写真館通信の世界
★しし座流星群の夜に
奥ピリカの地に着いてすぐの時だった。北東の空から突然ものすごい勢いで火の玉のようなものが飛んできて、僕達の頭上をかすめ、南西の空へと飛び去った。流星だった。初めから大空を横断するような大流星を目撃してしまったぼくたちは、戸惑ってしまった。夜空のすべてを写せるレンズを残念ながらぼくは持っていない。最高でも24@@という対角線に180度ある魚眼レンズだけだ。このレンズをもってしても、横位置で使うとどんなにがんばっても高度100度がいいとこだ。もはやどうにもならない。ぼくは持てる機材の全てを空に向けた。
 まず、何より対角魚眼24@を予定通り北極星に向けた。次に35mmという超広角レンズをつけた3台のカメラを三脚に付け、各々カシオペア、ペガサス方面、オリオン座方面、そして、おおぐま座方面へと割り当てて配置した。そして、残りは 2赤道儀につけて、初めはカシオペア座を狙い、続いて終始オリオン座付近を狙った。赤道儀に同架したカメラには広角の45@レンズをつけていたが、結局これも付け替える余裕がなく最後まで同じレンズのまま撮影を続けた。
 機材の設営が完了したころ、少しだけ残っていた雲も跡形もなくなり、夜空は完全に晴れ渡った。奇跡が起こった。曇ることに慣れてしまっていた僕達にとって、晴れるなどということは考えられないことだ。しかも、この大事な時に。しかも、後でわかったことだけれど、この日の透明度はいまだかつて経験したことがない程の透明度だった。とにかく、これ以上はないという夜空だったのだ。
 夜も更けて、十一時を過ぎるころからだったろうか、信じられないことにもう、空の至る所で流れ星が飛び始めた。ことのほか、カシオペア座か、それ以上にペガサスに飛んでいるように見えた。特に、ペガサスが北西の地平に沈もうとする頃、その星の少ない寂しい四辺形の中を明るく照らし出すかのように、流れ星は飛ぶのだった。
そして、夜空を大きく横切る流星よりも、北西の地平線、山際ぎりぎりの所を明るく照らし出しながら飛ぶ流星が多かった。写真展の会場で、ぼくは「市内でも見えますよ」と言っていたけれど、もし市内で見えたとしてもその数は極端に少なかっただろうなあ、とちょっと後悔した。
 市内でも見えないわけではないが、不適切な照明で、その百分の一も見えなかったろう。まして、写真を撮るとなると、そんなに気楽にはいかない。特に写真機で写す者は最も条件が厳しい。暗ければ暗いところ程いいのだ。
人口照明から少しでも遠ざかること、これが写真家に課せられた最も大切な仕事なのだ。奥ピリカでさえ長万部町から来る街明かりは明るかった。
 少しこのわけを説明してみます。ちょっとこ難しいんだけど。 まず、小さな流れ星まで写そうとすると、 値を明るくしなければなりません。つまり、人間の眼を大きくあけるようなものです。しかし、人の眼はいっぱい開けても7@が限度ですよね。同じく、写真の場合も人の眼のように絞りがついていますが、これをいっぱい開けた状態で写すと、小さな流れ星まで写せるのです。しかし、こうして写すと、光がたくさん入って来てしまうので、長いこと写すことができなくなるのです。つまり、ここで、夜空が暗いところだと、長いこと写していられるから、写るチャンスが増えるというわけなのです。
 奥ピリカの空では一枚写すのにぼくは平均十分〜二十分くらいかけていたわけですが、その間眼で見ていると、もう何十個も飛んでるわけです。しかし、フィルムにはその中でも明るかったのだけが写っていて、数にしたら半分くらいなのではないでしょうか。
 それでも、今回の流星群のすさまじさは筆舌に尽くしがたかったことがよく分かります。一枚のフィルムに十数個も写ってるのが何枚もある。実際にはその何倍も飛んでるわけだから、まさにこれは流星雨と言えるのでしょうね。しかも、僕達は考える限りの暗闇にいたから、明るい流星が飛ぶたびに
空全体が真っ白になるほど光ったり、雷にうたれたような輝きを放ったり、流星に照らされて自分の影ができたりと、驚きは重なりました。まるで、夢の中の出来事のようでもありました。しかし、落ち着いて地面に足っている自分を意識した時、これが夢よりも美しい現実であることを感じるわけです。そして、宇宙船地球号が宇宙空間をまっしぐらに進んでいるという実感がびんびん伝わってきました。おお、俺達は生きてるぞ!俺達は動いてるぞ!そんな叫びが心の中でこだましていました。しかし、その途上、流星が飛ぶことに慣れてしまったようにも思いました。しかし、流れ星の次の夜、次の次の夜にも撮影に出かけましたが、もうそんなに飛ぶことはなく、いつもの静かな夜空がいつものように東から西へゆっくりと動いていくだけでした。
 もうこれから何夜星空を見ていようと、こんなにたくさんの流れ星を見ることができる夜は来ないのでしょう。 でも、実をいえば、心の中ではもっとすごい流星雨を期待していました。そう、夜空の星々がみんな降ってくるようなことを想像していたのです。一時間に一万五千個と聞いていたからそんな想像をしちゃいました。でも、冷静に計算すると、一時間に一万五千個というのは全天で一秒間に4個ですもんね。それを視野四十七度の肉眼で見ているわけだから。嵐のように見えるはずがない。そんなしし座流星群から一ヶ月。まぶたの裏に焼き付いた流星の姿は今なお残って消えることはない。
 
しし座流星群の夜、凍り付きながらも動いてくれた我がP2赤道儀。たいてい夜空を写している時、自分が写しているところに流星が飛ぶと、ガッツポーズがでるものだけれど、今回の流星群では、流れ星の飛ばないところを写すことの方が難しかった。