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丘のうえの小さな写真館 北国通信の世界
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第81号 北国通信『冬の情景』 2003年1月
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●No1 第81号 JAN 2003
今から、ちょうど一年前、2002年の1月。僕たちは顕微鏡を中心とした撮影機材の調達のために東京へ旅に出ました。あれから一年、インターネットに接続してからはその必要が半減します。函館は自然がたくさんあるところですが、“もの”がないのがつまらないところでした。市内に出かけていっても、ほしいと思う物がどこにもなくて、寂しい思いを重ねていました。しかし、この一年での様相は様変わりして、必要な物、ほしい物の調達がとてもスムーズにいくようになりました。つまり、函館での不満の1/3はインターネットによって解消されたわけなのです。インターネットというのは、僕のような地方に住む者にとって、とても有効なものだと思います。
これで、自然と物という自分にとって必要不可欠なものの内の2つが手に入ることになったわけですが、残りの1/3を占める”“人”との交際という点では不満が残ります。
函館は言ってみれば、北海道という島の、更に陸の孤島的な位置にあります。その昔、北海道の玄関口として栄えた頃は良かったんですが、今では年々人口が減少を続けます。この傾向は全国的だと思うのですが、函館も例に漏れずその傾向を示します。この人の減少が心の残りの1/3の寂しさの原因です。例えば僕は自然が好きですが、自然を媒介に人と交流していくサークルがあったとします。もし、そのサークルが続いていくには、どうしても後継者が必要です。つまり、歳の人から若い人、子供まで幅広い年齢層がなくてはそのサークルは持続しません。全国一律の学校の勉強ではなく、教え、伝えられていくそのような社会的なサークル活動が必要なのだと思うのですが、どうでしょうか?今の函館などは、どうもこのような活動が少ない地域であるような気がしてなりません。これが残り1/3の心の満たされない部分ですが、何かいい方法はないものでしょうか?
さて、この一月は前半ヨーロッパに行くための語学の学習に取りくもうとしましたが、挫折します。毎日毎日美しい雪景色を横目に見ながらの学習はやはり続きません。それで、一時期に基礎を造って……というもくろみをやめ、細々続けることにします。それで、体力回復を目指して大沼の散歩から自然界に復帰します。今年の冬は寒くて、1月の大沼は完全に凍りついています。凍った湖は一面の雪原です。それで、真ん中へんは恐いから、湖畔に沿って凍り付いた湖面を歩き回ります。普段の季節と違った視点、角度で目にする風景は何とも新鮮です。湖面を歩いていると、所々、湧き水がわいています。その周辺の色が変わり、良く見るとその中心部に穴があいて、水がわき出しています。そして決まってキツネやカラスの足跡が続いています。ぼくは何度も湖の氷を踏み抜いて落ちたことがあるので、びくびくしながらの散歩です。それにしても、静かな散歩です。誰もいないし、生き物の気配もありません。それでも、この静寂の中に色々な発見があり、帰路に着くとき、とても晴れ晴れした気分にひたれます。最近、僕は忙しい季節の中ではできないことを、時間がまとまってとれる、冬にやろうと考えていました。言ってみれば、半ば冬眠的な生活になるわけですが、このことが人間には向かないことだと悟ります。人は冬でも決して冬眠して暮らすことはできないんですね。しかし、それが、外部からの仕事で束縛されたものであっては、冬眠と変わらないのかも知れない。多分、余裕が生まれないのでしょうか?自然界の現象を幅広く感じるためには、もっとたっぷりとした時間と余裕がいるような気がします。
1月中旬には、大沼を舞台にホームページ改造のための撮影会をします。今のホームページはとりあえず過去の作品を紹介していくことを目標にしました。しかし、それだけのことでも初めての僕には大変なことでした。 |
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新しい『港の見える街で』を制作した
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新『港の見える街で』のケース裏デザイン。中に入ってない 6枚の作品をのせてみた。左下に最近取り壊された十字街の 三ツ源の作品をのせた。 |
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新しく創り始めたポストカード集『港の見える街で』。2月いっぱいで完成する予定。旧『港の見える街で』は500冊記念に手元に残して、販売終了となる。長いことお世話になった作品集だった。 |
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●No2 第81号
あれから約一年経って、ようやくもっと過去の作品紹介だけではないホームページにしたいという想いがふつふつとわき起こってきました。一年前あまりに大変だったので、もう2度触りたくない……、とさえ思っていたホームページづくりです。
寒いこと以外は、広い湖面が使えるので、撮影にはもってこいです。低い太陽の軌跡に追い立てられるように撮影をすすめましたが、これも、途中で中断です。後半は2月に回し、細々と時間の合間に組み込んで続けることにします。
