の世界
第101号 紫式部実る頃 2004年9月
紫式部の実
紫式部の実
●NO1 SEP. 2004

9月の中旬になってようやく北国通信の第100号を旅立たせることができた僕たちは、その後も撮影に向かうことができず未だに足固めの状態にいる。このことを先月北国通信に書いたら、お客様の一人から、今は撮影よりも足固めを…」という励ましのメッセージを戴くことになった。この言葉は今の僕には何にも替えがたいほどに嬉しい言葉だった。自分の年齢を考えたら、こんな時点に来て撮影機材の見直しをしているようではいけないということはよくわかっており、その分、胸中は焦りに焦っているわけである。
■ハッセルブラッド望遠レンズへの道
 第百号を送り出してから、僕たちは更に機材の整理を本格化させていく。9月中旬、今度は望遠鏡を中心に整理して、計画通りにハッセルなどのカメラ機材にあてていこうとする。その途上、突如として念願だったテレアポテッサー500mmF8というハッセル用の望遠レンズを発見する。このレンズは定価が80万円以上もする望遠レンズで、5群5枚のレンズ構成、重量が1810g最短撮影距離が5mまで寄れるタイプの望遠レンズだ。なかなかお目にかかることのできないレンズだったが、その数日後無事に手に入れることができ、早速三脚につけて試写してみた。初めて手にするハッセルの望遠レンズである。その結果「やっていける」という実感が伝わってくる。僕がここまでハッセルの望遠レンズにこだわったわけは、長いこと我慢していた望遠を使いたいという一心からだった。
 というのは、マミヤ645を使っていたとき、マミヤ645用に用意された500mmレンズは2種類あったのだが、そのどちらも使えるようなものではなかったからである。まず、そのうちの一つ500mmF5.6というレンズはかなり大柄なレンズで、重量が2280gもあったが、色収差が大きいレンズで、ピントがぼけて、僕には使いこなせなかった辛い思い出があった。そしてもう一方は500mmF4.5APOという重量が5.4kgもある巨大なレンズである。これは重量もさることながら、価格もものすごく、定価で140万円もする。そんな関係で、僕はマミヤ645を使っていた頃、望遠は300mmまでで我慢しなければならず、長いこと400mm、500mmといった望遠レンズによる撮影をあきらめなくてはならない経緯があった。おまけに、マミヤ645のこの300mmF5.6レンズにも不満があり、長いこといらいらが募っていた。
300mmF5.6レンズは、F5.6でもあり、非常に軽量で710gしかないために重宝することも多々あったが、ちょっとでも前ぼけや後ぼけした写真を撮ろうとすると、そのぼけ加減が悪く、すぐにぐるぐる巻きのぼけが出てしまう欠点があった。例えば、10m程先に桜の花があったとして、その小さな花にだけピントを合わせ、背景をぼかして撮ろうとする等の場合など、僕はあきらめなくてはならなかったわけである。
 こういう事情から、どうしても望遠レンズが使えるカメラを使いたいという想いは積年の想いとなり、10年ほど前からハッセルをいつも横目で見ていたのである。しかし、ハッセルがいくら良さそうでも、あまりに高くて、その当時の僕が考えられるようなレンズではなかった。それで何度もマミヤに500mmのF8のレンズを造ってくれるようにお願いしたこともあった。その度に、北海道のマミヤの所長は「山下さんのようにF値を暗くしてほしいという方はおられない!」と言われたものでした。「でも、こんなに大きくて重かったら全く使いこなせない。」と強く主張したことを覚えています。
 小さなことかもしれませんが、500mmクラスのレンズにとって、F8であるかF5.6であるかは大問題で、この一絞り分の大きさが天下を分けることになります。ただ、マミヤからすれば仮にF8の500mmを造ったとすると、ファインダースクリーンが暗くて、色々な方面から苦情が出たことは間違いなかったでしょう。その当時も今も、マミヤには明るいファインダースクリーンを造る技術がないのですから。その点ハッセルブラッドは潔しです。元々ハッセルブラッドはカメラだけを造るメーカーだからでしょうか?自社で明るいファインダースクリーンが造れないとなれば、潔くできるメーカーに依頼する。こうして、ミノルタ社の技術によって造られたファインダースクリーンがハッセルブラッドに供給されるようになると、ハッセルブラッドは水を得た魚のように生まれ変わります。
