の世界
37 草原に風わたる季節 19995
草原に風わたる季節

-北海道 大野町-

 ここは函館郊外にある小さな牧場です。緑の牧場がなだらかに落ちこんでいったところにあるひっそりとした谷間にこの小さな牧場は広がっていて,わずかに一本の道が通じているものの,ゲ−トがしまっていて車ではそこに行けないようになっています。そのためここに来る人は誰もおらず,全くと言っていいほど人から隔絶された世界なのです。ゲ−トの上にあるつくられた広場では遠足の子どもたちがわ-わ-声を出して遊んでいるようですが,残念ながら彼らには遊んでいる目と鼻の先にこんなにも美しい世界があるということに気づくことは許されていないようです。人がとってつけたようにつくった偽りの世界で遊ばされる子どもたち,彼らに本物の現実の美しさを感じさせてやりたいとぼくは思っていました。

 
 この谷底に広がる小さな牧場は今から100年程昔に,当時のトラピスト修道院の方々によって開かれた牧場で,150年は生きたと思えるほどのブナの木があちこちに点在し,山桜,こぶしも咲き誇っています。この作品はこの牧場の西方の丘に立つ若いブナの木で,丸くとてもかわいい樹です。ブナの木は新緑の頃がぼくは一番好きで,大きくなった葉と同じ形をした小さな葉たちが薄い緑色にお日様に輝いているのはたとえようのない美しさだと思います。その若い緑が風になびきながらお日様の中で輝いているのを見ていると,時のたつことを忘れ,葉のすれあう音に心がすっかり奪われてしまっていることに気づきます。そしておもしろいのは,風が吹くと小さな葉たちがいっせいに同じ向きに小刻みにふるえながら,なびくことで,ブナの木の葉は絵に描いたような“葉”の形をしているのでそれが美しくも,また愉快でもあるのです。“ブナの木”を知らない人は多いと思いますが,ブナの魅力って何でしょうか。ぼくもそう言われるとつまってしまうのですが,少し思っていることを話してみます。まずは何といってもその幹の美しさにはひかれます。銀色に光ったつやつやした質感そしてその力強さでしょうか。

 
 そしてまた,木の形つまりは樹形の良さでしょうか。そして大きく強そうに伸びた枝振りでしょうか。やさしくて強そうな人のような存在なのです。ちょうどこの函館近郊がこのブナの木の北限にあたり,函館近郊より北にはブナは生育できないのです。ちょうどその限界にあたる狩場山(かりばさん1520E)に先日行ってまいりました。この狩場山は函館から車で160H,約3時間程の日本海に面した山で,近くにオオヒラウスユキソウ(日本に自生する中で,かのエ−デルワイスに最も近いと言われている)でその名を知られる大平山(1191E)があります。狩場山というとぼくらにとっては威厳のある神々しい存在であるのですが,本州の方にはあまり知られていないかと思います。つまりは道南はあまり北海道らしくないところというイメ−ジのために忘れ去られているみたいなところがあるようです。確かにそうなのですが,札幌より北の世界にはないまた別の世界圏があってそれが魅力であるわけです。ぼくが神戸からこの北海道に来て道南に住むようになったのはまるで偶然なのですが,ぼくはこの運命のいたずらに感謝していることがたくさんあります。写真家といえば札幌や旭川,釧路方面にいて活動している人が多い中ぼくのように道南にいるのはまれなのですね。それは,ぼくが永遠の旅人的な感覚と人一倍寂しがり屋であることからそうさせているのかもしれません。道南は函館が和洋折衷の文化を持った街であるのと同じように,和洋折衷の自然世界をつくっているように思えてなりません。

 
 日本から西洋的自然世界へのグラデ−ションを描いているところとでも言えばいいのでしょうか,完全に西洋的でもなく,日本的でもないその中間的存在。ぼくは札幌より北に長くいると無性に寂しくなってくるのです。自分が育った文化圏とまるで違う世界には住めないな,と思うのです。住むところではなくて旅ゆく世界としてぼくは北の北海道を見つめるのです。北を旅して,京都や奈良や四国や東北(東北だけは日本的と一言でかたづけたくない一種独特の憧れの世界だと思っています)が恋しくてたまらなくなる。そんな和と洋の中間点を揺れ動きながら更なる振幅を模索しながら生きていると思っていただけると嬉しいです。

