早春のエフェメラル……。北海道の早春の森を飾る、小さな花たちのこと。そして、それは早春の森を飾る密やかなお花畑。ぼくはこのお花畑のことを北海道に来て知ったのですが、これと出会った感動を何よりも多くの人に伝えたいと思っています。しかし、本州にはこの雪解けの後を飾るお花畑の世界があまりないのでなかなかお伝えできず、むずむずします。本州の方はこの時節北海道を訪れることは少なく、道内でも、ゴールデンウイーク前で仕事が忙しかったりして、なかなか森の中に入って行けないようです。ここ函館で、早春のエフェメラルたちがお花畑をつくるのは、だいたい4月中旬くらいがピークで、桜が咲くゴールデンウイーク頃になると、ほぼ花も終わります。観光雑誌などで、北海道のことを紹介しているものはたくさんありますが、この早春のお花畑について触れている記事は全く無くて、本州の人にはあまり知られていないようですね。しかし、この早春を飾るお花畑の中で感じる感覚は、これ以上望むことができないほど上級な感覚で、早春の森の中で過ごした感覚を思い出すたびに、幸せすぎる甘くせつない感じがして胸がくすぐったくなります。この感覚を多くの人に味わって欲しいのですが、社会的な拘束の前になかなか伝え切れていないのが現実です。しかし、ぼくがお伝えしたい、北国らしさのトップはやはり早春の森に咲くお花畑のことなのです。北国最高の季節は雪が溶けてすぐ、森に小さな花々が咲くそ瞬間です。ぼくは早春のお花畑の中で、あたりが薄暗くなって、月明かりが森の中に差し込んでくる頃まで撮影します。カタクリやエンゴサク、イチリンソウが月明かりの中にかすかに浮かんで見えます。どんなに神秘的な自然界の一瞬もこの一瞬に比べれば見劣りしてしまいます。春の訪れを飾る、あの妙な不思議な感覚……、美しいときの流れの中にひたりきる、人間としての最高の喜び……、これが雑誌では紹介されない北海道独特の感覚だと思います。
さて、この早春のお花畑のことを小野有五先生の御本を参考にしてお話ししていきましょう。まず、北海道は最終氷河期の一万八千年前からゆっくりと今のようになってきたといいます。その意味では、このお花畑は一万年くらいかけてゆっくりと成長してきたものです。カタクリなどは種をアリさんに運んでもらっていることが最近分かったそうで、今のようなお花畑になったのはアリさんのおかげなのだそうです。つまり、アリさんとカタクリが一万年かけてつくったお花畑を見て、ぼくは感動しているんですね。一万年かけてできたお花の街。こんなに時間をかけてていねいにこしらえられた街を見ているのだから、感動しない方がどうかしているのかもしれません。
今回のポストカード作品の花はカタクリの花ですが、この小さな花一つに着目してみると、まず、種が地面に落ちてから花が咲くまで、約7年かかるそうです。つまり種が地面に落ちて、その翌年、糸のような芽生えがありますが、その年はそれでおしまい。枯れて無くなってしまいます。そうやってちょっとずつ大きくなっていき7年目にやっと小さめの花をつけることができるのです。一輪のカタクリに与えられる自然の分け前の1年分なんてそんな程度のものなのですね。でもカタクリたちが生えている地面をよく見るとそんなにやせているようには見えません。結構葉っぱが積もってできた腐葉土だったり、ミズゴケがいっぱい水分を含んだぜいたくな土だったりするのですが、それでもこんなにかすかな成長しかできないのです。カタクリの花は清純な乙女の姿を想像させるとということをよく聞きますが、ぼくもそう想います。カタクリの里という御本を出されている高橋喜平さん(90)などは裸の乙女の姿を想うとあります。それ程までに、カタクリの花は男に理想の女性を感じさせます。女性はカタクリの花にどんな想像を重ね合わせるのでしょうか?。
さて、この早春のお花畑は函館近郊の森の中に行くと結構目につくはずなんですが、なかなか慣れていないと出会うことができません。それでも、林道と呼ばれる山道を適当に走ってみると、カタクリは見られなくても、イチリンソウの白い花などはごく普通に見られます。林道を車で走ればいいのですが、その道端に点々と咲いているのが見られます。しかし、ちょっと大きめのお花畑となると、なかなか誰も教えてくれません。それはこの花たちを含めてそこには食べることができる山菜たちで満ちあふれているからです。
だからぼくたちも信用のできる人にしか教えることはない秘密のお花畑がいくつもあります。あるとき会社の社長さんですがぼくがあるお花畑のことを口にしますと、しゃべっちゃあダメ!と叱られました。もし、地域のおばさんたちに知られたら、全部食べられてしまうから、というメッセージなのです。それ以来、食欲旺盛な人の前では場所について知らせることを控えるようになっているわけです。それでも、ポストカード作品などで、場所を書いていないじゃないか!というおしかりを受けることがあるのですが、そのたびに理解してもらうことにしています。簡単に撮影場所が伝えられないのはぼくたちの方がつらいのです。素敵なところだからできるだけ多くの人に伝えたいという想いの反面、伝えたときの被害のことまで考えに入れなくてはなりません。自然が一万年かけてつくってくれたお花畑が食べ尽くされたり、開発されないようにしゃべらないで、しかし、守っていって、しかも伝えていきたいという矛盾で、ぼくは一杯になります。市場に行って、福寿草などががっぱり売られているのを見ると、悲しくなります。庭先に福寿草がずら〜っと並べて植えている家を見ると悲しくなります。どうしてもこの盗掘が後を絶たない現実。小さな花を語るとき避けては通れない話題になってしまいます。そして、事実上今の法律ではこれを取り締まることができません。ここが歯ぎしりの部分です。それで、ついに夕張にある高山植物で有名なある山では盗掘がひどく、入山禁止になってしまいました。高山植物でもそのような消極的な対策しかとれないのですから、山菜としか見られていない早春の花たちなど、守ることは不可能なのです。
さて、この早春のお花畑を彩る花たちのことを英語でスプリング・エフェメラルというのですが、これは日本語では「春のはかなき者」という意味です。どうしてはかなき者なのかと言いますと、森の樹木が緑の葉をつけて、森の樹木や小鳥や下草が春の訪れを祝福し始める頃、小さな花たちは咲き終わって枯れていきます。そして、まだ春が来たばかりだというのに、下草に覆われてその姿が跡形もなく見えなくなってしまうところから来ているようです。そして、たいていの他の植物が一年かけて種を作るところをわずか2か月で、つくってしまうそうです。こんなに急ぐわけは、森の樹木に葉が茂って、光が入ってこなくなったら、昆虫も寄ってこなくなり、咲いていても無駄になるからだそうです。だから、まだまだ寒い北国の森の中、樹木が緑の葉をつけるまでの間、彼らは花を咲かせ枯れて行くわけです。それを、見た人がはかなき者たちと形容したわけですね。何という美しい響きの言葉を贈ったのでしょう。早春のエフェメラル……もうそこまで、花の季節がやってきています。いつか一生の内に一回はこの花たちに出会いに行ってあげてください。そして、早春の森の空気を胸一杯に吸い込んでください。そうするときっと寿命がのびて、長生きできるかもしれません |
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