明るくきめ細やかなファインダースクリーンは、自然界の微妙な色彩や木の枝一本一本に至る微細な世界までも分離し、何をどう写せばよいのかを実に鮮明に教えてくれるようになったわけです。このミノルタの技術は大変すばらしいもので、後で触れますが、一眼レフのライカにもその技術が使われていて、一眼レフのライカを支える強い力になっているのです。
 こうしてハッセルはミノルタの技術のおかげでF8という暗い望遠レンズの使用を可能にし、遠くの木の枝一本一本にまで注意を払いながら撮影できる能力を獲得していったと言えるのです。しかも、ハッセル用の500mmは90年代に入ると、テレテッサーからテレアポテッサーに替わり、色収差が徹底的に除去されます。

●NO2 SEP. 2004

テレテッサー500mmの時でさえ、切れ味の鋭いレンズであったのに、更にアポ化されたわけです。アポクロマート補正されると、色収差が消え、実に鮮鋭な写真が撮れるとされています。しかし、僕の場合残念ながらまだ実際の場面で使っていないので、このレンズの良し悪しを論ずるにはまだしばらく時間がかかりそうです。
 ただ今、ここで言えることは、F8であることにより、実用できる大きさ、重量バランスの良いレンズに仕上がっているということだけは確かなことです。使う人の立場になって設計されたレンズであることががひしひしと伝わってきます。
 こうして、テレアポテッサー500mmf8を偶然にも手に入れた僕は、残すところテレテッサー350mmf5.6とディスタゴン30mmf3.5魚眼だけというところまで来ます。この2本がそろえば、レンズを揃えることからほぼ開放されます。実はテレテッサー350mmf5.6というレンズは500mmレンズなどよりもずっと前から探してきたレンズでお金さえ出せば結構色々なところで目にするレンズでした。それで、テレテッサー350mmf5.6ならどこかで手に入れられるだろう、と軽く考えていましたが、皮肉なことにそのレンズが一番最後となってしまいます。
 しかし、テレテッサー350mmf5.6との出合いはちょっと劇的で、インターネット上で慶ちゃんが見つけてくることになりました。しかも、親しい四日市の西村カメラのホームページ上だったのです。僕は長いこと西村カメラさんの更新されてくるページを知らないできていましたが、ある日、慶ちゃんが更新ページを発見し、そこでテレテッサー350mmf5.6を発見するのです。発見したときは非常に高かったので、早速西村さんにメールを送り「予算のことを話し、機嫌が良かったら予算に合わせてまけて下さい!」と打信します。すると、西村さんからすぐに返事が来て「ok!」という答え。嬉しかったですね〜。でも、あんまり安くすると、奥様の機嫌が悪くなることを話されていましたが、「結婚20年だから、気にしないことにしてます。」とおっしゃってくれました。 こうして、9月末、500mmに続いて、350mmレンズまでやってくることになったわけです。実はこの西村さん
との交渉を前後して、慶ちゃんもライカのレンズを手に入れます。ズミクロン90mmF2というレンズです。(今回の北国通信の作品はこのレンズでの撮影です。詳しくは後で)このレンズは最近アポズミクロン90mmF2ASPHというレンズに生まれ変わり、以前の普通のズミクロン90mmがライカとしては信じられないほどに安くなっていたのです。
