の世界
84『Burst into blossoms…  2003年4月
●NO1

4月に入って、やっと北海道も春らしくなってきた。空気は生ぬるく暖かい。今までの冬の日々が嘘のようだ。しかし、今年はどういうわけか、この空気の暖かさ、快適さにどうも慣れない。冬の寒さにあまりに慣れすぎたせいなのだろうか?4月の初め頃のある日、僕はいつものように玄関の扉を開けて外に出た。すると、冬の終わり頃何回か経験した生ぬるい風があたりを満たしいて、肌にやさしくまとわりつくことがどうも信じられないのである。しかし、その日から春のぬくもりは毎日毎日続いた。何というぬくもり、何というやさしさだろう! 僕はこのぬくもりが明日になれば嘘のように消えてしまうのではないかと、不安でしょうがなかった。厳しいことが普通になると、人生の楽しさや心地良さを感じることができなくなるのだろうか?しかし、春のやさしさは僕を裏切ることなく、今も変わらず心地よくやさしい。そして、薄い茶色だった全体の風景も、ほんのりと淡い緑色に変わり始めてきたし、昨日から付近の桜が開花し始めた。僕の庭には残念なことに花が咲く桜がないが、その代わりアンズが3本あり、付近の桜とほぼ同時に咲き始めた。アンズは梅と近縁の樹木で、梅と同じ時期に同じような花を咲かせる。北海道は梅にはちょっと寒いので、梅よりもアンズの方が適している。ただ、梅とアンズは酸とアルカリの関係のように、これがアンズ、これが梅と言い切れるわけではなく、両者の中間の品種も数多くある。
 続いて、庭の話を続けて聞いて欲しい。僕は5年ほど前から春にも秋にもそのどちらにも美しく楽しめる樹木の組み合わせを模索していて、その組み合わせを実験的に試している。まず、右から白樺、ナナカマド、アンズブナ、カエデ、そしてコロラドモミと並べている。ここで、気に入らないのがアンズ。アンズではなくてオオエゾヤマザクラを持ってくるといいのではないか?と最近思う。しかし、オオエゾヤマザクラはまだ背丈1.5m程の苗木状態。前々年、慶ちゃんが3cmほどの大きさのオオエゾヤマザクラを山から持って帰ったのを育てているところなのだ。このオオエゾヤマザクラは本州のヤマザクラに比べてピンクが濃くて、非常に鮮やかなのが特徴。そして、濃赤色の葉と濃いピンクの花を同時に付けるので、なかなか見事な色彩を見せてくれる。自然界ではこのオオエゾヤマザクラとブナの新緑のコントラストが見事なのである。そこで、庭でもその組み合わせを再現しようと言う訳なのだが、加えてこのオオエゾヤマザクラとナナカマドとの組み合わせも面白いだろうと推測できる。道南では自然界、つまり山に行っても、ナナカマドを見かけることはほとんどないから、オオエゾヤマザクラとナナカマドが隣り合っている風景を見ることがない。しかし、ナナカマドはどの樹木よりも新緑が早く、真っ先に葉を茂らせて来る。ということは、オオエゾヤマザクラに添えてやると、絶対にサクラの濃いピンクとナナカマドの緑白色のコントラストは絶妙であるに違いないと考えるのである。ついでに言うと、ナナカマドは夏にシモツケのような白い花を咲かせ、それが秋には赤い実となり、葉も木全体ではまばらに紅葉する。そして、葉がすっかり落ちても赤い実だけ残り、その実の上に積もる雪帽子はとてもかわいい。こうして、ナナカマドは春から冬までずっと楽しめる木なのだけれど、一つ残念なのは、夏の葉が濃く茂り、暑苦しく感じることだろうか?まあ、これも、花が咲けば救われるわけで、庭に一本あると、退屈しないで鑑賞できる木と言えるのです。

