6月,7月,8月と北国に短い夏の時間が訪れる。
あまりに短く,あわただしく,また夢の中のようにうつろでありながらも,それはあまりに美しい。
ぼくたち二人は前半戦,6月25日〜7月4日の10日間,中半戦7月12日〜7月24日の13日間函館を離れ撮影の旅に出た。前半戦2850H,中半戦2735Hの行程であり,その間約6000カットの撮影ができた。
後半戦は8月4日〜8月14日の11日間の予定で,今度は道北へ行く予定であり,9月には15日から今度は単独での撮影に道東方面に行く予定でいる。
さて,今回は前半,中半戦の23日間の撮影期間のことについてお話ししたい。
作品は大雪山,赤岳に咲くチングルマの花で,チングルマは大雪山の全山を通して最もよく目につくかわいい花で,所々で大群落をつくっているチングルマは秋9月中旬頃の紅葉の頃も美しく,小さい頃,父が撮影してきたチングルマの紅葉のものだけは今も忘れられない。
大雪山というのはひとつの山ではなくて色々な山が集まって2000E位の高度のツンドラ的な高原を造っているところで,北海道800万ィ中,その2%にあたる23万ィの広さがあるといいます。
旭岳2290Mが主峰で,黒岳,赤岳,緑岳,白雲岳,北鎮岳……などの山々が連なっています。ぼくが今回行ったのはその中の黒岳(くろだけ1984M)で,この黒岳は層雲峡という観光地の中心からロ−プウエイが出ていて,更にその終点からリフトに15分くらい乗って7合目に行くことができます。
ロ−プウエイが1650円,リフトが600円で往復することができ,層雲峡から登るという地獄のような登山の苦しみから開放してくれます。以前父たちは下から黒岳を目指したらしく,朝3時スタ−トして10数時間歩き続けたそうです。
ぼくはそんなに強くないし,ゆったりとした山の雰囲気を楽しみたいから,ロ−プウエイやリフトのお世話になります。それでも7合目からでも結構つらかったなあ〜普段からの運動不足はこんな時にこたえます。そこで,ぼくはしんどいのでゆっくりと撮影を楽しみながら登ることにしました。たくさんの人が登ってくるのですが,その人たちから「これは何の花なの?」と何十回聞かれたことでしょうか。知らないとなると,「おまえは花を写しているのにどうして知らないのだ」と怒る人もいます。そんな中,登山道の上の方から「私こんなきれいなところみたことない〜,生きててよかった〜。」と叫んでいる女性の声が聞こえます。
そうなんです。まさに生きててよかったのです。ぼくも同感です。そうこうしているうちにも頂上につくと,岩石だけの世界に一面無数の花たちが咲き誇っています。どれを見てもかわいくてかわいくてしょうがありません。イワブクロです。エゾツツジです。コマクサです……。そしてシマリスがみんなからえさをもらって駆け回っています。
えさをくれないかとぼくのカメラにものっかてきました。シマリスもかわいいですね本当に。しかし,後で聞いたんですけど,このシマリスけっこう他のキツネやフクロウに食べられちゃって運が良くても2,3年くらいしか生きられないんだそうです。自然はかわいいけど厳しいですね。自然界がもっと厳しくなかったらもっといいんでしょうがね。
頂上に着いてしばらくすると,急に雨が降ってきました。ぼくはびしょぬれになりながらも夢中に写しつづけました。今回の旅に雨具は持ってきていなかったのです。最終のリフトまで,もう時間はほんの少ししかありません。帰りは下りの道をリフト乗り場まで20分で降りて無事,帰り着いたのでした。その途上,霧に包まれたエゾマツの原生林の中をリフトはゆっくりと降りてゆきました。ウグイスが鳴いています。ぼくの他はもう誰もいません。静かです。ぼくは大きく2,3度深呼吸をしました。これなんですよ。空気に味があるって。うまいんです。こういう時間がいいんですね。リフトは安全のためにゆっくりゆっくり進みます。少しづつ風景が変わって行くんですよ。これで飽きないんですね。ちょっと贅沢すぎる時間を過ごしてしまいました。みなさんごめんなさい。
さて,この黒岳で過ごしたのは7月23日のこと。23日間,6000枚のフイルムの中にはこのほかにもたくさんの素敵な時間が封じ込められました。撮影をすることではじめて感じる,普通の旅と少し違う時間の使い方。観光の方々が気にも止めないような何気ない空き地や,道端にぼくたちは豊かな時の流れを発見して興奮するのです。
