の世界
64 火星とさそり座 20018
火星とさそり座

-北海道 七飯町大沼-

 今月の作品はさそり座に接近した火星。


 最近、星のことばかり考えているので、幅広く物事を考えられなくなっています。そもそも、飽きるほど星が見ることができていたらこんな風にはならないのですが、とにかく晴れなくて、想いばかりが募るという具合です。せっかく新月が巡ってきて、さあ、行くぞ!と、思ったら急な仕事で行けなくなったり、とかくうまくいきません。それで、今月はすごくよく撮れたというわけではないのですが、今期一枚しか撮れなかった火星とさそり座の接近のものにしました。
 この作品は函館から東へ車で1時間くらい走ったところにある恵山というところで撮影しています。恵山には夕方の5時にゲ−トを閉めてしまって、それ以降車が入って来れなくなる道があって、てっぺんには街灯のないすばらしいトイレ付きの駐車場があります。ここは標高400mくらいあって、星を撮影するにはもってこいなのです。
 この日は久しぶりに晴れて、さあ行くぞ!と勇んでいったわけですが、この一枚を撮り終えて、白鳥を狙っているうちに次第に雲に覆われ始めて、ついに雨まで降ってきたのです。ああ、ぼくに一晩晴れをくれ!と天に祈る思いです。
 この作品は去年の年末に意を決して買った赤道儀を使って撮った記念すべき一枚目で、見事に星を点にしてくれています。もちろん点像になるように監視はしているのですが、その必要のないほどに安定した精度の赤道儀です。
 普通は地球の自転に対して、進んだり遅れたりふらふらするものなのですが、それが極端に少ないわけです。この赤道儀は高橋製作所のP2という名前の赤道儀なのですが、ぼくは赤道儀のことを「機械」と呼ばれるのが嫌いです。
 特に高橋製作所のこれは「芸術品」と呼びたいものです。
 個人的にはこの世で唯一のもの的な芸術品よりも、この赤道儀のように「優秀な職人によって組み立てられた半量産的なもの造り」に価値を見るので、単にこれを「星を点に写す機械」と言われたりすると、いい気がしないのです。昔、神戸にいた頃、三鷹光機というところのGN-17という赤道儀を持っている方がいらしゃって、彼はその赤道儀を回転させながらその見事さに惚れ惚れされていたことがありました。我がP2はそこまでの繊細な雰囲気はないのですが、やはり、機械と見ることはできません。
 

 少し熱くなりました。話しは元に戻して、この日2時間晴れてからというもの全く晴れることがなくなり、次晴れたのが一月以上たった7月26日のことでした。
 この時も一晩中晴れたわけではなく、振り回されたあげく、ようやく何枚か撮れたという感じでした。そして、その後8月に入ってからも天気は回復せず毎日曇りの日が続きます。ニュ−スでは西日本連日晴れて猛暑!と聞いていますが、こっちは全然晴れないのです。8月に入ってすぐ、カレンダ−の制作をしながらもいつでも来い!とスタンバイしていたのですが、待てどくらせど、ついに完全に晴れることはありませんでした。
 もう今では、9月の新月に期待するしかありません。9月の新月までに何とかカレンダ−制作などの大筋のめどをつけて、新月前後一週間星空に向かいたいと、今から張り切っています!先日、少し晴れたので星空を見てきたのですが、もう、秋の星座が目立ち始めましたねえ。早いうちからカシオペア座が上がり始めていて、その右側にはアンドロメダ座があります。アンドロメダ座にはアンドロメダ大星雲があります。本州にいた頃どんなに田舎に行っても、肉眼でアンドロメダ星雲を見た記憶はなかったのですが、こちらにいると、ちょっと街から離れるだけで、結構アンドロメダ星雲は見えますね。あれが230万光年彼方にあるなんて、本当かなあ?なんて思いますね。何度見ても。それにしても、道南のピリカ温泉の近くで見たときはすごかったなあ。まるで落ちてきそうな感じがして、見慣れているいつもの大きさの何倍もの大きさに見えたことがあります。あの時、撮影に失敗したんですよ。どういうわけなのか。撮影に失敗するというのはやはり屈辱で、こういうのっていつまでも根に持ってるんですね。それで、いつか見てろよ、って心の中で思っている。今も、目を閉じたら、アンドロメダ星雲が出てくる。9月のことを思うと、こぶしに力が入ります。「秋の星座、秋の星座と言われても、なんだかピンと来ない」と慶ちゃんにしょっちゅう言われます。確かに、体験して、いつの間にか分かってくるようなそんなことなのかもしれないですね。
 でも、最近あの人ぼく以上に星座の形知っているからなあ。「ねえ、慶ちゃん、クジラ座のデネブカイトスってどれ?」ってぼく。「あれあれ!」と慶ちゃん。秋の南の空低くにクジラ座はあります。彼女の乗っている車はミラというのですが、ミラというのはクジラ座の変光星。クジラ座の近くにはみなみの魚座、水瓶座、山羊座、魚座などがあってちょっと上にペガサスがでっかくあります。秋の南の空は星が少なくて寂しいけれど、それでも、何となく好きなのはどうしてなのでしょうか。しかし、たいてい南の空が明るいので、あまりきれいに秋の南の空を見ることは少ないのです。写真に撮るのはもっと大変なことです。それでも秋の天の川に目を転じると、少しにぎやかです。カシオペア座、ペルセウス、アンドロメダ周辺は銀の砂をまいたような天の川になっていて、肉眼で見るとカシオペアとペルセウスの間にぼ-っと雲のように見えるところがあります。この雲のように見えるのは実は星の集団でちょっとした望遠鏡で見ると確かに無数の星の群に見えます。肉眼は口径7mmしかないから視力とは関係無しに星に分解して見ることは無理なのです。口径が5cmもあれば充分。見事に星に分解します。そうこうしているうちに、冬の星座の登場です。まず、ぎょしゃ座が上がってきて、続いておうし座です。くっきりと東の地平線にすばる(M45)が見えてきます。それから今年から来年にかけて冬の星座の中に土星と木星がいるのでとってもにぎやかです。