●NO2

次は、コロラドモミについて。北海道で見られるモミの木は、一般的にアカエゾマツ、クロエゾマツ、ドイツトウヒなどですが、どれも葉の先が尖っていて、触るといがいがしてとても痛いものです。しかし、このコロラドモミは葉先が尖っておらず、触るととてもふんわりとしているのです。この柔らかくふんわりとしたもみの木を教えてくれたのが、札幌農林の伊藤会長。80歳をゆうに超える方だけれど、彼はコロラドモミの故郷に一度行きたいと、以前その夢を聞かせていただいたことがある。彼はこのもみの木を日本に紹介した人だけれど、一般的にはあまり知られていない。コロラドモミは別名コンコロールモミともいう。その緑はあまり濃い緑ではなく、年中淡い緑で、全体に白っぽい緑をしている。それで、その印象はやさしく、荘厳なトウヒもいいが、コロラドモミのやさしさは格別のものがある。さっき針葉樹の葉は濃い緑と書いたけれど、5月中旬頃には針葉樹は新緑を始め、樹冠の暗い緑色、黒に近い緑の葉先に淡い緑の新緑の葉を付けるので、そのコントラストは見応えがある。一年で一番針葉樹が生き生きとする瞬間である。
 こうして数種の樹木を並べて、季節の微妙なすれ違いや重なり合いの中で眺めていくことは実に面白い。昔、絵画の時間に、先生が山を描くとき、緑色が微妙に違っているでしょ!としきりに言っておられた言葉がよみがえってくる。小学生だった僕には先生の言うことが良くわからなかった。確かに樹木の緑は樹種によって微妙に違うのである。しかし、正確に言うと、この違いは樹種による緑色の違いと言うよりも、樹種によって葉を出すタイミングが微妙にずれることや新梢の色が違うために、違った緑に見える、と言うべきだろう。ということは樹木の緑の違いは、春のこの時期が一番顕著で、夏になって葉が出そろうと大差がなくなってしまうのである。ということは、その昔、僕の行っていた小学校では春のこの時期に学校の外へ写生会に行っていたのだろう、と想像できる。子供には良くわからなくても、この春の時期、樹木の緑の微妙な違いを子供たちに描き分けてもらうことは、とても大切なことのような気がする。
 ついでに言うと、僕は写生がとても苦手だった。学校の近くにある運河を写生に出かけたとき、僕は近景の運河、中景の建物、そして、遠景の山や空を一つの画面に入れようとした。その隣で友人の小野君は運河に浮かぶ材木の数本を微妙な色彩で描き分けていた。そして先生たちは誰もが小野君の描く絵を見て感心したが、僕の絵は見向きもされなかった。その後も絵画的な能力はいっこうに育つことはなかった。例えば友人の顔を描けと言われたことがあったが、僕はまず画用紙を均一に一色で塗り、その中央に目と鼻と口を小さく描いた。つまり真四角な顔の中央に小さな目鼻口を描いたものだった。誰からも何これ?!という目をされた。その画は廊下にみんなの絵と共に貼りだされたが、一人いた好きな子に見られさえしなければ、誰に見られても何とも思わなかった。万事がその調子で、絵画的なコンプレックスがとても強い子供時代だった。詩や小説を書くことについても小さい頃からずいぶん強いコンプレックスを持っていた。色々と読んでいく本の中の描写、特に自然描写に強くひかれたけれど、とても書けそうにないことがくやしかった。そしてその中から、色々と自然界の事をもっと知りたい!という衝動が出てきた。多くの子供たちは子供時代の自然体験などから自然へ関心を深めていく人が多いと聞くが、僕の場合あくまで子供時代の自然体験からではなく、外国の本への憧れが動機になっている。このように、自然を文学的に表現することに無性に憧れながら子供時代を過ごすことになるが、この想いはいまだに変わることなく増長を続けている。自然を知り、季節を知り、その微妙さを言葉と写真で表現したいという気持ちが年々

●NO3

強くなっていく。特に春になり、気候的に穏やかになってくると、周りの自然のことを考えるゆとりが心の中に生まれ始め、冬の間鈍っていた感性が呼び覚まされる。そして、自分を日常の何もかにもから解き放ち、心を純化させたいと一心に願う。
 ポストカードを創るという行為は、自然界を浅く表面的に概観していくという意味では、とても重要な意味があるけれど、自然から受ける感銘を深化させることには限界がある。その意味でカレンダーを創ることを僕は考えたのだけれど、カレンダーよりもっと細かく自然の細部に至る微妙さを表現するためには、本を創るほかにないと最近強く感じるようになった。
 さて、本を創るとして、いつ創る時間があるのか?僕は一年を傍観して考え込んでしまった。長年の夢であった本づくりだけれど、今のままでは時間がない。しかし、本を創るためにはどうしてもまとまった時間がなくてはできないだろう。そして、何より純粋になれる時間をもっと増やして、自然を見つめる時間を増やさないといけないだろう。しかし、歳と共に純粋になれる時間が少なくなっていることに気が付く。純粋になって、もっとこの世界を静観できるようにならなくては、いい本が創れるはずがない。そんな準備をようやく始めた今日この頃です。
 さて、今月の作品は海の作品と川の作品。北国の5月といえば、樹木の花や緑の作品を持ってくるのが常とうだろうが、今回はそれをやめてみた。そのくせ、樹木の話題ばかりを書いている自分は矛盾してるなあ〜と思うばかりだ。春が来ると、中学1年の英語を学んだとき覚えた、Burst into blossoms (バースト インツー ブロッサム)という言葉が頭から離れなくなる。日本語で言えば、破裂するように花が咲くことなのだろうが、この感覚は日本では北海道にいないとわかりにくいだろう。北の地方に行けば行くほど冬が長くなるので、その他の季節がその分短くなる。だから、春もその分短いわけで、たくさんの花たちはその短い春の訪れと共にいっせいに花開こうとする。北海道の場合、ちょうど山桜が咲く頃がピークで、そこら中が文字通り破裂するような勢いである。それが、ようやくおさまるのは5月も末頃だろうけれど、北国の季節のピークはそのペースを少し落としたまま6月、7月と続いていく。しかし、8月になる急速に季節は寂しくなり、静まっていく。そう考えると5月、6月、7月は北国のゴールデンマンスと言えるわけである。この時期どれだけ自分と自然に向き合って、純粋になれるか!これで一年の全てが決まると言って過言ではない。それが昨年、僕は撮影以外の仕事に悩まされて、この貴重な3ヶ月を失った。今年こそは、純粋に!もっと自由を!とはりきっている。準備も万端できた。あとは季節の風に乗り遅れないように出発進行あるのみです。がんばってきます!