 ここで「アポズミクロン90mmF2ASPH」というレンズについて説明いたしますと、接頭語の「アポ」という言葉はアポクロマート補正された色収差のない光学的には最も優秀なレンズであることを意味します。次に「ズミクロン」という呼び方ですが、ライカの場合、開放F値によってレンズ名を変える習わしになっているのです。例えば、開放F値がF1.4のレンズはみな「ズミルックス」といい、開放F値がF2のレンズを「ズミクロン」、開放F値がF2.8のレンズを「エルマリート」と呼ぶのです。そして、最後にASPH.と書かれてあるのは「アスフェリカル」という意味です。これは非球面レンズを用い、球面収差などを補正して、像面全域にわたって、シャープな像になることを保証したレンズ設計がされていることを意味します。普通、レンズは凸面凹面の無限の組み合わせで構成されていますが、どのレンズも曲率は一様に球面の一部であり、球面の凸レンズと凹レンズをうまく組み合わせてレンズを造っていきます。しかし球面レンズの組み合わせ方だけでは、レンズの最周辺と中心とでは焦点への距離が違うために、焦点を一つに結ばせることができないのです。その昔、理科の教科書で先生が「凸レンズの焦点は一つに結んで…」と教えてくれましたが、厳密には焦点は一点にならないのです。先程から出てきている「色収差」というのも困ったレンズの欠点で、レンズがプリズムのような働きをして、光を7色に分光してしまうために、色によって、焦点がずれてしまうのですね。こうしたレンズの欠点をうまく補正するために異常分散ガラスや非球面レンズを組み込むわけです。しかし、このような技術も最近軌道に乗ったばかりで、最終的な価格はとんでもなく高いものになり、ライカなどは当初、研削非球面レンズの製造にあまりに手間がかかるために、断念したことがあったと伝えられています。
 こうした、光学的な優秀なレンズの影に普通のズミクロンは市場価値を失い、安く買えるようになっていくわけですが、そのおかげで慶ちゃんでもズミクロン90mmf2が使えるということになるわけです。しかし、アポクロマート補正されていたり、アスフェリカルになったからといってそれが作品に良い結果を生むようになるかどうか?それははなはだ疑問です。特にライカなどの場合、レンズに欠点があって、昔の技術でその欠点を無くそう無くそうと努力する中から、やはり欠点がなくならずその残った欠点のためにかえって、人の好みにあった描写が得られるということもありうるわけです。つまり、欠点(収差)が残っているために、ピントが合っているところからとろけるようにピントが甘くなっていくようなことが起こります。こういうことは、最近のデジタルカメラなどでは起こり得ないことで、古いライカレンズが今皆に大事にされるのは、皮肉なこ

魚眼を除いて、最後に手に入ったテレテッサー350mmf5.6レンズ。重量は1350gほどで、
重量バランスが良く、重さを感じず、実用の範囲におさまっているところがすごい。
●NO3 SEP. 2004

とにライカレンズに残った欠点によるピントの美しさのためなのです。こんな欠点による「美徳」は何もレンズだけのことではなく、人にもあてはまりますね。不思議なもので、人は人の欠点まで含めて愛せるようになる時が来る。そう思います。
■R型ライカへの道
 こうして僕たちは「欠点のもつ魅力を求めて」ハッセルブラッドのレンズ群がほぼそろうやいなや、再びライカのレンズへと向かい始めます。

左からライカR6.2とバリオエルマー28-70mmF3.5-4.5、アポマクロエルマリート100mmf2.8、ズミクロン50mmf2。一眼レフのライカは長い間、日本では悪評ばかりを聞いていた、しかし、皆にとっては悪いカメラでも、僕にとっては長いこと探し求めてきたカメラだった。
