★二通のお手紙をいただいて
最近、連続して幸せな手紙が届きましたの、ご紹介させてもらいます。

 一通目は写真館通信をしていただいている女性の方からいただいたお手紙です。

 その手紙には、前回号のシュバイツアーの引用文
 「両親が激しい勤労にかまけて、ちゃんと子供の面倒を見てやれないために、子供精神発達にとってかけがえのない物がかけてしまうのである」
という一文から現在自分たちが置かれている状況の中で、考えさせられるものがあったことが綴られています。
 この方には生まれて間もないお子さまがおられ、ご主人は激しい勤労のために、子供が起きているうちに家に帰れない状態なのだそうです。そのためご主人は子供の成長に関わるために会社を辞める覚悟をした、と書かれています。
 このような丁寧な文字で書かれた手紙を拝見したとき、ぼくはまっさきにご主人の決意を「すごい!」と感じます。いい奴だなあ!と感じました。
そして、ぼくにも2歳半になる子供がいて、毎日つきまとわれて仕事になら
なくなると、すぐ「あっちに行け!」なんて言ってばかりいますから、耳が痛かったです。しかし、ぼくは逆に、毎日見ているから、もしかしたら子供の成長にはお母さんだけでは足りないのかなあ、と思うことがあります。例えば、ぼくは普段から写真館の中でもキャンプのような生活をしているので子供も妙にガソリンコンロや灯油コンロを気に入っちゃうわけです。それで自分に与えられた、ごみをガソリンコンロに見立てて、ぼくの真似をしきりにするのです。その他にも、望遠鏡やカメラ関係のことは実にマニアティックなことまで口にするようになってきました。そんな彼を見ていると、確かに子供の成長にとってこんなぼくでも役立っている?のかもしれないと思うことがあります。
 しかし、お手紙をくださった方も指摘されているように、世の中の現実では男不在、子供はお母さんのコピーなんていうひどい状態もあるようです。
 ぼくは両親が共働きで、おばあさんに育てられました。そのせいか、ぼくは老人福祉に一生をかけようかとさえ考えたこともありました。そんな自分のことを考えても、小さい頃の経験はとても大事で、人はその時得た経験や知識を大きくなってから具体的に実行していこうとするのかもしれません。 また手紙にはこうあります。
今の企業が「男は仕事、子育ては女だけでしなさい」という男社会をつくっているんだなあと、痛感しました。そして、この男社会がうんだ変なプライドに毒されない自由な考え方をもった夫に改めて惚れなおした次第です」と。
 小さい頃、ぼくは父の仕事をしているところを見たことがありませんでした。そして、そんなぼくは機械工作などが苦手な大人に成長していきます。そんなぼくを含めて、男の仕事を知らないで育った男が社会に出て仕事をしている。しかも、仕事につくまで、二十年以上も仕事をしないで育ってしまうことだってある。
 だから、子は父と母の仕事をしている姿を見て育つことが大事なのかもしれないと、思うことがある。遊びだけではなく、子を交えて真剣に仕事をしていけることが、本当の家族の姿かもしれない。しかし、現実は男が子育てに参加するためには、会社を辞めねばならないという、厳しい現実がある。 企業も必死なのだろうが、子を思う親の心も必死なのである。この二つの必死はその未来に折り合いをつけられる時が来るのだろうか?
 しかし、彼女と御主人と子供の一生は今、ここにしかない。このことを考えると未来では遠すぎるのである。しかし、現段階では御主人の決意は退くという形をとるしかないのだろう。こんな極端な判断を強いることがまかり通る現在はやはり醜いと言わざる他ない。
 しかし、今は、未来に健全な子育ての形が認められる日が来ることを願うしかない。我らの未来に健全な魂が謳歌している姿を夢見て。

◆もう一通の手紙、隣町にすむ69歳の方からいただいた手紙。

 「この手紙は突然のお便りをお許しください」という書き出しで始まっています。そしてこれに続いて「知人からあなたのカレンダーを毎年いただいていたが、そこに書かれている文章は今まで一度も読んだことはなかった。しかし、ある時読んでいなかったことに気がついて、読んでみた。すると、なんだか清々とした気分になった」
ということが書かれ、続いて「僕はこのような暦を69年来待っていたという想いが改めて胸にこみ上げてきた」
と、これ以上ないほめ言葉が連なってきます。そして、流星群のことに触れ「今年はこの暦にある流星群を全部見たいと家内と語らっております。家内が流星群に見とれ、星座に見とれている横顔が実に美しいのです」と、書かれていきます。そして「特別星座に詳しいわけでもない64歳と69歳の晩年の夫婦。あなたがいつ死んでもいいような生き方に本格的にむかいます。と書かれているが、僕も60歳以後何となくその想いがうつぼつと胸中にほとばしるものがあり、年齢は違っても覚悟のようなものは世代間の絆のようなものかもしれないと、思いました」と書かれています。

 ぼくはこの手紙を受け取り、それを読み進むにつれて、体中に戦慄が走ったことを覚えています。まずは、ぼくらがつくっているカレンダーに対してのこれ以上ない賛辞の言葉。69歳の方が自分のことを僕と表現されているところ、星を見つめている奥様の横顔が美しいのです。という表現。そして、最後に死がちらついて見えることへの覚悟が、世代間の絆なのだとされる考え。そのいずれもに、新鮮な想いを感じさせてもらいました。ぼくの父も今年72歳になり、彼は「どっこいおいらは生きている」といったのりの人ですが、やはり、死ぬことは気になるみたいで、この話題になると、ぼくらは目を伏せるしかなくなるわけです。写真家、星野道夫は人生は思った以上に短いから、自分の思う道を歩んで行こう!と書いています。ぼくも最近、人生の短さについて強く考えます。まだ、何もしていないのに年だけ重ねていっているなあ、と毎日のように思い、いたくもないところにずっと縛られて仕事を続け、これから先も飯を喰っていけるようにと心配ばかりしてることにぶざまを思います。これがおまえが望んだ自由なのか?と、自分に聞きたくなるような生活……。君、人生は短いんだよ、ほらもっと早く走って、自由行きの扉が閉まってしまうよ!と自分に日々命じます。
 手紙の最後にこうありました。「命終わる日までの日々に感謝を込めつつ、ご健闘をお祈りいたします」
                  

                                             

子供に恥じない仕事をしていたい。そんなことを考える。