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丘のうえの小さな写真館 北国通信の世界
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第103号 北国通信『晩秋から初冬へ』 2004年11月
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●NO1 NOV. 2004
去年もそうだったかもしれないけれど、今年はいっそうどんちゃん騒ぎの日々が過ぎていく。しかし、今年はもう12月も中旬にさしかかろうとしている。
忙しい最中は色々なことがある。それはそれで良い。しかし、本質的に自分が抱えている問題を解決したり、実験したり、また考えていくことができなくなってくると、やはり心の中が波立ってくる。部外者から見れば、取るに足らないことなのだが、本人にはとても重要なことだったりする。
さて、何から話そう。
2005年カレンダーの制作はいつもの年よりも約一月遅れ、その案内を出せたのも11月11日。数日中に完成するだろうという予想の元に案内状を全国に向けて発送した。今年は案内状を折り曲げることを嫌って、黒猫メール便にしたところがいつもと違う。郵便局から出そうとすると、定型内郵便におさめなければならない制限が辛かったのだ。しかし、その後、全ての印刷を終えて、製本所に回った時に、カレンダーの面付けの失敗が発覚。ローソクもらいの絵柄が逆さまになっていたのだ。いつもは慎重なデザイナーがおかしたミスだったが、ここまで来ておりながら、刷り直し!という事態になる。刷り直し!というのは大変なことだ。まず紙がない。カレンダーに使用している紙は特殊で、関西方面からの取り寄せとなる。こうして、完成は約1週間延びることとなった。このしわ寄せは後々にまで響いていく。そしてカレンダーの発送がようやく追いついた時は、12月も中旬に差し掛かっていた。カレンダーの案内状を出してから約一月間、不眠不休の発送の日々はようやく沈静化する。
しかし、カレンダー発送の日々中注文はがきが来るたびに、またファックスの電話が鳴るたびに、歓声が上がる!
「ありがとう!」「ありがとう!」いったい僕たちは何度この言葉をファックスに向かって叫んだだろう。どれだけ良いと思うものを創っても、それを認めてくれる人達がいなければ、何にもならない。カレンダーを取り巻く人の輪は大きく、しかも暖かである。
さて、これからこの2005年カレンダー中の写真に関して、北国通信ならではのコメントを書いていこうと思う。
1月、アカゲラの作品である。去年鳥を撮るために、僕はニコンの望遠レンズを探し回った。この作品はニッコール500mmF4Pという500mmレンズで撮影している。僕はこのレンズのことに関して何も知らないまま、ただ焦点距離と開放F値だけで選んだ。しかし、このレンズは実際に写してみると、驚くほど良く写るのである。スキャナでとり、大きく引き伸ばしていくと、まったく画像の乱れが無く、どこまでも大きくなっていく。たった24mm×35mmのフィルムだというのに…。解像力が高いのである。このことは、アカゲラの体を包む羽毛を見てもよくわかる。一本一本が見事に分離している。まず、僕はこのことに驚いた。
これに対して、3月の「再生」という作品はマクロニッコール105mmf2.8というレンズで撮影されている。しかしこの作品には解像力の不足を感じずにはおれない。また、絞り方が少し足りないために、茎や葉に付く水滴が表現しきれていない。こうした僕の技術的なミスもあるが、レンズ自体の解像力不足はないだろうか?実はこのことは僕にとっては、重要なことの一つである。
このレンズは僕の父が使っているレンズと同じレンズで、僕はそれを疑うことなく信じて、15年間やってきた。最初のマクロニッコール105mmf2.8はこたこたになったので引退し、本レンズは2代目のレンズで、中古
で4万円ほどのレンズである。(写真下)
僕は元来マクロレンズが好きで、今までこのレンズを疑うことなくただひたすら信じてやってきた。しかし、
何がきっかけだったが覚えていないが、ライカに優秀だと評されるマクロレンズがあることを知り、15年目にし
