8月9日から8月13日にかけてぼくたちはこの夏最後の撮影の旅,夏の夜空の撮影に出かけました。
その場所としてぼくは道北を選んでいたのですが,どうしても大雪山の北方にある白滝高原での撮影をあきらめることができず,道北への道程を内陸の道をとるという大変非効率なことをしてしまったのでした。
というのは札幌を過ぎ,北海道の日本海側を北上する道はかなりスム−ズに,安全に道北に到着できるものすごくいい道で,そこを通らずに道北へ北上すると行くだけでへとへとになってしまうのです。しかしぼくは内陸の道をとってしまい,その結果大雪山に近づいてみると,大雪近辺だけ曇っていてその他の全ての場所が晴れているのです。
ぼくは目に見えない地平線の先に目をやり予定を変えて白滝高原をあきらめるかどうか悩みつづけました。結局層雲峡間近まで車を走らせ,最後まで道北と大雪北部のどちらに行くかを悩んだあげく最終的に道北へ進路をとることに決めたのでした。
しかし道北となると美深町や名寄市を通過し,更に北上しどうしても天塩山地を南に背負う場所まで行かなくてはなりません。明るいうちにそこに着けるかどうかあやしくなっていたのです。天塩の山地を南に置かなければならないわけは,南の空から完全に人工の光を排除しなければならないわけで,もし少しでも人工の光があると南に低い射手座の銀河(我々の住む銀河系の中心を日本から見ると南の空低くにしか見えないのです)は見えなくなってしまうからなのです。
だから南に大雪の山々や天塩の山々を背負いたくてこんな北方まで来るわけなのです。結局,中川町という町の少し南に良さそうなところをやっとの事で見つけ,暗くなるすれすれのところで赤道儀などの設置を始めることができたのでした。
そして十分に暗くなったときにはすでに予想以上にさそり座が南東の空低くに傾き始めていたので大急ぎでぼくはさそり座方面にレンズをむけました。しかしもうしばらくしてから慶ちゃんが南東の空が明るいことを指摘してきました。地図を見てもどう考えてもここから南東方面にあのような光があるはずがないのです。そしてその答えは次の日の夜分かるのですが,結局その光の正体は漁り火であったのです。漁り火というのはイカを夜に釣るための集魚灯の明かりのことなのですが,その明かりの影響がこんなに山の中まで及んでいるのには驚きました。
しかも漁り火というのは日本海と行っても札幌の南あたりが北限であると聞いていましたから,もう本当にショックを隠せませんでした。ぼくたちはあの漁り火から逃れるためだけにこんな遠くまでやってきているのです。なぜかといいますと函館という街はご存じと思いますが,津軽海峡に面した街で津軽海峡はイカ釣りのメッカなのです。そのため一年の大半は全く星を見ることができないのです。函館は夜景でその名を知られる街であり,その街の光害によって星が見えなくなるのではないのかとお思いになるでしょう?ところがそうでもないのです。函館の街明かりなどものの数ではないのです。その証拠に漁り火のない夜に恵山といって,函館の東40Hのところまでいって夜空を見たならば,恐くなってしまうほどの星に夜空は埋め尽くされています。しかも南には津軽海峡があって全暗黒の海と空が広がっているから,ばっちり夏の銀河は見えるはずなのです。
ところがこの天塩山地の北方にまで漁り火の光は及んでいて海が二つの方向から光っていたのです。全く恐るべき漁り火であります。イカといいますに決してあんなに明るくしたからといってたくさん釣れるかといいますとそうではないのです。イカなど光に集まる生き物はだいたい1,0,1,0……というふうに反応していまして,ある一定の明るさで集まるとしたら,それ以上明るくしてもいっさい無駄にしかならないのです。それがあるときから恐ろしく明るい漁り火に変わるようになり,漁師さんたちはその明かりをつけるために大量の重油をたかなくてはならず,舟に二人乗ってはあわず,独りで乗らねばならず,しかも電気のせいで真っ黒に日焼けをしてしまっているのです。夜の釣りでどうして真っ黒に日焼けをしなくてはならないのか,それよりもあの明かりは漁師さんの生活を圧迫する明かりでもあり,ぼくたち星を愛している人たちを苦しめる恐るべき光でもあるのです。
