この作品は函館の北,10数Hのところに位置する大沼という沼の冬の情景です。
この沼はすぐ近くにある駒ヶ岳という山の噴火によってできた沼で,風光明媚なところとして多くの人に知られていますし,この北国通信でも何度となく紹介してきました。繰り返しになるかもしれませんが,この大沼という沼の特徴は北海道の他の湖とは一線を画しているということです。
北海道の他の湖が,どこか原始自然に抱かれた人の気配を欠いたイメ−ジがあり,畏怖すら感じることが多いことに対し,大沼はどこか身近で,親しみやすい気軽さをかもし出していますし,それと同時に北辺の湖が見せる果てしない無限性をも感じさせてくれるところもあります。
また,今回選んでみた作品は大沼の感じさせてくれるもう一つの側面である,童話的な,あるいは物語的な側面をお伝えしたくて選んでみました。
この童話的な,物語的な性格は大沼という沼が複雑に入り込んだ入り江を持っていたり,たくさんの川が流れこんで厳冬の時期にも流れ込みの部分は凍りつかないために,たくさんの生き者たちがこの水辺の周りに集まってくるなどといった特徴をもっているからではないかと思います。
つまりは北海道の湖の中では珍しく,湖岸が複雑に入り込んでいたり,その湖畔に広葉樹が多いために隠れ家がたくさんあって,餌が豊富にあったりするわけで,そこに動物たちの世界を色濃く感じることができ,その雰囲気がぼくの心に童話的な世界を感じさせてくれるのだと思います。
また,冬になると凍った沼面のあちらこちらに氷紋が浮き出し,よく見てみるとそれは湧き出る泉が創り出す模様でありまして,たいへん童話的だな〜と思うのであります。これを発見したのは何年か前,氷上に残された北キツネの足跡をたどっていったときで,こんこんと湧き出る泉の周りには美しい氷紋が描かれ,その中心のほんの数Bに小さな穴があいていて,沼の水が飲めるようになっていたのです。
また,この泉と関係があるかどうか調べたことはないのですが,
凍った沼の上を歩いて撮影をしていると,氷の下から不気味な音が聴こえてくることがよくあります。
特に薄暗い中でこの音を聴くと,沼の中に引っぱり込まれそうな恐怖を体全身で感じることになります。みしみし〜みしみし〜という感じの音や,ひゅんひゅんといううなり声や,ぶおおおという不気味な音が足元の氷の中から響くように伝わってくるのです。
ぼくはかつて沼の中に氷を踏み割って3度ほど沼の中に落ちているので,なおさらおびえているのかもしれませんが,この凍った沼の底から聴こえてくるうめき声は恐ろしいものです。2000年のカレンダ−の3月の作品などでなんといっても恐いのは,氷を踏み割って沼に落ちてしまうことです。
あそこまでいくといい感じで撮れるのにって恐る恐る岸から沼の中心に向かって歩いて行くんですけれど、行きはいいんですけどいつのまにか岸からかなり離れたところまで来てたりして,そんなとき、みしみしっと氷がきしむ音があたりに伝わると,身の毛も逆立つ想いがして心臓が凍りそうになります。
この大沼には深く入り込んだ入り江があちこちにあるわけですが,中でも特に大きな入り江になっているところに川が流れ込んでいるところがあって,そこが格好の水鳥たちのすみかになっていて,夕暮れになるとどこからともなく水鳥たちが帰ってきて,騒がしくなります。普段なら,その周辺は湿地になっているのでなかなか近づくことができないのですが,冬沼面が凍ると,氷を踏み割って沼の底に沈まないように気をつけながら,この鳥たちの聖域を垣間みることができるのです。また,冬でなければボ−トに乗って静かにこのような鳥たちの聖域に近づいて,こぐのをやめてしまうと鳥たちはボ−トのことなど気にも止めなくなって,とても神聖な世界を感じることができます。
海のように波や潮流がありませんから、とっても静かな気持ちになって水の上に浮かんでいることができます。
こうして静かに北海道の自然を感じていると,その神聖さや豊かさに気付くことになります。何もここから自然の世界ですよというようなわけではなく、ありふれたかたちで身の回りに自然があるのが北海道の魅力なのでしょうね。
