湿原、沼に皆さんはどんな印象を持っておられますか?
ぼくは沼、湿原ということになるとニルスの冒険という北欧の物語を思い出します。そして、沼や湿原というと「隠れ家」がありそうな安心感を感じます。その意味では、どちらかというとぼくは湿原より沼の方が好きなのでしょうが、沼は底無しの不気味さがあって、入り組んだ入り江、そこに茂る沼畔の低木、潅木などが複雑で神秘的な世界をつくっているように思えます。その秩序のない複雑で乱雑な雰囲気がたまらなくいいのでしょう。これと同じことが人の生活にも言えると思います。今、ぼくの神戸の実家の周辺は都市計画で、整然と整備されているところです。その建て前は緊急自動車が家の前まで入れるように道幅を広げ、アスファルトで固めて、さもきちんとしましたという感じの街になろうとしている。しかし、どうもぼくは落ちつかない。都会の下町は小さい物がごちゃごちゃと詰め込まれていているところが魅力だ。これぞ、人の住みかだと思える。京都や東京に行くとそのことがよく感じられる。その意味からも沼に魅かれるのと都会の下町にひかれるこの二つの感情はとてもよく似ている。
沼は水鳥や魚や森の動物や昆虫の棲み家でしょうし、下町は人の棲み家なのだと思います。この棲み家を表現してみたいというのは人として自然な欲求だとぼくは常々考えています。
さて、そこで、沼と湿原とはどう違うのでしょうか?これは基本的には
「発達段階が違うもの」と理解してください。もちろん例外はあります。つまり、沼は時間がたつと湿原に変わっていくのです。
【沼から湿原へ】
まず、何らかの原因で沼ができます。すると、岸辺から順にヨシやスゲなどの水辺の植物が生えてきます。これが秋になると枯れるのですが、枯れたヨシは水の中に沈みます。すると、水中には酸素があまりなく、おまけにヨシが出す腐食酸などで水が酸性化し、微生物の活動が抑制されて、分解しないでたまっていきます。有機物が分解するというのは燃えるのと同じことで、水と二酸化炭素になってしまうということです。つまり、人間も死んでしまえば恐ろしいことに水と二酸化炭素になってしまうのです。さて、この分解が起こらずに、ヨシなどの植物が水の中に年々たまっていきます。この速さは年に平均1@程で、水深3Eの沼が埋まるには、3000年かかる計算になります。つまり3000年くらいたつと、沼は植物で埋まり、湿原へと変わっていきます。
【低層湿原と高層湿原】
ここで、沼から湿原への移行段階で、その段階ごとに低層湿原モ中間湿原モ高層湿原へと変化していきます。つまり、湿原は低層湿原からスタートして高層湿原に進んでいきます。ヨシなど水棲植物が分解されず水面の下でたまっている段階が低層湿原で、水面より上でたまっていくのが高層湿原と区別しています。つまり水面から低いか高いかで低層、高層と呼んでいて、その湿原がある所の標高からではないことに注意が必要です。
もう少し詳しくいうと、ヨシなどの植物の堆積ばかりが続くと、それは分解したものではないから、そこには土ができません。土がないので、そこは貧栄養の状態となっていき低層湿原の段階を越える頃には、ミズゴケのように貧栄養な環境にしか生えない植物だけの世界になります。このようなミズゴケなどの貧栄養に耐える植物が生えるようになった段階の湿原が高層湿原ということになります。ミズゴケなどは全く栄養のない雨水だけで生きていくことができるそうですし、高層湿原の段階になると食虫植物が生えるのも大きな特徴です。大地から栄養を得ることができないので、虫などから栄養を得る機能を得たわけですね。つまり高層湿原というのはミズゴケや食虫植物など貧栄養環境に耐えられる植物だけが生える、貧栄養な湿原だと理解してください。
【中間湿原】
ところが、湿原に河川が流れ込んだりして、高層湿原というには栄養があって、低層湿原よりは栄養がない状態になったとき、この湿原のことをを中間湿原と呼びます。この中間湿原をイメージするとき最もわかりやすいのが、北海道の海岸部にある原生花園と呼ばれるところです。そこにはエゾカンゾウ、エジスカシユリ、アヤメ、ワタスゲ、タチギボウシなどの花々が百花繚乱のごとく6月下旬を中心に咲き誇るようになります。こうして海岸沿いに広がる中間湿原は北国の花園の中核をなしているわけです。しかし、多くの観光の方が訪れる8月にはほとんど収束してしまっていて、悲しい思いをされる方が多いと思います。海霧に包まれた北の海辺を旅するには8月はあまりに寂しすぎます。できるなら6月下旬頃の百花繚乱の季節に訪れて欲しいものです。
【北海道の湿原】
とにかく北海道には今なおたくさんの湿原が残っています。ある資料によると百五十ヶ所、約六万ヘクタールあるそうです。すごい数だと思っていたらそんなことはない。昔はもっとあったというからびっくりです。例えば石狩川などは何度も何度も氾濫してその氾濫源はどこも湿原だったといいます。しかし、今ではその湿原はだいたいがたんぼに変わっているところが多いそうです。ぼくたちはこの石狩川流域のもと湿原だったところにできたたんぼでとれた、無農薬米を食べています。ぼくの友人がここで真剣に農業と向き合っています。いずれ彼の生きざまを紹介したいと思います。
しかし、ちょっと目を転じて北海道の太平洋側に行ってみましょう。すると、今なお釧路湿原が日本一の規模で健在していることがわかります。どうして釧路湿原はたんぼにならなかったかというと、たんぼにするにはあまりに冷涼過ぎたわけです。この冷涼な気候の原因は主に夏の日照時間の不足にあります。夏に釧路など太平洋側を旅すると、いつも霧がかかっています。この霧が太陽の光をさえぎり、その結果農業を営むことができないのです。旅人にはいいのですがそこに暮らす人は寂しいでしょうね。
この霧は一般に海霧と呼ばれ、北から太平洋岸に沿って流れてくる千島海流という寒流が原因です。北太平洋高気圧から吹き出される温かい空気が千島海流の上空で急速に冷やされる結果
冷たい海霧になってしまうのです。こうして、農業には向かなかったために北海道の北東部には今なお湿原が数多く残される結果になりました。その代表選手が釧路湿原と霧多布湿原です。
【釧路湿原について】
釧路湿原は北海道の湿原の成因としてごく一般的なので、ここで紹介してみたいと思います。
釧路湿原は約四千年前は複雑な入り江で、海流によって運ばれた土砂がその入り口をふさぎ、大きな沼になります。(ラグーン=潟湖)その後、ゆっくりと川の流入などで淡水化していき、水棲植物が茂るようになり、それが堆積して湿原へと変化していきます。そして、阿寒の山々を巨大な集水域に持ち、かつ海霧の存在、また恒久的に続く地盤沈下などによって数千年を経た現在も低層湿原であり続けているといいます。
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