2004年初頭、ライカM6というレンジファインダー式のライカに向かった僕は、その途端「これは使いこなせない!」とあきらめてしまいます。しかしその反面、慶ちゃんはM型ライカと一生つき合う覚悟で、何冊もライカに関する書物を買い集め、研究を始めます。ライカは歴史が古く、そのためライカに使えるレンズはそれこそ星の数ほどあるわけです。どれが一番感性に合うレンズなのか?試行錯誤の日々です。その中にあって、僕はあっさりとM型ライカをあきらめ、一時はライカへの道はあきらめかけてしまいます。しかし、慶ちゃんから「最後にR型ライカという一眼レフタイプのライカを使ってから、あきらめるかどうかを決めたらどうか」という提案を受けて、僕はM型ライカを手放し、そのお金を元にR6.2という一眼レフのライカとカナダ製のズミクロン50mm、ドイツ製のアポマクロエルマリートR100mmF2.8という2本のレンズを購入し、まずは試験的に撮影してみることにします。その結果、一眼レフタイプのライカは思ったよりも使えるということが分かり、Rライカを探っていこうという、方針を立てます。R型ライカは日本の皆が言うほど悪いカメラではなく、ことに自分のように風景に使える一眼レフを模索している者にとっては、長いこと探し求めていたカメラであると確信できたのです。そしてもし、Rライカのレンズ群に広大な風景撮影にも使える優秀なレンズが潜んでいたとしたら、R型ライカは僕にとって暗闇の中で輝く一点の光となり、大きな意味を持ち始めます。R型ライカを手にするまでは「欠点のもつ魅力を求めて」と気楽な気持ちでR型ライカに向かいますが、R型ライカを手にしてからは「もしかしたら本格的に風景を写してくれるカメラ&レンズかもしれない」という希望が胸の中に目覚めます。特に僕が問題にしたのは、24mm、35mmといった単焦点の広角レンズの描写力でした。こうした広角レン
●NO4 SEP. 2004

ズが優秀であったなら、僕は何のためらいもなくRライカのレンズ群を揃えていけます。しかし、もしだめだったなら、35mm判カメラで風景をやること自体に無理があることを自覚することになるのです。以前、古いニッコール28mmで大雪山のお花畑を写したことがありましたが、良いとは言えないまでも、悪くはなかったので、ライカにもニコンにも単焦点広角レンズに期待を抱くわけです。しかし、中判カメラが主体の僕は今まで35mmカメラ用のレンズにさく費用がなく、今まではトキナーという2流メーカーの28-70mmF2.8というレンズだけで長いこと撮影をしていました。このレンズを買った当時の僕はこんなレンズでも大切にありがたく使っていました。しかし、記念写真などでたまに使う程度だった時は良かったのですが、にわかに大雪山撮影のために機材を軽量化したいという必要が芽生えてからは、まさかトキナーでやるわけにもいかず、それで僕は夏を前に意を決して評判の高いニコンの28-70mmF2.8EDという高価なズームレンズの購入を決め、ニコンの28-70mmF2.8EDを大雪に持っていきます。僕にしてみれば、最後まで悩み、ずいぶんと無理をして買ったレンズだったので、まず大丈夫だろうという想いがありました。しかしこのレンズで実際に大雪山を撮影して、昨年の冬、十周年記念写真展のために僕はそれらをプリントしてみたとき、僕はそのあまりのひどさに愕然としてしまったわけです。最新のレンズだから大丈夫だろうという思いはこうして幻想と絶望に替わりました。もしかしたら、ヨーロッパの撮影もこのレンズがあれば、フットワークも軽く色々と写して回れるだろう!と大きな期待がありました。しかし、現実はそんなに甘くなかったのです。この絶望をきっかけに僕はこの評判の高いニコンの28-70mmF2.8EDレンズを基準にして、M型ライカ、そしてR型ライカへの道を歩み始めることになったのです。このレンズの何が悪いのかというと、例えば小さなお花がたくさん群れて咲いているようなお花畑やごつごつした岩場を撮影する場合、風景写真としては手前から無限まで全てにピントがきちんと出て、その小さな花の一つ一つ、岩の刻みの一本一本が克明に描写されなければなりません。しかし、このレンズでは輪郭がぼけ、全体にピントがないようなぼけた描写にしかならないわけです。