 
 話をもとに戻しますね。その狩場山に行ったわけですが,その途上があまりに美し過ぎてなかなか着かないわけですよ。たとえば,途中にある新緑の白樺のある湖に映える雪を抱いた狩場山の美しさと白い雲のコントラストに釘付けになってしまうわけですよ。それを写すために風がやむのを待つんです。風って湖をとりまく全ての空間を均等に吹くわけではなくって,部分部分に吹いたりやんだりしているわけなんです。すうって風がやむと白い雲が湖面に映るんです。それも完全にやんでしまってもダメだから,ほのかにそよ風が湖面にさざ波を残してくれているその瞬間をじ-って見つめてシャッタ−を切るんですよ。それがあんまり美しいとそのたんびに感動して写すものだから何枚も何枚も撮っちゃうんですね。それで時間がどんどん過ぎていってしまうわけなんです。それで名残惜しそうにしながら次に向かうわけですがまたまた心のどこかにしまってあるんでしょうね,そんな風景が眼に飛び込んで来るんです。またそこで夢中になって撮ってるってわけです。一回シャッタ−を切ると60円かかるから,心の裏側ではああ,またこんなに写しちゃったあと嘆いてる自分がいて複雑な想いがします。

 
 そんなこんなで,狩場山に着いて標高500m付近に広がるブナの森を写したわけですが,それがまたぼく好みの森で,散策路に沿って歩いていくと森の中程に,森の中庭のようなところがあって,落ち葉が気持ちよさそうなカ−ペットになっているのです。
 沢沿いにはまだ雪が残っていて,ブナの森の落ち葉の地面も雪が溶けて3日くらいしかたっておらず,平地なら4月の中旬頃の様子でした。行ったのが5月30日だから500mの標高差でも雪が多いと1月半も季節が違っているわけですね。ようやく春が始まろうとしているのです。しかし,おもしろいのは地面とは違って,木々の葉はもう結構緑が濃くなっているということです。
 木の季節と地面の季節つまり上と下の季節に大きくずれがあるんだな-と思いました。また,ブナだけでなく白樺も多いな-と思いました。瞑想の道というわざとらしい名前のついた白樺林があったんですがこれも良かったです。とってもきれいなので,瞑想どころではありませんでしたが。ただ雪が多いのでしょう,白樺の木が地面から1.5mくらいの高さまで曲がってしまっています。一本残らず同じ向きにです。もう少し行けば,賀老の滝という大きな滝があるわけですが薄暗くなってきていたので,無理をせずここで引き返しました。といいますのも,この狩場山など,道南の森や山などは熊の生息密度が濃く,夕暮れ時などはとても危険だからなのです。先日も熊に釣り人が殺され,山菜とりの女性が二人重傷になったばかりです。熊と出会うことは死を意味します。ぼくたちができることはというと,体中に鈴をつけてジャランジャランゆわせながら森の中を歩くこととナタを一本もって行くだけなのです。しかも最近アウトドアブ−ムなのでしょうか,一般の人が森の中に来てキャンプをして焼き肉などをするものですから森の熊さんもたまらないでしょうね。   自治体もなぜかキャンプ場をつくるんですよ。信じられない!あんなところでキャンプをはるなんて何て恐ろしいことができるんだろうと,驚いてしまいます。
 しかも,焼き肉で熊をおびき寄せている。しかも,熊がでたら,キャンプ場から出ないでくださいだって。熊はキャンプ場に用があって来ているのにですよ。だから,北海道に来たらあんまりキャンプをはらない方がいいと思います。それでなくてもなんだか家より立派なキャンパ−が焼き肉をしているわけですし,決してそういう人たちには近づかない方がいいですよ。命のためです。

 
 6月中旬からはぼくたちはオホ−ツク沿岸を中心に原生花園の撮影に出かけます。原生花園って聞いたことありますか? 海岸や湿原に沿って広がる花園です。6月中旬から7月が花の時期なのです。それを思うと,8月にしか休みがとれず,8月に北海道を訪れる人は気の毒ですよ。8月の北国はどちらかというと季節の中だるみとでも言いましょうか,北国の季節は何でもかんでも5月,6月,7月に集中するのです。6月中旬から7月終わりまで短く,しかし密度の濃い時間がこれから始まります。また6月の終わりにお逢いしましょう。そのときにはお話ししきれない程たくさんの出会いができていればいいなあと思います。では,そのときまで。風などひきませんようにね。


