の世界
46 春待ちわびて 20002
春待ちわびて

-北海道 大沼-

 「春」はまだ遠くにいる。

そして季節もぼくの心も冬眠したままである。
固い木の芽が冬の寒さから身を守るために必死に耐えるように,季節もぼくもじっと耐えている。
来たるべき春の訪れだけを楽しみに待ちこがれながら,
この冬にしておかなくてはならないことを黙々とこなしている。
この理想とはかけはなれた冬の日々に耐えながら,そして,春までには自由になるためにと……。
 
 さて,みなさんはこのぼくの言う「春」を待ちこがれてやまない心をわかってくださいますでしょうか。
20才までぼくは神戸で過ごしたのですが,その間ぼくは春だけでなく季節の訪れを知らずに過ごしました。そんなぼくが北海道に来て,それも何度も春を過ごしてからやっとこれが春というものか!と,春のことがわかるようになってきました。
 ぼくが最初に春に出会ったのは,入学式の頃の北大の構内でした。
春の陽光がまぶしい北大の構内には深々と残った雪のはざまから無数のフキノトウが出ていました。
父と二人構内を夢中になって散策して,そのとき父は夢中になってフキノトウを写しまくっていました。そのときぼくは21才。
 目にしている光景が何なのか全くわからないで父が写しているのを側で眺めていました。無数にあるフキノトウの中から美しく光っているフキノトウを「これ,面白い」なんて言いながら父は写していました。
 出来上がった父の作品についてその当時よくわかりませんでしたが,フキノトウが首のまわりに雪のマフラ−をしているように見えるものとかあって,今でも目を閉じればよく思い出されるのです。
 そして,そのとき父が撮影した作品以上のフキノトウとはあれから10数年来ぼくは出会っていません。今になってどれくらいの最高の春があのときの北大の構内にあったかと思うと,もったいなくてしょうがありません。
 今のぼくだったらもう何日も何日も写しつづけただろうなあと思います。雪が溶け,春のお日様に照らされてゆっくりと乾燥した落ち葉がしきつめられた地面に横たわりながらフキノトウや福寿草たちと出会う快感やぬくもりは、この世のものとは思えません。
 
 でも,最初の頃ぼくにはこの春が到来しているという価値がわからなかったんですね。世界は広いからもっといいところが他にいっぱいあるはずだって思ってたんです。ところが,いろんな本を読んだり,調べたりしているうちに今ぼくが経験したり,感じたりしていることと同じような感覚こそが古くから賞賛されてきたんだということがよくわかって来るんです。
 
いつのまにか,ぼくは小さい頃から憧れていたメルヘンの世界にいたのです。メルヘンというのは空想やファンタジ−と同じように使われそうですがぼくは最近,「メルヘン=現実」というように思うようになりました。メルヘンは本当は気が付かないだけで、自分の側に寄り添っている現実なのである、と思うようになりました。
 しかし、多くの人は理想と現実との大きな違いに、希望を失っている人もいます。
それほど、厳しい現実がこの世を覆っていることも忘れられません。

 さて,今は長い冬の真ん中にあたる2月です。この冬,ぼくは冬とあんまりかかわることができずに過ごしています。人間社会と関わりすぎたためなのですが,このことでぼくの心は疲れ果ててしまいました。しかし,逆に自分に何が必要で,自分が何を求めているのかがよくわかった冬でした。
 一般的な暮らしをしていると,寒くて,雪が降ってくるくらいでしか冬を感じることができません。しかし,ぼくが
今まで経験してきた冬はもっと豊かな冬でしたし,これからぼくの人生で計画している冬の過ごし方,感じ方というのはもっともっと豊かな冬の時間を過ごすことにあります。
 それを自分がどれほど望んで,どれほど実行していきたいか,できないでいると本当によくわかってくるのです。
豊かな冬を過ごし,そしてまた豊かな春を迎える。なんとぜいたくな望みなのでしょう。しかし,人生はそうありたいと思います。
 人生の豊かさはどれほど豊かな季節を過ごせるのかにかかっていると思うのです。自分がよく知っているところでは,さらに新しいことと出会い,また,見知らない世界を旅ゆくときには無限に心と季節が交錯し続けていきます。人生は無限の季節のうつろいの中に描かれた旅そのものであります。
 
できる限り,人生の旅は美しいものでありたいと思います。そのためには未来をうまく慎重に選び,いやなことにははできる限りつきあいたくないと思います。なぜなら人生はとても短いからでありまして,この長さの人生ではとても味わい尽くせない幸せや,季節で満ちあふれているからなのです。
 
