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丘のうえの小さな写真館 北国通信の世界
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第91号 北国通信『凍える季節』 2003年11月
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●NO1
北海道というと、十一月は季節はずれの月。季節を写している人間にも少しゆとりが生まれる月でもある。
普段考えることができないことを考えたり、普段学ぶことができないことを学んだりできるチャンスでもある。
今年2003年の十一月は例年になく暖かい日が続き、今なお庭にバラが咲き残っている程である。しかし、11/22日早朝から雪が降り始め、午後には吹雪となり、辺り一面を真っ白に染め変えてしまった。しかしこんなことはよくあることで、覚悟はとっくにできているのだ。
僕が初めて北海道に来た年、今から17年前の11月。冬がいっぺんに来るなんて知らない頃のこと。一晩で40cmの雪が積もって、学校から家に帰り着くことができなかったことをいまだに鮮明に覚えている。幹線道路からひとたび住宅街に入ると、除雪されていない雪のために車が進まなくなり、友人3人と車を押しながらアパートに帰った。なんとかアパートに帰り着いても、今度は雪でアパートに入ることができない。今なら、雪かき用のスコップなどを常備しているから何ということのないことでも、雪初体験の自分には初めから大きな衝撃となって雪が降りかかってきた。結局雪に不慣れな自分はその冬中日記に「克雪!克雪!克雪!」という文字を何度も書き記している。特に、車を手に入れてからはひどいものだった。ご存知の人も大勢おられると思いますが、車には後輪駆動のもの(FR)と、前輪駆動のもの(FF)と、そして前後輪のタイヤが一度に動く(4WD)の3種類がある。どのタイプの車が雪に強いとか、弱いとかそんなことを全く知らないその当時の僕は、不運にも雪に最も弱い後輪駆動(FR)の車を購入してしまう。それ以降、車には泣かされ続け、冬になる度に雪にはまって動けなくなり、悔しい思いを繰り返していきます。「雪にはまって動けなくなる」って何を言っているの?と思う人もおられると思いますが、なんてことはありません。ひどいときにはスーパーの駐車場から出られなくなったり、ほんの少しでも坂になっているその途上などで止まったときにも同じく発進できなくなってしまいます。これは、駆動輪が後輪にある後輪駆動車の特徴で、前輪が発進の時抵抗となってしまうためですね。しかし、後輪駆動よりはましとは言え、前輪駆動車でもあまり変わることはなく、やはりちょっとしたことで動かなくなってしまいます。こういう理屈は十分に分かり、一冬に何度となくはまって動かなくなり、悔しい思いを重ねていくのですが、結局4輪駆動車に乗り換えるだけの予算はどこにもなく、長い間後輪駆動車で撮影を続けていました。当時、車にお金を出すなんて考えられず、それを維持するだけでもアップアップしていた頃だからしょうがありません。それで、ずいぶん苦し紛れの対策をこうじますが、どれも、前輪の抵抗を大幅に軽減できるほどに有効ではありませんでした。
しかし、ある冬の途上、美瑛町に丘の風景を撮影に行ったとき、そこに到着して30分も経たない内に、右上がりの緩やかな坂道の途上で、前にも後にも動けなくなりました。前には進めず、後には雪の壁があったのです。がっかりしたものの、雪の壁を削りながら脱出を試みていると、そこに農家のどら息子らしき人物がやってきて、じゃまだから車をどけろ!って言ってくる。別に道をふさいでるわけではないので、どうも僕が目障りなだけらしい。たいてい困ったときにはお互い様という気持ちから、助け合う場面なのだが、助けるどころか、邪魔だといってくる。いやあ〜その時は悔しかったですね。「4WDがあればな〜」と何度も何度も思いました。それで、函館に帰ってからいけないと思いつつもアルバイトを増強して、必死に「4WD貯金」を始めます。そうして、それから数年してついに念願だった4WDの車を買うことができるのですが、それがとんでもないぼろの車だったんです。安いにはそれなりの訳があるとは思ったけど、それ以外の車を買うことができなかったのでやむえないところだったのです。それ以降、僕はずっと4WDを乗り続けているけれど、4WDになったから冬道が安全に走れるようになった
