セットポストカードの世界
10枚組600円
『函館の散歩道』……函館の街をそよ風に乗って軽やかにお散歩するようなポストカードセット。
 函館には古い石畳の坂道が残り、その途上には教会や古い洋館や倉庫が残っています。そんな函館をさわやかな気持ちでお散歩することをテーマにした作品集です。
 函館は明治期に開港された数少ない港町で、街の至る所に西洋文化の影響が 色濃く残っている。街は郷愁にあふれ、街を取り巻く自然と合わせ、街は独特の雰囲気に満ちています…。
1)春の教会 2)ひと休みした時間
3)桜散る頃
4)リラ咲く小径
7)聖なる道
6)バラの花咲く礼拝堂 8)秋の大三坂
5)陽だまりの片隅
9)夢見るお月様 10)雪の光に包まれて

『函館の散歩道』ーmelting into the sea breeze-
 写真家 山下正樹
やさしい季節の風が坂道を通り過ぎ
古い洋館の窓辺にこっつんこ。
そうっと固くなった窓を開けてあげたら
汐風が本のページをめくってく。
まあ、いたずらっこだこと……。
急にお散歩がしたくなって
港が見える白いブランコのある公園まで
お散歩しましょうよ。
時間が遠くに見えるね。
船があんなにゆっくり動いて見える。
ブランコを揺らしたのは誰?ー君?
さあ、ブランコに乗って晴れた空までひととっび…。
時はゆっくりと流れ、また道はゆるやかに続く…
 函館という街は二つの海にはさまれた静かな北の街で、教会や洋館が石畳の坂道の途上にたくさんあります。
 少し小高くなった坂のてっぺんや丘のうえからは港がよく見えて、行き交う船もとてものんびりしています。
 船のお母さんであり、お医者さんでもある函館ドックの赤白のアーチがとても印象深く、なかでも、姿見坂(すがたみざか)のてっぺんあたり、船見町の民家のむこうに見える函館ドックの姿は感動的な風景です。かつて、魚見坂(うおみざか)の途上には月見草の咲く空き地があって、そこからは函館ドックのアーチがよく見え、ぼくのお気に入りの場所の一つでした……。
 そう、函館という街は、誰しもが心の中のお気に入りと必ず出会える、そんな素敵な場所なのです。
そっと目を閉じれば、路面電車がとことこ走っていくのが目に浮かぶでしょうし、耳をすませば、教会の礼拝の鐘の音が耳をやさしく撫でてくれるでしょう。そして、街の中に残る古い洋館では、汐風さんにずいぶんいたずらされてペンキがはがれてしまうので、おじさんが慣れない手つきでペンキを塗り直している様子が浮かんできす。
 青柳町には白いペンキがはげかかった洋館があって、その壁では真っ赤なつるばらが壁をはい上がっていましたし、ツタのからんだ薄緑色の洋館もありました。この二つは今はもうないのですが,しょげていてもつまりません。
 古風な路面電車に乗って、とことこ函館をお散歩しましょうね。ほうら、電車がさっきの青柳町の電停に止まりましたよ。ここから見る谷地頭町(やちがしらちょう)の街はなんてかわいらしいのでしょうか。
 急な下り坂をことこと路面電車に揺られて下りていくと、そこが終着駅谷地頭電停です。立待岬はもうすぐそこにありますよ。ですが、少し待って下さい。静かな街でしょ?谷地頭の街。洋風な印象というよりは人々が函館山のすそので、何百年も変わらない生活を営んでいるような感じがする。
 ぼくは、この町にある谷地頭温泉に来て、何万というカラスの群れと出会ったことがあります。後で、わかったのですが、函館山の南東の森の中が彼等のねじろだったのですね。鳥たちはこの世のどこが一番安心できるところなのか、よく知っているのでしょう。立待岬もいいところなのですがぶらっと谷地頭の町のお散歩もいいものです。「小鳥たちのすみか」と呼んでいる、おじいさんとおばあさんの家もありますし、洋風で美しい函館図書館もあります。

 図書館の窓辺からは谷地頭の町並みとそのむこうに青い海を見渡すことができるのです。そして、何より本の香りに包まれて、旅の空のかなたを想う。そんな時間がやさしく僕たちに語りかけてくれます。
 「時はゆっくりと流れまた道はゆるやかに続く…」と、何も人生、急いで行くことはなく、坂道はてっぺんから先に道はないのですから。
