■11月4日〜12日にかけての晩秋の撮影より
11月4日〜12日にかけて、再び撮影の旅に出た。北海道では、11月になると、もはや樹木は葉を落とし、めっきり寂しい気配が漂う。しかし、その中にあって、カラマツだけが黄葉して、ひときわ美しい風景を見せてくれる。そこで、今回は黄葉して美しいカラマツのある風景を主体に撮影しようと、道東へ旅に出た。
カラマツは本来、北海道に自生することはなく、防風林用として人為的に植林されたもので本来の北海道の風景とは異なる、という見解もある。そういう指摘もごもっともだけれど、ぼくはどういうわけか、カラマツの黄葉した風景が好きで、無性に写したくなる。
旅は札幌で見たいカメラがあったので、少し遠回りして札幌を経由した。それから、札幌を夜のうちに出て、夜のうちに日高山脈を東に越える越える峠、日勝峠の入り口である日高町まで来て眠った。さい先よく、オリオン座が美しく見え、空は黒々として、冬の天の川が豪快に真っ黒な山肌に流れ込んでいた。
そして、翌朝非常に気持ちのいい空いた日清峠を越えて、日高山脈を東に横切ろうとした。今朝の空はとても抜けがよく、空気も爽やかだった。峠の頂上を越え、十勝側の下りにさしかかった頃から、黄色に色づいたカラマツの防風林が碁盤目のように交錯する見事な十勝平野を見ることができた。
そして、平野が尽きるあたりに、雪をかぶった雄大な山の連なりが見え、更に気持ちが高ぶった。「あの山の連なりは何?」と慶ちゃんに聞いてみた。彼女は切れ切れの地図と格闘して、山の名前を推量しようとしたが、彼女には無理だった。そこで、車を道ばたに止めて、僕が地図とつき合わせたところ、どうも、ウペペサンケ、ニペソツといった東大雪の山々が見えていることがわかった。
僕にとってもこの視点は新しい発見で、とっても新鮮だった。十勝平野に出てからは日高山脈とカラマツの防風林をわずかに写してから北上し、十勝岳連峰を写そうと思い、狩勝峠で日高を西に戻り、南富良野の丘陵地に戻った。
しかし、南富良野の丘陵地では積雪のために十勝連峰を写すことができず、肩を落としてしまった。しかし、十勝連峰は写せなかったが、雪で真っ白になった丘陵地とカラマツの燃えるような黄葉のコントラストがとても美しかった。そして、夕刻となり、晴れていたので、雪深い雪原の中、星の撮影にかかった。「どうして、まだ11月というのに雪の中で星の撮影をしなくちゃいけないの?」とぶつぶつ言いながら、機材の設営を始めた。
太陽が沈んだ後の南富良野の丘陵地は信じられないくらい寒かった。ダウンジャケットも上着しか持ってきていなかったし、防寒靴も持ってきていないことを後悔した。しかし、30分露出で白鳥座にある北アメリカ星雲を2枚写した頃から薄雲が広がり、その内、全天を覆ってしまった。またしても曇ってしまったのである。
そこで、南富良野には見切りをつけて、再び狩勝峠を東に越え、十勝平野に出た。十勝平野に出ると晴れていたが、帯広の街明かりが強くて星の数はぐっと減って見えた。そこで僕たちは、日高山脈に沿って南下して中札内村郊外まで行った。このあたりまで来ると、さすがに南には日高山脈と太平洋くらいしかないので、南の空の星々はよく見えたが、帯広側の北空はまるで見えなかった。その夜は更けていたので撮影はせず、星図と実際の星空を見比べて、どれくらい暗く小さな星まで見えるか試すことにした。例えば、子犬座の“泣きぬれた瞳”という名を持つβ星の側にある星が肉眼で見えるかとか、かに座の星が肉眼で見えるか?といった目の検査じみたことをやっていた。慶ちゃんはいまだに視力2.0の持ち主で、彼女に見える星が僕には見えないのが悔しかった。そこでぼくは秘密兵器の双眼鏡を持って対抗したりなどした。翌朝起きると、いきなりぐるりの美しさに驚いてしまった。気持ちのいい晩秋の晴れた空の下で、広々とした畑では今しきりにビートの収穫が行われ、カラマツは黄金色に染まり、日高の山々は、真っ白に冠雪していた。本当に見事だった。僕は朝御飯もそこそこにして撮影を始めた。素敵な一日が始まる予感がした。その予感は的中して、一日中美しい風景を写し続けることができた。
■最上の37歳の誕生日
その日、僕は37歳の誕生日で、最高の誕生日の一日を過ごすことができたことを神に感謝した。しかし、日の暮れるのは早く、4時を回ると辺りはもう薄暗かった。こうして長い晩秋の夜が始まる。僕たちは、久しぶりに温泉に入り、その足で一気に足寄町にあるオンネトーという湖まで行った。温泉では新聞で明日からの天気を知り、そこで十勝平野の撮影を打ち切り、オンネトーまで足を延ばしたのである。本当は背後に迫っていた写真展の準備のこともあって、これ以上東に進むことをためらっていたのだけれど、思い切って東に向かった。翌朝からはオンネトー、ペンケトー、阿寒湖といった湖を撮影し、翌朝摩周湖の夜明けの撮影をやるつもりで、摩周湖の第一展望台近くの空き地で眠った。その夜は非常に風が強くてせっかくのご飯をひっくり返し、固いご飯を食べなくてはならなくなったのが寂しかった。