この興奮してやまない時間の発見はぼくがその端緒になることもあれば,慶ちゃんが拾ってくることもよくあります。撮影に時間をとられて,それ以上の世界を見つけだすことができなくなったぼくに,とんでもない,予想もしないような時間を発見しては驚かせてくれるのです。
よくみんなが「奥さんはご主人のお手伝いですか?」と聞くことがある。これは大きな勘違いで,二人で力を合わせてやっているわけなのです。ぼくたちのように単調な時間の流れの中から美しい時間を拾っていくような撮影をしている人間は,一般的に言えば男だけの感じ方だけではだめだし女だけの感じ方でもダメだし,また二人が交錯しながら精神的にも技術的にも進歩していかないといけないと思えるのです。
最近やっと彼女も写真を始めました。写真を始めたと言っても,作品を創っていくことが目的ではなく,世界をより注意深く観察していくための記録にカメラを使うのです。
ですから,三脚にカメラをがっちりつけての撮影ではなく,手持ちの気軽なものなのです。しかし,手持ちで写すというのはすごく難しいことで,よく手ぶれを起こしたりピントが甘かったりするのですが,彼女自分を人間三脚と称し,持ち前の視力2.0を生かして,巧みにNikonのFE2(いいカメラですよ)を操って切れのいい写真を撮っています。ぼくみたいに興奮して,たくさん写すたちではなく,冷静に一枚で決めるタイプのようです。
さて,話を元に戻しまして,撮影の旅の話の続きをしてまいりましょう。
今回の撮影の第2の目玉であったのは,何と言っても西別川のバイカモです。ぼくたちはここを7月19日に訪れました。
バイカモという花をご存じでしょうか?バイカモは清流の流れの中の深い緑の藻で7月中旬頃,梅の花に似た花を水面に向かって咲かせ,川面のあちこちに白くて可憐な花を咲かせるのです。このバイカモ,北海道では何といっても西別川(摩周湖の裏側とでも言いましょうか,弟子屈町から東へ20Hくらいのところ)がとても見やすいところで,別にぼくのように川の中に入らなくても結構楽しめるところです。
そうは言ってもやはり川の中にはいってみるとその水の流れの透明感にびっくりしたり,静けさ,冷たさ,バイカモが水の流れに揺れるその清らかな揺らめきなどに心は躍ります。結局この日はバイカモざんまいで朝から夜までバイカモを写しつづけていたのですが,ぼくはこんな時,写らなくったていいやと思うことがよくあります。そのときの雰囲気の中にいることがあまりに幸せ過ぎる時です。バイカモは確かに他の川でも写すことはできるかもしれませんが,この天国のようなやさしい世界の雰囲気はここだけにしかありません。ぼくがほしいのは写真作品としての結果だけではなく,その写真作品が写されたその場のやさしい世界の表情なのです。その表情は写真作品に反映されることはまれなことなのかもしれないのですが,ぼくがいい写真と思うのは,その世界の一部を切りとりながらもそのやさしい世界全体の表情を感じさせてくれる作品であるのです。
バイカモに幸せな時間をもらった次の日,ぼくたちは屈斜路湖近くにある,湯沼(キンムト−)近くの林の中で眠りました。このキンムト−にむかう林道の入り口が夜のためにわからず,一時はあきらめかけ,斜里の原生花園まで夜のうちに行こうかと思いましたが,どうしても天気の状況が撮影現場と合わないはずだと判断したぼくと,慶ちゃんのいやな顔のために,やはり予定通りにキンムト−を探すことに決めたのでした。このちょっとした判断によって運命が大きく変わることがある。というより,人生ってやつは,このちょっとした運命の分岐点に気づけるかどうか,とか,おっくうがらずに判断に頭を使うかどうかなのではないかとよく思うのです。ちょっとしたことがつみかさなって人生になっていく。なにかそんな風に感じることがあるのです。このときのぼくたちの判断は後で思ってみても間違っていなかったと思う。ぼくたちの判断のその先にはこんな未来の扉が用意されていた。