 さて,この作品についてですが,これは先日行われたさっぽろ雪まつりの雪像のひとつです。
大小無数にある雪像の中にあって,この雪だるまの雪像はひときわ目をひいたかわいらしさでした。この広い雪祭り会場にあっていったいどんな人たちがこんなにかわいい雪だるまの雪像を創るものなのか,ぼくは彼らに会ってみたくてしょうがありませんでした。
 するとラッキ−なことに創り主のグル−プが向こうからやってきました。結局,ぼくはこの雪だるまの雪像の前で,彼らの記念写真を何10枚も撮ってあげることになりました。そして思うことに,彼らを見ていても別になんら特徴のあるグル−プというわけではなく,普通の若者のグル−プだったというのがかえって印象的でした。
 しかし,この人たちの心は最高に光り輝いていたのです。少なくともぼくにはそう見えました。
心は目には見えませんが,こうして心を形にしてみると実によく見えてきます。
 
 さて,このほかにも色々な雪像があったわけですが,ぼくが撮影したものはそんなに多くありません。まず,ム−ミンがありました。ム−ミンは慶ちゃんもかなり期待していたのですが最終的に眼があまりはっきりとせず,写真にはうまく写ってくれませんでした。残念!
他には,フクロウの雪像がかわいかった。しかし,最終的にポストカ−ドには採用できませんでした。
北大美術部が創った,三浦綾子さんの氷点をイメ−ジしたという作品も眼をひきました。しかし,この作品の場所が悪く,また,作成が遅れたので最後の最後まで撮影の好機に恵まれませんでした。
 あとは熊のプ−さんがかわいかったですね。あとよくできていたのが,植村直巳さんが操る犬ぞりの雪像ですね。大雪像の中で唯一心がひかれたものでしたが,これはポストカ−ドにさせていただきました。
 あとポストカ−ドにしたのは真駒内会場(真駒内の自衛隊の敷地内にある。さっぽろ雪まつりといえばこの真駒内会場と大通り会場の二つの会場に分かれていると思ってください)の自衛隊司令部の玄関先にあった男の子と女の子の雪だるまでした。
 これまたかわいいお二人さんで,仲良く並んでいました。またその背景にある緑の屋根の家がしゃれていて,よかったですね。あと,採用できませんでしたが,自衛隊の敷地の中に続く大きなプラタナスの並木沿いに置かれている雪だるまたちです。この子達もとってもかわいかったですね。しかしこの会場を訪れた誰も,ここまで来ようとはしませんし,ぼくと慶ちゃん以外のカメラマンたちはみ〜んな大雪像を面白くなさそうに撮っていきます。結局,会場にあるメインとおぼしき雪像は一枚も写さずに,ぼくたちはこの会場を後にしたのです。
 そして,現像所に着いて,さっきの司令部の玄関前にあった,男の子と女の子の雪だるまをポストカ−ドにすることを伝えると,ネガ現の課長なんですけど笑うんですね。
「1040枚お願いします」っていうと笑うんですよ。本当にいいんですか?っていう気持ちなんでしょうね。
 でも,「かわいいですよね」なんて言ってる。
「本間さん,今笑ったでしょ?」と,ぼく。
このネガ現の課長の本間さんという人は,オバQのマンガに出てくる小池さんというラ−メンをよく食べていた人にとてもよく似ているひょうきんな人なんです。
 この人とぼくと慶ちゃんの3人でこれから数10時間に及ぶ雪祭りの撮影&現像をするのです。
大まじめな顔をしたその場の雰囲気の中で,かわいい雪だるまたちが大きな現像機からどんどん仕上がってくるところを想像してください。
 印刷とは違って,このポストカ−ドは写真だから、何10年も退色しない。ある程度はオ−ト化されているとはいえ,さすがにアナログ的なのが写真の世界だ。印刷といえばデジタルでないものは無くなったが,写真はまだまだアナログの世界そのままだ。昔ながらの,銀塩写真の世界で現像所の人たちは生きている。

 雪祭りの撮影というと,とにかく雪祭り初日にポストカ−ドを店頭に並べなくてはなりません。そのためにぼくたちは前々日から撮影に入り,前日の夜は徹夜の作業のあげく,納品後も寝ることができないので結局30時間以上眠ることができないまま作業を続ける。
 しかし,実際はその何週間も前から作業に入っているから,結局通算何100時間も二人して,作業している。
時給にしたら100円にもならないのにぼくたちはやらなければならない。
 
