2005年館の歩み 
★写真展『安らかなさすらい』
2005年12月8日〜14日 札幌サンピアザ
写真展『安らかなさすらい』会場風景。
 ヴィルヘルム・ミューラーの詩よりヒントを得て、「ただ心安らかに写真を撮らせてほしい」という想いを込めて、この写真展のタイトルに託した。
 
 写真展の内容は、2005年に行った日本列島縦断の旅から得た作品により、日本列島の南北間の比較を行い、南北の雰囲気の違いを描写した。
★写真展
僕は瀬戸内海の穏やかな気候の中で育った。

そんな僕がいつの頃からか北に憧れるようになって

北海道に住むようになった。

そうして15年が過ぎようとしていた冬のこと

厳冬の夜の十勝平野で星空の撮影をしていた。

その時、オリオン座の足下を縫って、

冬の天の川が遙か地平線の彼方に沈み込み、

見えなくなっていく様子を飽きずに眺めていた。

その時の、気温は氷点下−20℃。

  僕はこれ以上着れないほどのダウンジャケットに

身を包んでいたが、それでも寒く、  

厳冬の夜の十勝平野で、身動きできないで星空を撮影する

困難さを身にしみて感じていた。

しかしそれと同時に、あの冬の天の川の行方が

気になってならなかった。

こうして僕が寒さに震えながら冬の星空を撮影している同じ時、

あの天の川の彼方では、半袖姿で星空を見ている人がいるのだ!

このいたたまれないが、しかし不可思議な現実を前に

その時の僕はどうしてよいのかわからなかった。

しかし、時が経つほどに

今度は心の中で、南へ向かう気持ちが芽生え始めた。

ダウンジャケットの中で寒さに震えながら想像した

あの暖かな穏和な南の世界へ憧れ始めた。


北には、寒さの中に見いだす相対的な暖かさがある。

寒い夜に、身体を丸めてダウンジャケットの中に身をくるむなら

柔らかな鳥の羽毛が僕の肌を撫で

心臓のかすかな温もりさえも愛しく感じる。

しかし、凶暴な北の寒さは

鳥の羽毛の優しさよりも、心臓の鼓動ぬくもりよりも強く

僕の体を凍りつかせ、縛り上げては根を上げさせる。

こうして、北の寒さは、南への憧れの気持ちを揺り動かさせる。


そんなことがあってから僕は南を強く意識するようになる。

南から渡ってくる渡り鳥や南からの暖流や、

低気圧が運んでくる南風の優しさが気になり、


コーヒーや紅茶やミカンなど、北では育たない作物が育つという

南の風土への憧れは日増しに大きくなっていった。


こうした南への憧れは

日本的な「和」の情感とも結びつき、

日本的な「和」の情感と「南」への憧れが一つになって

僕の気持ちは北から南へといっそう強く向くようになる。


しかし、そうした南への憧れとは別に

北へ憧れる気持ちは萎えるどころか、更に大きくなって

北の清冽な美しさ、清らかな聖地に向かう心は更に強まっていく。

例えば、僕の心の北の彼方には、

いつもサンタクロースの住む聖地がある。

しかし、こうした美しき北の聖地に向かうためには

寒さに立ち向かう若き戦士のような覚悟が必要であり、

その覚悟もまたやはり衰えることはなく、

理想を求める気持ちにかげりは微塵もない。

年と共に、体力は衰える一方であるが

しかし、精神は更に強く大きく理想の世界を渇望し、

それを不可欠なものにしている。


南へ!そして北へ!

自己の理想とする世界と出会うための心安らかなさすらいが

僕の人生にはどうしても必要である。






オーロラ舞う空へ!
 カレンダーの制作が遅れ、一秒の余裕もない中、開催した写真展だった。内容は、日本列島を北から南へと展示していき、その中で、北と南の微妙な雰囲気の変化を見ていってほしいという願いをこの写真展には込めた。
 
