写真館通信の世界
★水族館建設について
前回の写真館通信でご紹介した函館の水族館建設について、お客様からたくさんのメッセージをいただきました。その中から少しですが紹介させてください。

■写真館通信を見てびっくりしました。観覧車ですか?もちろん観覧車や水族館は良いと思うのです。でも、場所を考えましょうよ。私は中学の修学旅行で夜景を見てわあ〜きれい!と思い機会があって函館を旅行することができ、この2年で4回夏冬行っています。何で?って聞かれるんですが、やっぱり景色が好きなんです。自分の住んでいるところにはない、景色だったり時間だったり、ただの観光客ですがやっぱり今のままであってほしい!

■今回送ってくださった写真館通信を見てとても驚きました。大観覧車の建設についてです。どうしてあんなに美しい景観を損ねるような計画が出てくるのでしょうか?
とてもがっかりしてしまいました。ましてやジェットコースターなど考えられません函館が函館でなくなってしまうようで寂しいです。観光のことを考えてのことかもしれませんが、私は反対です。一観光者として函館は観光地としてもこのうえない最高の街だと思います。ですから、今まで同様に美しい景観のままであってほしいと願っています。…というのが私の意見です。

■私が日本で一番好きな街。函館。
別に函館に住んでいるわけでもない。ただ
私の中で、函館があたたかくやさしい街なのです。高校の修学力で初めて行って、初めてこんなに好きになりました。坂道を登っていきながら、函館の歴史に触れ、たくさんの教会にかこまれ、心がやすらいで。坂道の上からは海が見え、古くからの街並みも見え、そして、函館山からは素敵な函館の街が見わたせる。なんて素敵な場所なのでしょうか。あの夜景を函館山から見ながら、皆一人それぞれいろいろな感情を抱き、いろいろな考え思いを抱いていたことでしょう。それなのに、何故観覧車が必要なのでしょうか。観光名物としてでしょうか。観光名物としてならこの夜景や古い街並み教会が一番の名物ではありませんか。
何故水族館なのですか。魚が見たいのなら朝市へ行けば新鮮なものが見られます。新しい物を造らなくても函館には美しいものステキなもの沢山の良い物があります。そのままの函館が一番美しいですし、そのままの函館が一番の観光地です。今の函館を愛している人は沢山います。どうか今の美しいままの函館のままであってほしいです函館を愛する者の願いがかなうことを信じております。

以上30通程のお手紙の中から3通紹介させていただきました。いずれの方も今のままで函館は十分に魅力的という意見で共通しているように思います ここで、なぜ水族館なのかと言いますと函館は水産業(北洋漁業)で栄えた街で、その函館に水族館がないのはおかしいのではないか、という市民の
声が二十年くらい前からありました。そうした今回計画された水族館には函館市民の積年の願いがこもっていました。この計画はバブルがはじけなければとっくにできていたのですが、バブルの影響で計画自体下火になっていましたが、今回国土(西部)が再び計画を持ち上げました。水族館自体は市民の積年の宿願であったのですが、これに大観覧車がついてきたのでこじれる原因になりました。その国土が立てた計画はといいますと、1億円の資本金で残りの79億円は借りて始めましょうというのです。そして、国土が提出した計画には初年度七十万人の人出を見込みその後三十万人づつ動員して二十年かけて採算を採るという計画でした。しかし、この計画に対しお金を貸す日本政策都市銀行という政府系の金融機関がちょっと待った!もっとしっかりしたお金の計画を立ててください、ということで今のところストップしている様子です。この日本政策都市銀行の冷静な判断がなかったらもうこの建設計画は着工されていたのです。つまり、今は銀行ストップがかかって着工されていない状態です。
 次に水族館本体の内容に問題があります。国土が提出した水族館の内容を見てそれを簡単に言うと、熱帯、温帯系の魚を中心に飼うと書かれてあります。ここは函館は北方圏の魚たちが数多く暮らしているところです。その肝心の北の魚が飼育されない計画になっています。これについては国土には北の魚を飼育するノウハウがないという指摘がされています。本来市民の中で水族館建設を推進している人は一般的に口をそろえて「子供たちの教育の場としての水族館を望む」としています。しかし、教育の場としての水族館になりそうにないと思う人が建設慎重派になっています。
 次に問題となるのがその建設費の80億円です。そこには見栄のようなものが介在されています。日本一立派なものを造ることで胸を張りたいという見栄があります。
そんな感じで、反対する人は少ないのですが、慎重にことを進めなくてはいけないと思っている人が市民の中には多いようです。
 次に、どうして、水族館が緑の島に造られるかといいますと、それは他の場所だと、漁業権に抵触し、漁業補償という莫大な費用がかかるからです。それに対し、緑の島は国有のもので第三セクターにする場合、無料で土地が借りることができるのです。よその地に造ることも計画されたようですが、漁業補償費をもらいたい漁民がみんなそろって口を開けて待っている、という現実の中でその計画は消えていったようです。
 そもそも緑の島とは何なのでしょうか。緑の島というのは函館湾にたまるヘドロをすくってできた島です。亀田川という川が函館湾にヘドロを運んできて、そのために年々函館湾は浅くなり、大型船がつけなくなっていました。そこで、初め、函館湾の底を掘ってヘドロを津軽海峡に捨てていたのですが青森から苦情が来て、それ以来ヘドロの処理に困り、函館湾を埋め立てることで乗り切ろうとしました。その結果生まれたのが緑の島です。そうして生まれた緑の島ですが市民には評判がよくありません。観覧車をここに造る以前にこの緑の島の撤去を市民は望んでいることになります。市民にとって函館港はその美しい砂浜で遊んだ懐かしい思いでの港ですし、何よりこの湾は北海道の歴史の出発点であったことを忘れてはなりません。北海道の歴史はこの函館湾から始まったのです。北海道を訪れるものは必ずこの港に降り立ち、北海道の奥地へと進んで行きました。そして、ここ函館は箱庭のように美しいところと絶賛され、夜景と並んで、函館湾の美しさがほめたたえられました。そして函館の市章は函館湾をイメージしてつくられ、函館の繁栄を支えた、北洋漁業の基地として長く函館の経済を支えてきました。しかし、今そこはヘドロの島で埋められ、その上に観覧車が建とうとしています。ヘドロの島は都市排水からできたものです。家一軒一軒が出す家庭排水を中心に川が汚染され、浄化力を奪われた川がせっせとヘドロを運び、函館湾を埋めていったのです。少なくとも川底がコンクリートで固められていなかったらもう少しましでした。家一軒一軒がアタックなどの合成洗剤を使っていなかったらかなりましでした。もし万一川と森が健全で土砂が函館湾に運ばれたとしたら、それは川砂利として高い価値を持ちます。コンクリートの材料として貴重な砂利で、高く売れるのです。それが、トップやアタックを含んだばっかりにヘドロに変わってしまいました。森が手入れされないばかりにヘドロになってしまいました。
こうして、観覧車ができるまでには生活レベルから連なった一連の経緯があり、こうして水族館付き観覧車ができそうになっています。