がやってくる。体力の続く限り、今シ−ズンは写しまくろうとはりきっております。 体力が尽きるのが先か、お金が尽きるのが先か……。とにかくご期待ください!!
P.S.
今回、念願だった、本州の撮影に出かけた。19日間で、3000kmを走り、1500枚の写真を写しました。
主に、奈良と長野県を今回は写しているのですが、この他にも本州にはたくさんの美しいところがあります。メインの国道沿いや大都市には今風の店が立ち並び、車も多くていやになりますが、ひとたびそこをはずれると今なお風情の残る世界に出会うことができます。
もし、旅人が国道ばかりを走って日本を旅したら日本にがっかりして、絶望してしまうことでしょう。しかし、もし旅人が国道以外の道をできるだけ選んで旅したら、今なお残る古き日本の素朴さに出会って、安らかな思いになれるでしょう。
ぼくたちの旅は、できるだけ国道を避けて走る旅です。撮影が主体とはいえ、西吉野村のようなところに行くと、あまりにきれいすぎて、一日かけても村内全部を走ることはできない。吉野といえばかの吉野山の桜があまりに有名なので、吉野山に行くとたくさんの観光客がひしめいているが、吉野山以外のところでは、どれだけ美しくても、あまり人と出会うことがない。
西吉野村の一角で出会ったある村などは、吉野山のように山全体が桜で埋め尽くされたようなところがあったが、誰一人おらず、申し訳ないがぼくたちだけで楽しませてもらった。マンサクの花や、モクレンもちょうど満開で、そこからぼくはしばらく離れることができなかった。
また、丘のうえに姫コブシの花が咲き誇るところがあって、姫コブシのその淡いピンクと、丘の淡い緑は何とも言えなかった。また、もし花が咲いていなかったら、誰一人そこに行くことはないだろうと思えるような小さな村が隠れるようにあった。花につられて、ぼくたちは狭い道を何度も切り返しながら近づいていった。そこにつき、車から降りてみて初めて、そこの雰囲気がどこか違うことに気づいた。あまりにそこは幸せな空気に満ち満ちていた。俗世界から最も遠く、春の暖かいお日様の光を浴びながらぼくたちはこの幸せな空気を体一杯に感じた。花も美しく咲き乱れていたのだが、何よりそこによく見知った、カ−ランツ(カリンズ)の大きな株が幾本も植えられていてぼくは嬉しかった。詳しく言えばそれはブラックカ−ランツだった。レッドカ−ランツよりもわずかに緑になるのが早く、その葉は淡い緑色をしている。そんな素敵なところだったので、名残惜しかったが、先に進んだ。もし、ぼくに定住したくなるような土地が見つかったら、あんな感じにしたい。 −花源郷−、花は本当に美しい。過疎化の村が多く目に付くが、花が咲いているだけでそんなことをしばし、忘れることができる。これからもぼくたちは日本の中を故郷の風景を求めて旅ゆきたいと思っている。そして、たとえそこが過疎で活気がなくても、電信柱がごう慢に立ち並んでいようと、想像力を働かして古き良き時代を思うことにしたい。
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