あらためてイカって何だろうと考えてみると、わからなくなってくる。タコはなぜか親しみがあってわかりやすそうに思えるのに、イカについてはどこか神秘的で、謎めいたものを感じてしまう。それはあの独特の目つきのせいなのだろうか?
さて、イカについてなのですが、まず今回お話ししたいイカはスルメイカとヤリイカ、特にスルメイカ(マイカ)についてです。スルメイカは九州南西岸で生まれ、対馬暖流に乗って、餌を求めて北上し、主に津軽海峡や北海道の日本海側にやってきます。早いもので5月には北海道南部に現れて、8月に一番北まで行って、その後成熟にともなって南下回遊に転じて一路、故郷の九州南西部に戻るわけです。この南から北へ、そして北から南へのひとつの旅がスルメイカの一生で、たった一年しかありません。そうなんです、スルメイカは地球が太陽の周りを一周する間しか生きられないんですね。その間、急速に大きくなって、半年で0Bだったものが20Bにもなります。
明治から北海道渡島半島南部(函館近郊)が主な漁場で、そのため函館では北海道で唯一イカを市の魚に指定しています。サケは北海道が故郷ですが、イカは北海道にとっては旅人なのですね。旅人が市の象徴になっているのもまた面白いですね。イカたちは函館を訪れ、あの夜の暗い海の中から函館山を見て何を想い、どこへ旅ゆくのでしょうか?次はヤリイカについてなのですが、このヤリイカは寒がりさんで、北海道では対馬暖流の影響域にしか生息せず、寒冷な親潮域には生息 していないそうです。その名前はヒレが槍のようにとがっていることからきていて、これでスルメイカと区別できます。味わいは柔らかくて上品で、そのためスルメイカが庶民のイカだとしたら、ヤリイカはもう少し上級のものという感じがします。しかし、いずれも、白い体ではなく黒に赤と黄を少し混ぜてできるような微妙な色合いをしていて、この微妙な色合いが新鮮さを示すバロメーターになっています。ぼくなども魚屋さんの店先でイカを買うときもできるだけ黒っぽいものを選びます。これが白っぽくなってくると鮮度が落ちているわけで、函館の人は見向きもしなくなってしまいます。それで、イカの味わいなのですが、新鮮なものを食べてごらんになってほしいのですが、これを刺身などで食べるともう、とろけるようにうまい。口の中でゆっくりと溶けていくのがわかるというか……。それが新鮮さが失われると、途端に固くゴムのようになっていきます。神戸で育ったぼくは小さいときからこのイカが大嫌いで、特に寿司にのかっているイカって何だろうとよく思いました。かみきれない白いゴムとしか思えないわけで、後は胃袋におまかせって感じでよく我慢して飲み込んだことを覚えています。イカほど極端に鮮度の差が出る魚もないなあと思います。あれほどイカが嫌いだったぼくなのに今は、むしろ好んで食べたがるわけなんですよ。特に鮮度が少し落ちたくらいのイカを唐揚げにして食べるのは最高です。鮮度が下がったイカは店頭での価値が小さくなって目が飛び出るくらい安くなりますから、これをうれし涙で買ってきていただくわけです。もう、おいしくって感激しちゃいますよ。それなのに北海道でもスーパーで売っている寿司の上には相変わらず我慢して食べなくてはならない真っ白なイカがのっかていて、ぞっとします。どうしてあんなものをお金を出して買う人がいるのか不思議でしょうがありません。
さて、このように涙が出るくらいおいしいイカなのですが、この釣り方にはいささか疑問があります。このことについてお話ししていきたいと思いま
す。イカを釣るのは主に夜で、60〜80個の疑似針(小魚に似せた針)をスズランの花のようにつけたものを夜の海に沈め、船上に電球を灯し、この明かりでこの疑似針を光らせて、イカを誘って釣っているわけです。このイカを釣る電球を遠くから見ると、漁り火と呼ぶことになるんですが、ここで注意しないといけないのは、この電球の明かりは決っしてイカを集魚しているわけではないということです。この光にイカが集まってきて釣れると思っているようですが、これは誤解ですのでくれぐれも間違わないでくださいね。あくまで、針を光らせているだけなのです。そこで問題なのはこの電球の明るさなんです。10年くらい前までは薄暗く風情のある電球を灯していたのですがここ最近ではそれが急速に明るくなってきて、これが異常なまでになってしまいました。このことを函館市役所水産課にぼくの友人が問いわせたところ、これでも一時期の光量競争の反省の結果、光量を落としているというのです。それにしてもど んな反省をした のか今でも恐るべき明るさは変わらず、夜の津軽海峡に行くとまぶしくて目も開けられないほどになっています。それもそのはずで漁り火を写してみるとわかるんだけどその明るさは昼間の空の明るさに匹敵して、瞳が開いた夜にそれを見るものだから、一瞬目がつぶれたのではないかと思うほどです。この漁り火なんですが、話せば長いことながら、あんなに明るくする必要ってないし、海の中だけ照らしてあげれば、針はちゃんと光るわけです。そして、漁師さんたちはこの強烈な光を灯すために船を走らせる量の何倍もの燃料を使うものだから、生活が圧迫されているのです。その上、生活は夜と昼が逆転し、あの強烈な光の下で働いていることは漁師さんたちの健康にもいいはずがありません。漁師さんがこんなに無理をしてまで、ぼくたちのためにこんなにおいしいイカをとってくれるのはありがたいことなんですが、できたら光をもっと暗くして、電球の上に傘をつけて光の損失を減らして操業していただくと経費も減って、生活は楽になるし健康にもいいのになあと思います。つまり、10年前に帰れたら、何もかもうまくいくのになあと、ぼくは思うわけです10年前の漁り火はそれはそれは風情あるものでしたし、それに加えて津軽海峡の夜空はそれこそ大宇宙が展開していました。しかし、今では漁り火のために海峡の風情も夜の星々も失われただただ、無駄な光が氾濫しているだけなのです。旅の途上に、イカは何を見たのだろうか?旅ゆくは寂しかりけり、海峡は苦しかりけり。
|
|