の世界
56 秋の大雪の旅 200012
秋の大雪の旅

-北海道 美瑛町 白金牧場-

 この作品は大雪山愛山渓の森の中で写したものです。

 愛山渓は旭川から国道39号線で石狩川沿いに北上して、石狩川と何度かクロスしながらしばらく行くと、キノコの産地でその名を知られる愛別という複雑な思いのする名前の街に出会います。
 愛別を過ぎると上川町という街に向かいますが、この上川は国道の分岐点で、そのまま39号線で進むと有名な層雲峡方面にむかい、左に折れると237号線で北大雪地域に向かうことになります。
 この愛山渓はこの愛別町と上川町の中間にあって、国道からだと右折、南下して旭岳を中心とした中央大雪に北西側から近づいていきます。
 愛山渓への道は石狩川の支流
ポンアンタロマ川沿いに続き、2112mの愛別岳や2197mの比布岳が間近に見えます。
 この愛山渓の話しの前に、北大雪の話しを是非聞いてください。北大雪はさっきの上川町から273号で東に進んでいきますが、しばらくゆったりとした道を15km程行くと、二股に分かれ、左折北上する273号と直進東進の333号に分かれます。273号で北上すると、その道は天塩岳と北見富士のピ−クの間を進む道で、途中に
浮島湿原があり、その先にはチュ−リップで有名な滝上町、その先は紋別となり、ここでオホ−ツク海にぶつかります。

 一方、直進の333号はいきなり北見峠というロ−カルな峠にさしかかり、通行車両の少ない峠を快適に登っていきます。そして急速に峠を下ると白滝村ですが、その途中の道を右折南下すると北大雪の山域に行くことになります。かなりの山深さで、かなりの標高の所まで林道を使って車で行くことができますが、かなり山深いので結構スリルがあります。
 スリルって簡単に言っていいのかなあ?すごく野性的なので、ちょっと恐かったというべきか。
その山深い深い谷合いの林道を抜けてやっと登山口。そこからさらに車を置いて歩いて上がる。車でかなりの標高の所まで来るから、歩く距離は少ないけど、頂上付近の稜線沿いに出て、やっと高山植物群落に出会える。本当に山深いところに小さな花たちが小さな群落をつくって、一年のほんの夏の一瞬にだけ花を咲かせるわけです。
里から行くと遠い遠い世界の出来事です。そしてもう夏だというのに雪が残っていて雪が溶けた後から後から次々に別の花が咲いていきます。山の上は夏だというのに、まるで春のようです。森の奥深くに小さくて可憐な花の咲く世界がある。そこは天国なのかどうなのかよくわからない。


突然、雷が鳴って雨が降ってくる。逃げ場がない。そして、雲に覆われたらあたり一面真っ白。幻想的だけど冷やりする。高山独特の雰囲気。ぼくは小さい頃(小学生のころ)長野県の北アルプスによく連れていってもらった。その頃何もよくわからなかったけど、この霧か雲に覆われたときの独特の冷やりとした雰囲気をよく覚えている。そして、リ−ダ−が「雪渓は山の高速道路」だと言ったことをよく覚えている。

アイゼンという登山靴の裏につけるスパイク(雪渓を登るときに使う)を仕事中に全員分自作してきている。父は国鉄の山岳部に属していて、国鉄の工場全体に部員が分散されているので、部員が力を合わせたらつくれないものなど無いわけです。そして、その当時のリ−ダ−を務めた野崎さんという方もすでに70を過ぎ、歩きすぎで、もう山には登れなくなりました。膝の軟骨がすれてなくなってしまったわけです。彼の統率力は小学生のぼくをもものすごく魅了しました。山を歩くとき、進むか後退するか、判断するのはリ−ダ−の一存です。リ−ダ−の人柄、経験がものをいいます。彼に任せておけばまず大丈夫という完ぺきなまでの信頼が山岳部全体に流れていました。小学生にもわかったわけです。そして、長丁場の登山に小学生のぼくまで連れて歩くペ−スのとりかたの見事さ……。この経験がぼくの人生にどれだけ役に立っているか、はかり知れません。
 

