の世界
35 流氷の沼 19993
流氷の沼

-北海道 根室半島-

 今月の作品は春まだ遠い北海道は根室半島からです。

根室半島は北海道の最も東に位置し,その突端が納沙布岬です。この作品は根室から納沙布岬に至るその途上にある,ト−サムポロ沼の夕暮れ頃のもので,沼のあちこちに流氷が浮かんでいるのが見られます。このト−サムポロ沼はほんのわずかに海とつながっていて,海水に乗って流氷が入り込んできて,流氷が去った後もこうして沼には流氷が滞留しているのです。

 このト−サムポロ沼のように,オホ−ツク海沿岸の沼や湖には海とつながった汽水湖が多く,その代表的なものとしてすぐ近くの「風蓮湖」や「温根沼(オンネトウ)」などがあり,ここでも滞留した流氷が見られます。北海道も最近狭くなってきたなあという感じを受けますが,さすがに根室まで来ると広いなあという印象を持ちます。このあたりは一般には根釧原野(コンセンゲンヤ)と呼ばれていますが,この原野を旅していると,やっと自由になれたなあと言う実感に包まれます。

 ト−サムポロ沼の近くはなだらかな牧草地と草原が流氷の海になだれ込むようにつづき,そのむこうにはあまりに早い一日の終わりを告げる夕日が沈んでいきます。

 ではここで,この周辺のことについてお話ししてみたいと思います。
まず風蓮湖東岸には「春国岱(シュンクニタイ)」という小さな湿地帯があります。ぼくはここの緑の季節には一度もいっていないのですが,いつか是非行ってみたいと心膨らましているのです。故前田真三氏の作品のなかに,風を表現されたここで撮られたたいへんすばらしい作品があるため,もう何年も前から憧れているところなのです。

 次になんと言っても「落石岬(オチイシミサキ)」ですね。落石岬は「北海道三大秘境」のひとつで,あまりに遠い印象があるためか誰にも知られることなく,いつ行ってもひっそりとしていますただ,風が吹きすぎていく荒野と赤白のかわいい燈台があるばかりで,この世の果てという実感と,「ニルスの不思議な旅」の動物たちの運動会が開かれた世界のイメ−ジと重なり合います。ぼくのイメ−ジのなかにある北欧のラップランドと重なり合うのでしょうか,もうひとつ「ニルスの不思議な旅」を思い起こさせてくれるところに,モユルリ島とユルリ島という二つの無人島があります。この島もぼくはいまだ渡ったことはありませんが,前田真三氏の撮られたモユルリ島の野生馬の作品はたいへん心を打つ作品として心の中に残像しています。少し離れますが,摩周湖から斜里町にむかう,いわゆる裏摩周もとても心に残る世界だと思います。この途上に神の子池といって摩周湖の源流にあたるとされる小さな池があって,その透きと通った池のなかの古木の間に小さな魚が群れていたのが今でも忘れられません。またこのあたりはカラマツの防風林がはるかかなたの地平線まで続いていくようなそんなところで,写真には撮りにくいのですが,この大陸的な様相にはもはやカメラを向けるというよりはただ呆然と大地のうねりと空の広がりに心奪われていたいと思います。

 この大地のつづくところをオホ−ツク海にむかってしばらく走ると清里町という大変美しい世界と出会ってびっくりします。ここは背景に斜里岳を抱く田園地帯で,カラマツの防風林と丘のうねり,そして作物の色彩が実に見事なところです。富良野や美瑛町などと少し似ているのかもしれませんが,なんだかこちらの方がおおらかで,気分が大きく膨らんでくるような気がします。多分,樹氷の季節がくればきっと信じられないぐらいにきれいなんだろうなと思っています。雪道の運転には時間を十分にとらなくてはいけないのでいまだここの冬にはたどり着いていないのですが,ひとつの宿願としていつか冬にここを訪れてみたいと思います。

 この便りが届く頃にはきっと本州では桜の開花が見られることでしょうが,この近辺の峠を6月の中旬ころ通りかかったら,峠の沢ぞいにいまだ満開の桜が樅の原生林の中でぽつんと咲いているのを見かけたことがあります。なんとまだ二ヶ月もしないと本州と同じ量のお日様の光の量を受けられない桜があるなんてとってもかわいそうな気がします。函館ではもうすぐ待ちに待った春が来ます。早く仕事を済まして,春の日差しを味わいたいです。

写真展『函館の風の中で』開催中

いつどこから吹いて来て

いつどこへ吹き過ぎていくのか

誰も知らない。

私達もまた

いつどこからここに来て

いつどこに去りゆくのか,誰も知らない。

しかし,今ここで,確かなことは

私達は人を愛し,夢を追い,つらいことに涙を流し,

また,それでも喜びに心をふるわせている…………

そして,いつかどこかに静かに姿を消していく。

私達はどこか風に似ている。

ああ,もし私達が風なのだとしたら

今,どこに向かって吹き過ぎようとしているのだろうか。

ただ,吹いて,そして消えてしまうことだけが

私達の運命だとしたら

それは悲しくて目をおもわずふせてしまう。

本当にそうなのだろうか!

風が春になれば,春風が心地よいぬくもりを伝えるように
   
夏になれば,草原をわたる風が香しい自然の芳香を運ぶように秋がくれば

雲に姿を変えてさわやかな模様を空高く描き出すように

私達にもそんな自然の世界を

多くの人々に伝えていけはしないだろうか。

そして,風がそうするように

私達もまた,

人の心をすう〜っと通り過ぎて

やさしく愛撫できはしないだろうか。

そして,この世の命という命に光が射しているうちに

幸せという名の風になって

心と心をつないでいけないのだろうか。

ああ,幸せが風に乗って,心と心をつないでいくとしたら

どんなにすばらしいことになるだろう。

私達の夢は

そんな風になることだ。

どうせ,吹きすぎる運命の風だというのなら

気持ちのいい風になりたい。

 この『函館の風の中で』という題名は今から6年前にさかのぼって,ぼくが初めて創ったポストカ-ド作品のうちのひとつでした。風は旅人である……から始めたその作品集の詩はそのころのぼくの心境をよく言い表してくれています。ポストカ−ド集の方はありがたいことにすでに売り切れてしまい,その後日々の忙しさにかまけて,増刷することのないまま今に至っています。いつかこの『函館の風の中で』という題で,写真集にまとめてみたいという想いが前々からありましたが,いまだ未完成となったまま今回の急な写真展になってしまったというわけです。仕事づきあいの都合で,仕方なく開催したのですが,実際始めてみましたら,多くの方々から歓迎を受けまして,いまだ未完成な世界であるにもかかわらず多大な評価で迎えてくださったことはもう感激の一言につきる想いでした。