て初めてこのレンズを疑い始めた。
そう思うようになると何とかしてそのライカのマクロレンズを手に入れ、比較してみなければおさまりがつか
なくなる。こうして無理矢理ライカの100mmのマクロレンズ「アポ・マクロエルマリート100mmF2.8(写真左)」を入手し、比較を始める。
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左がアポ・マクロエルマリート100mmF2.8、右がマクロニッコール105mmf2.8. このマクロレンズが使いたいばかりに、Rライカを使い始めた。 |
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●NO2 NOV. 2004
最初、カラーのフィルムで比較してみた。フィルム1本交互に撮影していき、比較したのだが、その差は全く感じられなかった。解像力、色具合、どれをとってもほとんど差がなかったのである。その結果を見た僕は少々拍子抜けをする。この時点ではそうだったのだが、その後、白黒フィルムで比較していくと、その両者には言葉にできない差があるかもしれないことに気がつく。このカレンダー時期におまけで配った「網のある湖景」という大沼の湖面を撮影したプリントを見て特にそう思うに至る。しかし、その後カレンダー発送に追われて、更に比較できていないので、これ以上のコメントはできないのが悔しい。
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きりりとシャープなのだが、それなのにどことなくにじみが感じられて、ピントの立ち方がなめらかな気がする。『網のある湖景』/ライカR6.2 アポマクロエルマリート100mm |
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次に8月の沼ノ原から見るトムラウシ山の勇姿の作品。実はこの作品は世界最高のマクロレンズと評されるハッセルブラッドのマクロプラナー120mmF4というレンズで撮影している。マクロレンズ?と思われることだろう。マクロレンズと言えば、近距離を撮るレンズである。それを無限の撮影に使うのか?と思うだろう。確かに、マクロレンズは数10cm〜数m程が一番良く写るように設計されているのだが、実際にはマクロプラナー120mmというレンズは無限の撮影でもあまり悪くならない。もちろん他の無限撮影時に一番良く写るように設計されたレンズに比べると劣るわけだが、その差は小さく、十分に無限でも使えていることがこの作品を見ればよくわかる。僕は正直この8月のトムラウシの作品が製版から帰ってきたとき、思わず息を飲んだ。その山肌のゴツゴツした感じを実にシャープに写せているのだ。
もちろん、これでもまだまだだと思う人もいるとは思うが、今のところ僕はこれ以上を望む必要性を感じておらず、僕にとってこの作品は期待以上の結果を出したものなのである。
実は9月の作品「野いちご実る」もマクロレンズで写したもの。このレンズはマミヤ645の80mmf4というマクロレンズで、市場の評価はおそろしく低いレンズだ。しかし、実際にはその写りはすばらしい。
また、マミヤ645にはもう一本120mmのマクロレンズがあるのだが、こちらの方は市場価値のとても高いレンズだ。しかし、実際にはそれほど優れたところはない。先程のハッセル用のマクロプラナー120mmF4との比較では、解像力、階調のどちらにおいても見劣りがするレンズで、大人と子供の差がある感じ。
11月の上ホロカメットク山の作品はマミヤ645の200mmF2.8APOというレンズでの撮影。このレンズは慶ちゃんと神戸に帰っていたとき、大阪で買ったもの。お店にあるのを見つけて、二人で怪しい銀行のATMにお金をおろしに行ったことが思い出される。怖かったなあ。このレンズも市場価値がどんどん下がりつつあるのだが、非常に優秀なレンズ。派手さは全くなく、地味なレンズだ。
この11月に対して、12月の「炊事の煙」という作品はその昔使っていた105-210mmF4.5ULDというマミヤ645の望遠ズームレンズ。このレンズはカラーバランスが悪く、使わなくなっていたが、実は最近シャープなレンズであることがわかってきた。(使っていた当時、全然わからなかった) 実は、7月の「秘やかな花園」もこのレンズで撮影したもの。確かに草の葉一本一本を完全に写しきり色彩も分離している。当時からこのことに気がついていればなあ〜とつくづく思います。
