の世界
38 コケモモの花咲く季節 19996
コケモモの花咲く季節

-北海道 恵山-

 この作品はコケモモの花を写したものです。時は6月12日,北海道の南に位置する火山である恵山(618m)の火口原に近い岩石地帯です。
 実はこの日,ぼくは恵山にサラサドウダンという恵山特有のツツジを撮影に来たのですが,今年は季節がとても早くに進んでいったらしくツツジはもうほとんどが枯れてしまっていました。しかし,その代わりにこのコケモモとイソツツジという白い小さなツツジたちが小さなしかし無数のコロニ−をつくって噴気孔近くの火口原の岩肌を埋め尽くしていました。
 これが実に観光の人が駐車場に車を止めて,歩いてほんの1分も歩かないところから始まって,延々と広がっているのです。
 ぼくは駐車場から500m位しか離れていないほんのすぐ近くでほぼ5時間にわたりコケモモと格闘していました。500m離れているだけなのにもうここには誰も来ることはありません。見渡す限りの岩石の平原の中にべたっとひとり座り込んで,ほんの1Bにも満たない小さな花だけを写しつづけました。あとで知ったのですが,この日は函館はたいへんな暑さだったそうですが,炎天下の中何時間もいたぼくの方がちっとも暑さを感じなっかたということになったのです。
 多分それは荒野を過ぎていく風のせいだと思います。広大な平原の中で1cmを見続け,1mmにピントを合わせつづけ少し疲れたら,仰向けにひっくり返ってみます。なんとも気持ちのいいことです。

 
 さて,コケモモのことですが,コケモモのことは北海道ではフレップ(アイヌ語)というそうで,夏から秋になるとフレップ摘みの人々が多くなるそうで,その実は赤く,フレップ酒という真っ赤な美しい酒をつくったり,ジャムにしたりするそうです。
 北欧などでもぼくの読んだ本の中によると秋になるとフレップ摘みに出かけることが書かれていました。ぼくたちは未だコケモモの実を酒にしたり,ジャムにしたりしたことはないので時間があったら今年こそチャレンジしてみますので,おいしかったらいつかお知らせいたします。
 友人が旅の途上根室半島を通りかかったときこのフレップのジャムが売っていたのを買ってきたことがあるらしく,根室のような原野にもコケモモは多く自生しているのかもしれませんね。
 木の実の本によると,世界の北国でジャムや果実酒原料として利用されるとある。また,変わったところでは,アルブチンという成分を含むため尿路殺菌薬として第2次世界大戦の時大量に生産されたそうです。

 
 というお話をしていてみなさんはぼくがよくも飽きずに何時間もコケモモの花ばかりを写してるなと思われませんか? 
 ぼくはいつの頃からか土も水も何もないような岩ばかりのところに咲く小さな花に魅かれるようになって,中でもコケモモのような釣り鐘状の花が好きで,どうしても夢中になるのです。
 このほかにもイワハゼという小さな白い花もかわいいですし,身近なところではブル−ベリ−の花も白い釣り鐘状の花をつけてとてもかわいいですね。ブル−ベリ−はもう花は終わって,実が膨らみかけているところです。それにしてもブル−ベリ−は成長しませんね-。ちっとも株自体が大きくなりません。
 それに比べてハスッカプはもう20%くらいの実は紫色に色づいてきましたし,ものすごい勢いで大きくなっていきます。釣り鐘状の花というと,みんなよく知っているスズランという花がありますよね。先日6月7日札幌近郊まで写しに行って来ました。それまで,ぼくはスズランのようなメジャ−な花には見向きもしませんでしたが,写しはじめてみるとこれがまた結構かわいいもんですね。
 それとはじめて気がついたんですが,スズランの葉の感じが山菜のアイヌネギ(ギョウジャニンニク)とそっくりなんです。アイヌネギという名前,聞いたことおありですか?春五月の初め頃小さな沢沿い(山と山の間に流れる細い川,本州と少しイメ−ジが違うんですが北海道の沢というとその規模は小さいような気がします)にあるんですが,このアイヌネギとても甘くって,体にとてもいいわけです。ところがスズランっていうのは毒なわけですね。間違えたら大変ということなんだそうです。
 ぼくはそのことについて全然知らず,撮影している途中よく見てみるとスズランが アイヌネギに見えてくるわけですよ。どうみてもアイヌネギにかわいい白い花がついてるって感じなわけですよ。このことを人に話したところ,「そう,気をつけないといけないんだよ」と言われたわけなんです。というわけでこれからも釣り鐘状の花はぼくの作品の中でいろんなところで登場すると思いますが,かわいがってくださいね。よろしく