キンムト−は予想以上に雰囲気をもった沼で,幹が真っ白な白樺が沼の水辺に浸り,水面はどこまでも静まり,森の緑を映していた。朝の柔らかな光が天上高く注ぎ,ときおり風がそよぐようになる。ちょうどそんな中で,慶ちゃんがある小さな生き物のかたまりが地面にうずくまっているのを見つけてきた。小鳥のヒナだ。そのヒナの隣には内蔵が落ちている。ぼくはてっきりそのヒナの内蔵だと思ってもう助かるはずがないとあきらめた。しかし一瞬もしかしたらという想いと,どうせこのままにしても死ぬというのなら,万に一つでも助けてやれはしないかという思いのままに手に取ってみた。すると不思議なことにヒナは無傷で,なめくじが一匹体から這い出してきただけであった。奇跡的に生きている。このままここに置いて行くべきか,連れて行くべきか,ぼくは迷った。結果的にぼくは連れていくことにした。もし連れていったとして彼が死んだとしても,このままここで死んだとしても,それはそんなに変わるはずがない。しかもつれていけばそれこそ万に一つ助けることが出きるかもしれないではないか。ぼくはそう考えた。慶ちゃんがティッシュの箱にちり紙をひいて彼の巣箱とした。この時からぼくたちの旅に小さな友人が加わった。
しかし,彼はかなり弱っている。えさをぼくたちから食べられるかどうかそれが問題だった。ぼくたちは夕べのうちに飯ごうで昼の弁当の分までご飯を炊いてしまうのが普段なのでその弁当のご飯粒を水に濡らしたものを,割り箸をナイフで細く削ったもので彼に与えようとした。すると,なんと大きな口を開けて食べたのである。ぼくはもうこれで大丈夫だとそのとき思った。そして一粒食べるごとに元気になっていった。ぼくたちはキンムト−で出会った彼の名をキンムト−にちなんで「キンちゃん」とした。キンちゃんはすくすく元気になり,箱の外に出てくるようにまでなった。しかし,その後すぐに予想もしない不運がぼくたちを待っていた。この話はいつかまたしたいと思います。今はこれ以上お話ししたくありませんので。ごめんなさいね。
時間を少し戻しまして,7月1日のこと。この7月1日はなかなかぼくたちにとってはいい1日だった。
すごい雨と風が吹き荒れていたのでぼくたちはすることもなくぶらぶら車を走らせていた。すると清里の丘,来運というところにあるわき水の公園と巡り会った。正式にはイズミの森来運公園といい,ぼくたちはここで貴重な水の補給をすることができ(ぼくたちは車に4Pの焼酎のボトルで10本,計40Pの水を貯えている。この水で二人が約10日間暮らせる計算なのです)しかも,ここではあれほど吹いていた風もまったくやんでいて,泉からすぐの小川の流れをぼくは8秒もの長時間露出によって撮影している。つまり8秒間以上風が全く吹いていないことを意味するのです。花などを撮影するときもっとも困るのが風で,風があると撮影は困難を極めるのです。しかし,時にこんなにも無風になってくれることがあってそんなときぼくは奇跡の到来に感謝しながら思う存分撮影に専心します。今回7月3日,4日の夕暮れ時もまさにそんな奇跡の時間でした。3日,ぼくは厚岸にあるアヤメが原の側を通りかかりました。一度は雨のために撮影を断念したものの,引き返して撮影を始めたところ雨もやみ,風もまったくなくなったのです。この夜が始まる前の時間露出時間がISO30で8〜16秒くらいの頃はなんとも言えないいい色がでて,ぼくは大好きなのですが,問題は風にあるのです。風が全く吹かないでいてくれるのが条件ですが,この日は霧がたちこめた原生林の中に点在するアヤメ(ヒオウギアヤメ)は微動たりともせず,全く8秒露出に耐えてくれました。しかもこの時間に8秒かけて撮影すると光が充分にまわっているためなのか,昼に普通に写せばくらく沈んでしまうアヤメの紫が浮き出して見えてくるのです。こんなときぼくはそれこそ全身全霊をそそぎ込んで写しまくります。それが終わったとき,明日から撮影していこうとする気力を失います。しかし,おいしい食事と睡眠はぼくの気力を回復させてくれるのです。4日,夕刻風がやみました。ぼくは虻田町〜長万部の国道5号線沿いに咲き乱れていた,レ−スライン(野ばら)を写しまくりました。やはりいい色が出るのです。「野ばら咲く小径」いつかお見せできるかと思います。