【樹木配列と色彩の概念図】
上の図では、春と秋の樹木配列と色彩の感じを示してみました。まず、春ですが、カエデはオレンジっぽい黄色に、ブナは蛍光緑、ナナカマドは若干濃い緑、白樺は淡い緑という感じに描いています。これが秋になったときが右図です。もみの木は緑のままですが、カエデはオレンジから赤の諧調を描きます。ブナはオレンジ〜薄茶色、ヤマザクラはオレンジです。ナナカマドは緑黄色、オレンジ、赤の3色が混ざり、最終的に濃い赤色になります。白樺はひたすらに黄色。この樹木の季節による色彩的な植栽は街路樹を植えるときなどに有効だと思われるのですが、現在日本のどこもそんな気持ちはないようです。まあ、街路樹でこれをすると、ちょっと派手かなあ?と思うのだけれど、実際山に行けば、これに近い色彩が支配的なのだから、別に日本的な情感を損ねないと思うのだけれど、みなさん、どう思いますか?
【春の丘のうえの小さな写真館】
【新しい看板ができました】
実は、丘のうえの小さな写真館にはしばらくの間、看板がありませんでした。昨年の風の強い日に折れてしまったのです。それで、新しい看板を造るのが僕たちの夢でした。それをついに先日5/1日から4日間かけて完成させました。写真はそれを祝しての万歳の様子です。有〜ぽんの後ろにある木は白樺で、この木は僕が種から育てた木。もう背丈3m近い。看板を落成したついでに、「北海道星空保護協会」「風景科学研究所」の看板を添えた。そのどちらも活動はこれからだけれど、僕たちの心の象徴としてかかげた。「北海道星空保護協会」の方は会員募集中。名前だけでも貸してくれる方はご連絡下さい。もちろん、会費などは全くなく、美しい星空を愛する心を持つ人の集まりを創りたいという想いが出発点。
春の丘のうえの小さな写真館です。今回話題にした樹木の並びがかすかに見えています。左側の大きな木は八重桜。八重桜は成長も早く、派手な花をたくさん付けるけれど、この木は短命な木で、あまり僕は好まないが、この家を建てた人が植えたらしい。特に天命が迫ってくると、八重桜などは子孫を残そうと懸命になって、たくさんの花を咲かせようとする。わ〜きれい!!の裏側には桜の命のあわれ、はかなさがあることを忘れられない。こういう目線で木を見ていくと満開の桜の木に「おい、あんまり無理するなよ!」と一言声をかけたくなる。
【庭に咲いたクリスマスローズ】
【ブナの新葉】
以前お世話になっている、札幌農林の方から、一株150円で買ってきたクリスマスローズ増えて、今年たくさん咲いている。クリスマスローズは花の時期が長くて枯れてもきれいに咲いているように見える。
こういう写真は時期をず〜っと連続的に写したものを見ていただいた方がいいと思うけれど、それは今度に譲るとして、ブナの新葉が出ようとするところの写真。ロケットのような茶色の筒から緑の葉が出てくる。この中には何枚もの葉が折り畳まれて入っていて、これらが日増しに開いていくと、葉がどば〜っと出て、木全体がぐ〜んと大きくなる。以前は山に行って新緑した樹木を見てそれで満足できたけれど、この頃はそれが、徐々に膨らんで開いていく姿であるとか、樹種による出方の違い、出る時期のずれなどに興味が尽きない。
【アンズの花】
【スモモの花】
今年は見事にスモモの花が咲いた。多分桜の花をイメージしている方だと、想像以上に小さい花にびっくりされると思う。しかし、花は小さいけれど、芳香は甘くかぐわしい。これは、バラも同じことで、ハイブリッドティーローズなど品種改良された大輪のバラなどは見た目に派手で綺麗だけれど、原種に近いバラは花は小さくても、その芳香は何とも言えないくらい甘く陶酔的である。このへん好みが分かれるところだと思うけれど、僕は見た目に花が小さくても、香りが良かったり、健康である樹や花の方が好きな方だ。スモモのいいところは摘花せずともそのまま実がなってくれることで、なんとも手間いらずでおいしい思いができる。
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