わけではなく、4WDになって初めて普通に走れようになった程度でしかないのです。
ある時驚いたのは函館から長万部に向かう国道5号線上でのこと、延々と続く直線道路上で、路肩に何台もの車が落っこちている。どうしたのかなあ?と思ったら、突然車がふわ〜っと浮いたような感じに襲われる。それで多くの車がまっすぐ走っていることさえできなくなって、路肩に落ちていったわけなのです。ところが、4WD車では路肩転落の一歩手前くらいでその場の危険を回避することができる。というのは、4WD車は駆動輪が4つあることで、地面との抵抗力を1/4に軽減することができるからだろう。その時ほど、この当たり前の物理現象に感謝したことはない。それでも、4WDだから招いた事故もある。函館の冬の大三坂でのこと。4WD車は坂道を上っていく能力が大きく、たとえ凍っていようと、どんどん上っていく。しかし、ある程度までしか能力が無く、その限界を超えたときにそれ以上登れなくなり、下に向かって落下していくのである。まるで急な滑り台が登れなくなるような感じなのだ。結局、僕の運転する4WD車は大三坂の途上でそれ以上登ることができなくなり、無念にも落下を始め僕の前に落下した車にぶつかって止まったのである。その後、僕と同じ境遇の車が次々と坂の上から落下してきては、僕の車にぶつかって止まっていったのである。こんなこともあるから、決して4WDだから安全に走れるなんてことはありえないのです。
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●NO2
こうして冬を間近に迎えるこの季節は何かとトラブルに巻き込まれ始める季節でもあり、冬の車の運転を考えるといやになってしまう。しかし、車の運転を除けば冬はそれなりに美しい季節であるし、撮影にしてもテーマが明確になって申し分ない季節でもある。
まず、たいての年、十一月は銀の月と呼びたくなる色彩が世界に充満してくる。この銀色は時に黒銀だったり、灰銀色だったり、青銀色だったりと千変万化する。しかし、必ず十一月には十一月の基本をなす色があって、それが銀色なのだと僕は考えている。そんな季節の中で、信じられないくらい冷たい肌を刺す寒風を受けるようになると、僕は自分の中にそれを拒絶する心とそれに立ち向かっていく二つの心が葛藤を始めることを知る。そして、その寒さに怖じけつくほうの心は南に住む人たちにコンプレックスを抱かせ、執拗に南への憧れとなって胸の中にわき起こってくる。
それに対して、もう一つの寒さに向かう心は、銀に彩られた世界を放浪したいという気持ちへと昇華していく。今回の作品の一つはそんな想いを抱きながら北海道東部の旅の途上に撮影したもので、この頃の道東の風景にはなぜか心が揺さぶられるものがある。そして点在する沼や湖、そして海などを巡って、その暗く陰鬱な色彩に何か言葉にできない感傷を抱くのである。だが、この一見矛盾した二つの心の葛藤は、別に仲が悪いということはなく、いつも心のどこかで均衡し、折り合いがつけられている。だが、いつの頃からか南の穏やかさへの憧れの方が年々強くなっていることを意識することがある。このことはこの時期渡り鳥が南に帰っていくことを意識するようになってきてからでもあるし、海に沈みゆく冬の天の川の美しさに感動し、その先に南の国があることを強く意識するようになってからのことでもある。それまで山の中や森の中で冬の天の川は何度も見てきたけれど、海の中に流れ込む冬の天の川を見たのはその時が初めてで、それ以来、北と南の関係や連なりが気になりだしたのである。
そういうわけで北海道に来た当初、僕の目には北のことしか映らなかったけれど、最近ではどうも南が気になってしょうがない。それは、食べ物や飲み物に触れるときにも確かにそう感じる。僕たちは休憩毎にお茶をよく飲む。それが緑茶だったり、紅茶だったりコーヒーだったりするけれど、そのいずれもが南の地方からきたもので、お茶を飲むたびにそれが放つ南の香りに満たされる。北の凍える風景を見つめながら震える体を温めるのは、なんと南の国から来た飲み物なのであり、お茶を飲むたびごとに北にいて南を感じ、このやさしい香りを放つお茶を育む南のことを思う。もちろん、南を感じるのは飲み物だけではない。食べ物でもしきりに南が意識される。例えばかつお節一つにもインド洋の大海原の暑さを感じるし、イカを食べるときにも九州から対馬暖流に乗ってはるばるやってくるイカに南を思う。