 こうして無惨にも期待は裏切られ、最後の希望をライカに託し、M型ライカへ向かいますが、ニコンの28-70mmF2.8EDと比較するために、M型ライカの最新鋭の3焦点レンズであるトリエルマー28-35-50mmを購入し、実際に撮影してみます。しかし結果はニコンの28-70mmF2.8EDと比較するようなレンズではないことを自覚します。それで、一時はライカへの道もあきらめかけますが、ハッセルもほぼそろったことで余裕が出たために、R型ライカに最後の頼みをかけることになったわけです。そして世界最高の解像力と評されるアポマクロエルマリート100mmF2.8というレンズを購入。早速テストしてみます。このレンズと比較するのはニコンのマクロニッコール100mmf2.8です。まず、両者マクロ&人物の撮影では色彩、解像力共に互角。どちらもすばらしい。またマクロレンズでありながら中景から無限大付近までもアポマクロエルマリート100mmF2.8の解像力は絶対的で、マクロニッコール100mmf2.8は少し劣ります。その上、暗部の表現力はどちらもすばらしいものがあり、特にアポマクロエルマリート100mmF2.8は解像力を保ちながら、シャドー部を分離する力がある。まずはどちらも信頼できるレンズでした。次に、テストしたのは、ライカの標準ズーム28-70mmf3.5-4.5です。このレンズはニッコール28-70mmf2.8EDと同じスペックのレンズだけに期待が集まります。
 しかし、この期待は裏切られます。ライカの標準ズーム28-70mmf3.5-4.5はニッコール28-70mmf2.8ED対して、解像力の点で劣ることがわかってしまいます。無念!!これでライカの標準ズーム28-70mmf3.5-4.5は風景には使えません。最後に残すところ、ライカの24mm&35mmなど単焦点の広角レンズなわけですが、これらは資金不足で今段階テストできません。この両者のレンズは今後の明暗を分けるだけに、緊張しますね。資金にめどがつき次第、試そうと思います。無論、ニッコールの同焦点距離のレンズも試さないといけませんので、時間がかかりそうです。しかも、このあたりのレンズは開放F値の違うレンズが各社何種類も出ているので、どれがよいか迷うところです。全部買ってテストするわけにもいかないので、やはり標準的な開放F値のものになるのでしょうか。
■白黒の撮影における、ハッセル(6×6判)の可能性について
 こうしてニコン、ライカに最高画質を求めているのは、可能な限りコンパクトな機材しか持っていけないところでも、可能な限り高品質な作品を安定して作れるようになることを目指すためなわけですが、単に画質という観点に立てば、フィルムサイズが大きければ大きいほど有利になります。そういうわけで、フィルムが大きいだけでも、ニコンやライカに比べ、ハッセル(6×6判)は風景にむいていることになります。しかし、そのハッセルももっとフィルムの大きな4×5判(実寸10cm×12.5cmの大きさがあり、6×6判のざっと4倍の面積がある)に比べれば、ずっと小さいわけです。もっとも、写真の世界には4×5判よりももっと大きな5×7判や8×10判といったフィルムもあって、大きければ大きいほど解像力の高いプリントを得ることができます。しかし、4×5判以上になると、蛇腹のカメラを使わなければならず、眼前の風景の見え方は上下左右逆像で、フィルムも2枚撮りとなり、ピントを合わせてから、フィルムを装填して、それからひき蓋をひいてやっとシャッターを切るなどといった、気の遠くなるような作業の果てにやっと撮影できるというカメラになります。この他にも、4×5判の撮影には、信じられないような重労働が待っており、もしできることならやりたくない写真の領域です。しかし、実際に画質的に見れば、ハッセルは4×5判に勝てるわけはなく、特に白黒撮影のような粒子の目立つプリントでは、4×5判が圧倒的に有利となります。

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しかしここが、悩みどころです。画質をとるか、機動力をとるかです。
