今年の7月は雨ばっかりです。もう一月ずっと雨が降り続いています。撮影のほうも雨の影響で思うようにはいきませんでしたが、初旬、下旬と撮影に出かけてきましたので、その話しを中心にしてみたいと思います。
■7月2日〜10日にかけての9日間大雪山方面に撮影に出ました。
9日間のうち、5日間は土砂降り状態で、残りの4日間には何とか撮影することができました。
まず、初日は十勝岳を望む望岳台(ぼうがくだい)というところに行きます。美瑛町の白金温泉の側にあって十勝岳連峰が美しく見えるところで、たくさんの観光の方でにぎわうところです。望岳台には遊歩道があって、そこでシラタマの木の花を撮影しました。ここはナキウサギやリスもたくさんいるところで、少し歩くのでほとんど人は来ないところです。雨の降り方が激しくなったので、撮影を切り上げ、明るい内に御飯にしました。
次の日は、奇跡的に激しい雨も上がり、朝から大雪山連峰の主峰、旭岳(2260m)に行きます。ここはロ−プウエ−がありますので、誰でも気楽に旭岳の麓にまで行くことができます。ただ、ロ−プウエ−が立派になったので運賃も値上がりして、往復一人2800円もします。それでも、下から歩くとなると、あまりに大変なので、ロ−プウエ−に乗って行きました。旭岳でのメインはエゾノツガザクラ。ピンクの濃いのと薄いのがあって、壷状の花を下向きにたくさんつけます。あたりはこのエゾノツガザクラとチングルマという淡い黄色の花で一面のお花畑。雨上がりなので、花びらに雨の粒がついていて、とってもきれい。朝早くから、最終のロ−プウエ−まで、夢中で写していました。
次の日は激しい雨でした。雨の中、層雲峡をぐるっと回って、東大雪に向かいました。6月に花をつけていなかったイワツツジが咲いていないかなあ?という想いからでした。6月に見つけておいた場所に行って、見てみるともう花は終わってしまっていた。少し、遅いかな?と思っていたら案の定、花はなかった。イワツツジは地上数センチの所で、5〜6cmの大きさになる小さな植物で、壷状の小さな花を葉っぱの下で下向きにちょこんとつけます。そのため花を見つけるには、一枚一枚葉をひっくり返さないといけないので、咲いているかどうか確認するのは一苦労です。それでも、山林の少し明るめのところに群生していることが多くて、一度葉っぱを覚えると、葉っぱだけは探せるようになります。栽培花に慣れている人からすると野山の花は見つけるだけでも大変なのではないかと思います。想像以上に地味で、小さく可憐なものなのです。イワツツジの花は地上すれすれに咲いているわけでこれを写すには自分も地上すれすれです。イワツツジのお相手は空を飛ぶ、虫や蝶たちではなくて地面をはう虫やアリたちです。本当に控えめな、地味で可憐な花です。最終的に、然別湖畔まで行ったのですが、あまり花を見ることはできず、ちょっと落ち込みました。が、雨の中暮れゆく然別湖の美しさは格別に美しかった。結果は見た目以上に青っぽく写ってしまい、あまり気に入らなかった。
然別湖を写しているうちに、その日月食があることなどすっかり忘れ去っていました。しかし、なぜか広いところに行きたいという衝動が心の中にわき起こり、十勝平野を一望できる展望台に行って眠ることにしました。そこで、暗い雲の切れ間に月があることに気づき、月食のことを思い出します。でも、雲は厚く、雷も鳴っています。半ばあきらめながらも、望遠レンズを準備していたところ、雲が切れ初め、そこから欠け始めた月が見え始めました。結局、最後以外は月食の進行を心ゆくまで見ることができて、双眼鏡で悠々と見ていた慶ちゃんは「良かった」と、ため息をつくほどです。ぼくも、700mmレンズ程度の撮影だったので、実に気楽に小気味よく写していました。ひさびさに楽しいひとときでした。
その次の日も雨で、然別湖に釘付け。
