■10月6日〜16日の秋の撮影
10月6日〜16日まで、10日間かなり久しぶりに撮影の旅に出ることができた。僕は、この10日間をねん出するために、どれだけたくさんの苦難を乗り越えてきただろう。そして、とうとう、日常に終止符を打って、心が行きたいと欲する世界へ行くことができた。
旅の最初は、人と会う約束があったので、撮影はできなかった。そして、その後も体調がおもわしくなく、世界が遠くに見えた。気のせいだろうと、何度も頭を振ってみたし、久しぶりに季節の中に戻ってきたからだろうとも思った。季節とのつき合いでは、飽きるくらいに親しくなければ、その中から本当に美しい世界は切り撮ってこれない。それが、今、どういうわけか季節が遠くに見え、苦しかった。
そんな中、予定通り美深町にある函岳にむかった。函岳は山頂にアメダスがあるおかげで、標高1000mの山頂まで美しい林道があり、車で上ることができる。ここで、日本一美しいと言われる星空を撮影するのが今回の目的だった。山頂に着いてみると、予想以上に快適な環境で平坦な砂利の駐車場と山小屋まで用意されている。星を撮影する場合、あまりに自然が厳しすぎると途端に困難になるので、函岳のこの環境は星を撮影するには、ものすごく理想的な環境だった。山小屋はトイレまで完備していて、静かで気持ちよかった。しかし、函岳に着いた頃には僕の体調は最悪となり、夜まで寝ることにした。夜になっても体調は回復せず、ぼ〜っとする頭で星空を仰いだ。その夜は薄雲があって、撮影体勢に入らなくてもいいことだけが救いだった。それで、何度も何度も星空を気にしながら眠り続けた。朝になったが、あまり回復せず、寒気がする中、函岳を後にして美深松山湿原にむかった。美深松山湿原は今までどうしても行く機会がなかった高層湿原で、撮影はともかく一度は見ておきたかった。それで、何とか夕暮れ前には湿原入り口に着き、そこから徒歩で湿原に向かった。なんてことのない登りだったが、心臓が波打つ度に頭がずきんずきんして、つらかった。湿原は思った以上に狭いところで、木道も狭いが高層湿原独特の爽やかな風が気持ちよかった。僕はいつの頃からか、高層湿原が好きになっていた。ちまたでは釧路湿原などの低層湿原が人気だけれど、なぜかぼくは高層湿原の静寂が好きだ。生物層も貧困で、そういう目から見るとつまらないところかもしれないが、なぜかひかれるのである。そしてこの美深松山湿原を一目見たことで、一応北海道の高層湿原はほとんど見たことになる。これからこの好きな世界をどういう風に写していこうか、楽しみは無限に広がっていく。
その後、旭川に行き、体を回復させるために梨などの果物を買い、その夜は中央大雪北部のアンガス牧場で眠った。そして、その夜はぐっすりと眠ったからか果物が良かったのか、目の前がよく見えるようになってきた。それで、なんと1年ぶりにメインのカメラにフィルムを装填した。そして、一枚目に写した風景は、朝の寂しそうな木立だった。続いて、雲間から日の光が差し込む風景を写したり、白樺林を撮影していった。そのうちに徐々に目が見えるようになって、撮影ができるようになった。天気も徐々に回復にむかい、三国峠にさしかかった頃には、雲一つなく晴れ渡っていた。雲一つなく晴れ渡ると、夜、星を撮影しなくてはいけない。このまま星まで撮影するのはつらい。心の中で曇ってくれと祈っていた。そんな思いを抱きながらオケト湖にさしかかった。数年前この湖を通りかかったのが10月20日。今回は10月11日。なんと9日も早い。おそらく白樺が美しく紅葉しているに違いないと、期待に胸を膨らませて近づいていった。すると、期待通り、湖畔の白樺は半逆光できらきら輝いた湖面を背景にその黄金色の葉を風に揺らせていた。数年越しに夢見ていた風景だけに、夢中で写した。しかも、その途上薄雲が出てきて、夜に星を撮影しなくてもいいような感じなのでなおさら力が入った。湖畔の白樺を夢中に写している間に、アッというまに3時間もの時間がたっていた。ひと休みしてから、おけと湖を後にし、今度は一路チミケップ湖にむかった。途上、ちょうど玉ねぎの収穫の時期で、北見周辺は見渡す限り玉ねぎの収穫でにぎわっていた。