 そもそもハッセルやライカ、ニコンその他のカメラは、この4×5判という蛇腹カメラが使いにくいという理由から生まれてきたカメラです。「何?上下左右逆に見えるだって」そんなことは信じられないという気持ちからレンズを通った光をまずは一枚の鏡にあて、上下像を反転しスクリーン上で正立像として見ることができるようにしたのがハッセルです。しかし「これでも左右逆なので、プリズムをつけて、上下も左右も正立像で見ようと」としてプリズムをつけたのが、ニコンやR型ライカなどの35mm一眼レフカメラです。それと同時にフィルムの性能を上げ、レンズなど工学技術を向上させることで、フィルムを小さくしても、画質を損なわずに機動性を高めようとしてきたのが、カメラやレンズの今までの歴史であったわけです。つまり、できるだけ便利に戦争や報道といった歴史を記録する道具としてカメラやレンズは進歩してきたわけですね。そう、戦争や報道記録を唯一の目的にした時の要請によりカメラは急速に手軽なものへ進歩しましたが、それは一見進歩であったわけですが、一元的な価値の上では進歩であるものの、この一元的価値の急速な進歩はそれ以外の価値を駆逐し、カメラの場合にはいまなおその一元的な価値の潮流が脈々と続いているのが現状です。こうした、潮流に対して、そのすき間を縫うように、自然風景を写す人々が増え始めます。これは戦争や報道にだけカメラを使わなくてもよくなった、平和な時代の象徴的なことであり、歓迎されるべきことです。このきっかけになったのが、前田真三氏やアンセルアダムスなどですが、二人とも時代の主流だった機動性の高いカメラを使うのではなく、多少不便であっても高い画質が得られる大型カメラを自然に向けるようになっていきます。しかし注目できる事実は、この二人共に晩年、今度は逆に大型カメラを置き、中判カメラであるハッセルブラッドを使うようになっていることです。この理由に関しては、今のところわからないのですが、僕にはとても大切なことなので、色々と資料を探ってみたいと常々考えているところです。
 こうして風景を撮る場合、35mm判(長辺が35mmのフィルムを使うカメラ)、中判(6×6判など幅が6cmのフィルムを使うカメラ)、大判(4×5判以上のカメラ)のどれを使っていくのかは、大変重要なことで、自分にどの大きさのカメラがふさわしいのかを探ることはとても大切なことです。戦争報道を主流にした、カメラの進歩の主流とはまるで違った価値観が風景撮影にはあるのです。
 では、僕の場合はどうかというと、できることなら、大型カメラを使わないで、中判カメラと35mm判カメラだけで済ませたいと思うのが心の内です。大型カメラを使うと、画質などの品質は更に高まる反面、フットワークが重くなり、撮影が苦しくなります。理屈の上で、大判カメラの画質にどんなことをしても勝てっこないのは当然のことです。では負けたままで良いのか?画質では確かに負ける反面、6×6判はその操作性の良さ、機動力は優れているわけで、このメリットを大切にしつつ、画質を何とかすれば大型カメラを使わなくても済むわけですね。しかし、この逆はできない。大型カメラは画質は高いがどうやっても機動力を上げることはできないからです。とすれば、白黒撮影&現像時に工夫してやることで、画質面で4×5判にできるだけ近づけないか!と考えるようになります。そうすれば、機動力と合わせて画質も得られることにより、6×6カメラを最大限生かすことができるようになります。
 そこで、最近白黒撮影においてのハッセルブラッドの可能性を探る方向性を模索することを始めたわけです。
具体的には、フィルム&現像の工夫により、4×5判の画質に近づく努力を始めることになります。ここで、白黒において、と限定しているわけはカラー写真の場合に、僕は大型カメラの必要性を感じたことはなく、むしろ粒状性の気になる白黒プリントや現像時に工夫できる白黒においてこそ、6×6判カメラを最大限生かすことができると考えるのです。そこで、まず始めたことは、現在販売されている白黒フィルムを全部比較することでした。無論、粒状性、コントラスト、鮮鋭度などの優れたフィルムをピックアップして比較することになります。フィルムの性質として、感度が低いフィルムほど粒状性が良く、感度が高くなればなるほど粒状性が悪くなり、画面が荒れてきます。従ってできるだけ感度の低いフィルムを探すことになるわけですね。ただ、白黒の場合には、カラーフィルムのように基本的な感度を変えられないものとは違って、現像液の種類や、現像温度、現像時間の組み合わせによって自由に感度やその時の粒状性を変えることができるのです。この無限の組み合わせの内、これ!という組み合わせを発見できれば、かなり4×5判に近づけると考えたわけです。気が遠くなるテストの開始です。