 さあ、汐風に誘われて、立待岬まで行ってみましょうか。立待岬にむかう途上、細い坂道を上っていくと、突然視界が開け、真珠のように輝きを放った空と海が目に飛び込んできます。津軽海峡です。
 海はきらきら眩しく、岬は雄々しく巨大な岸壁とななってそびえ立っています。とても風が強くて、立っていられないかもしれませんよ。
 岬は3000年もの長き時を超えて、海峡の激しい波と風に対峙してきましたしこれからも、ぼくや今を生きる人がいなくなったその後もずっとこうして、対峙し続けていくのでしょう。
 雄大かつ、長大な時の流れを感ずる岬に人生を思い、遠くみやる海峡のかなたに故郷を思います。涙が頬を伝わります。それに比べどんなに短かき人生といえども、先は続いていきます。
 さあ、勇気を出して旅を続けましょう。立待岬からの帰り道は、函館山の雑木林を抜けるように続いていきます。その林間越しに見る谷地頭町の町並みの美しいことといったらありません。一ケ所だけ樹木の窓が大きく開いているところがあるので、どうぞゆっくり見て下さいね。
 遠くに図書館の森が見えるでしょ?正面の広い道は青柳町から谷地頭にかけての「路面電車の坂道」です。再び、雑木林をゆるやかに曲がりながら進んでいくと、かつてここには北海道最古の木造校舎の谷地頭小学校がありました。白い朝礼台が中庭にぽつんと置かれていて、ここを通る度に、ぼくは深い郷愁を感じていたのです。
 しかし、1992年、校舎は心無い人たち の手によって破壊されてしまいます。
ぼくは、その時くらい血の通わない人間を憎んだことはありませんでした。人は未来への夢と、現在のたゆまない活動とそして、過去へのやるせない郷愁の3つのことがなくては生きていけません。そのうち一つでも欠けると、人はそれを悲しみで埋めようとする。郷愁を感じた時流す暖かい涙ではなくて、悲しい悲しい冷たい涙を流すのですね。
 ああ、いやなことを思い出しちゃった。じゃあ、ここでいっきに教会のある元町地区に飛んでいきましょう。
チャチャ坂を上りきるとそのてっぺんからは港を背景に3つの教会が見えませんか?左からハリストス正教会、カトリック教会、そして、聖ヨハネ教会です。ハリストス正教会は白い教会で、その庭では春にはたんぽぽが咲き夏にはバラが咲き、冬には雪がとても似合います。カトリック教会は函館の港を背景にす〜っと伸びた尖塔が非常に美しい教会で、坂道や港に響きわたる鐘の音は、荘厳の一語に尽きるのですね。あたりが最もにぎわうのがクリスマスの夜です。教会の鐘は鳴りっぱなしで、窓辺から漏れ出る礼拝の光が白い雪を明るく照らし出しています。しばし、人々は神様のもとで陶酔し、心は限りない清浄な世界を目の前にしてほっと息をつくのです。
 
 
坂道を歩くとしたら、何と言っても大三坂(だいさんざか)でしょう。大三坂の途上にはカトリック教会があって、桜が美しく咲く春は気持ちのいい季節です。そして、白いツツジやハマナスが咲く初夏、ナナカマドの葉が赤く色づく秋も美しい季節です。
 散歩をするには少し寒いのですが、ぼくは冬の大三坂のちょっぴり寂しい感じが好きです。大三坂を下ることなくもう一度てっぺんに戻り、チャチャ坂との分岐を北側にとると、道はハリストス正教会とカトリック教会の間を行きます。
 そして、そのすぐのところにあるピンクの洋館が遺愛幼稚園の建物で、ピンクの壁と赤い屋根が大変可愛くまとまっています。そして、何より魅力的なのはこの遺愛幼稚園の庭で、この庭には花が絶える季節がないようによく考えられて、樹木が植栽されています。簡単なことのようですが、見事な配置に感嘆するわけです。この道をさらに行くと、有名な八幡坂です。八幡坂を過ぎると、日和坂と出会う。日和坂には淡いブルーの色彩が美しい日和館というおみやげやさんがあります。   中には、ぼくの小さな写真ギャラリーもあります。日和坂を過ぎると、基坂(もといざか)です。基坂は坂の中央に元町公園があり、そのために大きく二つに分かれて伸びた、ナナカカマドの美しい坂です。ナナカマドは春になると赤茶色からゆっくりと淡い緑色にその色彩を変え、夏になるとその葉影にシモツケのような白い花を咲かせます。