しかし、次の日は予報通り、快晴。北大雪の平山(ひらやま・1771m)に向かった。どこもかしこも晴れて,空気は澄み渡っていた。それなのに、北大雪だけは雲の中にあった。どうして?と言わざるを得なかった。そこで、平山を登ることは断念し、前から気になっていた近くの浮島湿原に行ってみた。浮島湿原は上川町から滝上町に至る国道273号線上にある典型的な高層湿原で、行くまでははっきり言ってなめていた。ところが、現地について、湿原への道を歩き始めた時からその考えが間違っていることがはっきりした。湿原の入り口までは歩いて30分くらいかかる。その道でさえ、すがすがしいさわやかな空気で満ちあふれていた。おまけに、奇跡的に一ヶ所、イワツツジの群生があって、なんと花が咲いているじゃありませんか!白樺の白い樹幹と新緑のまぶしさ、そして、青い空。その透き通った空の下、地面にはいつくばるように群れるイワツツジ、その可憐な花。一人の夫妻が通りかかる。「何かあるの?」と聞かれる。「いえいえ、何もありません」とぼく。誰もこの道の途上で可憐なイワツツジが満開になっていることに気づかない。もちろんぼくも気づかずに通り過ぎようとした。これを見つけたのは慶ちゃんだ。あいつの目はすごい。見落とさない。誰も気づかないようなものを正確に見つけだす天才だ。浮島湿原につくと、そこはアカエゾマツが点在する湿原で、最高にすがすがしいところだった。日曜だというのに訪れる人はほとんどない。ウグイスの声が響きわたる。願ってもないことに、ツルコケモモの花が満開だった。白い雲と湿原を通りすぎていく冷んやりとした風が印象的だった。そして、もう一つ、サラリ−マン風の若い男性が一人湿原の木道上を胸を張り、鼻歌混じりにすたすたと歩き回っていた。珍しい光景だった。ぼくは木道のひととこに立ち止まって雲を見ていたから、彼がよく見えた。彼は誰だろう?どんな人だろう?かつて、大学の友人と空の色彩と大地のコントラストについて話し合ったことがある。その時の友人と重なった。彼は湿原の隅々を歩き回ったのだろう。これ以上の散歩はありえない。浮島湿原はそんなところだ。上り下りもなく、湿原上にひかれた快適な木道を楽に散歩することができる。こんな散歩の時間こそ、人生になくてはならない時間の過ごし方だとぼくは思う。
次の日も、雨だった。愛山渓にある雲井が原湿原に行きたかったが、目の前にありながら激しい雨で、断念した。かわりに濁流のアンタロマ川を写した。
次の日は晴れた。ぼくたちは黒岳(1984m)に登った。ロ−プウエ−、リフトと乗り継いで7合目からの登山だ。7合目からといってもそんな簡単には登れない。一刻も休むことないつらい急坂が続く。このつらい坂に耐えること1時間ちょっと。黒岳山頂に着く。今回は日帰りのつもりだったから、黒岳石室までの限定した地域を写した。花は今だ咲いておらず、咲いていなかったが、念願だった、イワウメと何回も出会えたのは良かった。黒岳から黒岳石室にかけての下りから望む北鎮岳(2244m)の残雪が圧倒的な迫力を持っていた。
この黒岳で、前半の撮影を終え、函館に帰るが、函館に帰ってからも雨は止むことなく降り続き、やむなくぼくたちは来る日も来る日もフィルムを整理し続けた。5〜6000枚に及ぶフィルムを整理するには、軽く5日間はかかる。貴重な7月の時間をこんな形で消費していくことにいらだちを覚えながら、ぼくたちはこれに耐えた。そして、ついに、後半戦となる7月22日から30日の9日間の旅に出る。しかし、いきなり22日、函館から札幌に向かう道は土砂降りだった。明くる日、いつもの白金温泉の水場についてからも雨は降り止まず、この日は早々に温泉に入り、そこから北大雪の平山登山口に向かう。平山(1771m)にぼくたちがこだわるのは、高山植物の豊富さである。平山登山口についたのは夕方だった。登山口は国道から長い林道を車で15分くらい走ったところにある。登山口には誰一人としておらず、寂しかった。ぼくたちは登山口の駐車スペ−スで翌朝まで過ごすことにするが、いぜん雨は止まず、雷は激しくなっていった。車の中で眠りながら、ぼくたちは激しい雨音と雷を聞いていた。その時のぼくたちには眼前の運命を知るよしもなかった。
翌朝になった。いぜん雨は激しく降っていた。ぼくは平山に登ることを断念した。
■平山登山道崩壊!
