2000年7月16日皆既月食が起こった。
長い長い皆既月食だった。次日本で皆既食が起こるのは来年、2001年の1月10日の明け方、午前5時頃から6時頃まで。
皆既したまま西の空へ夜明けの薄明の光を受けて静かに沈んでいく。真冬の夜明け、厳しくも美しい時間での出来事である。
この1月10日の皆既食が終わると、しばらく日本からは皆既食を見ることができない。
次に見られるのは2007年8月28日で、その間にはなんと6年もの時間が横たわっている。
その後、2011年、2014年、2015年と見られる。
今後15年間に4回見ることができることになる。これは日本からというお話で、地球上では15年間で15回皆既食は起こる。そのうち日本からは4回しか見られないのだからついてない。
なぜ、日本から見えないかというと、月食が起こっているとき日本はまさに昼間で、地球の裏側つまり夜の世界ではまさに月が太陽に隠されているのである。余談になるが、月食は月が太陽に隠される現象だけど、月が惑星を隠すことがある。このことを惑星食という。惑星食の中でも形のはっきりした土星が月に隠されていく土星食は面白い。この土星食が2001年10月8日、2001年11月4日と2002年3月20日と、連続して日本で見ることができる。実はこの3回起こった後、何度か土星食は起こるものの、日本からはその後40年以上見ることができない。少なくともぼくが調べている限り、2037年まで一度も見ることができない。恐ろしいことに、2037年といえばぼくはもう70才を越えている。宇宙の現象を追いかけてみると、時間感覚が違っている。そして、人間の寿命の短さに愕然とする。もう少しゆっくり人生があったらいいのにね。
今回7月16日は全国的に良く晴れたらしいが、北海道はどん曇りでどうすることもできなかった。今回お送りできた、皆既食の作品はわずかに晴れた2分間に撮影したもので、撮影機材の不慣れさもあって完璧とは言えないのが残念です。
まず、何より赤道儀の極軸を北極星に合わせたくても、北極星が雲のむこうに見えず、しかもなれないために方位磁石も持っておらず、とても北極星に極軸を合わせることができなかったのです。
極軸を北極星に合わせないと、地球の回転に合わせて月を追いかけることができず、詳しく言うと赤緯側にずれてしまうのです。仮に北極星があって、極軸を合わせることができても、赤道儀は星の動きに合わせて回転するので、月に対しては約30秒もすればずれてしまうのですから極軸を合わさずに月を撮影することはとうてい無理ということになります。そのため始めは1600mmF12.8で狙っていたのですが、それはあきらめ800mmF6,4で写すことにしました。そうすれば露出をかけても、まだ何とか月の動きを止められるだろうと考えました。この作品はASA200のフィルムASA400に増感しF6.4で約4秒で写しています。このフイルムはKodakのE200というフイルムで星や月にはかなりいいらしいです。普段ぼくはフジフィルムのベルビアというASA50の感度のフィルムを使っているのでこのE200のことはあまり知らないのです。しかし最近、ようやく白鳥座を始め、その他の星空を写すことができつつあって、新発売されたフジのプロビア400Fなどと合わせて、今どのフィルムがいいか試写を重ねているところです。
星空を写すということになると厄介な問題が山積みです。特に500mm以上の望遠鏡で写すのは大変です。月のように4秒で写せるわけではなく,1枚写すのASA400だとF4で黙って60分はかかります。60分間黙って赤道儀の誤差をもう一台同架している望遠鏡で監視します。ぼくが現在使っている赤道儀はビクセンというところのGPという赤道儀で、軽くて安いものなので、とても写真撮影に使えるようなものではないのですが、三脚を強化するなどして何とか実用できるように改良してきました。
市販されているままではとても使えず、三脚の途上にコンパネでつくった三角板を固定するなどして極力三脚の振動を押さえました。このような改良に三ヶ月くらいかかっているのですがまだ完璧に撮影システムが出来上がっておらず、まだ完璧なピント合わせの問題や、フイルムの浮き上がりの問題など、考えたくないようなことがたくさんあります。星のことを好きになってもう15年もたちましたが、今まで、いろんなことがあって星空を撮影するといったゆとりがありませんでしたが、最近ようやくというかやっと心の中に星空を写すゆとりが生まれてきました。
ただ、地球が回転しているばかりに、星を点像に写すことがこれほどまでに困難なのかとと最近つくづく思います。現在、星の写真を撮られている方々の機材を見ていると、ものすごく立派なものをお使いになっています。しかし、ぼくにはそんな機材を買えるお金はないので、安い機材を工夫して改良し、後は根性で星に向かっていこうと思います。北海道の大地に望遠鏡を立てると高級精密機械を使おうという気になりません。360度展開した無限の暗黒の大地を覆うように広がるこの星空にむかって、ぼくは少年に戻り自分の夢の軌道をたゆまなく歩いていこうと思います。先に話しましたように、最近星空を写しています。しかし、思うように晴れてくれません。昼間は晴れていても、夜に曇るという状態が長く続いています。それでも函館から150キロくらい離れた場所まで毎夜出かけていっていました。