ところが,なぜか自然を見るのに施設を造りたがる人が多いんです。それもとっても立派なやつをです。どうしてなんでしょうね?大沼の静かなキャンプ場なんかもいつのまにかフル装備のキャンプ場になりました。そのうちエアコンでもつけるんじゃないかという勢いですね。それにしてもどうしてなんでしょうね。
さて,このように沼の世界,そして鳥の世界のことを想い描いていると,やはりぼくは『ニルスの不思議な旅』というお話のことを思い出さずにはおれません。
『ニルスの不思議な旅』というお話のことは聞いたことくらいおありだと思いますが,今一度この場を借りて簡単に説明をさせていただきます。
この物語の作者はラ−ゲルレ−ブというスウエ−デンの女性作家で,この『ニルスの不思議な旅』で,ノ−ベル文学賞をもらっています。ニルスという少年がこびとにさせられて鳥たちといっしょに北欧の自然の中を旅していくというお話で,この鳥たちと旅していくときに描かれる湖の情景がぼくにはこの大沼の情景と重なり合うのです。
北欧,スウエ−デンあたりはかなり緯度が高いのですが,メキシコ湾流という暖流の影響でかなり温暖であるらしく,おそらくストックホルム近郊の湖なら冬でもちょうど川が流れ込むあたりは凍っていないんだろうなあと想像されるのです。
世界的に湖のことについて調べたことはないのでなんとも言えないのですが,北海道の湖のことを少しお話ししますと,まず,この大沼という沼(湖と呼んでもいい)は水深が浅いので,冬になるとほとんどの湖面は凍りますが,ここより北に位置する札幌近郊の支笏湖という湖や洞爺湖という湖は冬でも凍ることはありません。
日本最北の不凍湖と呼ばれるゆえんです。とにかく支笏湖は深いのですね。そこに貯えられているエネルギ−の量は莫大で,これを凍らせるだけの負のエネルギ−を与えられないのでしょうね。
かつて,洞爺湖で実習船に乗って,湖のプランクトンの調査に参加したことがあったのですが,プランクトンネットを湖の中に沈めそれを引き上げるのがなかなかたいへんで,誰が引き上げるかでなすり合いをしたものでした。要するに深かったんですよ。
個人的にはこんなに深い湖よりは浅い湿原に近い湖の方が好みなんですが,これが北欧あたりにある湖と重なり合っていて,北欧の湖に憧れるわけなんですね。
実際,フィンランドの湖などでは本当に自然のままの状態で湿原のような湖が多いらしく,湖の周りに道などはなく,また,目の前が真っ暗になるほど蚊が飛んでいたりすると聞いています。去年でしたか,この大沼でも真っ暗になるほどという大げさなものではないのですが,夕暮れの空をかすませて見えなくさせるくらいの蚊が飛んでいたことがあったのですが,いやはや自然っていうのはときとして想像をはるかに越えてしまうことがありますね。それにしてもすごい数の蚊だったのです。
この数を超えるほどの蚊が飛んでいる湖というのを見てみたいもんだとさらに北欧の湖への憧れは強まります。
また,これとは違った状態なのですが,ぼくは小さい頃からカナダのロッキ−の湖群にもひかれます。あの澄み切った透明な水の色を見ているとそれだけで安らかになれるのですね。
カナダのロッキ−の湖を撮影するとして,さて,ぼくにどれだけのことができるのでしょうか。ある人はここを半日で見て通り過ぎて行くし,またある人はここに一生をかけている。どこにどれだけかかわるのか,それはやはり人ひとりの持つ人生の意味に等しいのではないかとつくづく思うのであります。
今日は湖について少しお話ししてみました。これをしめくくる意味で,最近お気に入りにゲ−テの詩を紹介して,一端,湖のお話を終えたいと思います。この詩はゲ−テが湖の上に小舟を浮かべその上で書いたといわれています。
『おなじく』
峰々に
憩いあり
梢に
かよう
風もなく
森に小鳥の声もやみぬ
待てしばし,やがて
われも憩わん
★最近のできごとから
■最近寒波がやって来て,すごく冷え込んだ。
家の前で氷点下14℃くらいにもなった。日高では氷点下32℃になったところがあったと聞いている。あんまり寒くならず,北国の自覚に欠ける函館でも氷点下14℃だから久しぶりの冷え込みだ。
まず,丘のうえの小さな写真館の台所の水道が凍った。凍らないように水落としという機構ががついているのだが,それでも古い家となるとおかまいなしに凍ってしまうようだ。