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〈十一月 銀の月〉
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オホーツク海
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涙 岬 ーアイヌの少女の横顔ー
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晩秋のカラ松林
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●NO3
さて、このようなことを考えることができるのも季節はずれのこの時期のおかげであろうが、この時期は他にも普段できないことができたり、来るべく冬の準備をするには最適な時期でもある。しかしことのほか今年はやるべきことが多い。
まず、僕たちが着手したのはコンピューターシステムの増強だった。まず、自分が今購入可能な一番最速と考えるコンピューターを2台導入し、全部で6台とした。次に冬近くなって野鳥たちの餌が乏しくなってきたので、写真館の回りの餌台を増やして、餌を十分に置くことにした。それはある本で、北欧などでは吹雪の次の日には鳥たちが餌を食べることができなくなり、多くの野鳥たちが飢え死にするから、それを国を挙げて防ぐために、ニュースで「明日は、吹雪だから餌台をえさでいっぱいにしましょう!」と報道することを読んでからのことである。昨日もカケスという鳩くらいの大きな鮮やかな鳥が餌台に来たが、あまりに近くで見たカケスの大きさにびっくりしてしまったのです。もし、こんな距離でカケスを撮影したらカケスの顔のアップになってしまうぞ!と思ったほどでした。 次に、カメラレンズの無限のピント出しの練習、雪の結晶撮影の準備、顕微鏡撮影の振動防止法などについて、色々と実験を繰り返していますが、これからは、いまだに確立していない降雪撮影の技術を確立させようと思っているところでもあります。またその他では、白黒写真の現像&プリントや6×6判での撮影を始めよう!とかを計画しているところでもあります。ただ、これらのことも、12/8から行われる写真展の準備の隙間をぬってのことになって、なかなかはかどることはありません。
ここで、ちょっと写真展のことについて補足説明しますね。最近、ある方から「どうして札幌ばかりで写真展をして、どうして東京などでしないのか?北海道にこだわるのも一つの方法かもしれないが…」という質問をいただきました。ありがたい質問ですね。この方の他にもせめて仙台くらいで!とか函館ではやらないのか?と再三再四質問を受けるわけです。
自分の拙い写真でも見てみたいよ〜!と言ってくれる方々が全国に多数いてくれるというのは、本当に幸せなことですね。
でも実は先日、東京の銀座にある富士フォトサロンを見学してきたところなんですよ!知り合いから1週間で1万人くらいは来場するから!という甘い言葉に誘われたんですが、僕の感想は想像以上に静かなところだったのです。でもそれにめげず、札幌以外で写真展を開催できるそんな日を夢見てがんばっていきたいと思っています。
さて、話を続けます。白黒のことと、6×6判のことでした。白黒というと、昔の写真を思い出すと思いますが、最近色々
なところがデジタル的になってくると、なんかこう無性に昔に帰りたくなるんですね。最近写真でさえ一部を除きデジタ
ル色が濃くなってきています。例えば、一番顕著なのがデジカメといわれるカメラでしょうが、これに合わせるように
現像機さえデジタルになってきました。このデジタルの現像機のというのはフィルムをスキャナで読み込んでからプリント
する機械で、一台1000万円位します。しかし、どうせ一般のお客様は大きく伸ばさないという理由から、性能の悪いスキャ
ナしか組み込まれておらず、デジカメ共に大きく伸ばすことはできません。
それに対して従来のプリントは非常に原始的なもので、フィルムに光を当て、それをレンズを通して印画紙上で拡大するだけのことで、レンズさえ良ければ、畳一枚にでも伸ばせるほどの力を有します。つまり、レンズ設計やそのレンズの材質の選び方、レンズの作りの良さといった、人間的な工作能力がそれには求められていたのです。 そのもっとも原始的な、今なお人間的な写真の一分野が白黒の現像プリントだと思います。僕の場合、大学時代そんなこととも知らず、お金がないだけの理由でやっていました。つまり、その当時、白黒が過去のものになってしまい、デジタルなんてものが大きな顔をしだすことなんて予想もしなかった頃で、白黒の価値なんてその当時の僕にはとうていわからなかったわけです。
