の世界
第93号 冬の情景 2004年1月
冬の遊楽部岳
支笏湖朝焼け
〈No1〉

2004年が始まりました。そしてもう一ヶ月もたちました。みな様いかがお過ごしですか?
北海道地方は久しぶりの大雪…ということですが、函館方面は例年になく晴れて、明るい日が多いようです。函館地方は冬になると決まって、灰色の雲が低く垂れ込め、暗く陰鬱な日が続きます。しかし、今年はどうでしょう。毎朝、明るい冬の太陽が真っ白な雪面に反射して、明るく美しい冬景色を見せてくれます。これは函館でも例年より雪が多いからで、雪がなかったら、せっかくのお日様も真っ黒な地面に吸収されてしまって、こんなに美しく明るくは感じないことでしょう。
 こんな話を札幌の人たちにしたら、そうたいして有り難がられないことになります。なぜなら、札幌は雪が多いのに晴れる日も多く、札幌の冬はなんともメリハリのきいた美しい冬だからです。それが例年の函館だとメリハリがなく、だらだらとした灰色の冬が続いていくのです。もちろん、冬の気持ちよさでは、十勝平野も負けていません。たまに降る雪は低温のためになかなか融けず、ほとんど毎日のように明るい冬の太陽が出ているからです。
 ところが旭川の冬は函館と同様にまるで救われない冬が続きます。晴れる日は全くなく、そのくせ気温はとことん下がります。たいていは、晴れた夜にとことん寒くなるものですが、旭川などは晴れなくても、いやっていうほど冷え込みます。この旭川の冬の低温と、あまりの冬の陰鬱な世界に耐えきれず、僕の友人などはずいぶん前から旭川を脱出し、帯広に移住したいと考えています。
 彼は、僕と同様に神戸育ちで、冬の太陽に恵まれた環境に育ち、北海道に憧れてやってきました。しかし、そんな彼が旭川に住み、冬の陰鬱な気象にとうとう根を上げてしまったというわけです。
このようにひとくちに北海道といっても、各地で気象条件が違い、人々の生活に色々な光と影の色模様を映し出します。僕は、この冬の北海道の気象の違いにとても興味があります。
 例えば、北海道にこうして雪が降るのは、日本海がそこにあるからで、北西の季節風が日本海から大量の水分を運んできてくれて、北海道に雪として降らせます。もし日本海がなく、大陸と陸続きだったら、雪は降らずもっと乾燥していて、もっと寒く、こんなにたくさんの人々は住むことはできなかったでしょう。おまけに、日本海は日本海流の分流である対馬暖流が南から流れ、北海道の日本海側、そして津軽海峡へ北上して、南の暖かい海水を運んでくれます。このために北海道は言ってみれば、日本海という暖かい温泉につかっているようなものになり、対馬暖流がなかったら、もっと寒々とした大地になっていたわけです。その反面太平洋側は千島方面から千島寒流が冷たい海水を運び、冬も夏もかなり冷やされます。もちろん、太平洋側では、日本海流の本流が日本列島に沿って北上してくるわけですが、千葉県あたりで千島寒流とぶつかり合い、その勢力が北海道に及びません。それで、北海道では千島寒流の影響が強く、冬も夏も緯度の割に冷え込みます。こう考えると、せめて日本海からだけでも暖流が流れてきていて本当によかったと思うわけです。
 今、緯度の話が出ましたのでこの話を続けてします。
よく僕は北海道のことを“北国”と表現しますが、よく考えてみると、北海道の緯度というのは北緯42度〜46度ほど、ほぼ北と南の中間か、むしろ若干南よりです。これでは緯度的には決して北国とは言えませんね。ところが緯度的には南と北の中間に位置しながら、冬になると気温は非常に低く、これ以上北に行くと、あまりに厳しい気象条件のために、大勢の人が住むことはできません。そう考えると、北海道あたり、つまり北緯45度辺りが人が大勢住む限界あたりということになります。「北緯45度が大勢の人が住む限界」このことは地球が思った以上に冷たい星だ言うことにもなります。
 しかも、日本海を対馬暖流が暖水を運んできてくれるから、こうして北緯45度の緯度でも人が住め、低気圧が定期的に南からやってきては暖かい南風を送ってくれるからこの気温を維持していられます。まるで対馬暖流が床暖で、低気圧は温風の出るストーブのようです。それから雪もまた大切な暖房器具です。雪が辺りを埋め尽くすほど降ると、ほんわりと暖かくなりますが、これは決して錯覚ではありません。雪はふんわりとしていて隙間が多く、その隙間に空気をため込むのです。また、大地に比べ水(雪)は比熱が高いこともその要因の一つでしょう。この空気をため込むことが、暖かさを維持する上で重要な要因であることは、動物などでも見られることです。例えば、北海道にはユキウサギといううさぎがいますが、彼らは冬になると、その茶色の毛が白く変わります。これは、黒い色素が抜け、それでできた空隙に空気をためこみ、寒さに備えると言います。もちろん、このことは同時に雪の色へ体色を近づけ、疑似色の役目も果たしますし、人から見れば、とても魅力的な美しさに見えたりするわけです。