もうすぐすると月が明るくなって、月明かりの影響で星が見えなくなってしまうので、今度は9月の初旬の新月近くまで辛抱です。しかし、残念なことに、もうそのころになると射手座やさそり座やへびつかい座といった南の地平線近くの夏の星座たちはもう南中を過ぎて写すとができません。撮影する場合この射手座とさそり座は魅力的な領域で、この星座が見えないとなると寂しい限りです。しかし、数日前ほんの4時間くらい晴れたとき、北海道ニセコの手前の牧場でなんとサソリ座のしっぽの部分がきらきらと輝いて見えていました。本州の空の暗いところにいくと、まあまあ見えるのですが、北緯42度もある北国から見るのは大変です。それにしても、サソリのしっぽつまり毒針のところに輝くM6やM7がぼ〜と夜空に浮かんで見えたのには驚きました。M6、M7というのはフランス人のメシエさんがつくった星雲や星団のカタログのことで、全天で110個ありまして、これをメシエさんの頭文字のMをとってM何々と呼ぶことになっています。(メシエ天体とも言います)例えばM78というとウルトラマンの故郷ということになっていますが、このM78はオリオン座にあります。その他有名なところではアンドロメダ星雲はM31で、すばるいわゆるプレアデス星団はM45という具合です。このM6やM7は散開星団と呼ばれる星の小さな集団で、望遠鏡や双眼鏡を使うと星が散在している様子がよくわかりますが、肉眼では雲のようにぼう〜と見えるにとどまります。これは人間のひとみにあるレンズの大きさがいくら暗いところに行っても直径が7mmより大きくならないからで、分解力というより細かく分離させてみる力が小さいことに起因しています。天の川も肉眼で見ると白い雲のようにしか見えませんがこれも同じことです。確かに天の川を双眼鏡でのぞいてみると小さな星でできているんだということがよくわかります。その他射手座にはM8(干潟星雲)やM20(三裂星雲)そこからわし座にかけてM16(わし星雲)M17(オメガ星雲)などの散光星雲があって、写したくてしょうがありません。散光星雲というのは星の巣のようなところで星もとになる物質が集まって、それが近くの星に照らされて光っているもので、目には見えないものの写真で写すと赤くその存在がよくわかってきます。今、目には見えないといいましたが、M8(干潟星雲)など大きなものは望遠鏡で見るとぼ〜と白く光っている程度には見ることができます。また、この散光星雲は近くに明るい星があって、赤く青く輝かせているのですが、近くにこのような明るい星がない場合は、散光星雲と呼ばれずに暗黒星雲と呼ばれます。
この暗黒星雲の存在はその後ろの星を隠してしまい、まるで、そこに星がないかのように見えることでわかります。この暗黒星雲で有名なのがサソリの心臓アンタレスからへびつかい座の足下にかけて広がるもので、この不気味な領域をある天文家は「ここは宇宙の穴だ」と表現していますし、ぼくとしては写したくてしょうがない領域であるわけです。しかし、ここをまともに写そうとすると南半球に行って、天空高くかかるサソリを撮らなくてはなりません。このさそりや射手といった銀河の中心から天の川に沿ってわし座を過ぎ、天の川が美しく輝くところには、白鳥座が天空高く羽ばたいています。ここにも散光星雲がたくさんあって、α星(デネブ)とξ星ν星がつくる三角の中には北アメリカ星雲と呼ばれる散光星雲があるし、白鳥座52番星からε星にかけてのところには網状星雲、γ星のところにも散光星雲が散らばっていて、今ぼくはこの散光星雲たちを狙っています。しかしいずれも目には見えないものばかりだからたいへんです。しかも山の中のことだから、熊の恐怖もつきまとっています。
熊といえばつい最近とうとう、出会ってしまったのです。
国道の路肩に車を止めて、夕日がきれいだったので写していました。ちょうど国道の下が熊笹の原で、何かががさがさ踏み分けて歩いているような音が聞こえていました。慶ちゃんは山菜とりのおじさんだと言い、ぼくはキツネじゃないのという程度であまり気にしませんでしたが、その音が消えた瞬間、ぼくたちから10メ-トルくらいはなれたところに熊がど〜んと飛び出してきたのです。慶ちゃんはそのまま車に飛び乗り、ぼくはあきれたもので、たぬきかと思ったわけです。そのまさに飛び出す瞬間をぼくは見たわけで、ぼくたちもびっくりしたのですが熊の方もびっくっりしたようで、180度ひるがえって逃げていってしまいました。ああ、10メ-トルむこうに出てくれてよかったと思います。もしぼくが10メ-トル手前に車を止めていたら今こうして文章を書けていませんでした。ひやひやものです。こうして命拾いをして見上げる星空は格別です。北の地平線低くには、大熊座が見えています。天空にかかる熊は軽やかに子熊の周りを巡っていきます。ここは北海道北緯42度の世界。大熊座が地平線の下に沈むことなく、大きな円を北の空に描き再び上っていきます。流星群でもないのに、この数日間やけに明るい流れ星が夜空を飾っています。そして、草原には蛍が緑の光をだして、光っています。流れ星の輝きは長くても数秒、蛍の命は長くても2週間、ぼくたちの命は長くて100年、星の命も無限とはいえ、いつか必ず終わりが来る。この有限の世界にある想いを今ぼくはしみじみと感じながら星の光を見つめています。
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