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冬の森深く、小さな谷間を流れる川にもしんしんと雪が降る。冬の森の中で生動するものと言えば、水の流れと降りゆく雪だけだ。この静寂と生動の対比などをうまく表現できるように、降雪の撮影技術をこの冬は磨こうと思っています。 |
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●NO4
まず、白黒現像というと、ネガ(ネガティブ、つまり陰画のこと)を創ることですが、今でもちゃんと十何種類の現像液が販売されていて、どのフィルムとどの現像液とを組み合わせて現像するかなど、カラーでは考えられない複雑な様相を呈しています。また、現像液を原液で使うか?とか水で何対何に希釈して使うか?とか現像温度を何度にして現像するかなど、自分の奥義のようなものが求められることもあります。僕の場合、素粒子現像という必要以上に感度を上げて撮って、粒子を可能な限り荒らして撮るといった特殊な現像方法の技術を開発した他は、結局大学時代の内には現像処方において、何一つ自分のものを確立できないままで終わりました。いやいや価値の分からないものは困ったものですね。
次に完成したネガフィルムを今度は引き延ばし機にかけて印画紙にプリントするわけですが、今度は現像のように複雑なことはありません。その代わり、一枚の印画紙上の一部を手で覆ったり、黒い紙で覆うことで、時間差をつけるなどして、一枚の写真の明暗をつけたり、無くしたりする暗室技術を駆使することができます。カラーの場合、現像所に外注しますから、そんなことは決してできず、撮影現場でほぼ全ての作品を完成していなければなりませんが、白黒の場合、暗室作業まで含めて撮影が続いているようなものですね。僕は、どっちかというと、現場主義で撮影時点でほぼ完成を目指すタイプですが、暗室作業まで考えて撮影する人も大勢おられるのが現状だと思います。
今の写真館ではあまりに狭く、場所がなく白黒現像をする場所一つないと今まであきらめていましたが、慶ちゃんのたっての願いで、この冬までに洗濯機の隣のわずかな隙間を改造して引き延ばし機を置きたいというのです。場所さえあれば、白黒の引き延ばし機などただ同然です。おまけに、フィルム現像に要するお金はフィルム1本あたり15円ほどと、問題になりません。フィルムも100フィート巻きのものを買ってきて36枚撮りに切り分けて使うと、ずいぶん安くできてしまいます。でも最近、このつめかえ用に使えるフィルム缶(パトローネという)がなくなりました。しかし、そんなこともあろうかと、実はこの詰め替えができるパトローネを大量にストックしていたのです。珍しく未来を読んでいますね。
この白黒の現像プリントをやるということと平行して、実は6×6判のカメラで撮影していく計画があります。 現在のフィルムは35mm判といって、25mm×35mmというサイズで、縦横の比率1:1.500という大変横長の画面のものが主流です。最近のデジカメはこれよりもっと小さい画面のようです。それらに対して、6×6判というのは6cm×6cmの大きさで、画面比率1:1、つまり正方形です。僕の父の頃、はたいていの場合6×6判という画面サイズが主流でしたが、現在この6×6判という画面サイズのカメラは衰退の一途をたどっています。僕なども、ポストカードを作る関係から正方形の写真を撮ることには抵抗があり、今まで3:4:5という均整のとれた画面比率の645判を使ってきました。しかし、最近になってひょんなことから慶ちゃんが「6×6判で撮らないの?」と聞いてきます。それに対して僕は「6×6だとポストカード作るときに困るから、やはり無理だなあ〜」と答えます。それに対して慶ちゃんがいうには「写真集なんか作るときには6×6判でもいいじゃない!」というのです。僕は、彼女からそう言ってもらって、なんかこう胸がす〜っとして、背中を押されたような感じがしました。
ところで、去年の年末にハッセルブラッドというスウエーデン製のカメラのことをお話ししたことがあったのですが、覚えていらっしゃいますか?