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●NO3 NOV. 2004
以上、レンズからざっとカレンダー各月の作品を見てきました。
さて次に今月の作品。まずは白黒作品から。この作品は実は慶ちゃんの撮影で、僕がカレンダー時のおまけのためにプリントしたもの。なぜこの作品をここに紹介するかと申しますと、この作品は実に多くのことを語ってくれているからなのです。
まず注目すべき点は作品左上部のミズナラの葉のシルエットと木漏れ日の漏れ具合。なんとなくふわ〜っとした感じがしませんか?それと、全体に濡れたような感じがしませんか?実はこの作品、ライカのエルマー50mmという沈洞式のレンズで写したもので、ニコンやその他の国産のレンズで写してもこんな感じにはなりません。もっと平凡な雰囲気になって、つまらない一枚になったはずです。しかし、ライカで写すとこのように濡れたような作品となり、独特の雰囲気をかもし出すようになります。
実はこの独特の雰囲気は、そのレンズの補正しきれなかった欠点が見せてくれる雰囲気であるのです。
ライカはその長いレンズ造りの歴史の中、試行錯誤を繰り返しながらレンズを造っていきます。しかしどんなことをしても完全に欠点のないレンズを造り出すことは不可能であり、必ず違った欠点が残ります。すなわち、どの欠点を残すかでレンズの出す雰囲気が決まるわけです。こう考えていくと、もしかしたら人間とレンズは似ております。もしかしたら、その人の持つ欠点がその人を特徴づけているのかもしれない。そのようなことを想いながら、この作品の雰囲気を鑑賞いただけたら、と思います。
次はカラー作品の方。連続して季節の移り変わりをとらえたもの。場所は、大野町の牧場。先日町長からのお招きでブナの苗木掘りに参加。その後、皆で林業試験場の方に樹木の講義を受けながらの散歩。途上、僕は林業試験場の方にあの木は何という木ですか?と尋ねた。すると、彼が「モミジでしょう」といい加減な答えをするから急いで走っていって、葉を採取して彼のところに持っていった。すると、彼は驚いた風で「これはアズキナシです!」と一瞬で判別。続いて僕は「どこが決め手になるんですか?」と質問。「この葉っぱのなだらかな…」と回答。
実はかつてこの牧場を撮影していて、吹雪になっても真っ赤な葉をつけている木があることに気がついていた。その時は不思議な木だなあ〜と思って、撮影。その日ようやく名前がわかった。アズキナシというそうだ。聞いたことはあるが、初めての認識だ。アズキのような真っ赤な実をいっぱいつけることからその名があるらしい。彼も、こんなに鮮やかに紅葉するアズキナシは初めて見た!という。その後も、彼からは木に関する講義を受けながら、牧場を一回りし
とても有意義な時間を持つことができた。やはり専門家には脱帽!だけど、うらやましい!野山を歩いて木や花の名前が手にとるようにわかるなんて!僕にはできない芸当だ。
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他の樹木がすっかり葉を落とした牧場にひときわ赤く赤い実をつけるアズキナシ。
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5〜6月の新緑の頃、白い桜のような花を咲かせるというが、もはやその風情はない。雪と風に真っ赤に色づいた実が吹き飛ばされていく。もうそこまで長い冬が来ている。晩秋の頃である。 |
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追記;白黒プリントを巡って
カレンダー制作途上、おまけとして制作していた白黒ポストカード。手にしてみていかがでしょうか?このポストカードに関しても、今年は一波乱ありました。何をどう考えたのか、慶ちゃん500枚のポストカードを注文。その後、追加2500枚を注文しようとすると在庫切れで、来年の11月まで製造しないと通達。顔面蒼白。今年は、何かとトラブルが続く。だめもとで大阪の大型カメラ店に電話。3000枚程在庫しているとの返事。「やった〜!」「全部確保して下さい」と大喜びで連絡。事なきを得る。
