僕が写真家を志して以来10数年、天気にあまり恵まれた記憶がない。 もっとも、北海道に初めて来たとき、僕は星の撮影がしたかった。しかし、いっこうに晴れないので北海道で星の撮影をやっていくなんて無理だろうとがっくりした。なにせ、その頃、北海道といえば、日本で一番美しい星空が見られるところとして評判だったのだから。神戸の天文の先生が僕に言ったことに「北海道は真っ暗だぞ!」 「いいぞ!」だった。しかし、いくら真っ暗なところがあっても、晴れないことと、機材が買えないこととのダブルパンチで僕は星の撮影はできないことを悟る。それで結局、晴れなくてもやっていける風景への道を模索し始めるのだけれど、そのきっかけになったのは前田真三先生の『丘の四季』という作品集を見て、実際に冬の美瑛に行ったことだった。その後、僕は美瑛よりも白鳥や秋の樹木を写す方向へと向かっていく。こういった、星から風景全体への転換は、前田真三先生の撮られた美瑛の風景の影響もあるけれど、それ以上に幼い頃の印象が大きかった。幼い頃、僕は子供向けの図鑑を少し持っていて、その中にあった奥入瀬渓谷や九州の高千穂峡といった、涼しげな渓流風景を子供ながらにいいなあと思っていた。今思えば、地味な子供だなあと思うけれど、とにかくそういう想いを持った子供だったようだ。そういう子供が大きくなるに連れて、西洋の文学に触れて、詩人に憧れる。いつしか色々なところに行って、詩を書いていきたいと思うようになっていたのだけれど、そのような想いは受験、学校の勉強、就職といった現在日本のスタンダードな生き方によって圧迫され始める…。 しかし、結局僕は自分の思いを通してしまう。純粋な詩人としてではないけれど、その代わり写真家になっていった。このように導かれていったのには、自分でもどうしようもできない大きな力が自分に働いたからだろうと思うしかないところがある。しかし、後で分かったことだけれど、奥入瀬渓谷の清流の写真は前田真三先生の撮影されたものだった。僕は少なからず前田真三先生から大きな影響を受けている。 その前田真三先生だけれど、彼は1965年44歳の時に写真家を志し、日本の風景写真の第一人者と言われるところまでになった人だ。1965年といえば、僕が生まれた年。偶然にも、僕が産まれた歳に、前田真三氏は会社を辞めて、風景写真の世界に入ったのである。 前田真三先生は風景写真に革命を起こしたと言われる。その訳は、それ以前の風景写真というと、必ず前景、中景、遠景といった風景の3要素を含んだあたりまえのものしかなかった。しかし、前田真三先生はこの定型を崩し風景の中の一部を切りとることで、より主題を鮮明にする方向を開かれた。前田真三先生は「風景は切り取りの芸術」という言葉をよくお使いになっておられた。こうして、今では当たり前とも言える風景写真の基礎をお創りになったのである。 前田真三先生の作品を見ていくと、実に望遠レンズで撮影されたものが多い。特にゾナー150mmと250mmといった中望遠レンズの使用が多くて、その次は38mmという超広角レンズの使用が多い。これに比較して僕はどうかというと、 50mm〜120mmくらいの一般的な焦点距離が多く、それ以上の望遠も、広角もほとんど使わない。 写真家が風景と対峙するとき、被写体と自分とのふさわしい距離というものがある。例えば、一輪の花を写すとしても、その花をどういう距離から撮影するかは、写真家の好みによるところが大きい。前田真三先生などは比較的その距離は離れていて、150mmレンズを使用されていることが多く、僕などは150mmで撮ることはほとんどなく、120mmで撮影することが多い。たかだか、30mmの違いなのだけれど、実際にやってみるとその違いはすごく大きいことが分かる。日本の古い言葉で言うと、このことは「間合い」をとる、などと表現するのだろうが、この間合いの取り方を体得することは思いの外難しいことが分かる。僕などはいまだに自分の間合いの取り方が一定せず、いっこうに安定しない。何を今までやってきたのか!と
思うと、自分でもいやになるところなのだ。前田真三先生などは「自分がこうだと思ったレンズで撮れないと分かったら、撮らない」とまで言及される。このことを聞いたある人が言うには「自分はそんなことはしない、気に入るまでレンズを変えて何が何でも撮影する」と来る。 僕には、前田真三先生がそんなことを言ってるのではなくて「間合いの大切さ」をおっしゃっておられることがわかる。こう見ていくと、風景写真はどこか剣道と似ている。風景と自分が一番しっくりとくる距離を見つけていくことが大切なのである。 僕の場合、そのしっくりとくる距離感はいつになったら身に付くのだろうか?この春に僕は実にフィルム10万枚を達成した。それなのに、風景とのほどよい距離、その距離感が自分のものになっていないことに気がつく。うまくは言えないけれど、このことが体得できない限り、いい写真を長年に渡り創っていくことはできないだろう。 実は、この間合いの取り方がなかなか体得できない理由として、制作と撮影とをバランス良くこなしていないことによると最近気がついた。それで制作中でもそれに没頭するのではなく、季節との交流を絶やさないようにすることを目標に掲げた。そのためには、カレンダーの制作でも今までのように8月から始めるのではなく、3月から始めよう!という方針を立てた。それで、まず今年は、実験的に6月から始め、ここ数年制作でとぎれていた8月、9月という季節の流れを止めないようにすることを目標にした。この数年間僕たちには、8月以降時が止まってしまっていたのです。