の世界
47 早春に咲く 20003
早春に咲く

-北海道 上磯町 戸切地川河畔-

 今月の作品は,迷わず福寿草(ふくじゅそう)に決めました。

 福寿草は春の訪れを真っ先に祝福してくれる花です。まず,函館近郊の3月下旬頃の様子を聞いてください。
3月も下旬頃になると,もう冬にはその力が無くなっていて,いくら雪が降っても,春のお日様に照らされるとすっかり溶けてしまいます。3月下旬は冬から春に変わっていく階調が見応えのある季節ですね。
 ちょうどその頃,どんな花よりも早くに咲き始める花がこの福寿草で,雪が溶け始めたところから芽を出して,次々に開花していきます。 
 一日たつとその分だけ雪が後退して,落ち葉でしきつめられた茶色の大地が現れてきます。それが毎日毎日続いて雪はますます後退し,ほんのかすかに残るだけになっていくのです。 
 その間,世界は雪の白と大地の茶と,そして福寿草の黄の三色に染め分けられますが,木々の葉はいまだ冬の装いのまま暗く沈んだ色調で彩られています。
 一番早くに芽吹くのはヤナギくらいで,それも目立った色調になるのはやはり4月に入らなくてはなりません。ヤナギは山肌に生える木ではなく河畔や湿地に多い木ですから,4月の早い頃河畔に眼をやるとそこにヤナギの淡い新緑を見て,かすかな春の息吹を感じるわけです。
 福寿草はお日様が照るとその小さな花をいっぱいに広げ太陽の光をめいっぱい受けます。そして花表面の温度を上げ,虫たちを誘うのだそうです。その逆にお日様がない日は花びらを閉じてしまいます。しかし,ちょっとでも日が照ってくると花びらを開き始めるのですが,なんともよくできてるといいましょうか小さいのにがんばってるなと思います。

 3月に神戸の方に行ってたんですが,そのときニュ−スで福寿草が咲いたことが報じられていました。それはいいんですけど,なんと福寿草が奈良県の天然記念物だと言うではありませんか!これにはびっくりしてしまいました。
 確かによく考えてみると,関西に住んでいて,福寿草を見ようとすると,はるばる藤原岳あたりにまで行かないとなりません。それはたいへんな労力です。しかもこの福寿草,レッドデ−タブックに載っているというではありませんか!

 つまり絶滅危惧種ということですね。まさかこの福寿草がそんなことになっているとは夢にも思いませんでした。この函館近郊だと,国道沿いの空き地に咲いています。そして誰も希少だと思わないから,どんどん家が建ったりして無くなっていきますね。

 もったいない話しです。函館近郊では一カ所大群落があります。この作品はこの大群落の一角のものなのですが,この群落を知っている人もいて,がっぱり掘り返して持って帰って行く人がたくさんいます。
 本当に困った人たちです。ぼくたちは注意はできるんですけど逮捕することはできませんから,事実上ああいう人たちは野放しになっているのが現状です。ですから,ぼくたちができる唯一のことはとにかく場所を口にしないこと。新聞やテレビの報道者にそこだと特定できるような紹介をしてはならないことをちゃんと伝えていくことなのです。
 
秘密にすることが大切です。ですから,ぼくのポストカ−ド作品でも,場所を表示するのかしないかで大きな問題になることがよくあります。そこへ実際に行って欲しいという思いがあるのに伝えられない寂しさ,物足りなさが残ります。
 