仕方がないから、滝上町方面にハ−ブでも写しに行こうと思った。途中、クスダマツメクサという花がたくさん咲いていたので、のんきにも写し写ししながら林道を下っていった。ところが、ある所まで行くと、道が川に流されて無くなっていた。完全に行く道が閉ざされてしまった。
偶然、バイクの人だけがいて警察に通報してくれた。すると、まもなく消防、警察、役場、営林署と、大勢の人が救援に駆けつけてくれて、車はそこに放置して、身柄だけは救出してもらえた。その夜、ぼくたちは近くの白滝村のキャンプ場のバンガロ−で一夜を過ごすことになる。ここは無料の五右衛門風呂で知られる所で、薪をくべて自分たちで風呂を沸かして入る。ぼくたちももちろん入った。ものすごく気持ちよかった。五右衛門風呂の設備は無料の高級サウナを想像してもらうとわかりやすい。白滝村は大自然の真ん中にある。夜、網戸が役に立たない。網戸を通って小さな虫が無数に入ってくる。虫の数は自然のバロメ−タ−になるが、すさまじいところだった。でも、一泊2000円のバンガロ−は高級だった。前のバンガロ−には千葉のおじさんとお嬢さんが泊まっていた。もう4ケ月間旅に出ていると言っていた。明くる朝、営林署の人が迎えにきてくれて、今度は車を救出するから、来て、と言われた。その途上、営林署のおじさんとは仲良しになった。函館に遊びに来て下さい。と言ったら彼は大喜びで、平山の○秘情報をくれた。林道崩落現場に着くとブルが濁流の川の中を走り回っていた。その時初めて、ブルド−ザ−の底力を見た。恐ろしいほどの力に唖然とした。1800万円するんだ、中から自由に操作できるんだと、彼は誇らしげに言った。20mも崩壊して切り立った崖のようになっていた崩落現場が見る見るうちに崩されて、仮の道になっていった。2時間もかかっていない。ぼくはその様子を熱心に撮影した。仮の道ができたとき、ブルを運転していたおじさんがぼくに車を出して、と言った。ぼくは勇気がなかったので、目の前に来て立ち止まってしまった。すると、貸して見ろ、といって車を自在に操って出してくれた。すごいなあ〜!と思った。ぼくがやっていたら、車を川に落として、明日から生活することにさえ困っていただろう。命の恩人だ。頼もしいおじさんだった。ほれぼれしてしまう。
翌日は晴れた。ぼくたちは寝ていた塩狩峠の旧道を出て、和寒町(わ!っさむ)という涼しい町を通り、国道40号線を北上して士別市、風連町まで行き、ここで北上をやめ東に進路をとって下川町に向かう。ここでアイスを買いがてら、天気を聞く。晴れてくるとの予報。胸が高鳴る。雲が多いものの、確かに待望の青空が広がっている。下川町北部にはサンルという所があって星の撮影で以前から狙っていた。しかし、ここは厚い雲に覆われていたので、更に東進して、北見山地を横切る峠、天北峠を抜けオホ−ツク海方面に出る。天北峠を越えると、そこは予想に反して厚く低い雲に覆われていた。しばらく行くと、西興部村(にしおこっぺむら)に着く。ここで、厚い雲の下、美しいラベンダ−と出会う。
富良野のラベンダ−よりずっと素敵な色彩のラベンダ−が所々に混ざり、魅了される。そこから氷のトンネルで知られるウエンシリ岳のあるサックルという所を南下して、滝上町(たきのうえ)に行く。ここにはハ−ブ園があるというので期待していたが、あまり心は動かなかった。滝上町からは今度は北見山地南部と天塩岳山塊の間を西に向かう。上紋峠を越え、内陸に入ると再び晴れてきた。士別市に近づくにつれてますます晴れてきたので、更に北西に進み、朱鞠内湖南岸に進む。ここで星を撮影しようとした。なかなか思うようなところが見つからないまま、あっちにこっちに走っている内に曇ってきた。月も月齢6くらいにもなっていたので、月が沈むのは夜10時過ぎだ。