〈No2〉

こうして、対馬暖流、低気圧、雪といった色々な暖房器具を備えて初めて北緯45度での生活が可能になり、これらがなかったとしたら、もっと北海道に住むことが難しくなったことでしょう。こういう点からも、地球は想像よりも寒く冷たい星だと思うわけですが、北緯45度は確かに半分地点だけれど、これより北に行けば行くほど球はすぼまって、土地が狭くなることを考えれば、やはりちょうどいいのかなあ〜と思ったりします。それにしても、日本海あってよかったですね。もしなかったら…こう考えると眠れなくなります。対馬暖流や雪は水温や気温の維持に役立っているだけではありません。例えば北海道でお米ができるのも、雪のおかげだと言います。冬の間、高い山に降り積もった雪は、ちょうど田植えの5月頃に溶け出し、川に乗って平地を潤し始めます。この雪解け水が田植えに利用される仕組みです。他にはイカ漁もそうで、イカは九州で生まれ、対馬暖流に乗って北海道南部までやってくるのです。
 こうして日本海のおかげであることは数多くあるのですが、その日本海も氷河時代にはなく、日本は大陸と陸続きであったわけです。(氷河時代には海の水が蒸発したまま、寒さのために陸地で凍りつくために、海の水がどんどんなくなっていき、浅い海は干上がってしまったのです。日本海も浅かったので、干上がっていました。)さぞかし、氷河時代の北海道は寒かっただろうなあ〜と思うことしきりです。今では、道南にブナの樹が見られるまで暖かくなりましたが、氷河時代には北海道の平地はみな針葉樹に覆われていた、と言います。現在の北海道は針広混交林という舌をかみそうなところになっており、ご存知のように世界中でも例を見ない美しい島になっています。
 冬になるとこんなことを考えながら、春になったらどうしようか?と色々と思いを巡らせながら過ごしていきます。世界は美しさで満ち満ちています。自分の短い人生ではとても味わい尽くせないほどたくさんの魅力であふれています。そして知ったつもりになっていたことでも、また新しくそのすばらしさに気が付くこともあって、美しさは無限に広がっているようです。

 そんな空想に耽りながら、僕たちは昨年12/中旬頃から今までかかり、総合カタログの作成に取り組んできました。今まで年度ごとに総合カタログを作らなくてはいけなかったわけですが、あまりに大変だったために、できないでいました。しかし、それもようやく念願かなって完成にこぎ着けました。今回同封しましたのがそれですが、どうぞご覧になってください。
 まず、こうやって土台となるカタログをいったん自分たちで作ってしまうと、これからは毎年簡単にカタログを作っていけるという大きなメリットがあります。これを印刷会社などに任せると黙って数百万円かかります。その上、毎年今回作ったものは全部捨てられて、また一からつくりなおさなければなりません。まあ、印刷会社サイドに立てば、この“無駄”な部分に“うまみ”があり、仕事に通じていくわけですが、このことが各会社にとって大きな負担になっているはずです。ことの大小はあれ、僕たちもこの毎年新しくカタログを作ることは大きな費用負担をともなうために、長いことできないままでいました。
 それで、「もうこうなったら、自分たちで作るしかない!」と数年前から思うようになり、とうとう去年の暮れ写真展が終了した後一発奮起し、作成を始めたのです。当初はもっと壮大なものを計画しましたが、大分縮小しこんな感じにまとまりました。写真作品もフィルム原版から一枚一枚スキャナでとっているので、なかなかハイレベルに仕上がっています。ここにはインクジェットプリンターしかないので、この程度でしかお見せできないのがとても残念。モニター上では目も覚めるほど美しいものなんですよ。以前、ホームページを作成したときにはエプソンの5万円ほどのスキャナでとりましたが、今回のはドイツ製の60万円もするスキャナでとっていますから、品質はとてもいいものです。