の世界
62 無名の花 20016
無名の花

-北海道 晩成原生花園-

■6月11日から19日まで、ぼくたちは今年第一回目の撮影ツアーに出かけた。

 
 主に北海道東部を巡り、8日間の全走行は2035kmで、3150枚の撮影をした。一日当たり400枚写していて、さすが昼の時間が長い初夏ならではの成果のようです。
 
 撮影に出かける前はあまり気が乗らず、重い気持ちを引きずって出かけた旅だったし、何となくずっとやる気満々ではない自分にいらいらしながらも、とにかく予定通り撮影に出た。
 

まず、旅の一日目

タテヤマリンドウを新篠津村に求めたが、かつての湿原は温泉保養地とゴルフ場に変わっていて、タテヤマリンドウという春に咲くリンドウに出会えなかった。タテヤマリンドウは春の高層湿原に咲くリンドウで、函館近くには残念ながら高層湿原がないからこうしてはるばる探しに行くことになる。しかし、出会えなかった。また来年です。 
 出だしは決して順調とは言えないが、そのままゆっくりと車を走らせて、一日目は富良野と狩勝峠の間にある樹海峠で眠ることにした。

■2日目は

南富良野から狩勝峠に至る途上、落合という辺りが気になっていたので少し散策してみた。富良野や美瑛の華やかさとは全く無縁な開拓地がそこにはあった。あまりにも静かであまりにも広大で少し寂しかった。そこからすぐにぼくたちは狩勝峠を東に越え、然別湖に向かった。狩勝峠の西側はどんよりと低い雲に覆われていたのに、東側はうって変わって抜けるような青空が広がっていた。狩勝峠は国道38号線が日高山脈の北部の標高600m付近を東西に分ける峠で、峠を西から東に越えると前方に十勝の無限の平野が望め、南に日高連峰の北端が見られる。そして、北東には然別湖をとりまく東西ヌプカウシヌプリや、南ペトウトル山が見える。峠を下りると、そこはもう十勝平野の北端で、気持ちのいい平野がどこまでも続いていく。その道からは今回目標としていたウペペサンケ山(1835m)も見える。
 然別湖に着くと、まずは北端にあるキャンプ場に行く。キャンプ場から湖畔に出ると、なかなかすがすがしい。湖畔沿いにほんの少し歩くと、ヤンベツ川が流れ込んでいる。この付近は何度来ても飽きることがなく、静かでいつも美しい。しばらく楽しんだ後、然別湖の東岸をなきうさぎの鳴く東雲湖まで散策した。今回の散策では東雲湖まで行かなかったが、もし、然別湖に行くことがあったら東雲湖まで行ければ行ってほしい。ぼくたちはここの散策で、出会いたかったツバメオモトという花と出会った。できたら白雲山に登りたかったが、我慢してぼくたちは三国峠にむかった。三国峠は然別湖から北にむかい糠平湖を経る国道273号線上にある。糠平湖から三国峠に向かう道はものすごく快適な道で、もし、北海道を車で旅をするなら是非通ってほしい。この快適な道は西にウペペサンケ山、ニペソツ山、石狩岳、東にクマネシリ山塊を眺めるル−トで、途中にある十勝三股は6月下旬、ルピナスが美しい。三股からは両側はさわやかな白樺の道になって、快適そのもの。そして、標高も1000mに近くなってくる。三国峠の手前の谷にかかった橋の上からはウペペサンケやニペソツ山、クマネシリなどの東大雪の豊かな樹海が眺望できる。針葉樹と広葉樹が織りなす大樹海だ!三国峠からは引き返して今夜は大樹海の中で眠ることにする。石狩岳(登山はかなり困難)登山口の音更川の轟音を聞きながら眠る。



■3日目は

朝から、石狩岳と音更川の美しさに魅了される。途上の林道も白樺がめっぽう美しい。途上の水たまりや沼にはオタマジャクシがいっぱいいる。針葉樹の黒と、白樺の白とのコンビネ−ション。ああ、これが北国の森!途上、イワツツジの葉を見つけた。今回の旅の第一目的だったイワツツジとの出会いだった。花はたった2つしか咲いていなかったが、美しい葉だった。少し時間を割いて、ササからイワツツジたちを救出した。朝起きてからまだ、10kmも来ていなかったが、もうすでに午後3時を回っていた。ぼくが昔の僕ではないところがこんなところにある。最近、先をあまり急がない。昔、ぼくは色々、あちこちに行かなくてはと焦っていた。最近、時間の中を旅しているだけで満足して、空間の中を旅しなくてはといった焦りがあまりない。どうしてなのだろうか。
 