 まず僕が選んだフィルムは1)コダックから T-max100(感度50or100)、2)イルフォードからパンF(感度50or25)と3)イルフォードデルタ100(感度50)、3)フジフィルムから アクロス100(感度100)の4種類のフィルム。
この4種のフィルムと現像液、温度の組み合わせを考えて以下のような組み合わせを考えてみる。

1)T-max100をT-max現像液により24℃で現像し、感度100にする
2)T-max100をT-max現像液により20℃で現像し、感度50になるようにする。
3)T-max100をT-max現像液により20℃で現像し、感度100になるようにする
4)T-max100をマイクロドールX現像液により20℃で現像し、感度50になるようにする。
5)イルフォードパンFを標準現像液(パーセプトール)で20℃で現像し、感度25にする。
6)イルフォードパンFを標準現像液(パーセプトール)で20℃で現像し、感度50にする。
7)イルフォードデルタ100を標準現像液(パーセプトール)で20℃で現像し、感度50にする。
8)フジフィルム アクロス100をミクロファインで20℃で現像し、感度100にする。
9)フジフィルム アクロス100をミクロファインで20℃で現像し、感度50にする。

イルフォードパンFというフィルムの外箱。この春に大阪で5本ほど実験用に買っておいたものだったが、予想以上に好結果をもたらした。
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以上の、ような9つの組み合わせを試すことになるが、この他にも、現像液を水でもっと希釈して現像する方法があり、粒状性の改善に加えて、鮮鋭度を上げることができる。
この9つの組み合わせの内、僕はハッセルのマガジンを5個しか持っていないために今のところ5種類しか比較できなかったけれど、それでも十分有意義な結果を得ることができた。 結論から言うと、この組み合わせの中で最も好結果を出したのは5)のイルフォードパンFを標準現像液(パーセプトール)で20℃で現像し、感度25にして撮影したものだった。感度が低いために、確かに好結果が得られるかもしれないという淡い期待はあったものの、コダックのT-max100を越える結果が得られるとは予想できなかった。
 今回の北国通信の白黒の紫式部の作品はこのイルフォードパンFを標準現像液(パーセプトール)で20℃で現像し、感度25にして撮影したもので、レンズはハッセルブラッドのマクロプラナー120mmF4という世界最高の解像力を誇るマクロレンズを使用している。
 ただ感度が25というのは、とんでもなく低いものなので、今後はこの能力のまませめて感度50にできないかと、考えて行かなくてはならない。感度25のフィルムに赤色のフィルターを入れて撮影するときなど感度は更に減少して感度は3ほどになる。感度3!とはまるで、明治時代のような話ですね。一般カラーネガフィルムの感度が400ある時代、感度3というと、光に感じる速度にして1/130しかない。つまり、日中でも1/2秒とか1秒で撮影しなければならないことになります。いくらなんでも、これじゃあな〜と思わず苦笑してしまう。しかし、結果は驚くほど良かった。

『暮れゆく住吉漁港』 Hasseblad 500C/M Sonnar 150mmf4  90秒 F8。
                       イルフォードパンF(20℃12分現像)
