丘のうえの小さな写真館 写真館通信の世界
耳が大きくて、東山魁夷画伯に似ておられますね、と話すと、照れておられた。
働く姿は伝えられていく……。
北に生きる人、もと第一書店店主というタイトルを付けてみました。ぼくは彼の名前も知らないからです。そして彼はこの世ではもう会えない人物でもあります。ではなぜ、北に生きる人と題したのかと言いますと、彼はみんなの心の中でしっかり生きていると想うからです。彼は函館の街角で古本屋さんを営んでいました。しかし、今は心の中に生きるのみとなり、親戚の婦人に店を譲られました。写真は3年前店構えにほれて、撮らせてもらったもので、以前雑誌に紹介させてもらったことがありました。函館には古本屋さんは大変少なく貴重な存在です。そして「写真を撮らせてください」とお願いしたとき「私のようなものを撮っていただけるのですか?」と、たいへん謙虚な姿勢で話され、撮影が終わった後慶ちゃんを交え色々とお話をうかがう機会を得ました。その中でも特に印象深かったことは、若い頃よく山に登りその時「ご婦人の荷物を持って差し上げた」とお聞きしたことでした。ご婦人と表現される言葉遣いにも感服させられるのですが、その婦人を守る男の姿勢を強く感じさせられます。そして彼は書籍のことを「御本」と表現されます。「本」ではなく「御本」なのです。この柔らかな表現にぼくたちは魅せられました。若き頃彼は第一勧業銀行に勤務され、退職後古本の店をこの地に開業されていたのですが、94才でこの世を去るまで、店を守っていたのです。今では珍しく低木の茂みに隠れるように店はひっそりと構えられ、ぼくはその店の密やかさにうたれ、また、故郷を想いました。
 あれから3年経って、店構えが変わったので寄ってみると、店主がかわっていて、品のあるご婦人がそこにはおられました。ぼくたちはそのご婦人から彼の死を聞かされ、店を後にしました。こうして、ぼくの写真館のアルバムだけにしまわれた彼の働く姿を見る時、彼はそこに確かに生きて働いておられるのです。しかし、誰も過去を知らない人がこの店を訪れたとき、彼のことはまるでなかったことのようです。94年の人生。人の人生とはいったい何なのでしょう。こうして美しい魂と出会えなくなることは寂しいことです。しかし、ぼくたちは彼から本のことは御本と呼ぶのです、と教えられました。そして、いずれぼくたちもこの世を去りますから、その前にぼくは本のことは御本と呼ぶのですよと教えていくことでしょう。こうして伝えられていくことで、彼の魂は生き続けるのだと確信します。