 東大雪の快適な雰囲気を楽しんだ後、ぼくたちは上士幌町に向かおうとしたが、車のヘッドライトが二つとも切れてしまった。連日の林道走行で切れてしまったのだろう。これは上士幌町のガソリンスタンドで修理した。その後、ぼくたちは夜の内にオンネト−に向かった。オンネト−に着いたのは夜の11時過ぎだった。美しい星空だった。ぼくは今まで10回オンネト−に来ているが、なぜかここに来ると晴れることが多い。周囲に大きな街がないために、オンネト−の空はすこぶる美しく透明だ。もし、風が完全に消えて、オンネト−に波がなくなったら天の川が湖に映るだろうにと思いながら、ぼくは火星の目立つ夏の銀河を写していた。いつか湖に映る天の川を見たいと思う。そんなことができるのは、北海道でもここだけだろう。雌阿寒岳と阿寒富士のコル辺りから月が昇ってきた。夜明けが近い。お日様が昇るまでに眠ることにした。

■4日目 

次の日はオンネト-に−日いて、サクラソウをずっと写していた。夜に陸別のほうに買い物に行ったが、7時でス−パ−がしまっていて、何も買えなかった。それで、せっかく来たから陸別の天文台を見てみようと行ってみた。天文台は休みだった。この天文台には115cmの望遠鏡がある。115cmの望遠鏡といえば、人間の目の27000倍の集光力がある。こんな巨大な望遠鏡がこんな暗い空の下にあるところはなかなかない。ぼくは日を改めていつか来たいと思った。もしできることなら、アンドロメダ星雲とM42(オリオン大星雲)を115cmで見てみたい。死ぬ前に一度は見たいと思った。そんなことを慶ちゃんに話しながら再びオンネト−に戻った。


■5日目

明くる朝6時に起きると、役場のおじさんがやってきて、ここで寝ると二人で500円かかると言われたから、ぼくたちは500円を払った。しかし、いい機会だから、おじさんに夜はトイレの電気を消灯するようにお願いした。入り口だけつけて、後は感知式にするようにと提案した。せっかくの星空が台無しになるといけないから、というのがぼくの提案の理由だった。おじさんは結構心よく引く受けてくれた。時間かかるけど、感知式にします。と言ってくれた。ぼくは後で、オンネト−に映える星の美しい姿の写真を役場に送ってあげようと思う。オンネト−という湖は“阿寒の宝石”という別名がある。これは湖の中で星がきらめくからですよ!とそっと教えてあげなくてはいけません。身近にいると気づかないものです。トイレの明かりで湖の中で宝石がきらめかなくなってはいけません。でも、みなさん。このことは誇張でもなんでもありません。オンネト−にもし夜に行かれたら、湖の中を覗いてみてください。赤に青に、白にとたくさんのお星様が輝いていますよ。

■6日目

次の日もオンネト−の目の覚めるような湖畔を写してから、ぼくたちは一路、霧多布湿原に向かった。途中、 別寒辺牛川がつくる湿原を経由した。ここは湿原の生き物を保護するために河畔林を植えたり保護する、いわゆるパイロットフォレストのモデル地区で、確かに標高100mもないところなのに、深い森の中のような雰囲気があった。しかし、この地区を出ると、見渡す限りの牧場で、どうも落ちつかない。その果てに、ようやく霧多布湿原にたどり着き、念願だった琵琶瀬川の夕暮れを写した。夏だというのに恐ろしく寒かった。気温7.5℃しかなく、海からべとべとした冷たい風が吹き付けていた。

■7日目

翌日は、昼の琵琶瀬川の蛇行を写そうと思って、撮影場に向かった。天気は良く晴れていたが、海風が絶えることなく、霧を湿原に運んでいた。霧は湿原の上空に来ると暖められて、湿原の中へ消えていく。こうして、湿原が維持されているのはよく分かったが、撮影には苦労した。霧はぼくたちの頭の上をすごい速さで通過していき、湿原上空で消える。その勢力が衰える一瞬を狙ってぼくは琵琶瀬川を写した。その間中、目の前にあったカエデの新緑はきれいだった。しかし、6月も中旬だというのに霧多布湿原自体はまだまだ茶色一色だった。しかし、正確に言えば、川の縁や少し盛り上がったところから緑色への変化が始まっていた。しかし、それは微かな変化で、湿原の大部分を占めるヨシやスゲは今だ茶色のままだった。
 