チミケップ湖は北見市の南部30kmくらいのところにある湖で、ここもあまり知られていないので静かなところだ。着いたのは、もう夕暮れ間近だったので、急いでカメラ一式をかついで湖畔にむかった。湖畔には一本のハルニレの木が立っていて、夕暮れの湖畔と共にこの木を写した。
次の日は、屈斜路湖にむかった。北見側、つまり西側から屈斜路湖へ至るルートは何と3種類もある。一つは有名な美幌峠経由。そしてもう一つは津別峠経由。そしてもう一つが、藻琴山経由である。今まで、藻琴山経由で西側からアプローチしたことがなかったので、藻琴山経由で行くことにした。藻琴山経由のこの道の途上には展望台があって、ここからも屈斜路湖が美しく見ることができるし、秋の朝に行けば、眼下に雲海を見ることができる。そこで、今回は下見をかねて行ってみたわけだが、残念なことにちゃんと街路灯が整備されてしまっていた。街路灯があり、美しい星空を見ることはできないので魅力は半減したが、何とか朝の雲海の風景くらいなら撮影できることはわかった。
その後、体力の回復と運が巡ってくることを祈って、斜里町郊外にある泉の森来運公園に水を補給に行った。この場所はわかりにくいかもしれないけれど、近くを通るときには、是非行ってほしいところだ。斜里岳からのおいしい水となぜか幸運までもらうことができる。それから、いつ見ても美しい斜里岳を見ながら一路、知床に向かった。斜里岳はまだ冠雪はなく、荒々しい山肌がむきだしになっていた。海別岳(うなべつだけ)にも興味があったので、山麓をうろうろと経由しながら、知床五湖にむかった。知床五湖に着いて驚いたのは、なんと駐車場が有料になっていて、恐ろしい数の観光客がいることだった。僕は目を疑った。どうして……。唖然とした。僕が数年前来たときには、いまだここは熊におびえながら、湖を撮影して回るようなところだった。それでも、観光客の人が来るのは途中までで、そこより先には誰も来ないので、静寂を楽しむことはできる。夕暮れ間近上弦の月が湖に映って美しかった。遠くから牡鹿の鳴き声がしきりに聞こえてきた。真っ暗闇になる前に湖を後にしたが、五湖とその背景にある、羅臼岳や硫黄山は美しかった。冠雪はなく、冠雪したらまた来ようと思った。
その夜は薄曇りだったが、晴れていたので知床峠にむかい、そこで無理を承知で星の撮影を始めた。なぜか天の川が薄かったので、新しいレンズの実験くらいの気持ちで始めた。その途上、警察が来て、ひき逃げの車を探しているから一応チェックさせてほしいと言って来た。もし、ひき逃げをして星を見てる人がいたらすごいなあと思いながらO.K.した。しかし、彼はたいして調べないで、星の話を始めた。「結局星空きれいですね〜。あの星は何でしょうかねえ」とか、「あれは土星ですか?」なんて話を続け、土星をみんなで見たりした。「はっきり輪が見えますね!」とか「流れ星だ!」とか、盛り上がった。その内、これはおじゃましました。ということでまた職務に戻られたが、見知らぬ警察官の人としばし星の美しさを共有した。不思議な時間だった。撮影はできなくなってしまったが、それでもいいと思えるくらい気分はすかっとしていた。
次の日は、念願の羅臼湖に行った。羅臼湖に行くのが今回の旅の主目的だった。羅臼湖は知床峠を羅臼町側に下った道の途上に入り口がある。そこから徒歩約1時間ほどで羅臼湖まで行くことができる。しかし、途中5つの湖があるので飽きることはなく、木道も大変立派なので非常に快適に歩くことができる。今回の一枚の作品は羅臼湖までの途上にある3湖と羅臼岳で、羅臼岳はこの3湖からしか見ることができず、羅臼湖からは羅臼岳は見ることはできない。しかし、その代わり羅臼湖正面には知西別岳という大変均整のとれた山があるので、羅臼岳よりもずっと美しい世界がそこにある。僕などは初めてだったけれど、一目でそこの風景に惚れてしまった。