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これに続いて、マイクロドールXで感度50になるように現像したコダックのT-max100も良かった。しかし、コダックの言うとおりの指定時間で現像したら、現像がかなりオーバーになってしまい、この実験は再度やり直す必要がある。現像をオーバーにしてしまうと粒状性が悪くなり、コントラストが高くなってしまうことになり、実験結果としては不十分なのである。その他フジフィルムのアクロスがもっとも粒状性が悪いという結果が出た。アクロスもフジフィルムの最新の白黒フィルムなのだろうが、フジフィルムにはもっとがんばってほしいと言わざるをえない。ただ、アクロスは今回テストしたフィルムの中で、最も軟調なフィルムであることはわかった。ここで、フジフィルムの名誉のために一言付け加えると、フジのフィルムはフィルムの性能以外の部分で実に現像しやすい工夫の凝らされたフィルムであることがわかる。
 結論として現段階では、イルフォードパンFが一番良かったが、今後の現像液の工夫などでコダックのT-max100がそれを上回る可能性もあり、このことは次の実験を待たなければならない。恐らく来月には結果はほぼ出尽くしているだろうと思います。ただ、今回の成果はイルフォードパンFという今まで全然知らなかったフィルムの優秀性が確認できたことだった。イルフォードはイギリスの白黒フィルムの専門メーカーで、コダックやフジフィルムの陰に隠れてはいるが、イルフォードの実力を見直す結果となった。このことが確認できただけでも、十分な成果が得られたと思う。
 今月のカラー作品の方は、白黒と同じく紫式部の作品。ただ、カラーの方はライカM6にズミクロン90mmF2というレンズで撮影している。最初にも触れたようにアポクロマートではない普通のズミクロンで、これは慶ちゃんのレンズである。ライカのレンズということで、地味だろう、と予想していたら、その逆で実に派手な発色をする。それでいて階調がなくなっていない。これには二人して驚いた。あの、トリエルマー28-35-50mmという最新のライカレンズは何だったのだろう!ライカに対しては疑問が深まるばかりだ。地味で落ち着いた発色を望んだのに、明るいこの描写をするズミクロン90mmF2。今後、どうしていこうか?と悩みを抱えてしまった。ただ、同じ紫式部をニコンやRライカでも撮影してみたが、こちらはここまでぱっとした発色にならなかった。しかし、レンズの差を気にするほど個性的な結果を出すレンズはなく、どれも似たり寄ったりというのが正直な感想だった。
 以上、長々と書いてきましたが、今回もまた色々とやっていたために、北国通信を出すのが遅くなってしまいました。最後になりましたが、ごめんなさい。今後徐々に回復させていきますので、後しばらく、どうかお許し下さい。
 また2005年カレンダーの方も遅れています。今年は少々こりすぎたために入稿も遅れ、10月8日にようやく入稿したところです。いつもなら、もうできている時期ですね。これまたお待たせして本当にすみません。カレンダーの案内状の方もまだ時間がかかりそうです。もっか、フルスピードでやっているところですので、もうしばらく待って下さいね。
 また、おまけのポストカードも白黒プリントを使って新しい工夫ができないかなどと考えていますが、全部手焼きになるために、何千枚もプリントすることを考えると、思わず背筋がぞっとします。「ああ、野麦峠」という映画がありましたが、最近僕たちの間では、 「ああ、丘のうえ」という言葉が連発するようになっています。でも最近、秋を迎えておいしいものがいっぱいあるからそれだけは救いです。最近大量の栗を買ってきまして、それで栗ご飯をして食べたのですが、うまかったですよ。それからカボチャのムースに、カボチャ団子。秋は忙しいけれど、楽しい季節です。頭が変になりそうな実験に結論を出して、一日も早く撮影に復帰したいものです。

『大沼湖畔で撮影中の慶ちゃん』 /ライカR6.2 ズミクロン50mmF2
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