写真館通信の世界
●ベートベン作曲
ヴァイオリンソナタ第五番へ長調 作品24《春》
今、北海道では冬が終わり春の日差しの暖かさで、雪が刻一刻融けていっている。待ちに待った春のきざしである。しかし「北国の4月は残酷な月」と言われるように、雪が融けても本格的な春が来るにはまだ一ヶ月ほど待たなくてはならない。この4月のあまりの長さは確かに残酷だ。4月の一ヶ月間、樹木の緑の葉はいっこうに出る気配がない。野山は茶色の色彩のままである。しかしその茶色のままの野山を歩いてみると春の陽気の中で、小さな春が至るところで吹き出そうと待ちかまえている。そして、雪解け水をたたえた小川は銀に踊り、小魚がひらめく。この快活な春の訪れを写真で写そうとすると、あまりに何もかもが一度に訪れるから、忙しくてしょうがない。体がいくつあっても足りない、そんな嬉しい悲鳴をあげながら、春の冷たい風が吹く夜遅くまで撮影を続ける。しかし、いくら忙しくても重苦しい冬の支配から抜け出した心は快活だ。夢と希望に大きく膨らんでいる。この春を迎えた快活な気持ちをうまく表現してくれる曲がある。それがベートーヴェンのヴァイオリンソナタの5番である。第一楽章の快活なリズムそして、2楽章のゆったりとしたリズムを聴くと、体中にし幸せな戦りつが走る。
ベートーヴェンは自然を愛した作曲家だ。春という副題は後日につけられたものだが、曲はこの春の喜びを歌っているとしか思えない。ベートーヴェンは冬はウィーンにこもり作品に手を入れたり、それを印刷に回したり、演奏会を開いたりしたが、春になって日が長くなると、ピアノを荷馬車に乗せてウィーン郊外のメドリングやヌスドルフなどのブドウ畑に囲まれた村々を尋ねました。これは彼の交響曲第6番「田園」にも色濃く表れています。愛する自然のために音の記念碑を打ち建てようとします。長い冬の都会生活から開放されて、緑の野をさまよい自然の平和を味わうことを無上の喜びにしたのです。詩人ゲーテも『ファウスト』の中で次のように春の喜びを歌います
 
命を呼び覚ます
 やさしい春のまなざしを受けて
 船を浮かべる大河も野の小川も
 氷から解き放たれた。
 谷には希望に満ちた幸福が
 緑色に萌え出ている。
 冬は老い衰えて、
 寂しい山奥へ退いた……
ベートーヴェンとゲーテは人間的な性格の違いで、なかなか相容れることはできませんでしたが、春、そして、自然を愛することで結ばれていました。そして、ベートーヴェンは哲学者カントを尊敬します。カントは彼に人間の心の中に道徳法則があることを語り、人間の上に星の輝く天のあることを語ります。この言葉に勇気づけられ、彼は耳が聴こえなくなっていく自分の運命を克服します。ベートーヴェン、ゲーテ、カント彼らは同じ時を生き、いずれも自然を畏敬し、また慰められたのです。