の世界
48 新緑の季節 20004
新緑の季節

-北海道 上磯町 -

 北国の4月は残酷な月だと表現する人がいます。

 確かに、風のように4月という季節を旅ゆけばそう感じるのも無理ありません。
本州の方では4月といえば、気候も温暖になってもう桜が咲いています。桜が咲いてしばらくすると、山は新緑の季節を迎えます。

 しかし、北海道はまだまだ冬の色彩をまとったままです。特に野山は茶色の色彩に覆い尽くされたままで、全くさえません。
 川沿いでかすかにヤナギの葉が淡い緑に色づいたくらいでしょうか。ぼくは北海道に来た頃、一年で一番醜くて、退屈な季節というと、迷わずに4月と11月を頭に思い描いたくらいです。

 しかし、年月と共に、この枯れた色彩もいいもんだと思うようになり、よくこの枯れた色彩の微妙な違いを写していたときがありました。
 樹木の緑には違いがあると小学校の先生はぼくたちに教えてくれましたが、よく見ると冬枯れの樹木の樹幹でさえ色彩に微妙な違いがあるのですね。

 それからしばらくして、ぼくは4月になると、早春のエフェメラル(春のはかなきもの)と呼ばれる、花々を写すようになりました。
 7月の富良野の丘にあるような色彩豊かなものではないのですが、早春の花々は人間の目の高さから見ると、大地にすっかり溶けこんで見えなくなるほど淡い色彩なんですね。先月の福寿草ですが、これも早春のエフェメラルのひとつです。

 いい忘れてたんですが、福寿草の花には蜜がないんですね。これでどうやって虫を誘っているかというと、
花びらを太陽に向かってパラボラアンテナのようにぱ〜っと開いて、少しでも多くのお日様の光を集めて、花びらの上の温度を他のとこより上げて虫を誘ってるんだそうです。

このほかにも
ザゼンソウとういう花もそうで、花の中の温度が他より15℃も高いそうです。

他にも、キクザキイチゲ(イチリンソウ)やエゾエンゴサク、カタクリ、ニリンソウ、ミズバショウなどが早春のエフェメラルの 代表なわけですが、

どうしてこんなに春早くに咲くかというと、やはり
森や林の樹木が葉をつけて下まで日の光が届かなくなる前に、子孫を残せるようにということらしいです。

また、
どうして、エフェメラル=はかなきものというかというと、森の樹木がすっかり出そろい、ようやく季節も本番を迎える頃になると、花もなくなってすっかり暗い森の中に溶け込んで目立たなくなってしまうからだそうです。

 この早春のエフェメラルたちが咲く森の中がどうしてこんなに好きなのかと考えてみると、ひとつにポカポカした春の日差しを受けたふわふわした落ち葉と土の混ざりあった大地の触感が気持ちがいいこと。
そして、ひとつは森の奥でひっそりと咲く花園だというその場の雰囲気。またひとつは、特にカタクリの花にいえるのでしょうが、その色っぽさとでもいうのでしょうか。
 このカタクリなんですが、東北の方で、この花ばかりを撮られている方がおられるのですが、この人の御本の中にカタクリを「裸の少女を見るよう」という表現をされているところがあります。ぼくもこの表現について、共感するところがあります。
 カタクリには、少女の恥じらいや、快活さや、かわいらしさなどカタクリによっていろんな見え方をするのですね。これが森の奥にひっそりと咲いていたりすると、ぐっときたりするんです。エフェメラルに誘われて、森の奥に入って行くのはいいのですが、この季節森には熊が多くてびくびくしなくてはなりません。北海道の森にはいつもこのびくびくがつきまとってきます。
 

 
4月=エフェメラル的な月。といえるのでしょうが、

もう一つ、ぼくは4月のことを
『芽吹きの月』と呼んでみたくなることがあります。
特に最近は樹木の芽吹きに妙に関心があって、眼がいってしまいます。よく季節の挨拶に「拝啓、新緑の候、木々もいっせいに芽吹き……」というのがありますね。
 この文にある、木々の芽がいっせいに芽吹くというのはおかしな表現です。樹木は決していっせいに芽吹いたりしないわけですね。一番先がヤナギで、ぼくの記憶では、ネムの木が一番遅いように思います。 この作品は白樺の淡い新緑と白い木肌の清楚な組み合わせにひかれて写しているわけですが春の少しかすみがかかったその雰囲気と白樺のやさしい新緑の色調とがうまく表現できたと思います。

 今年の白樺は4月30日現在、ほんのわずかに芽吹き始めたばかりで、柔らかいふわふわした感じのする葉をちょうど出しているところです。
 ナナカマドは白樺より少し早く、小さな葉がもう伸び始めています。リラの芽吹きはかなり劇的です。小さかった冬芽が膨らんできて、しばらくすると、それがゆっくりゆっくり割れ始めます。しかし、今その最中でいまだ葉の形にはなっていません。
 先日、
お取り引きをしていた現像所がほぼ倒産の形で消滅してしまったため、札幌の方に行っていたのですが、その帰路、札幌で買い求めて来ていた白のリラの苗木から芽吹いていた芽を見て、疲れていた心がふっと軽くなりました。

 柔らかさ、その淡い緑、そのふくらみに癒されちゃうんですね。庭の紫のリラも無数の芽をつけています。白樺やナナカマドの新緑は早いんですが、他の木々の新緑はまだまだです。これは困ったことなんですが、排気ガスに強く本州の街路樹によく使われているプラタナスなんですが、これを北海道に持ってくると、もうまわりがすっかり春だというのにプラタナスの植えられた通りだけはまだ寒々とした冬のままなんですね。
 
プラタナスの新緑はかなり遅いわけです。これはイチョウも同じで、イチョウもなかなか新緑してくれません。これらがまた街路樹に多いから、函館の街の4月〜5月始めはず〜っと冬をひっぱっちゃうわけです。新緑とは少し違うんですが、サクラの花はもう少し遅いといいなと思うことがよくあります。サクラの花が咲く頃にはまだ他の樹木の葉があんまり出ていないんです。コブシはもっと早いからなおさらです。しかし、枯れた樹冠に咲くコブシの花の白い色彩は、まるで春の森に舞う雪のようです。
 

 もうすぐ本格的な春がやってきます。今年は春を求めてもっと北に行ってみたいなと思うことしばしです。以前、知床の峠で6月の初旬に桜が咲いていました。大雪山では7月にチシマザクラが咲くといいます。4月は見方によっては確かに残酷な月なのかもしれませんが、こうしてゆっくりと観察していると、成熟した季節の移ろいにはない未熟な季節に感動します。花が咲く前のつぼみの恥じらうような美しさ、葉が出たばかりの小さな葉の柔らかさ、早春を飾るエフェメラルたち。5月という最高の季節の高まりを前にした静けさ。ぼくは時と共にこの静寂を愛するようになりました。