しかし、こんな真冬に真夏の写真などを画面で見ているから、拷問に近いものがあります。 昔、オフコースの歌にありましたが、冬は夏に憧れるわけですね。つまり反対側の季節への憧れと現実の季節と感触が心の中の大きな2つの潮流になって流れているのですね。写真というのはこの両者を同時に感じることを可能にしてくれます。おぼろげな記憶に鮮明な形を与え、浮かんでは消える思い出にリアルな臨場感を残してくれます。 また、総合カタログは同時に僕たちに本づくりのきっかけを与えてくれました。今まで僕たちは本を作るということに色々と想うところがありました。「いつかはやってみたい」ものの一つで、それもかなり人生の中で重要なことでした。しかし、裁断機、折り機、丁合機、製本機といった各種の機械を導入するにしてもそんな場所はなく長いこと保留にしておりました。しかし、まずは本づくりの原点を勉強する意味も込めて、機械ではなく道具レベルの製本機を買い、それでひとまず本を作ることにしたわけです。それが、この総合カタログなわけですが、いかがでしょうか?手作りのへんてこさ、おかしさが色々とあると思いますが、これもご愛敬。これを機に色々とできることから機械化へと進む予定です。そして年々徐々にもう少しましなものをこしらえていくのが目標になりました。まあ、とりあえずこんなものでも人生の大きな目標であった本づくりをスタートさせることができて、よかったと思います。

〈NO3〉

これと平行して、これも念願であったアンデルセンに関した本を一冊ですが、読み終えることができました。 山室静という人の書いた御本ですが、山室静さんという方はご存知でしょうか?山室さんという方は北欧文学の研究者で、ムーミンを日本に紹介した方として有名ですが、無論アンデルセンに関してもかなり調べられています。その独特の、あくの強い言い回しが僕は好きで、彼の訳出したアンデルセン童話はお気に入りです。
 僕は、昔から童話が好きで、アンデルセンなど色々と作品は読んできていましたが、その背景の本を読む機会がなく今まで来ていました。それが、この総合カタログの合間をぬって読めたことは、僕にとって大きな収穫になりました。マッチ売りの少女のモデルになったのはお母さんだったこと、みにくいアヒルの子はアンデルセン本人のこと、雪の女王の最初の窓辺の情景はアンデルセンが子供時代に過ごした家の窓辺だったこと…など、色々なことがわかりました。今まで、僕は色々な人の影響を受けてきましたが、僕の人生を大きく変えた人といえば、このアンデルセンとゲーテ、そして、前田真三なわけです。彼らがいなかったら、僕は今ここにいないと思います。はて何をしているのでしょうかね。
 こうしてアンデルセンが作品を作ってきたその背景を理解するということは、僕にとってとても大切なことでしたが、それが今までかないませんでした。しかし、山室静さんの解説を通してアンデルセンのことが色々とわかったことは僕にはとても重要なことでした。特にアンデルセンの女性問題、旅行の意義、出世欲のことなど、有意義だったと思います。作品では『柳の木の下で』『影法師』など印象的です。とても幼いときに理解できるような題材ではなく『柳の木の下で』などでは、失恋とイタリアへの旅行経験を絶妙に組み合わせながら、ヘッセの『クヌルプ(漂泊者)』を思い起こさせるような作品に仕上がっています。あとは、初恋の女性が他の男の人と結婚して、彼女と数年後に出会った時、彼女のその変わり様に絶望して書いた作品『仲良し』なども印象的です。他には  『ある母親の物語』なども魅力的です。これは死んだ子供を、死神のところへあるお母さんが取り返しに行く話ですが、森の奥に人々の命の宿った植物を育てる植物園があって…死神がそこの管理人をしているという。そして人の命を植物のそれに同一化することで、輪廻転生の想いを込める。そしてその思想のためにキリスト教ではなくヒンズー教の人々に受け入れられたことなどと説明が続きます。
 また、アンデルセンは「旅することは生きること!」と言い、人生の大半を旅の中に過ごしています。そして、旅自体が生活の疲れを癒すことにとどまらず、積極的で、人の何倍も旅の中から感受していたことが見て取れます。 そして、それらは彼の童話作品の中で情景描写の役目を果たし、僕たちの心にもしんしんとその情景が伝わってくる適当で適切な表現を見せているのです。
