写真館通信の世界
★除雪を考える★
 今年の冬は珍しいことに函館でも雪が多い。こんなことはここ数年なかったから驚いている。ぼくは冬の函館を撮る時、今までいつも雪ごいをしていた。というのは雪は、ほこりっぽい灰褐色の街を一瞬に美しい白一色に変えてくれるからだ。
 写真撮影に限らず、ぼくは深い雪の中に住むことに憧れを持っている。しかし、函館の郊外は、ぼくが望む程雪が積もってくれないので、いつもぼくは寂しい思いをしていた。そして、いつも、札幌などの郊外に仕事で出かけた時、深い雪の中、大きな木立に隠れるかのようにある三角屋根のお家を見て、いいなあと思ったりしていた。
 ところが、北海道に住む人の中には雪が邪魔でしょうがないと思っている人が多いような気がする。多額の費用をかけて何とかして目の前から雪を消したがっている。除雪である。
 さて、この除雪とはいったい何なのだろうか?どうして人は雪をそんなに嫌うのか?人の思いというのは理解できないことが多い。
ここでは、そんな嫌われ者の雪について考えてみたいと思う。まず、日本に降る雪というのはその大部分が日本海由来の水である。もし、日本海がなければ日本にはこんなに雪は降らない。その代わりに、恐ろしく乾いた寒気がシベリアから吹き付けられるだろう。
そうなれば、もっと北海道は住みにくくなるだろう。
 次に、積雪の保温効果について考えてみよう。地面に積もったふわふわの雪はたくさん隙間を持ち、多くの空気を含む。そのためその保温効果は氷の二十倍、綿の四倍もあるとされる。つまり、雪が地面を覆うということは、地面に綿の入った暖かな服を着せるようなものなのだ。この雪の暖かさについて調べた人がいるので、紹介してみます。雪の暖かさを知る目安として「土壌凍結」の有無がある。場所は、北海道中央部の深川市。積雪量を常に、0B、15B、30Bに保ち、土壌の凍り方を調べた。その結果を簡単に言うと、積雪0Bの状態では十二月初めから土壌凍結が進行し三月二日には地下五十Bという最深凍結を記録した。しかし、15B積雪を残した場合、地下十Bにとどまり、30B積雪を残すと、土壌は凍らなかった。この結果からも言えるのだが、一般に北海道の場合、冬の早い時期に三十cm以上の積雪が地表を覆うと土壌は凍結しないことがわかっている。
 ここで言う土壌凍結というのは恐ろしい現象だ。もし、除雪のし過ぎで道路から常に雪を排雪していると、道路は常に凍ることになる。そうすると、一つにはスリップしやすくなり、危険であること。もう一つは凍上現象が起こって道路に亀裂が入って傷みやすくなる。凍上というのは地面の中が凍ってその力で地面が押し上げられることだけれど、その力(凍上力)はとても多きく一Fあたり2トンにも及ぶという。よく地域住民が除雪の大型機械で道路を傷つけるから道路が傷むという苦情をよせるが、これは半分はずれで実は機械の仕業ではなくて、氷の仕業だと知らなくてはならない。
 その他にも、雪には大切な仕事がある。中でも、北海道の稲作には大きな貢献をしている。山に降った雪は、稲作にとって最も水を必要とする五月に雪解け水となって山から川の水になって平野をうるおす。もし、雪が雨だったなら、さっさと海に流れてしまっていただろう。それが雪であったために冬の間中、山奥深くたまっていたというわけなのだ。つまり、雪がなければ北海道での稲作は不可能だったとされる根拠がここにある。雪のおかげはこんなところにもある。
 さて、話をもとに戻そう。
冬の北海道を訪れた時、深い雪の中に立ってみると、どういうわけかあまり寒さを感じないだろう。特に風よけになるモミの木なんかがあるとなおさらふわっと暖かく感じるだろう。ところが完全な除雪がされた都会や雪も降らず、お日様も出ず、風の強い街に行くと、非常に寒い思いをするだろう。
理屈では分かっていても、この不思議な雪の保温力を経験すると、自然はよくできてるなあと感心する。アンデルセンが雪のふとんをかぶって……なんていう表現をよく使っているが、まさに草木にとって雪がない冬なんて考えらないんだろうなあ。
 こんな暖かい雪を邪魔にして、電気で溶かそうとしたり、根こそぎ除雪車に持っていかせたりするなんてことはもはや気狂いじみている、としか言えない。自ら寒いのが大好きです!と言っているのと同じこと。ぼくが雪を好きなのは、ぼくが寒がりなことと、雪が生クリームのようでとても美味しそうに見えることと、白くってとてもきれいなことと、大地を守ってくれるからでしょう。それなのに、雪を嫌う人が回りにたくさんいる、という事実には途方に暮れる。そんなに寒いところが好きなのなら、東シベリアにでも行けばいいのに、と思う。
 もし、生活に支障があるのならその部分だけを取り去ればいいのだ。それを、無駄に除雪費をかけようとするところに、不可思議さを感じる。苦情を言う人に限って、たいした額の税金を納めているわけではないだろう。少しくらい我慢してお金は大切に使う!という根本的な思想が大事なのである。
 おまけに、除雪を完全にしてしまうと、道路は凍上によって激しく傷む。
そうなると、お気付きかと思うが、あちこちがつぎはぎのぼこぼこした道路になる。まあ、透水性の舗装にすればこのことは解決されるが、値段がはるので、どの道路もみんな透水性舗装にはできないでいる。そんなわけで、除雪をしたいのなら、賢く、適切に除雪をしないと、またここで、傷んだ道路の修理代まで払わされることになる。
 こうやって道路が傷むことを雪のせいにして、仕方ないことなんですよ!なんてニコニコして言われて道路補修のお金をとられたことのある人も多いことでしょう。これでは誰もが雪を嫌いになってしまう。とんだぬれぎぬどころか、正義の味方の雪を犯人扱いしていることになる。ああ、雪ってかわいそう。知らないって、罪なことだなあと、思ってならない。