話を泉の森公園にうつしまして,この泉の森公園は実に静かなところで,たまに地元の人が訪れるくらいで,ぼくはこの一帯に何かしら幸せに守られているそんな気配を感じました。白樺の小径がありまして,その先には畑と右手に小学校があります。荒れた世界には荒れた空気があるものです。ここは誰かわからないのですがずいぶん昔から丁寧にこの地域を守ってきた人がいて,今もそれが守られている。そんな“聖域”とでも申しましょうか,そんなところでした。こういう聖域のように感じるところはこの旅の途上何度か出会うことができました。大きなハルニレの木がある小学校の校庭から若い男の先生の声が聞こえていました。ぼくたちはその側で護岸工事のされていない美しい川の撮影をしていました。この撮影に要した30分程度の間に感じた周りの空気感が何とはなしにこの辺の人は丁寧に生きてるな-ってなぜか感じさせてくれるのです。
さて,泉の森を出ると,また風は激しく吹きすさび,ぼくたちは力無く以久科原生花園(斜里町)に向かいます。この原生花園といいますのは北海道の海岸域に点在するお花畑なのですが,有名になってしまったところはことごとく無惨なもので,無名のところは地元の生活者によって汚されてしまっているのが現実です。サロマ湖の北にあるコムケ湖,コムケ原生花園にぼくが向かってコムケ湖岸を車で走っていると,狭い道のために道をゆずってあげた車がぼくにむかってなんていったと思いますか?信じられない。この先は「現場だ」というのである。つまりこの先には工事現場しかない。というのである。
ぼくは語調を強めて「この道は原生花園に行く道です」といってにらんでやった。彼らの目には咲き乱れる花が見えないのである。有名になるとネイチャ−センタ−なんかをつくって公然と自然破壊はするし無名だと,工事現場だと言われる。ああ,複雑〜。工事する暇があったらあのハマナスの周りに生えてる雑草の一本でもぬきたまえ,と言いたい。原生花園に入るなとロ−プ張ってるんですけどああしていると,いつのまにか花たちは雑草に負けてみんななくなってしまうんですよ。その昔原生花園は牧場で………。友人の佐々木 聡と誰も原生花園を守っていく正しい方法を知らないんですよ。と言っては嘆く。ぼくたちも嘆いてばかりいてはダメだからこれからはもっと強く主張していかないといけないと原生花園を見ていると思うのでした。それでも以久科原生花園はいいほうで,砂浜を永遠歩いていくとやっと花の咲き乱れるところが少しだけあって,ほぼ満足。これくらいの密度で咲いてなくっちゃと他の何組かの人たちとも同感し合う。原生花園に別れを告げて,今度は一路,摩周湖の裏側にある男鹿の滝に向かう。ここは林道を12Hも入り,林道終点から歩いて20分くらいの山の奥にある原生の滝で,夕刻の恐怖も手伝って,ぼくたち二人はおびえながら滝に向かった。アカエゾマツの原生林,深い渓谷沿いに続く細い小径いつ熊に襲われるともしれぬおののきのなか,鈴を鳴らし,笛を吹きながらの撮影だった。あたりが薄暗くなって光が完全に消えるほんの少し前,ぼくは45秒の露出時間のフイルムを最後に撮影を無事に終えて,山道を引き返した 完全に闇に飲まれる寸前,笛を吹き鳴らすことだけで恐怖を紛らわしながら無事に車までたどりついた。
滝のことを話さなかったが,いうまでもなく北海道らしい野性的な滝であった。この恐怖というか,畏怖というのかよくわからないが信じられないくらいの山奥深くにいて,それが本州の山奥で感じるそれとは全く違った,北海道の原生の世界の畏怖にぼくたちは触れたように思える。車に帰ると,それまで気づかなかったのだか激しい雨が降っている。この旅の途上滝には,ぼくはオンネト−近くの白藤の滝にも行った。この滝も北海道らしい野性的な滝で,ほとばしる滝の真下まで行くことができる。更に阿寒湖の近くに次郎湖,太郎湖という湖があるんですがこ湖の下流,阿寒川の原生の流れもすさまじいと思った。
足早に,23日間をたどってみましたが,ここでは書ききれない感慨がやはりありました。8月の後半戦の撮影は道北へ星空の撮影を中心に,やってきます。日本一暗いと思われる北国の星空に早く会いたい。そして8月12,13日は流星群。遠く離れていても,星空は同じです。同じ星空を楽しめればいいですよね。
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