 その当時の旅というと、一般には職人になるための旅が普通で、アンデルセンの旅はこれとは少々違う。当時のヨーロッパでは、方々に点在している親方のところを旅してまわり、そしてその親方のところで何年か修行を積んで、また次の親方のところへ修行の旅に出るという、技術習得の旅が一般的だった。そして、当時の若者は親方から親方へ旅することを通して、技術を習得し、一人前になって、一所に定着していく。だから、当時の若者にとって、旅は生活のために必要不可欠なことで、一人前になって生活を支えていくためにはどうしても必要なことだったわけです。しかし、アンデルセンの旅は生活を支えるための旅というよりも、生きるために必要な旅だった。 そうこうしている内に、機械が技術に取って代わるようになると、若者は旅をする意義を見失い、単なる工場労働者に転落していく。このことは、いまなお続くことで、現在では生活を支えるために旅をするのではなく、生活を支えるために自分を日常生活の中に拘束しなければならない。つまり、人々の生活スタイル特に若者の生活へのアプローチは当時と比べ、180度の転換を見せている。それなら今の若者にとって旅はいったいどんな位置づけになるのだろうか?ここからは、僕の力では言及できない領域だけれど、少なくとも僕にとってはアンデルセンの旅のスタイルが魅力的に映る。 
 しかし、山室静はこのアンデルセンの旅行への強い衝動として、心の内の寂しさを上げている。もちろん、新しいもの、未知なる世界への強い憧れがアンデルセンを旅に駆り立てたわけだが、それだけではなく「女性の胸の中にその憧れを沈める和らぎの場所を見つけることができず、一生家庭を作ることができなかった孤独と寂しさによって」その気持ちをさらに強いものにしているという。
 こうしてアンデルセンは世界各地を旅して回り、色々な作品を残すことになるが、その作品の多くに、失恋や孤独、寂しさといった負の情緒が色濃く表現されることになる。このことを良しとみるか、悪しとみるかはその人の判断に委ねられるが、やはりこのアンデルセンの負の情緒はアンデルセンの世界的出世という光に対しての影の部分と解釈するのが妥当だろうか。どこか、手塚治と似ているところがあるが、でもまあ両者共にもう少し幸せな作品をも残してほしかった。その人の人生そのものが童話になり、マンガになるのだから、二人の人生はあまり幸せだったとは言えない。もう少し、幸せな作品を見せてほしかったと思うわけだけれど、これも運命と受け入れねばならないのだろうか。

〈No4〉

 さて、アンデルセンの話はおそらく尽きることはないだろうからこのくらいにして、話を続けます。
総合カタログが完成するまで僕は何十時間もコンピューターの前に座る生活を約一ヶ月間続けますが、カタログが完成した後は撮影道具の見直しをします。僕は長いことマミヤ645というカメラで撮影を続けてきましたが、最近ハッセルブラッドというカメラを手に入れたことは以前お話ししました。ハッセルブラッドというカメラはスウエーデン製6×6判のカメラで、僕らが高校生の頃だから、今から20年前では標準レンズ付で35万円位したといいますし、僕が写真を始めた15年前でも雲の上のカメラで、買うなどとはは思いもよりませんでした。それが、最近オートフォーカスカメラやデジタルカメラの人気に押されて、ずいぶん安く買えるようになって、とうとうこの僕でも買えるようになったというわけなのです。もちろん臨時収入があったからできたことで、普段のやりくりでは不可能だったでしょう。ただ、かなり値下がりしているからといってもそのレンズは高価なもので、定価だと平均35万円くらいするもので、これを全部で7本は用意しないと撮影を始めることができません。だから当時、個人でハッセルを買うということがどれだけ難しかったか、簡単に想像が付きます。ところが、最近のオートフォーカス&デジカメのおかげで、ハッセルが僕でも買えるところまで値段が下がり、気持ちは複雑です。こんなところにデジカメの恩恵ってあるわけですよ。おかしいでしょ。余談ですが、マミヤ645のレンズの値段なども数年前の6割くらいまで下がっているのが現状です。この15年、だまされたりしながら、苦労して買い足してきたマミヤのカメラやレンズなども今では本当に安くなりました。