●六月,季節の断片

 近くの牧場の中で,とても美しいハルニレの木(エルム)を見つけました。灯台もと暗しとでも言いましょうか6月11日発見して以来もう4回も撮影に行ってしまいました。
 この牧場は夜景が美しく見えるわけで,みんな最近できた展望台までは来るようなのですが,展望台のおかげで容易に牧場に降りていけるようになったことには無関心なようで,好奇心一杯のぼくは早速降りていって見たわけなのです。するとどうでしょう,なんとも端正な形をしたハルニレの木が風にそよいでいるいるじゃあありませんか。 
 ふかふかした牧草にタンポポの綿毛が混じった頃のことです。長年写していたハルニレの木が後ろに便所を造られて写せなくなったり,北海道で一番樹形が美しいと思っていたポプラが切り倒されたりしてがっかりしていた矢先のことでしたから,とっても嬉しかったわけです。
 便所のために写せなくなってしまったハルニレの木は1998年のカレンダ−の裏表紙や今度,単品ポストカ−ドPN-23としてつくったり,季節の移り変わりのその全てを長年かけて写してきていたものだけにとても残念でならないのです。この木は七飯町大沼のキャンプ場のはずれにあるわけですが,ここに2個目の便所を造られてしまい,もはや誰もこれを写せなくなってしまったわけなのです。
 大沼のキャンプ場は,無料で静かでとてもいいところだったのですが,街をあげてお金儲けに取り組もうとした結果,フル装備のキャンプ場に生まれ変わってしまうのです。今に,エアコンでもつけるんじゃないだろうかと恐ろしくなってしまいます。どうして狭いキャンプ場に便所が2個もいるのか。常識では考えられないことがいろんなところで起こっている。先述のポプラも開発の犠牲になった。国が新しい道を付けたことによって地下水脈が絶たれ,枯れていったのである。


 枯れてなくなってしまうから目に見えない。目に見えないところで,ある一部の人間の無限の欲望の犠牲になっていく者たちがいる。

 
 ハルニレの木というと実は北大にも大きな木がたくさんある。先日今年60歳になる市議会議員さんのパンフレットを造っていたときのこと,彼も北大だったから学生時代,北大校内で記念写真を写していた。その背景に写っていた大きなハルニレの木は,実は去年ぼくが『札幌冬物語』の中に採用したハルニレの木と同じハルニレの木であった。人間の命と木の命。これはいつも考えること。

 
 北大農学部に小野有吾という人がいる。ぼくは彼が記した北海道新聞の記事を何度か目にしたことがある。詳しいことは忘れたが,要するに大学側は責任をとりたくないから,古くなった木をみんな切ってしまうんだそうだ。木が倒れてきて誰かがけがでもしたらたいへんだというのである。そのことについて小野先生は怒りをあらわにしつつ,実に明快にその間違いを指摘されていた。先日ぼくも習った別の先生もテレビに出て,木を植えないといけない……とがんばっておられた。10年前はその先生,土方のような格好をして教壇に立って,離れ島に木を植えないと水が得られないんじゃ。と,力説しておられた。理論より実践。植えて植えて植えまくるんだそうだ。これも今思うと人の命と木の命に関係があるようだ。危ないから切ってしまえといって切ってしまうその感覚でいると取り返しのつかないことになる。そんな風なことを考えていたりした。


■みなさんはタイムというハ−ブをご存じだろうか?そのタイムの花がようやく咲き始めた。タイムにはシルバ−タイム,レモンタイム,オレンジタイム,コモンタイムなどがある。その香りもたまらないが,なにより小さな薄いピンクの花を無数につけるその姿は可憐だ。今年はタイムをもっと増やしてみたいと思う。また,エ−デルワイスも咲き始めた。近くで1本200円で買ってきた苗がうまく育ってくれた。バラもようやく咲き始めた。エゾカンゾウという黄色いユリも咲き始めたときいている。このエゾカンゾウを求めて,明日からオホ−ツクまで旅に出てきます。ワタスゲも咲いているかもしれません。この手紙はその途上で出すことになりそうです。