 しかし、そうした単純な北と南との比較論を展開することは、写真家のすることではないわけであり、あくまで北から南へと心安らかにさすらいゆく旅人の視点での展示内容であることを目指している。
 そして、この写真展での「とり」をつとめてもらったのが、上の作品『故郷の山河』。僕はこの作品を日本の和の情感の典型的な作品と位置づけた。
写真展あとがきより
あとがきに代えてー安らかなさすらいの意味ー〉
今まで大まかに、日本列島を北から南へと見てきました。
この写真展で目指したことは、ほぼ北から南へと写真を配列することで、おおよそ日本列島の南北の持つ雰囲気の違いを感じとれないか、という試みでありました。
 そして、それを少ないながらカラーと白黒の写真の両方を用いて表現することに努めています。
 特に白黒のプリントは、色に惑わされずにその場の雰囲気を読みとるにはなかなか良いもので、カラーでは雰囲気をお伝えできないと思うところに適材適所、白黒プリントを交えています。
 
 さて、ここ北海道は北緯42度から北緯46度に位置する緯度的には中緯度の島です。
 しかし、気候的には東アジアの寒冷な気配が濃厚で、気候的には非常に北の気配が強いところであります。
 その北海道は南から北のちょうど諧調を描き出すところに位置し、特に道南から札幌にかけての変化は非常に大きいように思えます。
 しかし、道南といえども北海道は本州とは違い、ブナが優先する点など本州、東北に類似する点もあるのですが、どことなく雰囲気が異なっています。
 津軽海峡を越え、東北に渡ると、その日本海側は確かに北国と呼ばれるわけですが、やはり、北海道のもつ北の雰囲気とはがらりと変わった北国がそこにあるように思います。
 そして、東北を過ぎ、更に南下するには、目の前に立ちはだかる多くの山地、川、町などを越えていかなくてはならず、東北は本当に息の長い広く南北に細長い地域です。
 そして、ついに本州の背骨にあたるアルプスの脊梁を越えると、そこにはもはや北の気配はなく、南の暖かで穏やかな世界が待っています。
 例えば、写真作品『舟屋』/若狭湾 にあるように、海は穏やかで、とても生活に密接につながっており、そこに暮らす人々を細々とでも支え養ってくれるのですね。
 しかし、北の海は、信じられないような豊漁が人々を湧かせたかと思えば、どん底に突き放したりもする、実に荒々しい海なのですね。こうした小さな違いですら、北と南で暮らす人々の精神形成には大きな違いを生み出すような気がしてなりません。
 若狭湾を更に南に下ると瀬戸内海があります。
瀬戸内海は、類い希に見る穏やかな気候を持つ地域で、瀬戸内海のみならず、その内陸の中国山地近隣もまた実に穏やかな雰囲気を持つところで、このことは本州最南端の山口県付近まで似通った雰囲気を持っています。
 ところが、海一つ隔てた四国は、四国東部を広く覆う四国山地の存在により極めて険峻な地形を形成しています。
 そしてそのため、四国東部のどの家々も山と山のほんのわずかな平地に身を寄せ合いながら暮らしていたり、目眩がするほど山の高所に家を構えていたりするのですね。
 このことは、作品『祖谷渓(いやだに)』をご覧下さい。典型的な四国山地の雰囲気が伝えられていると思います。
 次に、九州ですが、九州は思った以上に阿蘇を始めとした火山の影響を強く感じる「火の島」と言えると思います。
 特に阿蘇山の影響は大きく、阿蘇の長年に渡る噴火によって形成された広範な地形はそこに暮らす人々に多大な影響を与えているように感じました。
 また、熊本県 五家荘(ごかのしょう)『畏敬の聖地』は極めて得異な気配を有するところでした。
 ここにおいてはもはや北と南との違いを論ずるよりも、人間と超人間の世界との目に見えない境界を問題にすべきであり、犯してはならない空気感を持った聖域の雰囲気を感じるところでした。このように、南北に長い日本列島を南北という一つの概念で理解することははなはだ困難なことですが、大まかに見て、感じていくなら、それはなんとも魅力的な試みであると思います。 以上、この写真展のために急きょ日本列島の南北の持つ雰囲気の差を感じようと、少ない作品で構成しましたので、多少乱暴なところもあると思いますが、どうかその点はお許し下さい。
 そして最後、この写真展の題する『安らかなさすらい』の意味するところ、それは「日常の雑事に煩わされることなく旅を通して純粋になる人生のひととき」と解釈下さい。
 この『安らかなさすらい』こそ僕は人生になくてはならないひとときだと信じております。
 従って、ここに展示する作品の数々は拙いながら僕がひとときでも純粋になったときに見た風景であることを付け加えて、あとがきとさせていただきます。
 
 この度は、我が写真展のために遠路はるばるご足労下さいまして、本当にありがとうございました。
 心より感謝申し上げます。