 先日、小樽星の会の人に土星を見せてもらったのですが、ものすごくよく見えて、びっくりしてしまいました。13cm反射だったんですが、マクストフニュ−トンといって、普通のとちょっと違うんですね。ぼくの12cm屈折の1/3くらいの値段なんですけど、比較できないくらいよく見えました。その持ち主に、ぼくの12cmED屈折を見せたら「え!こんなしか見えないの?」と、驚かれてしまった。「そうなんですよ」とぼく。写真を写させたらすごいんだけど惑星は苦手。まあこれはしょうがないことなのだと、ぼくは思うのです。

 このことでは8月12日に星空観察会というのを頼まれたんですが、その時も、ちょっと傷ついたなあ。火星を見てもらったんですが、ある人から「燃え残りの線香花火みたいだ!」と言われたんです。でも、今年の火星はしょうがないとぼくは思う。どんなに大きな望遠鏡で見ても、表面の模様まで見えなかったはずです。言い訳もできなかったので、まあ、こんなもんだろうと、観察会は終わりました。まあ、力不足ですね。観察会ではあまりに見てもらうものがなかったので、白鳥座のくちばしのアルビレオという二重星と北斗七星のζ星のミザ−ルとアルコルという二重星を見てもらったんですが、二重星はある程度知識がないと見てもつまんないだろうなあ、と思った。

ある若い女性はミザ−ルを見て「きれいだ」と言ってくれたが、ぼくはミザ−ルを見てきれいだと思ったことは一度もないから、複雑な思いがした。北斗七星の柄の端から二番目の星はミザ−ルとアルコルといって、視力のいい人なら星が二つに並んでいるのが見えます。これはいいんですが、この二つを望遠鏡で覗いてみると、今度はミザ−ルの方は更に二つに分かれているわけです。これは望遠鏡でしか見えないんですね。ただ、これだけのことなんですが、知らないで見ても、白けちゃうんだろうなあと、思いました。でも、これを「きれい」と言った若い女性は、たいしたものだ。ぼくの説明を理解したのだろうし、こんなにも地味な星の世界をきれいだと表現できるというのは、まだまだ捨てたものではない。花火などが夜空を飾ると誰しもがきれいだと言うけど、星はそうでもない。中でもミザ−ルを望遠鏡で見ても決して派手ではない。人間が造った花火や園芸種の花々をきれいだと言う人はたくさんいようが、自然界の星や花々のような地味なものをきれいだなあ!と見ることができる人は少ない。心を開いたり、時間を経て、心が変わらないと地味な自然の営みを心から味わえないのでしょうかねえ?
ぼくの子供はもうすぐ2歳。彼はどうも車の中からでも月が見え、夜空に星が光っているのが見えるようだ。2歳の子供に星が見えるというのに、人はいつの頃から月や星が見えなくなるのだろう?本当はそんなことはないのだろうか?そんなことを最近考えるのです。