こうなると水が全く使えなくなるから不便きわまりない。友人宅も凍ったらしく彼はドライヤ−全開で溶かしたそうで電気代がかかるとぼやいていた。
次に,近くの露天風呂付きの温泉に行ったのだが,露天風呂にはいっていたら髪の毛がばりばりに凍り付いた。体は40℃,頭は−14℃という極めて異常な世界を体験。露天を出て,頭を洗おうとしたら,今度はシャンプ−が凍り付いていて洗えない。もう!何でもかんでも凍らないでよとぷんぷんしてしまいます。
低温というとダイヤモンドダスト。これを写せと言われることがよくあるのですが,こればかりは写せない。あの,キラキラした美しさは写真で表現できるものではない。無理して写している人もいるようだけど,こればかりは伝えきれない美しさ。
氷点下30℃に耐えて,川の近くにいると必ず見ることができるので,一度挑戦してみてはいかがでしょうか。
慶ちゃんなども寒がりですが,彼女足もとを中心に固めている。カナダのマニトウ−という世界最高の防寒靴。(とはいえとっても安い) 氷点下30℃でも汗かくそうです。
札幌の山用品の店に行くとたくさんの種類の防寒靴が並んでる。見ているだけで嬉しくなる。インソ−ルのフェルトの厚みでマイナス何度まで耐えられるかが決まるのだそうで,ごつくて分厚いブ−ツは迫力がある。
■先日近くの街の町長さんに呼ばれて,植林の話をしてきた。
実際に話をしたのはその部下のひとりだったのですが,これがどうも話が通じない。おかしいな,と思っていると, どうも彼らは牧場を自然だと思いこんでいる。牧場は自然生態系として調和がとれている、と本気で思っている。
森の木をみんな切ってしまって牧場にしてしまい,これぞ自然と言うのだから困ってしまった。
この牧場に木を植えてみたらどうですか?とお奨めしたら,うさぎが木を食べてしまうから,いくら植えてもダメだという。
それに,気候が厳しくて,表土がないから木は育たないんだとまで言う。どうして,誰にそんなことを教えてもらったのだろうかとぼくと慶ちゃんは開いた口がふさがらなかった。函館はシベリヤではないんですけどね。それにもし,うさぎさんに食べられて,苗木代がもったいないんだったら,そこらで種を拾ってきて種を植えればいいじゃないですか,とアドバイス。
苗木よりも白樺のような木は種の方が成長は速い。しかも火山灰で覆われた荒れ地に好んで生えるのが白樺なのですよ。白樺の種はひと冬地面の中で冬を越すと,次の一年で,人の胸の高さくらいにも成長します。そしてもう一年経つと今度は,頭の高さと同じくらいになり,木によっては幹の皮が向けて,白くなるってわけです。
だけど,この白樺の白い肌,決して傷つけてはいけません。一度失われた白さは二度と戻らないのですよ。 大切に女の子を扱うようにしなくてはいけません。そして何年も大切に白樺を育ててやることが,森造りのスタ−トになりますよと。言いました。さて,どれだけ通じたことでしょう。
■カレンダ−『北国の小さな物語』について
また,カレンダ−の話しかと思わないでくださいね。先日の郵便局の振込用紙に次のようなメッセ−ジがありました。是非みなさんに聴いていただきたくて,記してみます。
病床の父がカレンダ−が欲しいというので,富良野のコンビニで買った丘のうえの小さな写真館のカレンダ−を贈りました……………父の遺品からでてきたカレンダ−には日付もおぼつかなくなった父が毎日印を付けていて,意識のなくなった日がわかります………それで,今年はわたしがこのカレンダ−を側に置きます……。
こういうメッセ−ジをいただきますと,胸が痛くなりましてやるせなくなります。人生の究極的なところにあってこの小さなカレンダ−が役に立っているのだと思うと嬉しいという表現ではまるで役に立ちません。あまりに複雑な想いがぐるぐると巡りゆきます。そして勇気も湧いてきます。がんばろうという勇気であります。カレンダ−を通して出会えたこの方の,もうこの世にはいらっしゃらないお父さまのご冥福をお祈りしたいと思います。
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