1月後半は、『港の見える街で』というポストカードの制作に時間を使います。この『港の見える街で』というポストカード集は今から7年前の1996年に出版した函館のポストカード集で、この7年間に一度も改版をすることがありませんでした。そこで、この機会に……ということで、全く新しくつくりかえることにしたのです。12作品のうちの2作品だけを残し、残りの10作品を全く新しいものして、ケース表紙も完全に変えてしまいました。もちろん中の冊子も書き換えます。これと合わせて、函館の新作のポストカードも6種類ほど増やします。そして僕はこの制作に8日間をかけます。ポストカード集といえども、細かく納得のいくまで吟味を重ねると、意外と時間がかかるのです。また、このポストカード集の制作にあたって、函館の港に関する資料を読み直したりもしました。そして、最終的に小さな付属の冊子を書き上げるわけですが、ちっとも詳しくのせることができなくて残念に感じますが、このような度に、函館について色々なことを知る機会を得ることは楽しいことです。
そんな中、函館が古くからコンブの集散港として栄えてきた港であることを知ります。コンブというのはあのコンブですが、今でも函館のある渡島半島の東海岸は非常に優良なコンブが採れます。このコンブが長いこと函館の港を支えます。一般には開港や北洋漁業が函館の景気を押し上げ……とあると思いますが、あれは長い歴史からすると、どちらかというとバブル的な要素を持ったものだと思います。自然が将来に描こうとしていた時の軌跡を基準にすれば、長い目でみるとどこかに無理があるのでしょうね。開港が決まった1853年。政府は大急ぎで外国船が入港できるように、亀田川を津軽海峡側に切り替え、港を深く掘り下げます。もし、そうしなかったら、とっくに函館の港は亀田川の運ぶ土砂で埋まってしまっていた。しかし、自然の理法からすると、函館の港が埋まることは必然的だったわけです。そして、その後には美しい砂浜ができ、海水浴にはもってこいの入り江になっていたのでしょう。しかし、亀田川は切り替えられ、これでこれ以上浅くはなることはない。そして、今は入ってくる外国船が少なくなる一方で、新たに岸壁を造り、更に深く掘ろうとする工事が行われている。このようにあまりに大きすぎる自然の営みの中で、人は生きるためにどうしても自然の軌跡を変えようとする。
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●No3 第81号 JAN 2003
しかし、その多くの場合蟷螂の斧となる場合が多い。
だが、人は自然をつくり変え、架空の経済を作り上げ、そしてそこに多くの人が集まって一時的に活気を呈する。しかし、それは結局長く続けることができず、自然が元から描く予定だった方向に戻っていく。すると、人の数も自ずと身近な自然の質と量によって決まるという理法に沿ったものになってくる。このことは最初に言った、僕の心の1/3の欠損、人との交際に大きく関係する。人が減ればそれだけ活気がなくなり寂しい想いをする。それはそうなのだが、函館の黄金時代、人はこんなにはいなくても、活気に満ちていた。今の函館は人の数自体かつての何倍もいるが、活気があるとは思えない。そう考えると、やはりその土地が養える人の数は自然の質と量によって決まるのか、と思うようになる。そう、この心の欠損は人の数が少ないから……というのではないようだ。自由に息詰まった人がいくら集まってもやはりだめなのだろう。必要なのは自由と自然を崇拝する心。そんな心を持った人が集まれば、少数でも楽しいことになるのだろう。
さて、今月の作品は大沼を散歩したときからの作品2点。最初に言ったように冬の大沼は湖面が凍り、行動範囲が広がって非常に楽しい。確かに恐くて湖の中心にはさすがに行けないが、それでも、岸から10m位の範囲で、川が流入しているところでなければなんともない。いつかはカヤックなどを手に入れて冬以外にもこの視点で見てみたいと夢は広がる。星野道夫さんなどの南東アラスカの入り江などをカヤックで行く話を聞くと、ぼくも無性に乗ってみたくなる。僕は元来、船が好きで、車などよりずっと好き。今はゴムボートを一隻持っているだけでゴムボートは手軽でいいのだが、こいでもこいでもちっとも進まない。ところがカヤックならひとこぎ10mというからすごい。いつかはそんな快感を味わって見たいものだと思い思いしながら機会を狙っている。
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『港見える街で』
巡る季節の中
輝く光の扉を開きて港を歩く…
長き冬は去り
足音軽く、春が訪れる。
港から吹いてくるあの冷たかった汐風も
もう、決して肌を刺すことはなく
ほんのりとした潮の香りで僕を誘う。
そうして
春の花々にふちどられた石畳の坂道を行くと
春の風が樹木の葉をゆさゆさと揺らし
お日様の光がまばゆく揺れる。
坂道を通り抜けると
石畳は消え、細い土の道となって
森の中へと入っていく。
森の中では
樹木が膨らみかけた木の芽をほこり
空に向かって大きく春の窓辺を開け放つと
春の日差し、春の気配が
光となり、匂いとなり、歌声ともなって降り注ぐ。
森の陽だまりは
無数の小さな花々に彩られ
小鳥たち、虫たちがそこで歌い、そこに憩う。
森を抜け、港の見える高台に出る…
遠くの街並みは白く輝き
港を出入りする汽船は、時を止める。
海は穏やかに青く空を映し
山並みは遥かに続く。
なんとみな、まぶしく光輝いているのだろう。
遠い時代の余韻を残しつつも
季節はまた巡りきて、ここを飾る。
港の見える坂道の途上
ふりむくと港が見える。
港の見える街で。
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