翌朝は、晴れるどころか雪で、一面真っ白だった。撮影にはならなかったので、その日は一路太平洋に出て、涙岬にむかった。涙岬というのは厚岸町から霧多布湿原への道中にある岬で、岬の先端の岩がアイヌのかわいい女の子の横顔に見える。ぼくはそこで夕日が沈んでいく写真が撮りたかった。しかし、あいにく晴れてはいなかったので、その夢は先に延ばさないといけなくなった。それから再び夜の内に摩周湖のある弟子屈町に戻り、暇だったので泉の湯という温泉に入った。ここは弟子屈に来ると必ず寄る温泉で、一人150円で入れるという魅力いっぱいの温泉。北海道各地の温泉がゴウジャスになり、値段が高くなっている中で、泉の湯がいまだ、150円で健在であったことが嬉しかった。
翌朝は、屈斜路湖の撮影後、野上峠を越えて、斜里岳山麓に広がる丘陵地に出る。あいにく斜里岳は雲の中だったけれど、着いた頃は晴れていて、ここでも、真っ白な丘陵風景と黄金色に染まったカラマツの防風林のコントラストが見事だった。しかし、ほどなく曇ってきて晴れ間はすっかりなくなってしまった。今回お送りする作品の一枚はこの時撮影したもので、晴れた丘陵地帯では味わうことができない、しんみりとした晩秋から初冬の風景がそこにあった。ぼくはこの作品を撮影しながら、なぜかシューベルトの「冬の旅」を思った。もしシューベルトが生きてたら、この作品をシューベルトに見せたかった。
その内についに雪が降ってきて、更に吹雪き始めてしまった。そして、雪間遥か彼方の丘の中へ、あまりに早い太陽が沈んでいってしまった。午後3時50分位のことである。
夜になったので撮影を切り上げ、近くのスーパーへ行き、天気予報を聞いてみると明日は晴れだという。しかし、写真展の準備があったので、泣く泣く明日の撮影をあきらめ帰路に着いた。夜の内にできるだけ西に戻ろうと思い帰路を急いだが、オンネトーの側を通過する頃から空が晴れてきて、ちょうど良かったのでオンネトーに寄っていくことにした。オンネトーへの道は凍結してつるつるだったので、恐る恐る進み、いつものオンネトーの広場にたどり着いた。たどり着いた頃、ちょうど上弦の月が針葉樹の黒い影の彼方に沈みかけていたので、これを撮影した。最近、F値の明るいい望遠レンズをそろえていたので、さっそくこの望遠レンズを含めて沈みゆく月を心ゆくまで撮影し、その後月が沈んでからは星の撮影にかかった。少々霞はあったが、3台のカメラで星の軌跡を狙い、赤道儀ではアンドロメダやペルセウス2重星団などを狙ったが、それも2時間程度で曇ってきたので中止して眠った。今回お送りする星の軌跡(オリオン座を中心とした冬の星座の軌跡)はこの時写したもの。北国の針葉樹と葉を落とした広葉樹の枝振りが混じりあっているあたり、北海道らしい星の作品になりました。
翌朝は一路、ひたすら函館に向けて帰ろうと思ったが、上士幌町の風景があまりにきれいだったので、寄り道を繰り返しながら帰ることになった。そして噴火湾に沿って南下していると、大雨になり、雷が鳴り響くなど、大騒ぎの中の帰路になった。それでも、単調な運転の気分転換にふかし芋を作ったり、うどんをつくって食べたりしながら帰りました。しかし、車の中でうどんを作っていたとき、あまりに雷が激しくなって来たので、うどんどころではなくなり大急ぎで避難したということもありました。
こうして無事に函館に着き、大急ぎで写真展の準備をし、14日〜21日の写真展に出かけました。第4回の札幌サンピアザでの写真展です。今回の作品のテーマは晩秋の写真展ということもあって「静か」な雰囲気のある作品を選びましたが、会場で行ったアンケートでは新緑の渓流の作品が一番人気になりました。今回の写真展も多くの人が来てくれて、アッと言う間に一週間が過ぎていきました。なかでも、第2回の写真展で知り合った25歳の若き二人の友人が車の中で眠っている僕たちのところへ差し入れを持ってきてくれたことや、近くにお住まいの女性の方が、炊き込みご飯を作ってきてくれたり、関東からはるばる訪問してくれた女性の方もいたりと、数多くの暖かい人たちに抱かれての写真展であることが嬉しくてなりません。写真展の準備は大変な点もあるわけですが、このように数多くの人と出会い、そして、じっくりとお話を重ねていけるという時間があまりに尊くて、尊くて……。
★最後になりましたが、そして言うか言わぬべきか迷いましたが、この場を借りてお話しさせていただきます。
この北国通信を通じて風景を共に愛して下さっていた、徳丸明美さんという35歳になる若い女性の方が、この夏神様のところに召されました。僕たちはカレンダーの時季、旦那様からのご注文と共にこのことを知らされました。あまりに大きなショックのためしばらくカレンダーの注文にも応じることができませんでした。いつか人は必ず神様のところに行って、お星様になるのですが、明美さんはちょっと早すぎました。無念でなりません。天の川の中に輝く青い星は、神様のところに行く人がともすかがり火だといいます。今度、天の川を見るときには一つ青い星が輝いていることに気をつけて見てみましょう。天の川は遠いですから、明美さんがお腹をすかさないように、寒くないように、みんなで地上からも暖かな明かりをともし、共にお祈りしてくださいね★
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