 最近、安原カメラ制作所という個人でお造りになったカメラ会社さんが経営を辞めてしまいました。理由は予想以上にデジカメの力が強かった…とうのがコメントでした。デジカメは現像を伴わないので、フィルム代がかからず、何でもかんでも安易に写すことができます。理想と言えば、理想ですが、カメラにコンピューターの能力がついてきていないのが現状で、仕事でデジカメを使えるようになるのは、もうしばらく時間が必要だと僕は思っています。何しろ、デジカメのファインダーを覗いてみると、ものや自然と対峙するという究極的な能力はなく、対象物がなんとなく見えているという感覚のカメラが多く、記念写真や報道などでは有効でも、僕が志す風景とは両極に位置するカメラのようです。
「僕はファインダーを通して対象物を正確に見る」ということが何より大切なことだと思っています。そして、なめらかなヘリコイドを回してピントを追い込み、直接目で見た感動がそのままファインダーの像になって見えたとき、心が揺らぎ、シャッターに指がかかります。そして、この対象物との精緻な対峙ができるカメラこそ、僕の理想とするカメラなのです。このハッセルブラッドというカメラはこの点で理想通りのカメラで、ミノルタが制作したアキュートマットと呼ばれるファインダースクリーンのおかげで、明るくなめらかなファインダー像を見せてくれます。僕は何度もこのファインダーの見え方をマミヤ645と比較していたわけですが、その差は歴然で、驚くほど違います。例えば、15m先に冬木立があるとして、これを広角レンズをつけてファインダーをのぞきますと、マミヤの場合には決してピントを合わせて写せるほど、正確に見ることはできません。しかし、ハッセルのファインダーを通すとそれが実によく見えて、実に正確にピントを見ることができるのです。つまり写す対象物がきちんと正確に見ることができるために、自分が何を写しているのかをはっきりと理解しながら写せるわけです。当たり前なことなのですが、最近のカメラや古いカメラではこんなに大事なことができなかったり、オートフォーカスなどでは必要がないために、ちゃんと見えるようには作ろうとはしないのです。その点ハッセルは古いカメラでその時代の古いファインダーではまともに見えませんが、ミノルタの開発した最新のスクリーンを搭載したハッセルは見事にそれを可能にしています。古きと新しきが見事に合体したカメラだと言えるのです。
 また、6×6の正方形の画面は実に魅力的です。まず、第一番の印象は空が高く見えます。ものすごい開放感を感じるのです。6×4.5との違いは非常に大きく、こんなに違うとは正直思っていませんでした。今後どのように6×6の画面とつき合っていくか、僕の重要な課題になりそうです。また、ハッセルのもう一つの魅力としてフィルムバックを替えることができるために、同じ風景を色々なフィルムで撮影することができます。そして、余裕があるときなどは白黒フィルムなどでも撮影できるかも知れないと、大いに期待しているところでもあります。学生時代、風景を白黒フィルムで何度か写したことはありましたが、35mm判ではとうてい無理なことで、風景を白黒でやるならもっと大きなフィルムで写す必要があることを実感したままになっていました。しかも、ハッセルのレンズならニコンやマミヤのレンズではとうてい描出できない諧調が出せるだろうと、期待は膨らみます。ハッセルのレンズはかのドイツのツアイス(zeiss)製のレンズで、僕はその描写力に関して今は何も言えません。しかし、唯一Rollei35sに付いたツアイス製のゾナー40@f2.8というレンズで四国の田園風景を撮影したことがあり、その時の経験ではニコンで出ない諧調が出て驚いたことがありました。もちろん、当時の不安定な現像、プリント技術からでは断言できないことではありますが、このことを確認しないことには、どうもおさまりがつかないところに来ています。

〈No5〉

いずれ、この北国通信の中でレンズ描写の違いなどを見ていただくことになると思いますが、できれば、楽しみにしていてください。もちろん、狭いながら白黒の現像プリントだけは自分たちでやる予定でいます。現像所に出すと、現像液や印画紙の自由度がなく、せっかくの白黒プリントの奥行きが損なわれてしまうからです。
 こうして僕は今少々撮影から遠ざかっていますが、これも必要な時なのだと思うようにしています。がむしゃらに写し続けるだけが能ではなく、少し立ち止まって考えることも大切なのだと思っています。
 最後になりましたが今月の作品の解説です。