さてこの作品について少し触れてみたいと思います。
この作品は8月12日の夜の流れ星,ペルセウス座流星群のうちのひとつでカシオペアと白鳥座の真ん中あたりに飛んでいます。今年は月明かりにじゃまされることなく流れ星がたくさん見えるはずであったのですが,9日〜13日の5日間毎夜見ていたのですが,結局あんまり飛びませんでした。慶ちゃんなんかはあんまりに退屈なんで空を見ながらこくりこくりやっています。そしてときどきすごいのが飛ぶと,ぱっと飛び起きるみたいですがまた飛ばなくなるとまた居眠りを始めます。それも無理ありません,昼にも撮影などで十分に寝られないわけですから。
それにしてもどうして今年はこんなに飛ばないんでしょうね。全国の情報をまだ耳にしていませんので良く分かりませんがぼくたちのうえの空ではあんまり飛ばなかったのです。それでもっぱらぼくは星座を写すことを楽しんでいました。夏の大三角形をたくさん撮りました。いるか座や,や座やこと座などと次々に画面にいれていきました。だいたいどのぐらい空が暗いのか見当がつきませんので,1600の感度のフイルムにF3.5で8〜10分を基準にして,F2.8なら6分〜8分,F4であるなら12分〜15分くらいの露出をかけてみました。少しこの露出のかけ方ではアンダ−でまだまだ露出できるすばらしく暗い空であったことが後で分かりました。こんなくらい空は初めてであったのです。2台目の赤道儀(地球の自転にあわせて動いてくれて,星を点像に写してくれる装置)には2倍増感するつもりのISO100の富士のフイルムとコダックのフイルムの両方を使って写しています。
その結果富士のフイルムは全く星が写らないことがわかりコダックのフイルムはものすごく星が写ることが分かりました。感度1600のフイルムでかりに10分かかるものを感度200程度で写そうとすると理論的には80分かかるわけなのですが,理論的にはなかなか写ってくれないわけなのです。
低照度相反則不軌という性質がフイルムにはあって,長いこと露出すると時間がたつにつれて実際の感度が200ではなくて徐々に下がっていってしまうのです。その下がり方が各フイルムによって違うからやっかいなわけです。印刷原稿のためのフイルムは今回のように富士のフイルムは全く星が写らないのですが,実は一般にコンパクトカメラ用に売られている富士のフイルムは極めて性能が良くて本当になんでも良く写ります。カメラ屋さんやコンビニなどどこにでもあるフイルムが一番良く写るのですが,あえてそれは使いたくないのがぼくたちの損な性質なのだと思います。それにしてもブヨという恐い小さな虫には悩まされました。5日間でもう数十箇所もかまれたでしょうか,蚊とり線香の円陣の中にいてもおかまいないようでめったやたら刺されて,もうかゆくってたいへんです。
それと夜露がすごいんですがこれについては今はもう手にはいらなくなった桐灰カイロを大阪から取り寄せたものを使ったので助かりました。石綿の中に葉巻のようなのに火をつけたものをいれておく極めて原始的なカイロなんですがこれがいいわけなんです。今の使い捨てカイロだと人間の肌の温もりがあって初めてぬくいわけなんですが,これをひとたびレンズなどに付けてみると冷たくなってしまうのです。ところが桐灰カイロは氷点下30℃であっても温もりは消えることなく使えるし,何より点火したときとってもいい匂いがするのですよ。これは慶ちゃんにも好評で「ああ,高級な気持ちね。」と彼女は言う。
そうなんですよ。昔のものは本当にいいものが多いし,なにしろ高級なつくりのものが多いんですね。それがことごとくなくなって今では手に入らないと言うものがたくさんあります。ぼくにはどうしてもそれが分からない。昔の人がうらやましくなってしまう。ぼくの使っているカメラなんかもそうで,今ではもう手に入りにくくなってしまっている。これほど完璧に近いカメラがなくなり不必要なオ−トフォ−カスのプラスチックカメラばかりになろうとしている。もしこの桐灰カイロがなくてぼくのカメラがなくなったら冬のアラスカでのオ−ロラの撮影まで完璧にこなすカメラがなくなってしまうことになる。ぼくのカメラは世界で一番寒さに強い。これは意図したものではなく,偶然寒さに強いカメラになって生まれたとこが面白い。