そして、今ぼくはこの野崎さんを尊敬する思いを胸に自分の憧れの領域に近づこうとしています。
手っ取り早く高山植物をただ写すだけじゃなくて、自分の想いを満たしてくれる理想の世界に行きたい。そんな想いが心を満たします。この想いは地球上のどこにあるのでしょうか。この想いの他に冬の森の奥に憧れがあります。森の奥にある広場に行きたいという憧れです。

ヨ−ロッパの童話の好きなぼくは、たくさんの童話を夜になると読むのですが、その中に冬の森の奥の情景を描いたお話がたくさんあります。童話には森が無くてはならない存在です。ヨ−ロッパはその昔、全体が森で覆われていたそうです。ゲルマン民族というのは「森の民」という意味です。

その森を切り開き、徐々に村や町ができていく。そして、中世と呼ばれている時代をむかえる。
今からすると、遠い時代の暗闇の中に感じるイメ−ジなのかも知れませんが、
ぼくはこの森の中に点在する村や町そして、その背景に必ずある森の印象が心の中に焼きついて離れません。
高校で世界史をやってきて今頃になってやっとヨ−ロッパ中世の雰囲気をおぼろげにわかるようになったのですが、多分ぼくはこのことを何となく感覚することに一生をかけようとしてるんでしょうね。産業革命が起こる前のヨ−ロッパ。なんて素敵な世界があったのだろう。そして、その気持ちと裏腹にカメラ、フィルムというのは産業革命のおかげで生まれてきたもので、ぼくが求める世界を壊してできてきたもので、その壊してきた世界を求めている。このどうしようもない矛盾!
しかし、カメラだって、車だって、確かに産業から生まれてくるかも知れないんだけど、職人が丹精を込めて造ったものがないわけではない。

ライカという名前のカメラを聞いたことがありますか?今のカメラの原型を造ったドイツの会社なのですが、あまりにその規模は小さく「世界のライカ」と言われながらも、一度は倒産し、その後独立しても有限会社であり最近になってやっと株式会社になったそうです。ライカのカメラは精密で、入念な仕上げが施してありそして重厚感がある。レンズも今のレンズのような完ぺきなレンズではなく、柔らかな描写をする人間が設計した甘さが味になっているようなカメラです。

ライカは高価すぎてぼくには買えませんが、高橋製作所の赤道儀を買うことができました。
高橋製作所の「P2」という赤道儀です。赤道儀の横側に「970015」と刻印されています。つまり、97年に製造された15台目の赤道儀だということです。もしかしたらこの年、高橋製作所は15台しかこの赤道儀を造ってないかもしれない。
 この赤道儀ひとつひとつの部品を職人の人が手で組み上げているもので、実に見事な仕上がり具合です。しかも三脚は木製でさくら材です。一般的にはラワン材という輸入材なのですがこの三脚はさくら材を使用しています。そのため、見た目には高級家具の雰囲気があって、とてもおそれ多くて、外では使えません。慶ちゃんなどは「もったいないから春になるまで使っちゃだめ」と言います。本当にそうかもしれません。見た目はとても小さく、かわいらしいものです。高さ的にはぼくの腰くらいの高さしかありません。それで、ぼくでも買える値段です。

 このP2型赤道儀はかの藤井旭さんもその初期型を使っていました。その初期型からすでに20数年造りつづけているわけです。藤井旭さんの頃は、今のようにモ−タ−ドライブはなかったので、手動ガイドで星を撮影していました。つまり今はモ−タ−が恒星の動きにあわせてとてもゆっくり赤道儀を動かしてくれるのですが、それを手で恒星の動きにあわせて、微動ハンドルをごくゆっくりと連続して何十分も回していきます。そうして初めて星が点に写せるわけです。モ−タ−でそれを回しても、恒星の動きに対して、誤差が生まれてきてたいへんなのに、それを手でやるなんて、信じられないくらいの執念なわけです。たかが星を点像に写すことなんですが、このことが信じられないくらいたいへんなわけです。地球が自転しているのか、宇宙が回っているのか、星は動いていきます。 こんな感じで現在でも中世ようなの職人の技が生きている世界が今の産業界の片隅にもにあるわけですが、人間の大きさ、温もりが心地良いです。
 