今夜、星が撮れなかったら、もう7月に星を撮るチャンスは無い。月がますます大きくなり沈む時刻が遅くなって行くからだ。そして、今だ、薄明は午前2時頃だから、今夜でも、撮影できる時間は3時間程度しかない。明日になればそれが2時間になり、1時間になり、ついに月の強大な明るさは、星明かりを飲み込んでしまう。今夜が7月最後のチャンスだったが曇ってしまったので、7月の星の撮影は終了したと慶ちゃんに告げ、急ぎ、大雪山黒岳に向かった。
しかし、その途上層雲峡の狭い谷間から見上げた空は黒々と冴え、星が輝き始めていた。ぼくは黒岳に向かうのを止め、反転し大雪アンガス牧場にむかい、星を写すことにした。アンガス牧場は360°大きく展開した大牧場で、視界をさえぎるものは何一つ無い広大な牧場だから、もし、運良く晴れたら空にある星の全てを一度に見渡せる環境にある。
しかし、その期待は裏切られた。今度は、冷え込んできたので、霧の発生が視界をさえぎった。ぼくたちはここを捨て、周辺を知る限りさまよい霧から逃げた。
その結果、霧が無い所があって、赤道儀を出すことにした。一度赤道儀を出すと、もはや移動はできないと考えていい。夜明けの時間は迫っている。ぼくはすかさず、白鳥座に55mmレンズをむけた。赤道儀の調子はすこぶるいい。ガイド星は、視野中央にピタッ!と止まり、この赤道儀が全く完ぺきに地球の回転に合わせて回転していることを知らせてくれた。高橋製作所のP2型赤道儀。
見た目にも美しく、精度も申し分無い。800mmレンズでも充分写せるような気さえしてくる。ガイド星がピタッと止まる快感は心地いい。4枚撮影を無事に済ましたときに、向こうから頭のおかしい車が走ってきた。その後、すぐ霧が地面をはうようにしながら南西の方向から迫ってきた。ここでも撮影中止。場所を移動して赤道儀を再び北極星に合わせたときにはすでに薄明が始まっていて、夜明け空に木星と土星が明るく輝いていた。悲しかった。頭が痛かった。最後の力で、夜明けを写して、牧場の奥の森の中にむかった。
朝起きると牧場は晴れ渡っていた。その向こうに畏敬の山ニセイカウシュッペ(1879m)がそびえていた。いつ見てもかっこいい山だ。今日はあまりに疲れていたので、愛山渓の奥にある雲井が原湿原に行くことにした。ここは愛山渓の林道の終点から歩いて30分もかからないお手軽な高層湿原だ。慶ちゃんがこの湿原にあるベンチで昼寝をしたいというので、そこに向かった。湿原はアカエゾマツに囲まれていて、密生したアカエゾマツ越しに愛別岳(2112m)、比布岳(2197m)などの雄大な姿が間近に見ることができる。ここではもうタチギボウシという紫の花が咲き始めていた。湿原にあるタチギボウシの先端にはことごとくとんぼが止まっていた。そのとんぼのどれも、何をしようと逃げないで止まっている。つついても、足でけっても決して逃げない。何を考えているのだろう?不思議な存在だった。でも、そんなとんぼののんきな雰囲気が好きだ。とんぼは歌わないが、無言の歌が聴こえてきそうだ。これに対して湿原に響きわたるのがウグイスだ。あまりに上手な湿原の歌手ウグイスは夏の大雪山に欠かせない。ぼくも競って歌うが、話しにならない。こうやって歌うんだと、歌い直されてしまった。
次の日は念願の黒岳についに登った。前日までの頭痛はスモモと温泉でうそのように治った。ぼくはこの時食べたスモモの味を一生忘れまい。スモモがぼくの精神力を復活させた。安売りのソルダムというスモモだ。今回は黒岳の上で一泊の予定だから、気楽な気持ちで登る。最軽量のテントを使いたい一心もあった。このテントは日本製で重さわずか1.5kgしかない。広さは100cm×210cmしかないが、見た目になんとも可愛いい。日本のテント造りの職人の心がこもったテントを最近手に入れていたんです。そのおかげで、ぼくたち二人の格好はどこから見ても日帰りの人並みの装備だった。極限までコンパクトに、軽量にまとめていた。ぼくが20l慶ちゃんのはスウエ−デン製の30lのリュックだ。
