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丘のうえの小さな写真館 北国通信の世界
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第107号 北国通信『春が来た!Spring has come』 2005年3月
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●NO1
ようやく春が来た。待ちに待った春が来た。沢筋に残る深い雪までも春の日差しに照らされて、溶けていく。
そして絶え間なく溶け続ける雪は、冬の間静かだった小さな谷の底に集まり、心地よい水音をたてながらさらさらと流れていく。
こんな小さな谷の斜面をよく見ると、地味な黄色い花がぽつりぽつりと咲き始めている。福寿草の花である。春の一番を告げる小さな可憐な花である。しかし、まだその多くは雪の下で、出番を待って、準備を整えている。今月の作品はその福寿草の作品。雪や氷にまみれながら、太陽の日差しに暖められて堅いつぼみをほころばせる頃の福寿草の姿である。
林間にはまだ葉がなく、燦々と春の陽光が降り注ぐ。陽光は、残雪や小川の流れや流れる雲に反射して、辺りを揺らめき踊りながらあふれていく。
北国の春というのは、このあふれんばかりの陽光と、みずみずしい水気の印象がことのほか強い。
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北国の小さな沢筋。大沼湖畔の入り口にある小さな沢なのだが、ここを訪れる人は誰一人なく、人知れず雪解け進む斜面では福寿草が咲き誇っている。 |
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●NO2
できるならもっとこの奇跡の瞬間を味わい尽くしたいと思う反面、まだ先に新たな春を見つけたいという想いとが交錯する。しかしこう思うときはいつも、日差しが雲に入るとか、それ以上前には進めなくなったことなどを契機にその場を立ち去る決意をする。
この小さな陽光あふれる谷を後にした僕たちは、次に大沼湖に向かう。4日前の4月4日には大沼は依然としてその9割を氷が閉ざしていた。しかし、僕たちが訪れた4月8日には、すっかり湖面の氷は姿を消し、湖面は約4ヶ月ぶりに春風にさざ波をたてて揺れていた。そういえば、4月7日は一日中雨で、南風が暖かい風を送り込んでいたっけ。それにしても、湖面の氷は影も形もなく、どこかへ消えてしまっていた。
湖ではオナガガモの群が羽を休め、時折、雲間から漏れ差す陽光は銀の湖面にダイアモンドをちりばめていた。 穏やかだが、荘厳な時間が尊く流れ、僕の差し出す手の平でさえ容易に春をつかむことができる。もう一枚の白黒作品はこの時に撮影した。オナガガモの夫婦が銀の湖面を泳いでいく作品である。ハッセルのゾナー250mmによる撮影で、このサイズのプリントではわからないが、ネガ上ではオナガガモの目まで写せている。会心の一枚となった。
次の日は午後遅くになってから、大野牧場に向かった。大野牧場は函館から行くと、江差に向かう国道227号線にはいってすぐを右折する。その日も右折するまではなんてことはない日だったのだが、国道227号線を右折すると、その途端に世界は一変した。
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大野牧場入り口の疎林の雪解け。木の回りだけぐるりと輪になって雪が溶けていく。木の温もりが雪を溶かしていることがわかる。 Hasselblad SWC/M 38mm F16 1/8s |
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疎林の林床の雪解けを微かな夕光が照らし出す、心地よい風景が待っていたのだ。林床の雪は木の回りからゆっくりと溶け始め、溶けた先から小さな流れとなる。「ああやっぱり、木にも温もりがあるんだなあ〜」とあらためて実感する。木の幹を触ってみると僕たちほどに暖かくはない。しかし、この風景は確かしに木に温もりがあることを伝えている…。
木の体温。僕たちの体温。ではこの体の温度とはいったい何だろう。なんてことはない、この体温があることこそ生きる証だ。この体の温もりこそ、他ならない命というものだ。外部と熱が遮断されて、熱がかたよっている状態こそ、全ての者が生きている状態である。
これがものすごい時間の果てに必ず熱平衡に達する時が来る。全ての者が等しい体温を持つようになるときである。この瞬間こそこの世の全てが死に絶える時だ。では、体温はなぜ生じるのか?それは食べるからだ。食べるとは、他の命を熱に変えることだ。命を自分の熱に変えて人も木も生きていく。では、木は何を食べるのか?空気と水と光!何より光がうまいのだろう!
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水仙の芽生え。春の光はこんな小さな芽まで届いて、日一日と大きくさせていく。
/LEICA R8 Apo-Macro-Elmarit R100mm F5.6 1/4
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上の写真は水仙の芽生えを写したもの。春の光はこんなに小さな芽まで届いて、大きくしていく。
僕などもまた、この3月まで寒い氷の下にいたのと同じで、ここ4月になってようやくお日様の光や春風の気持ちよい世界に出られるようになった。いまだに撮影をする以外にしなくてはいけないことのために苦しい思いをすることも多々あるが、それでもずいぶんと楽になってきた。それにしても、生活にはどうしてこんなに多くの義務がともなうのだろう。この春の歓喜を全身全霊で味わうためにはこれでもまだ不十分だというのに…。この世の根元に潜む幸福というものが何かを知るためには、いったいどれだけ時間が必要なのだろうか?
僕はこの幸福が何なのかを北国の風景に求めている。
幸福を問われれば、少し前、息子と幸福について話していた。その会話の中で、木星の話が出た。木星には地面がない。しかし、地球には地面がある。地面があるということは幸福なことなのだと。 |
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