 冬の森の話しに、戻ります。ぼくの心の奥深くに、冬の森の奥の広場に憧れる気持ちがあることには触れました。そして、そこには一本のもみの木があったり、大きなカシワの木があります。カシワの木はドイツではとても人気のある木で、森の王様です。もみの木は森のお姫様の白樺に恋する少年です。そんなもみの木が主人公の童話をアンデルセンが書いています。 森の奥深くのもみの木が大きくなることに憧れ、大きくなったらクリスマスツリ−になることに夢をはせるのですが、夢を見るばかりに今を大切に生きることができないことを主題にした童話です。クリスマスツリ−になれたもみの木はイブの夜だけ飾られた後、忘れさられ、最後は薪になって暖炉で燃やされてしまいます。

そして、燃やされる暖炉の中で、もみの木は森の中で過ごした春、夏、秋、冬のことを鮮明に回顧しながら灰になっていく。そんなお話です。  

 さて、今函館でクリスマスファンタジ−という企画が行われています。姉妹都市のハリファックス市からもみの木を船で運んできて、海上にもみの木を浮かべて楽しもうという企画です。もみの木は毎年毎年新しいもみの木が船で運ばれてきます。そして、その前の年のもみの木は薪にされるそうです(冗談)薪にはなりませんが、公園のベンチになったりすると聞きました。この話しを聞きますと、ぼくは複雑な想いがしました。アンデルセンが現代にも生きていたら「もみの木かわいそう!」という童話を書くんでしょう。もみの木が主人公。人間以外が主人公になって、人間以外の視点でものを見たり考えたりしていく姿勢にはぼくはかなり強く共感します。みなさんは人間中心の考えってどう思われますか?
 

 この作品は愛山渓で出会ったもみの木ですが、この光景に出会ったとき、ぼくは瞬時にもみの木のお話を思い出しました。それまで降り続いていた雪がやみ、さあっと雲が去っていくとお日様の光が差し込んできました。世界は夢のように美しく輝き始めます。しかし、後ろからは無情にも営林署の車が近づいてきます。もっとここにいたいと思い思いしながら、来年の春まで開かない森を後にしました。
 

★プロの厳しさ
 ぼくの親友にある教科書会社から委託された写真家のいわば助手を務める人がいます。
二人は現在、デジタルビデオの撮影が仕事の中心で、デジタルビデオで、日本の生き物を全て撮影する仕事に取り組んでいます。その中で、彼は星空のビデオ撮りをしたいと考えているのですが、今までの赤道儀ではビデオ撮りは難しいので、新たに赤道儀を必要としています。しかし、ここで、好きな赤道儀を買うことはできません。
 どんな状況にも対応し、失敗のない赤道儀を選択しなくてはなりません。例えば南の島へ撮影しに行ったとして、何らかの故障があって撮影できなかったとしたら、もうそこで終わりです。終わりというのはそれで信用を失いそれ以降の仕事が無くなることになるそうです。
 また来年ということは許されないのですね。だから、ぼくのように大好きな赤道儀を買って使えないわけです。彼のいう過酷な状況にも失敗しないものというのはいきすぎると、どことなく冷徹なまでに合理的なものに見えてきます。  
 欠点をとことんまで排除して出来上がったものという機械的な雰囲気があるわけです。だからぼくが買った赤道儀のように星空をバッハの曲を聴きながら写すのにもってこいのような温かい雰囲気はありません。ぼくは寂しがり屋、甘えなので、どうしても自分の好きな道具でやろうとします。
 それが確かに許される環境にあります。それはぼくが誰かと競い合うことなく写真が撮れる環境にあるし、撮りたくないものは撮らないし、レンズも風景用のものではなく、女性の肌を美しく写すのに適したような柔らかいレンズで風景を撮ったりとか、外部からの見えない影響を受けない世界で黙々とやってられるのですね。

 もし、この世のプロと呼ばれる人たちが彼のようだとしたら、プロというのは悲しいですね。生きるために生活のために、感情を殺しつづけなければならない。星空を眺めるのはロマンチックですね。冬の森の中は、メルヘンチックですね。ぼくはそこへ大好きな人と、大好きなものたちと入っていきたいです。

・今年一年どうもありがとうございました。これからも手に手をとって素敵な21世紀にして  いきましょう。がんばりましょうポン!!