二日目、奇跡的に晴れ渡った。
黒岳石室前のキャンプ指定地から北海岳方面に向かう。途上、北海沢という小川が流れているところがある。小川の縁にはミヤマキンポウゲ、エゾコザクラ、チングルマなどの可憐な花々が咲き、雪解け水は快調なリズムで流れ下っていた。ぼくには天国の花園とはこんな所だと断言できる!!夢と現実が一致した。感激の一瞬だ。北海沢周辺には念願だった、アオノツガザクラのみならず、ニシキノツガザクラまで咲き誇っていた。ニシキノツガザクラはアオノツガザクラとエゾノツガザクラとの混血らしい。いずれにしてもあまりにきれいな色だ。慶ちゃんは念願だったエゾツツジが見れて満足したようだ。イワツツジではなく今度はエゾツツジ。園芸種のツツジくらいの大きさの花が、地上2cmくらいの茎に着いて咲く。ぼくたちはこんな花を「絵画的な〜」と呼ぶことにしている。この頭でっかちの雰囲気が可愛くてしょうがない。所々、コマクサもある。コマクサはみんなのアイドルだ。可愛い女の子を囲うように、石でぐるっとかこわれているコマクサをよく見かける。
泥棒する人もいればこうやってあまりに可愛いくて守ろうとしている人もいる。人は多様だ。しかし、今回の雨で大雪山の至る所が崩れて、悲惨な状態になってしまっていた。しかし、この自然がいつまでも永遠であってほしいと願う気持ちに変わりなく、また再びここを訪れたとき、変わらず天国の花園のようであってほしいと心から願った。そして、この花園に来てこの花園を感じることは簡単なようで意外と難しい。でも、一度この快感を知った者は、この花園の中にいることが人生の普通の時間であって、人の社会の中だけで過ごす時間が偽りの時間だということにすぐに気づくだろう。
ここにやって来るには、まず、軽い身体と強い足とちょっとした勇気がいる。しかし、この花園を見ないで、人生の善し悪しを誰も客観的に判断できないとぼくは思う。現実は厳しいという示唆の前に現実はすばらしいという事実ががんとしてここにある。北海沢を見おろす尾根に立って、沢の音を聴くと、波が打ち寄せるような音がする。谷間を流れる沢の水音を聴きながら、どこか遠くの海辺に立った想いにひたる。もし、この音からここを北海沢と名付けた人がいたとしたら、彼はなんとロマンチックな人なのだろう。最終のロ−プウエ−の時間が迫ってきたので、北海岳山頂から先には行けず、走るようにして元来た道を引き返した。黒岳石室のお兄さんに挨拶して、黒岳を後にした。黒岳石室は一泊1500円。水は雪渓の雪解け水が自由に使える。トイレは汚いけどある。使ったティッシュは便器に入れないで、目の前の箱に入れる。大雪山は低温でティッシュは自然分解しにくいからだ。低温の自然界でティッシュを使ったら、燃やすのがいい。テントを張るのは無料。この日は5つくらいテントが並んだ。5歳くらいの女の子が人気者だった。黒岳は足がある程度長くないと上り下りしにくい。5歳くらいにならないと大変だと思う。上は80歳くらいのおばあさんまで来ているが、近くの公園で会ったように挨拶していく。なんという健脚なのだろう。負けてられない!
■今月の作品は旭岳に咲くエゾノツガザクラの花。大雪の上はこのエゾノツガザクラやチシマツガザクラ、チングルマなどの花で一面の花園だ。大雪山はちょっとの勇気と知識があれば誰でも行くことができる。
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