そして、作品の質に関わらない部分の制作時間短縮のために、コンピューターシステムの増強を行います。コンピューターシステムの増強は、お金があればすぐにできるでしょうが、お金も場所もない僕たちのこと、長い時間をかけて作り上げました。それで間もなく、当面の増強は完成する予定で、実にコンピューター6台、プリンター6台の構成です。僕がメインで使っているコンピューターがMacのG3というコンピューターで、一番最速です。それでも、3代も前のコンピューターなので、最新型と比較すると、遅いものです。今まで、プリンターコンピューターとも2台でやっていたので、少なくても1/3の時間に短縮できるはずなんです。それで、制作を6月から始めたので8月9月10月と活かすことができる予定なのです。 こうして、季節の流れを止めない工夫をこの一年やってきたんですが、もし、これがうまく行けば、写真集だって創ることができます。写真集なら黙ってその制作だけでも3ヶ月以上かかることは間違いないでしょうからね。たいていの写真家なら僕の年齢にはもう1冊や2冊の写真集があるのが普通でしょう。しかし僕の場合、制作する時間をつくる自信がないことと、季節の流れを止めている自分への不満があったので、長いこと写真集の制作をあきらめていました。ところが制作と撮影というこの二つの相反する仕事にうまく折り合いがつけることができたとき、僕はもっといい作品を創れるようになると思いますし、写真集の制作もきっと夢ではなくなります。そのことを夢見てこの一年じっと苦手なコンピューターシステムの増強と向き合ってきたのです。 そして、文頭申し上げたとおり、今まで僕は天気天候にあまり恵まれてきませんでしたが、今のところ今年はいつになく天気の良い日が続いています。もっとも星の撮影をするには今までのところ、チャンスは一度もないから大変です。星の撮影にはこの程度の晴れでもだめだし、せっかく晴れても月があると撮影ができないからなお大変です。しかし、星以外の風景を撮るには絶好です。そうそう、雲もだめですね。長いこと空とか雲の撮影をする機会がありません。ねえ、最近奇麗だなあ!という空や雲を見たことがありますか?僕は、結構気にしてるんですが一度もありません。恐らく、ここ半年はないですね。日記を調べてみると去年の10/13以降空と雲の撮影をしていないと記しています。ところが、少なくとも、雨は降らないので花の美しさは格別です。今年、丘のうえの小さな写真館の庭のバラが絶好調で、とにかく咲き誇っています。こんなことはここ数年一度もありませんでした。朝起きて一歩外に出ると、バラの香りで辺りの空気が充満しているほどです。誰も知らないですが、これでは丘のうえの小さな写真館はバラの館ですね。バラの花は好みもあると思いますが、僕はバラが咲くとなぜかリッチな気持ちになります。辺りがバラの香りに満たされて、とても幸せな想いがするのです。かの前田真三先生も一時期バラ栽培に夢中になられたことがあるそうですが、僕もバラは大好きです。特に、ツルバラが好きで、あの力強さには感心してしまいます。信じられないエネルギーで力強い新梢を出し、その先に見事な花を咲かせます。今年の初め実は一生懸命株まわりに肥料をあげて回っていたんです。その甲斐と太陽のおかげで、見事にバラが咲いています。 空や星と違って、花などを撮影するには天候を選びません。晴れても、曇っても、雨が降ってもその時どきの写真になります。しかし、花びらや葉っぱの質感を出すときには、曇っているときの方がずっといいのです。特に、黄色や白の花は難しいですが、基本的には曇りの日に撮影すれば半分くらいは成功します。この点花の撮影は比較的簡単です。花の撮影時期を予測することが一番難しいですね。 今月の作品は初夏に咲く小さな花2輪いってみます。
どちらも気にしていないと、見過ごしてしまう花ですね。 一枚の方は、コイワカカガミという花の作品です。(ピンクの方です) この作品は北海道の道南、恵山というところで撮影しました。恵山は函館から東へ50km程、亀田半島の東端に面した火山で、とても花が多いところです。このコイワカガミはそんな恵山でも一番素敵なところに咲いていたものです。写真ではわかりませんが、このコイワカガミが咲いているところは、小高い丘に続く道で、その道からは青い海が望めます。そんな道沿いにずらっとコイワカガミが咲いているのです。「海の見える小径に咲く可憐な花!」いい感じですよね!まるで夢の中のお話のようでしょ!でもこのお話は現実なんです! でも、この情景は悲しいかな写真では表現できないので、いつか慶ちゃんにお願いして絵にしてもらいますね。楽しみに待っていて下さい。 もう一枚は、うって変わって日本海江差の海岸に咲くハマニガナという花です。タンポポに似ていると思いますが、違うんですよ。茎がすごく短くておかしいですね。名前の通り、砂浜に行くと、ハマヒルガオなどと一緒に咲いています。以外と忘れがちですが、砂浜って花がいっぱい咲いています。この時期の海岸に行くと、なんだか宝石探しのような気分で砂浜を歩けますよ。原生花園ってご存じだと思いますが、8月に行ってもだめで、この6月〜7月がピークです。「何とか原生花園」なんてぎょうぎょうしく書いてなくても、北海道中の砂浜の全部が花園です。そこで今回は数ある砂浜の花の中から、あまり脚光を浴びないハマニガナに登場してもらいました。8月になると原生花園は花のピークを終えていますが、今度はツリガネニンジンという名前の花の時期を迎えます。その頃って、派手さはなく妙に寂しげなんですが、これもなかなかいい感じです。山や森だけではなく、海にも花が咲いていますから、この時期海へのお散歩もお忘れなく!