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丘のうえの小さな写真館 北国通信の世界
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第102号 北国通信『カレンダー制作』 2004年10月
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秋の東大雪。バックの山はクマネシリ。 |
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秋田県 抱返渓谷 回顧の滝
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●NO1 OCT 2004
ある夜、カレンダーの制作に疲れて写真館の玄関のドアを開けて、いつものように夜空を見上げた。すると、そこにはいつもよりもずっと綺麗な冬の星空と下弦の月が神々しく輝いていた。
僕は最近星空を見上げるたびに、この星空を写せないことを悔やんでいることが多かったが、その夜は悔やむよりは、希望の方がずっと大きな気持ちとなって僕の胸を高鳴らせていた。
カレンダーの制作に追われ始めると、季節や星空が遠くに見るようになり、それを写すための着実な準備や撮影に関した一切の事象がすっかり胸の中から消えてしまう。消えてしまうというよりは、入る隙がないほどにやることで一杯になってしまって、いつの間にか追い出されてしまうということが正しい。
忙しいという言葉が心が亡びることを意味するというのは、このような精神状態を言うのだろうと、しばしば思う。 回りを見回してみると、確かに生活のために身動きができなくなってしまっている人も多く、まとまとまった時間をとって、一つの事象を成し遂げることができなくなってしまっている人も多い。今の僕も、確実にそのうちの一人である。
しかし、そんな忙しい中にあっても、日常のすぐ隣にある美しい現実に触れたりなんかすると、再び忘れていた何かを思い出す。それがこの夜だったのだが、僕は下弦の月の冴え渡る夜空を見ながら、自分の今していることをしばし考えたり、今までしてきたことがなんだったかを考えたりしていた。
また僕はその夜、僕にとって写真とは何なのだろう、と考えたりもした。しかし、星を見ながらだったので、その答えを出すのは簡単なことだった。この「宝石のような美しい星の光を、宝石のように磨かれたガラスの中に導き、そして銀の粒に替えること。」それが写真である。と僕ははっきりと言うことができた。
そして、ハッセルやライカのレンズを揃えることが間違っていないことを確信したし、銀塩写真を続けていくことへの確信にもつながった。こうしたふとした確信が芽生え、それが心の中にしっかりと根付くと、それが何であっても、大きな心の支えとなる。それが僕の場合写真であり、写真こそ我が人生そのものと、言えるときでもある。
最近ある友人に、「今の仕事を選んで後悔はないか?」と尋ねられることがあった。僕はその人に対して「生活の安定があれば…」などとつまらない答えをしたことを後悔している。まあ、確かにそのことは本心なのだが、生活の不安さえなければ、写真を仕事とすることほど自分に合っていることはないことだけは確信できる。写真に関することその全てが好きで仕方がないことなのだから。
写真を始めた頃は、僕にはそのような自覚はまるでなかった。写真などは芸術として世間から認められないし、低い価値のものと、評されることがとてもいやだったし、今もそうである。しかし、世間はどうかわからないが、今の僕は写真や写真に関係することが好きでしょうがない。写真の価値はやっている自分が一番よく知っているのだ。
そのことを確信できるのが次の言葉である。
「宝石のような美しい星の光を、宝石のように磨かれたガラスの中に導き、そして銀の粒に替えること。」それが写真である。
普段は写真がこんなに神聖な行為であるなどと意識することはないが、よく考えてみるととても神聖なことなのだと気がつく。そして、このことは何も星の撮影に限ったことではない。大雪山の奥に入って撮影する時にも、神聖な行為であることを強く自覚するし、その神聖さを犯さないように自分の身を正し、その場を写す人格を得るように努力する。そしてそこに持っていけるカメラやレンズを吟味し、そこで感じること、その場の雰囲気を訪れたことのない人に正確に伝えることこそ、写真なのだろうと思う。
こういう自覚が僕の心に芽生えてきたのはつい最近のことであり、僕は星や大雪山を通してそのことを学んだ。しかし、北国通信の方ならわかっていただけると思うが、逆に僕は星や大雪山を通した撮影のことでおおいに悩み苦しんでもいる。そして、いまだにまとまって何かを世に発表していけるほどの力もなく、右往左往していることもよくご存知と思う。このことは、懇意にしてくれるフジフィルムのマネージャーの方にも指摘され、一日も早く落ち着いて写真を撮っていけるようにがんばってほしいと、コメントされる。