オ−ロラというと約11年に一度太陽の活動が活発化すると,それにあわせてオ−ロラの動きも活発化するといわれている。確かもう少しで太陽の活動がピ−クを迎えるはずだからそれに合わせてぼくたちも是非オ−ロラの撮影に向かいたい。しかし氷点下50℃の世界のこと,どんな備えをすればいいものだろうか。凍死にもそなえて,もっと桐灰カイロを手に入れておかなければなるまい。もし車が寒さでバッテリ−が上がってしまったとしたら,それで凍死するのに十分なことになるだろう。慶ちゃんは氷点下40℃までに耐えられる靴などを日頃から備えている。冷え性だからと言うのが主な理由なのだがぼくが困った。ぼくの防寒着ではとうてい耐えられないだろう。きっと高いんだろうなと今から覚悟しとかないといけませんね。
かの星野道夫さんはオ−ロラを撮影するのに,ついにはマッキンリ−山の上空に出るオ−ロラを撮影したいと思うようになったらしく,彼はそれを撮影するのに厳冬のマッキンリ−山脈に約一ヶ月テントの中にこもり,撮影したと書いておられます。しかし,その途中で月の光がなくてはマッキンリ−と共にオ−ロラは写すことができないということに気づかれていて,星野さんほどの人でももうっかりしてるんだなあと思うと写真家の生活のほうの厳しさが良く分かったのでありました。
それは,星野さんも書いていらっしゃるのですが,「なぜ自分はこんなことをするんだろう,なぜこんなことをしなくてはならないんだろう」とマッキンリ−の上空のオ−ロラを撮影にむかうその直前まで思っていたというのです。それはいくら心が命じても,それを撮影したからといっても1円にもならないからであり,そのあたりの矛盾に突き当たっていたのだろう。
現在日本人で純粋に風景で生活していける写真家はいないといっていいと思う。その例にもれず自分もそうだ。自分の心とずれた仕事であればたくさんあるのだけれども,それに“No”と言ったらなかなかたいへんなことになる。
慶ちゃんはそういうかたくなな女性で,ぼくにそういう心に反する仕事をさせない。
時間の無駄だと言う。ぼくたちがこうして仕事する大きな目標は共感できる人たちと出会うこと,お話しすることでありそんな世界を創るためにたてた自分たちの目標に向かってまっしぐらに向かうべきだと彼女は言う。それはぼくもよくわかる。たとえ大きな仕事がはいって一度に数百万もうかるとしても,そのことより1枚,100円のポストカ−ドが売れたときの方が嬉しいのである。自分たちのポストカ−ド売場にいて,お客さんがぼくたちのポストカ−ドを選んでくれるのを見るのは何よりも嬉しい。今,2000年度のカレンダ−の制作に夢中になっているが,一般的にこんなに時間をかけて創って,あんまりもうからないとしたら誰もやらないだろう。しかし,ぼくたちはやりたい。小さなほんの小さなものなのだけれどそこにかけるぼくたちの想いだけは誰にも負けることはない。大きさではない。大きくするのはお金だけあればいくらでも大きなものをつくれるのだから。今のぼくたちはこのカレンダ−に全身全霊を注ごうと思う。もうほぼ完成に近づいた。あと慶ちゃんが描く絵を待つばかりだ。彼女の絵ができたら印刷にかける。彼女の絵があることは賛否両論がある。あったほうがいいという人がいれば,ないほうがいいという人もいる。ぼくはあった方がいいと思っている。
というより,あるべきだとさえ思っている。彼女の絵はぼくなんかよりずっと自然を注意深く観察している。
ゲ−テやデカルトやカントや他の多くの人たちはあまり知られていないが自然を本当によく観察した記録が残っている。自然を注意深く観察するということは心の中にあせりがなくどっしりとしていて,人間社会の中で自己を売り出そうとする気持ちのない,そんなマイペ−スな人の持つ才能だとぼくは考えます。
もしぼくからあせりが消え,本当に自然界をもっと注意深く観察することができるようになったなならそれはやっとぼくが一人前になったことを意味するのだと思います。
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