 秋になると、徐々に緑と黄と、オレンジと赤が混じりあった絶妙な色彩に彩られ、その割合を日ごとに変化させていきます。そして、最後に赤一色となり、冬のなって葉を落とすと枝には赤い実だけが残ります。そして、冬の間もしばらくはその赤い実は残っていて白い雪の帽子をかぶるのです。このようにナナカマドは四季を通して楽しむことができる木なのですが、自然界の森の中では、なかなか見ることができません。ですが、街路樹として植えてやると、なかなか美しい木で、函館の石畳の坂道と見事に調和するのですね。
 基坂にはこの他にも、銀杏が美しい函館区旧公会堂。つるバラがすばらしいイギリス領事館などたくさんの見どころがあります。基坂を過ぎ、東坂を抜けると、弥生坂と出会います。その時、まだ元気が残っていたら、迷わず弥生坂を上へ上へとのぼっていきましょう。弥生坂は坂の中でも一番高いところまで続いている坂で、そのてっぺんあたりの船見町はこんなところに一度は住んでみたいなあと、誰しもが思う素敵なところ。ここから見る函館の港は最高に美しいですね。さて、船見町をぶらぶらしながらさらに進んでいくと、幸坂(さいわいざか)に出ます。
 幸坂はきつい坂で、このきついのぼりをのぼっていくと、青い屋根の洋館があって、これがロシア領事館。領事館の前には小さな公園があって、ここはぼくの大好きなところです。さあ、ここではブランコに乗って、遠くに行き交う船を眺めながら、遠くの海に自分の空想を飛ばしてみましょう。そんな公園とお別れし、さらに進んでいきます。千歳坂、船見坂と過ぎて、最後に魚見坂に着きます。魚見坂は坂の中で一番北側の坂で、坂の途上からは函館湾がかすかに見えかくれしています。
 外人墓地に着いたら是非行ってみたいのが、海沿いの小径。静かな高台に続く小径からは函館湾から外洋に続く海が見えます。夕日が沈み、あたりが暗くなってくる頃には、その小径をほんの小さな一本の街灯が照らし、たまらなくロマンティックな気持ちにさせてくれます。その小径を後にして魚見坂を戻ると、途中から海側におりれる道が一つあります。この道をおりると、入船漁港に入っていけます。
 元町地区とはうってかわって、庶民的な雰囲気が漂う漁港で、イカ漁の船が波間に揺れていたり、古い漁具店が軒を連ねている、そんなのどかなところです。例えば、お昼下がりにひっくり返したバケツの隣でカモメがお昼寝しているようなところ……。そんな入船漁港から歩いてすぐのところに西埠頭と呼ばれている突堤があって、ここから見ると、函館ドックの紅白のアーチがド〜ンって大きく間近に見られます。それにこの辺りには小さな造船所や古い倉庫がいっぱいあってなんだかとても懐かしい気持ちがしてきます。心が落ち着いてくる……というのでしょうか。
 どこか神戸の港とも似ています。ぼくはこんな感じの港を見て育ったから、ここへ来ると懐かしさがこみあげてくるのです。少し黒っぽく汚れた造船所の鉄さびの匂いと、カモメ達の群れ飛ぶ姿と、網を繕っている漁夫達の姿が混じりあっている。そして、レンガ造りの古い倉庫の片隅には、小さなたんぽぽの花が汐風に揺られている。こんな懐かしい汐風の香りが胸を満たしたら、さあ、次は洋館めぐりに出かけます。洋館を巡る楽しみといえば神戸や横浜にもあるのですが、ここ函館の洋館めぐりはもっと庶民的な雰囲気の洋館を巡っていきます。
 函館では当時、外国人居留地が決まっておらず外国人の暮らしが身近にあったわけです。そのことが、人々の暮らしを容易に洋風化していき、世界でも稀な和洋折衷様式をうみ出していきます。函館の街のあちらこちらに、和洋折衷様式の洋館が散りばめられていますよ。散歩の途上、どんな素敵な洋館と出会えることでしょうか?楽しみですね。街の中のお散歩がだいたい終わったなあと感じても、函館の底知れない魅力は尽きることがありません。函館山にのぼってみませんか?夜景を見るために車やロープウエーで登ったあの山です。山登りは体力的にちょっと無理、という人は上りだけロープウエーで登るというのも手です。函館山は標高が334mしかありませんから、少々物足りないかもしれませんが、函館山にはたくさんの美しい花々が咲き誇っていますから、花達を見ながらのお散歩はそれは楽しいものになるでしょう。しかも、函館山は四方を海に囲まれた特殊な環境にあったから、珍しい植物と出会えるかもしれませんよ。もし函館山から見る夜景が、散りばめられた宝石だとしたら、函館山の花たちは宝石に憧れる少女なのかもしれません。