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●NO2 OCT 2004
上の写真は大雪山トムラウシ北部の水無沢の岩場の作品。僕はこの作品を最高の聖域として写真展に展示しようと半切にプリントした。しかし、このプリントが自分が想像する以上に寝ぼけたプリントで、簡単に言うとぼけぼけだったのである。写真展の会場で、先程のマネージャーや現像所の人とこの作品を囲んで何が原因なのかを、話し合ったのである。「こんなことでは、落ち着いて写真を撮っていけないね。早く何とかしないとね〜。」とその場は散会したが、それから僕の苦労が始まる。
上の写真は岩場であり、そのごつごつした感じが大事で、これが失われてはいけないところである。それがぼけているなどと感じられるなどは、もってのほかなのである。
この作品を写したのが、2003年の8月。あれから1年。僕はこのぼけた理由を考え続けた。
そして一年目にしてようやくわかりかけてきた。以前は、ただフィルムサイズが小さいことだけに原因がある、と結論づけていたが、この他にも絞りすぎによる、光の回折の影響も無視できないことがわかってきた。今まではマミヤ645といえども中判フィルムを使っていたので、この回折の影響を無視できていたのだが、さすがに35mm判ほどにもフィルムが小さくなり、その上、絞りをF16やF22まで絞り込むと、回折の影響が大きくなりすぎて像を悪化させていたのである。僕は長いこと中判カメラを使っていたので、このことに気が付かないでいた。
「光の回折」という言葉は聞いたことがあると思いますが、簡単に言うと、光が波動であるために細孔を通過するときにほんのちょっと曲げられる現象で、写真の場合、絞りを小さくすればするほどその影響が大きくなり、像のにじみとなって現れるというもの。この「回折」による像の悪化がこの写真をぼけたものにしていたのです。
こうした現実にぶつかると、いくら気持ちばかりあってもだめであることを痛感するわけで、改めて光学理論を勉強し直したいと思うことしきりになるのです。
しかし、こうした回折による像の悪化のことに気がつかなかった、2004年7月の撮影には、フィルムサイズのことだけを考え、僕は大雪にハッセルを持っていきます。
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●NO3 OCT 2004
この時写した作品が上の沼ノ原から見たトムラウシの作品で、2005年カレンダー8月の作品。
フィルムでは気がつかなかったけれど、実際に製版してみると、驚くほど細かい岩肌まで分解されて写っている。
先日カレンダーの色校が帰ってきて、これを見たとき、僕は何よりこの解像力の高さに驚いてしまった。
色合いや濃度などは後で何とかできるのだが、この解像力だけは撮影の時に全てが決まる。どんなレンズでどんなカメラで、どんなフィルムで、どんな三脚で、どのように写したのか!今まで10年間、僕はこのことにあまりにこだわることなく来てしまった。解像力など、あまり気にしたことがなかったのである。しかし、こうして実際に違いを見せつけられると、その昔学生時代、解像力やシャープネスや粒状性を気にしながら撮っていた頃を思い出す。 僕はこの写真を見て、誰よりも深く反省したことになる。事実、カレンダーに使っている紙では、解像力の差は紙の凹凸によって打ち消されてしまうののだが、その紙の凸凹をものともせず岩肌の細かなところまで分離してくるハッセルのレンズの優秀さとフィルムの大きさに脱帽する。しかし、この時まだ「小絞りによる回折」のことなど無視していたので、もしかしたら、回折を考えながら撮っていれば、この作品などもっともっと解像力の高い作品に仕上がっていたかもしれない。もうすぐカレンダーも完成するので、できたら、2003年7月や8月の作品とこの作品とを比較しながら見てもらうと、その差に気が付いてもらえるかもしれません。
もっとも、カレンダーではプリントではキャビネ判ほどなので、その差はあまり出ないので、機会を見てもっと大きく伸ばすことができれば、その真価が分かるようになると思います。
写真を好きである理由に地学、地理、天文、暦、生物学など自分が意図するどの分野においても写真を生かせるとことがある。
例えば、カレンダーなのですが、最近ことにカレンダーを作ることが面白くてしょうがない。時間はなくなり、撮影もできなくなってしまうのだが、カレンダーを作ることの楽しさにはまってしまうと、なかなかやめられない。特に今年などは、台風の影響で紅葉がなかったから、撮影のことを意識しないでカレンダー造りに没頭することができ
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●NO4 OCT 2004
なかなかじっくりとカレンダー造りと向きあえたと思う。2005年カレンダーで特に気にしたことはまず、月の運行をもっと身近にすること。月の運行が手にとるようにわかるようになれば、新暦の弱点は無くなるのだから。