その後、白黒ポストカードの印画紙が来る。それで僕一人暗室に入る日々。来る日も来る日もプリント。現像液や定着液の耐久テストのようでもある。ただし、一日やっても200枚が限度。2000枚プリントするにはいったい何日かかるのだろう!その途上、青ざめる。一枚一枚手焼きプリントする限界を感じる。
ただし、そこいらのプリントとはわけが違う。50年は退色しない完璧な定着と水洗処理をほどこしている。
ただ、お金がなくて乾燥機が買えなかったのだけは辛かった。館中に干して回ったのだが、これが一番疲れた。
年末、カレンダーが売れたら、乾燥機を買おうと決心。
ただ、その途上ライカなどのレンズのこともわかりかけたし、得ることもあった。今後はポストカードとして販売していきたいのだが、なかなか回りからの反応がないのが悲しい。唯一、以前北国通信でお送りしたとき、友人&お客様の方からメールを戴いた。滝の写真、細かなところまで出ている。もっと大きく見たいと思う!とのコメント。痛いところをついてくる。もっと大きくしたいのはもちろんのこと。今、忙しくてそれができない。この忙しさから抜け出せたら真っ先にやりたいことは、これらの作品をもっと大きくプリントすること。ハッセルやライカなどが大きく伸ばしてもどれくらい鑑賞に耐えられるのか?耐えられないのか?怖いけれど、一刻も早く確信しなければならない重要なこと。もっかのところ、僕は6cm×6cm以上のフィルムで撮影できないし、プリントすることもできない。もし現状で大型のプリントができないというなら、4×5判(10cm×12.5cm)を導入しなければならなくなり、大事(おおごと)になる。このことは人生の大事に通じる。2月の写真展を機会にハッセルブラッド(6×6判)の白黒プリントの画質の限界を見極めたい。ただ、白黒プリントには学生時代にはとうてい得られなかった感触を得ており、日本の情感を白黒の世界で表現したいという情熱が高まる!単純作業とはいえ、何日も何日もプリントをし続けていると、写真のネガティブがまるで謄写版の油原紙のようにも見えてきて、写真とは何か!なんとなくわかってくる。カラーのようにフィルムをこしらえたらそれで終わりで、プリントはラボに、印刷は製版会社に任せるという方式は一見役割分担のようにも見えるが、どこか納得がいかないところがある。このことへの解答としても、自分でプリントした作品に仕上げられる白黒は有意義である。カラーを自家処理しないのか?という質問をしばしば受けるが、現像液やカラーペーパーの入手をラボが握っており、写真家レベルにおろすことはできないこととなっており、事実上できない。我々ができることは、幸か不幸か白黒プリントに限られている。
今後しばらくは、白黒プリントへの傾倒は続く。お客様各位、白黒プリントを見る機会がなかった方が多いだろうから、馴染めないと思うが、よろしく長くおつき合いくだされ。そのうち、何かが見えてくるかもしれない。
特に白黒で風景を撮っている人は非常に少なく、僕も白黒の風景写真はほとんど目にしたことがない。ただ唯一アンセルアダムスというアメリカの巨匠の写真家が君臨しているが、それ以外に参考となる作品がなく、僕自身暗中模索である。しかし、この6月に東北の撮影に僕が持っていった白黒フィルムはわずかに10本。枚数ではわずかに120枚である。お笑い下さるな。この6月には僕は白黒に対してこの程度にしか考えていなかった。今後はハッセル、ライカ、4×5判カメラ…どの機材が白黒にふさわしいか、答えを出しつつ前に進んでいきたいと思う。そういうわけなので、もし気がついたことがあったらできたらできるだけアドバイスがほしい!
この103号が今年2004年最後の号になるかもしれません。12月号が新年になることは不本意だが、無理をして年内にお届けをすることも不本意なので年をまたぎ、来年早々に12月号を送ります。また、その時におつき合いください。
それでは次回。お体大切に、良い年をお迎え下さい。
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