 逆に言えば、この辺を旅して、夏だというのに茶色一色の草原があればそれは湿原だと思えばいいことになる。見た目に荒れ地のような感じがするが、これがなんと豊かな自然のシンボルの湿原なのですね。この日ぼくたちは霧多布湿原センタ−の前の木道を歩いて、湿原を垣間みた。遠目には茶色一色なんだけど、近くでよく見てみると憧れの黒ユリがあちこちに咲いている。美しいミツガシワの花とも出会った。何度来てもいいところがあるが、ここもその内の一つですね。湿原センタ−を後に、ぼくたちは霧多布から厚岸に連なる海岸草原に何かないかなあ?と思い、そこを訪ねた。涙岬(アイヌの少女の横顔の岬)近郊ではハクサンチドリがあちこちに咲いていた。 アヤメが原では、美しいすみれと出会った。そして、このアヤメが原で感心したのは、雑草が何者かによって刈り取られていることだった。アヤメやユリなどを残して雑草がなくなっていたのである。ぼくはしばらく考えた後、馬の放牧のせいだと思った。馬たちが、美しい花を残して、雑草をみんな食べてしまったのだということが分かった。聞くところによると、北海道の海岸草原(原生花園)は馬たちが草を食べ、その結果ユリやアヤメが残った。その結果、美しい花園になったが、馬の放牧をやめて立入禁止にしてしまってから、花の数は大幅に減っている。馬たちの放牧さえ昔のようにできたら、また、ここのアヤメが原のように北海道中の花園が再生する。確かにこのアヤメが原では、アヤメを守ろうとする気迫が感じられるところだ。馬さえ放牧すればいいのだ。観光客を立入禁止にするのではなくて、来た人みんなが力を合わせてヨモギなどの雑草を抜くか食べるかすればいいのにと思い思いする。

■8日目

 
翌日は、釧路を越えて、太平洋岸を更に南下する。音別町を越え、国道38号からはずれ、道道を海沿いに進み、十勝川の河口に向かう。その途中の海岸線は極めて美しい。北海道にもこんなに美しい自然海岸が残っているかと思うと嬉しくなるはずだ。十勝川の河口はトイトッキ浜原生花園だ。訪れる人もなく、すばらしい花園がそこにはある。ここで、ぼくたちは数種類の野鳥を撮影した。その後、十勝川の雄大な河口を渡り、長節湖に行く。ここではシジミ漁が盛んだった。その後、僕のわがままで、生花苗沼(オイカマナイト−)へ行く。その途上、晩成原生花園にぶちあたる。すばらしいところだ。道路沿いに忘れ去られた花園があった。ここで、ぼくたちは初めて野生のスズランの大群落に出会った。そして、今月の作品の名前のわからない花にも出会う。調べてもどんな図鑑にも載っていない。もう少し調べて、わかったら報告しますね。この花は主に道路ぷっちに咲いていた。ぼくたちはきれいな青に思わず足を止めた。前にここに来たのは6月の下旬だったし、こんなところが原生花園に指定されていることには気づかなかった。原生花園の先は鋭い崖になっていて、無数のツバメが営巣していたし、小さなラグ−ン
には無数の魚が気持ちよさそうに泳いでいた。無論、花園には小さな花々がたくさんあった。
 こうして、ぼくたちは日高山脈の南端にある豊似湖に寄ってから、帰路に着いた。今回の旅は新しい車での旅で新しい炊事道具などのテストもかねた。そして、総菜や弁当、肉類を極力減らし、健康によい乾燥食品主体の小食の旅であることを目指していた。鍋はステンレス製の片手鍋で、火にかけられてかつ半密封できる弁当箱にもなるものを手に入れた。撮影で夜遅くなっても、極力ご飯を炊いて食べた。オンネト−で乾燥ひじきを水で戻していたとき、海の香りがしたときは嬉しかった。森と湖のほとりで食べるひじきはうまかった。乾燥したひじきには海の香りが封じ込められている。それがたまらなくよかった。こうして、旅を長く続ける一番のポイントはうまい水の確保と簡単においしく食べることと、かゆさを防ぐことだった。今回は泉に出会うことがなかったので、水には苦労した。北海道の野山の水はエキノコックスが心配なので生水を飲んではいけない。必ず、沸騰させることが大事だ。ぼくたちは一日二人で、水約4Pを目安としている。飲み、食べ、洗うことを4Pでまかなう。意外とできるものだ。しばらく函館で休息したら、再び今度は北海道の北に旅立とうと思っている。今年の目玉の旅になるだろうと思う。しかし、第3次、第4次と計画しているから、無理をせず、長丁場の撮影の旅をしっかり終えようと思っています。がんばってきます!!