 
これもひとえに作品を通してひとりでも多くの人たちと出会いたいという一心からだ。慶ちゃんは言う「わたしは作業の鬼だ。そんなわたしはあなたと結婚するために生まれてきたんではないのか?」と。
 それほどまでに,彼女の手先はなめらかに動く。ぼくも男の中では手先は器用な方だと思っていたが,彼女には遠く及ばない。
 しかし,彼女に唯一勝てる作業がある。それは単品ポストカ−ドのビニ−ル入れである。ぼくは彼女より手先に湿り気が多い。そのためにより速く入れることができるのだ。
 それと丁合とり。ポストカ−ドはそれぞれ違う種類の作品で成り立っている。しかし,印刷からできてくるときは同じ種類ごとだ。これを例えば8枚組とか12枚組とかに仕立てていくことを丁合をとるという。
 これもぼくが彼女より速い作業だ。しかし,丁合をとったものをケ−スに入れていくのはまさに慶ちゃんは神業に近い。ぼくの3倍のスピ−ドを誇る。このように,フルスピ−ドでやっても何十時間もかかるという作業を二人でやるわけです。
 しかし,作業がいやだとはぼくたちは思わない。やはりつらいのは作業を思う存分やれる場所がないということだ。いつの頃からか,
ぼくたちの夢は作業場を創ることになっている。

■心の持ち方ひとつで 
 
 先ほど,NHKを見ていたら,美瑛町の農家の人が主人公らしくなって出演していた。彼が怒って言うことには「美瑛町は丘の街で,きれいなところだと観光客の人は言う。けれども俺たちにはきれいだとか汚いとかそんなことは関係ない。生産効率をどれだけ高められるか,それが問題なのだ」と。
 観光客のことをののしっているのである。観光客のことを悪く言わなかったらぼくも黙っていたのだが,さすがにぼくもかちんときた。
 彼の言うこのような丘を削って失くす事業に,10年前から,150億円もの税金を投入しているらしい。最近,美瑛の丘があんまりきれいじゃないなと思っていたら,このような丘破壊が繰り広げられていたのである。
 結局,彼の言いたいことを平たく言えば
「もっと楽をして,もうけたいんだよな」ということらしい。
 そして,とかく冬の北海道の生活はたいへんなんだと強調したいようだ。
生活がたいへんなその人の乗っている車はトヨタのクラウンという最高級車だった。説得力無いなあとぼくは思った。
 
 そもそも風景というのは,長い歴史的必然性の中から生まれる。少しかみくだいて言うと,富良野や美瑛町一帯は原始の森が広がっていた。そこに入植した人たちがその森の木を一本一本切り,森を開いていった。そうして長い年月をかけて,今の丘の風景ができた。このなだらかな丘の風景は,そこが森だったそのままの地形を残しているのであり,周りに今もなお広がる豊かな森との連続性の中に時を越えた普遍性,必然性が隠されている。
 その丘を,生産性を高めるという理由や十勝平野へのコンプレックスなどのために平坦にしていき,その結果,丘が崩れ,土砂が流れ出し,まわりの川を埋め,濁し,川の命を縮め,生態系全体のバランスを崩してしまう。そして,このように丘を平坦にすることが,生態系のバランスを崩すということになるとわかったとき,ようやく丘を平坦にすることを国も道もやめたわけだが,農家には負担金として借金が残り,結果としていじけてしまい,観光客のような関係ない人にまでやつあたりすることになってしまった。
 結局,ゼネコンだけがもうけたわけで,農家の人も犠牲者なのである。そこからまわり回って,自然破壊や観光客の女の子の夢までの破壊してしまう結果を引き起こしてしまう。
 無理を通せばなんとやらとはよく言ったもので,大手ゼネコンという悪者の影で,多くの人たちがつらい思いをしなければならない。
 函館もこの例にもれない。今度,教会の前にタレント美術館ができる。これで教会を撮影できなくなる。またしても,みんなの大切な風景が台無しにされ,プライベ−トな私利私欲の前に屈することになる。
 こうして,心の中での願いに反する方向にばかり世の中が向かってゆくのを見ると,その根底にはどうも自分たちだけ楽をしたい,もっと楽をしたいという人の心が浮かびあがって見えてくる。
 悪魔はそんな人の心につけ込んでくる。やはり,自分だけは……いい思いをしたいという気持ちではなく,みんながいい思いができるようにといった世界全体の調和とバランスのとれた心と行動力が必要なのだな〜とつくづく思いました。みなさんはどうお思いになりますか?