このジレンマがいつもぼくたちの心を行き来しています。 

 秘密ということでもう一つ。ぼくは10年くらい前から「北国の秘密の牧場」とでも言いましょうか,ずっと撮り続けている誰も知らない小さな秘密の牧場があります。少し落ちくぼんだ谷あいにそれはありますから,車でしか移動しない人たちには見えないから誰もここには来ません。
 しかし,ここはすばらしい!この牧場に気づくことなく通り過ぎて,さらにまっすぐに上っていくとそこは1200ヘクタ-ルあるという広大な牧場が展開しています。
 標高600メ-トル位のところに延々と連なる広大な緑の牧場です。途中には,駒ヶ岳がよく見える展望台が整備されています。しかし,木が一本も生えていません。う〜んどこかへんです。牛もほとんどいません。そうなんです,実はこの牧場、かつては森だったのです。その森の木々を一本も残さずに切ってしまい,牧場にしてしまったと言うわけです。国営事業です。

 そのわけは,米で食えないから,肉で食っていこうと思って牧場にしたところ今度は牛肉の自由化によって肉もダメというわけで,木が一本もないまま牛もほとんど放牧されないまま放置されてしまった牧場なのです。これまた困ったものです。先日,この話しで町長さんのお宅へお邪魔していました。

 最近町長さんが変わり,今度の人は木が命の方で,ぼくが「木は大切ですね」といいますと,「大切だというんじゃなくて,無くては人は生きていけないんだ」と,逆に言われてしまいました。

 「昔,あの牧場が森だった頃,こんなに太い白樺があったんだぞ!」と町長さん。そこでまとまった話しはというと,ちょっとスケ−ルが大きい。この牧場の一角のどこでも貸すから好きなようにやってくれ,ということになった。

 この話しは以前からぼくの方でお願いしていたこと。かねてから,ぼくは森林植物園を創るのが夢だったから,願ったりかなったりのお話であったわけ。でも話が決まると,実際お金のことなどぼくが負担しなくてはならないから,できるのかなと,少々不安。一本の樹がめいっぱいに枝を伸ばして成長させてあげたい,せせこましい土地の中で,枝と枝を狭苦しく絡ませなければ生きていけない息苦しさから開放させてあげたいというのが何よりも心から湧き出る想い。

 さて,どう生態系の中に位置づけようか?ぼくにはわからないことがまだまだたくさんあって,気が短いから,樹を扱って生きて行くには,不向きなのかもしれません。しかし,かつて,ぼくに木のことを教えてくれる先生から「木とつきあうには,木のことを忘れているようで,またときどき思い出してあげて」と,つかず離れつのおつき合いのことを教わった。

 20代の頃はやればなんでもできるような気がしていたのですが,今ではすっかり自分の小さな力にびっくりしてしまいます。そして,一生かかってもできないかもしれない仕事の束を目の前にして,再びびっくりします。一生って短いですね。それなのに自分は生身の体。

先週,疲れから扁桃腺を腫らして,39.4℃の熱にうなされ,食事ができず7日間寝込んでしまいました。その数週間前にはインフルエンザ。

もう,この二つの病気ですっかり仕事が遅れてしまって今必死に追い上げているところです。  


■3月初旬〜中旬にかけて神戸に行っていました。
久しぶりに本州の雰囲気に触れると何もかもが新鮮で,心が洗われます。一言でこの気持ちを言いますと「そこにはこびとのような暮らしがあって,その小さなささやかな暮らしがメルヘンそのものだ」ということになります。
ぼくはかつてはヨ−ロッパや北海道にメルヘンの世界を見ていましたが,本州の街並みをかいま見ていると,そこにはつつましやかな暮らしがあって,不自然な形で可能性を求めている人たちがいる一方で,昔から変わらず,ささやかに暮らしているその姿に心打たれることが多くありました。
 今までは何となく感じていたことが,歳と共によくわかってくることがたくさんあります。あの頃からわかっていたらどんなによかっただろうなと思うことばかりです。でも,ぼくは今からでもじっくりと木を育てるように,日本の暮らしに感じられるメルヘンの世界を作品化していきたいと思っています。メルヘン……ぼくはそこに人間の大きさと同じくらいの世界を感じます。重機械で造り上げられた無機質な巨大な世界ではなく,手造りの自分と同じ大きさの暮らしこそメルヘンそのものなのだと思うのです。