この羅臼湖の一日は終日、変わった雲や美しい雲や虹が出て、羅臼湖よりも空を写すのが忙しく、時のたつのも忘れて空ばかり見上げて歩いていた。どうも僕は太陽の回りに出る虹に縁があるようで、よく出会う。例によって、夜闇が迫って来ていたので、大急ぎで羅臼湖を後にした。この夕暮れの時間帯は熊と遭遇する確率が高い。それを承知でいながら、ついつい、撮影に没頭すると、遅くなってしまう。帰り道、勇壮な角をもった牡鹿に出会ったが、幸運にも熊には会わず無事に車までたどり着いた。 次の日は、網走市近くの能取湖の撮影から始めた。能取湖もいつ来ても美しいところだ。能取湖を時計回りに回り、オホーツク海に出たところで、菜の花畑(キガラシ畑)に出会った。それが今回の作品の一枚。雲一つない空と青いオホーツク海と秋の菜の花畑が美しかった。能取湖ではサンゴ草の残りを見てから、サロマ湖に向かい、そこで夕暮れを写した。その日は非常によく晴れていたが、上弦の月が出ていたので、夜12時くらいにならないと星の撮影ができない。そこで、一路、函岳まで車を走らせることにした。夜の函岳への林道は長かったが月が西空に残っているにも関わらず、見事な星空があった。急いで撮影準備にとりかかった。その途上、地元の天文同好会の人たちが星を見に来ていた。月が沈むと天の川の輝きはいっそう深くなった。風も強かったので、最長120mmレンズまでの撮影にとどめた。
カメラ2台を赤道儀にのせて露出20分での撮影である。気温はすでに氷点下。寒かった。しかし、満点の星空だった。お客様の中にこの函岳の近く、和寒という街で生まれた方がいる。彼女も星が好きで子供時代、家から外に出て、星空を見上げると、星の輝き以外すべて真っ暗で、星があるから上と下の区別がついたという。しかし、最近思う僕の思うところでは、満天の星空の下って明るいのではないだろうか?と思うのである。そして、よく分からないが、これが星明かりというものではないのか?と思うことがしばしばある。他に光があるように思えないのに、星が美しい夜は、徐々に隣にいる人の顔がよく見え始めるのである。
これが星明かりかどうか?今のところ確証はないけれど、彼女に星明かりを見てもらって、子供時代と比較してほしいと、今度お願いしようと思っている。こんなに美しい星空の下で育った彼女は、控えめでかわいい女の子に育った。子供の頃、どんな想いで、星空を見てたのだろう。胸がきゅんとくる、想いがする。
また、夜明けの東空で生まれて初めて黄道光を見た。しし座が黄道光を連れてくるように見える。黄道光は秋の夜明け前の東空に見える夜の太陽の光だ。明らかに夜明けの光とは違う。地平線に対して黄道の角度が大きくなる秋のこの時期に見えるようになるのだ。冬の天の川と黄道光がクロスしているように見えた。
これで、今回の秋の撮影の旅を無事に終えて、丘のうえの小さな写真館にたどり着いた。全部で3000kmも走ることになってしまった。撮影枚数は800枚弱。典型的な秋の紅葉風景が撮影できるところを、すべてやめて今まで行かなかったところを中心に回ってみた。ほんの数日間だったが、とりあえず季節への復帰を果たすことができた。しかし、本格的な復帰と言うわけにはいかず、リハビリのような状態が続いている。これで、11月初旬の晩秋の撮影に出ることができたら、もう少し復帰できるとは思う。とぎすまされた感性で風景を切りとって行く、そんな時が来ることを夢見て毎日がんばっています。次の北国通信では、もっといい報告ができるといいのですが。寒くなってきましたが、暖かい服を着て、体にいいものを食べて、元気いっぱい生きていきましょうそれでは、また。失礼します。
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