実は、このカメラは6×6判のカメラで、現在世界中で一番ポピュラーに使われている6×6判のカメラなのです。しかし、このカメラのレンズが信じられないくらいに高価で、撮影レンズを全部そろえると丘のうえの小さな写真館より高くなってしまうので、なかなか揃えられないから、今からゆっくりと揃えてきますね…というところでその時は話を終えたと思います。その後やはりなかなか思うようにレンズを揃えることができず、もう、6×6判は趣味でいいや!と思いかけていた矢先に慶ちゃんに背中を押されたということなのです。ですから、今後うまくいけば、このカメラで写すことができるようになり、みなさんにお披露目するときが来るかもしれません。今あるレンズでテスト撮影は終えているのですが、日本製の手抜きレンズとはどうも違うようですよ。この6×6判で写すということは、今のところ時代の流れと逆行していることなので、また色々と障害があることが予想されますがぼちぼちでも続けていこうと思っているところです。なんか、デジタルや最先端技術から、写真のおもしろさ、魅力を奪い返したいという想いもこもっているかもしれませんね。最近のプラスティック的な素材でできたものを使うって考えただけでもうそれだけでいや〜な気になりますね。便利な点もあるから手を伸ばしそうになるんだけど最終的に手を引っ込めてしまう。やっぱりいらな〜いなんて言いながらね。
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以上のように色々な可能性を広げてくれる季節はずれ…僕はこの比較的悠々と流れるときの流れが好きで、四季に隙間があることに感謝します。
しかし、今回お送りした作品のように、そんな季節はずれであっても、一瞬にしてまるで真冬のような様相に変わることもあるわけです。この時期の雪は気温の高さから湿った雪であることが多く、ひとたび降ればすぐさま森は真っ白になってしまうようですね。とても綺麗な世界です。そして、雪に閉ざされた森は綺麗なだけでなく、底知れない静けさに支配されるようになります。音楽ホールで演奏が始まる前のような息が詰まるような緊張感がず〜っと続いていくのです。この作品を撮影した夕暮れ間近は特にそうで、夜のとばりが森の中深くまでおろされるような不気味なほど静寂の世界なのです。
もう一枚は、去年の晩秋の道東の旅の途上からのもので、屈斜路湖を北見側に越える野上峠という峠の途中から屈斜路湖方面を振り返った光景です。
この峠の途上から見る屈斜路湖付近の光景はどこか日本離れした異国的な雰囲気を持ったところで、作品で見る以上に実際そう感じるはずです。なんか無名の山々の連なり方などにそんなことを感じさせる何かがあるのでしょうか?ここは僕が最初に言いました、銀の世界を強く感じる世界でもあります。とかく最近はこのような色彩を求めて11月、12月になると気持ちは北海道の北や東をさすらうようになり、永遠に続くかのような陰鬱や暗さの中に身を置きたくなるのです。しかし、この時期を越え、雪が大地を覆うようになると、たとえ昼間の時間が短くなったり、太陽の位置が低くなったとしても、まるで世界に明かりを灯したようになりますので、今度は雪と太陽の照らし出す明るい世界を旅ゆくことを求めるようになっていきます。 |
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北海道道東、太平洋に面した厚岸湖の漁村風景。僕は漁村が好きで、旅に出るとこのような写真をよく撮るようになります。 漁に出て余った餌を海に投げに出てきた漁師の奥さんのことをカモメたちは誰よりもよく知っていて、奥さんが出てきただけでも無数のカモメたちがどこからともなく飛んできて、乱舞を始めるのです。 |
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