追伸1

今,金星と火星が見事ですね。見えていますか?火星は乙女座の一等星スピカ(真珠星)と並んでましたね。火星の赤とスピカの白,紅白です。いいことあるんでしょうか。
先日,その金星を撮影しているとき,びっくりしてしまいました。何と金星の明かりが海に映っているのです。それも,恐ろしく明るくです。ぼくは目を疑いましたが,それはまぎれもなく,金星が海を照らしているのです。金星の明かりで本が読めるとはよく言われることだし,確かに暗い夜空に現れる金星は火の玉のようなのですが,今度ばっかりは驚いてしまいました。その日は金星の照らす海のすぐ横の暗黒な海に真っ赤な二日月が沈んでいきましたが,かの月が何とか細く見えたことでしょうか。月夜は星を飲み込んでしまいます。金星はどうでしょうか。それくらい今年の金星は明るく見えます。ぼくは感度1600のフイルムにF2.8,135秒の露出でそれを撮影しました。しかし,慶ちゃんの用意してくれたフイルムがとても古いものだったので,粒子の荒れた仕上がりになってしまいました。真っ暗闇の中ではこんなハプニングはつきものです。レンズもみんな黒いから,わかりにくくってしょうがありません。まあ,でもこういう瞬間は写すことよりも,出会った瞬間の感動の方が大きいものですね。みなさんもお時間おありでしたら,海に映る,金星の明かりご覧くださいませ。


追伸2

ハスカップという木を知っているだろうか。夏に紫色の実をつけるこんもりとしたつつじほどの大きさの木で,その実はジャムにするとブル−ベリ−やカリンズ(カ−ランツ)やグ−スベリ−や木イチゴ(ラズベリ−)たちより食べやすく,何よりうまい。実は濃い紫色で,プル−ン(西洋スモモ)の実を小さくしたような感じと思ってください。そして,正式名はクロミノウグイスカズラといい,本来は野生のもので育てるものではないらしい。春早くに葉を茂らして,5月にラッパ状の薄い黄色の花を咲かせる。その葉の緑はなんとも言えない淡い緑でぼく好みの緑で,何といっても葉に触れてみると,これがふんわりと柔らかい。この5月の雨の昼下がり,ぼくはこのハスカップの葉に小さな水滴が無数についているのを見つけた。 小さな水玉が葉のあちこちに不思議なくらい色々な大きさで光っていたのです。育てはじめてから4年目。今までお恥ずかしながら気づかなかった。もちろんカヤの葉の裏側には水滴はよくつくが,他の木の葉にこんなに美しく水玉がのっかっているのは見たことはない。ぼくは接写リングを持ってきて,さっそく写しはじめた。ありがたいことにまるで風がない。こういう小さなものを写すということは1000mmの望遠で鳥を写すより困難で,ほんの少しでも風があるとだめだし,ピントのあう範囲も1mmくらいしかなくなってしまう。それでも,カメラとレンズの間に接写リング(単なる空洞の輪)をいれるとピントは出しやすくなる。(普通,どういうわけなのかレンズというのは近くを撮るのが苦手で,写すものにたとえば1m以上近づいて撮れなかったりするのです。そのためにマクロレンズという近接撮影専用のレンズを必要とするのです)とにかく,夢中になって小さな水玉と2時間くらい格闘していたわけですが,食べてもおいしい実をならせ,きれいで,強くって,撮影にも力を貸してくれるハスカップっていいやつですね-。


追伸3

最後も木の話になってしまいますが,ブル−ベリ−の花って見たことありますか?6月くらいから咲くんですが,白いスズランのような花をつけます。釣り鐘状ですね。それにしても釣り鐘状の小さな花って かわいいですよね。今年は,釣り鐘状の花をたくさん写してみたいなあと思っています。スズランももうすぐ咲きますよ。ブル−ベリ−って花も実も,紅葉もきれいなんですよ。(ハスカップは紅葉しない)  さあ,いっぱい写すぞー!