旧暦は「月の運行=暦」という極端に偏った暦だった。しかし、新暦ではこの極度に月に偏った価値観を太陽の運行を基準にした暦に変更し、季節とリズムを取れるようになった。このことは大成功なのだが、今度は月の運行を完全に無視することになったのだ。だから、月の動きと季節の動きの両方よくわかる暦があれば、新旧問わず今まで得てきた最高の暦なることは間違いがない。更にその上、惑星の動きや流星など天文現象、更に日本の伝統、風習と身近にいることができれば、暦としても役割は完全に果たせるというものだろう。ここまでは、2005年カレンダーは十分達成しているだろう。しかし、カレンダー補足が薄っぺらいもので、紛失しやすくて役立てにくいことや、月の運行と時刻の関係などがわからないことや外国の伝統風習などには言及されていないことなど、まだまだ不完全な点は多い。
今後はこれらの点を改良していかなくてはならないだろう。特にカレンダー補足の位置づけをもっと紛失しにくい形にしてみたいと思うのだが、なかなか予算的に都合が付かない。今後の大きな課題としてほしい。
このようなカレンダーは写真の関係できる大切な仕事である。しかも、カレンダーは古くから人々がいつ始まっていつ終わるともしれない時間というものを区切り、殺伐とした味気ない時間を美しく装飾してきたものである。このカレンダーの制作に、多いに関われることは、多大な幸せに他ならない。成りは小さいが、本質を貫いたカレンダーの制作は今後もやってみせます。ご期待下さい。
またカレンダー造りだけではなく、写真は地理や地学に多いに関係し、またそのことは旅にも関係していく。
特に僕は地形図を見たり、天体の運行などのことを考えるとぞくぞくしてくるたちであるから、風景写真を撮るために生まれてきたんじゃないのか?とさえしばしば思う。その他、木のことや花のこと、空のことや雲のこと海のことに至るその全てを理解し、写真や詩に変えられるかと思うと嬉しくなる。いまだにそれらの僕が得意とし、大好きなことやものを形にできないでいることはやはり悔しいが、いつかきっとちゃんとした形にしてみたいと毎日思う。
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北の果て、名も無き入り江。数多くこのような写真を撮っているが、ポストカードとカレンダーだけを創っていてはなかなかお見せできないものが多い。いつかは、ポストカードやカレンダーの枠組みのない自由な作品集をまとめてみたい。自由課題の作品集である。人に合わせたもの造りばかりしていると、自分がどこかに行ってしまう。そんなことだけにはなりたくない。 |
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●NO5 OCT 2004
今月の作品は、撮影にいけなかった間中、何度も思い浮かんだ東大雪の秋の作品。
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上の作品は東大雪十勝三股の白樺の黄葉の作品。今月の作品共に、糠平湖から三国峠を経て、層雲峡に南北に抜ける
国道273号線上での作品。実に快適なドライブ道で、大雪山の東側を南北に通っているので、高原沼へも、沼ノ原へも、赤岳銀泉台へもこの道の途中から行くことができる。そのため秋だけではなく、春も夏も、ドライブや登山には欠かせない道である。いつか機会を見て行ってほしいところだ。
今月の作品は、黄葉した樹木を背景に真っ黒に落ちたクマネシリ山塊が魅力の作品。何気ない風景で、国道沿いの途中から見られる。秋になるとまたここに行ってみたくなる。そして秋の心地よい日差しを受けて、撮影していたいという想いは深まるばかり。
3ページ目の2005年カレンダー8月の沼ノ原から見たトムラウシの作品もこの道の途上から石狩川沿いに西に向かった終点から登る。最近この沼ノ原にキャンプを張って、トムラウシ方面の夜の世界を撮影したいとの想いが沸々湧き起こってくる。さぞかし幻想的だろうなあ!と思いつつ、カレンダ-の制作に明け暮れている。
それはともかく、この沼ノ原のキャンプ指定地は気持ちのよいところだ。一度で良いから行ってみてほしいと思うところだ。本州からだとなかなか大変なのだが、知っている人は何度も来ているようで、足に無理をかけられない人は、別にトムラウシの見えるこの沼ノ原で十分。ここにテントを張って、トムラウシを眺めている人もいるわけで、僕はここからの夜の世界を写したくてうずうずしているところ。平和な別天地の境地です。
追伸)付属のポストカードはイギリスのイルフォードというメーカーのポストカード。2005年カレンダーのおまけとして考えてみました。一足先に北国通信の方に見ていただこうと思いました。手にしてみて、どのような感じですか?もし良かったら、感想など聞かせて下さい。 |
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