 さて、函館の街や函館山のお散歩に満足できたら、今度は函館の郊外に出てみるのもいいものです。今度は歩いてのお散歩はちょっと無理だから車に乗って行くしかありませんが……。
 
  さて、どこへ行ってみましょうか?札幌方面から車でやってきた時通る函館新道の終点付近には静かな丘があって、その丘にはいつの頃からか二本の樹が立っているところがあります。丘のうえからは函館の街がよく見えて、とてもすがすがしい風景の広がるところです。どんなガイドブックにも載っていませんが、行くことができたらきっと気に入ってもらえると思います。この二本の樹の丘もいいのですが、他には大野町にある大野牧場もいいところです。ここは世界一美しいブナの牧場で、春、ブナが新緑する頃などには目も覚めるような美しい光景になります。ブナの木は北海道のこの辺りが北限で、現在は、氷河期に南下した勢力を盛り返し、その勢力をゆっくり北に伸ばしているところだといいます。それにしても、ブナの木、特に新緑の頃のブナの美しい緑を見ていると、みずみずしく、鮮やかで、心が風になって舞い上がってしまいそうな感じがしてきます。
 大野牧場で緑の風を感じることができたら、次は湖畔の風を感じに大沼湖畔に出かけましょう。大沼に行くなら大沼の東岸にあるキャンプ場あたりがさわやかですね。宿野辺川が流れ込むあたりも、ニルスの冒険のお話しにでてくるような光景があって、とてもいい感じ。釣りをしてると,白鳥がよってくるようなそんなところでもあります。
 
 これらブナやカエデの木が多いところと対照的なのが、恵山という山で、山全体が火山帯になっているので高木が生えられず、ツツジ科の樹木や草本が優先なところです。中でも、サラサドウダンや山ツツジの木に花が咲いたり、コケモモやイソツツジの花が咲く6月は恵山が最高に魅力的になる季節です。また、大沼から恵山にやってくる時に通るかもしれない鹿部町から南茅部町に至る海岸線は北海道では珍しい感じの漁村風景が見られところです。
 また恵山のある亀田半島とはちょうど反対の松前半島には大千軒岳を中心とした山塊があり、少し北に行けば遊楽部山塊、狩場連峰が連なっていきます。そして、これらの山々はいずれもブナが優先する豊かな森が形成されているのですね。北海道の場合、ここから北に100kmも行かないうちにもうそこはアカエゾマツが優先した針葉樹の森になっていきます。つまり、函館郊外というのは、本州から北海道へ緯度を上げていく途上、落葉広葉樹から針葉樹に変わっていくその豊かな階調を描いた地域だといえるのです。
 このような豊かな自然に包み込まれたように存在する街、函館。まるでお母さんの懐に抱かれるように眠る小さな赤子のような街。
 そう、函館の街は豊かなお母さんの胸を安心してひとりじめできる、そんな幸せな赤ちゃんなのでしょう。でも、赤ちゃんが眠っている時の顔って本当に気持ちよさそうですよね。ぼくなんて、こんなに大きくなっても、赤ちゃんのように女の人の胸の中で眠りたいと思うことがあります。赤ちゃんとちっとも変わりませんね。
 そんな、ぼくの願い。もし悲しいことがあって、行き場を失ったなら、迷わず函館の街に来てください。そしてこれを抱く豊かな自然の中を逍遥と歩き回ってほしい。そして、我が胸に手をあて、この波打つ心臓の鼓動の確かさを感じ出してほしい。
 そして生きている現実たちと出会って、気軽に挨拶をかわしてみましょうよ。すると、やがてこの大空とも輝く海とも夜に漂う白い霧たちともお友だちになれて、もう寂しくなんてありませんから。目には見えませんが、僕たちを取り巻いているこの世界はいつも僕たちの隣にいてくれるのです。やがて、僕たちもまたこの世界の中に帰っていく日が必ず来るのですが、その時まで、悲しい心は力強い隣人達に預けておきましょう。さあ、胸を張って歩いていこうではありませんか。僕たちの散歩道を。僕たちの散歩道を……