まず一枚目は、北海道道南、熊石町にある冷水岳という山です。この作品はなんと今から15年前に撮影したものです。なんとコダクローム64というフィルムです。このコダクロームというフィルムは最近ブローニーフィルム(中判フィルムのことで、6×6判とか6×4.5判のように、幅6Bのフィルムサイズの写真が撮れるフィルムで、フィルムが紙に巻かれているために、ロールフィルムとも言われています。僕は普段このフィルムを使うことが多く、なじみ深いものです。)の現像が日本でできなくなり、とても残念です。色素の退色が少なく、独特の発色をしますが、その現像が東京と大阪に限られていたために、あまり使われなくなっていました。それでも、当時、ニコンにコダクロームを入れて写すことが硬派な時代があって、僕もしきりにコダクロームを使っていました。
 それはさておき、この作品の場所に先日行ってみましたら、すでに手前の木が大きく育って、ここからは写せなくなっていました。驚きですね。当時の僕にはここの魅力などわかるはずもなく、この作品などもただこの山にひかれて写したに過ぎません。しかし、この冷水岳を含む遊楽山塊に魅力を感じている人は少なくなく、今ならここの魅力を僕でも十分にわかるつもりです。ここへ行くには函館から北へ噴火湾沿いに北上し車で1時間ほどのところにある八雲町という街で噴火湾と別れ、国道277号線を日本海にむかいます。その途中には雲石峠という峠があり、ここを越えると道は下りに変わり、間もなく雲石トンネルとなります。この作品はその雲石トンネルを出たすぐのところから見た冷水岳ですが、今では樹木の影で見ることさえできません。しかし、もうしばらく我慢して走ると、その途上、見市川の刻んだ深い谷が見える辺りで、遊楽岳と共にその全貌がよく見えるようになります。この辺りの魅力は何といっても山の深さにあります。この作品ではそのことが十分に表現されていません。15年前のことですから、こんなものだと思います。いずれこの辺りはもう少しつっこんで撮影したいので、次回の作品にどうぞ期待して下さい。
 次の作品は支笏湖の美笛川の河口付近の冬の朝の作品です。支笏湖は最北の不凍湖として知られますが。これを撮ったときも確かに全体は凍っていませんでしたが、所々岸よりのところが凍り始めたりしていました。その凍った湖面に雪がかかる風情が何とも言えず綺麗で、飽きることなく一日中写していたことをよく覚えています。この作品はその時の朝の作品で、川と湖とが出会うとても雰囲気のいいところです。然別湖でもヤンベツ川と出会うところがとても魅力的なところになっていますし、屈斜路湖も釧路川が流れ出すところで魅力を帯びています。もちろんこのことは大沼などでも言えるのですが、どういうわけか、湖と川が出合うところというのは、とてもひかれることが多いですね。川と海が出会うところは護岸工事がされているところが多く、北海道でそれを見ることは難しくなっていますが、やはり川と海との接点も魅力一杯です。それにしてもどうして、川が湖や海と出会うところは魅力的なのでしょう。確かに独特の隠れ家的な要素などがあるにはあるのですが、はっきりとしません。ただ、一つ言えることは、冬に川が流れ込むところでは湖面が割れていることが多く、アシやヨシが生え、水鳥たちが寝床にしているようなところが多いように思います。当然環境が入り組んでいるために、多様な生き物がそこで暮らし、冬でもその気配が汲み取れるからなのでしょうか?そんなことを感じながらも、この作品の魅力は冬の何気ない朝焼けの様子にあると思うわけです。取り立てて特徴がない静かな冬の気配を感じてほしいです。北海道をこうして写していると、各地にお気に入りのところが色々とできて、機会あるごとにそこここを訪れるようになります。何か変わってないかなあ〜といった、親しみのこもった視点で見るのですね。劇的な新鮮さには欠けるところであるが、季節季節変わって見えるという小さな発見に一喜一憂するというのもまた楽しいものです。でも、そろそろ新しいお気に入りを見つけるために、新たな旅をしてもいいようにも思います。
 そんなことを思い思いしているところへ、僕が応援している市議会議員の人が遊びに来てくれました。僕のすぐ近くに北大の先生が引っ越してきたことを教えに来てくれたのでした。彼はその先生と函館に水族館を作ることで20年来の旧知でした。その先生は僕とは直接関係はないものの、同じ学科の教授だった人で、僕と出身が同じ方面の人である。奥様の希望でこちらに移ってきたということで、今度会いに行こうと思います。彼とご近所さんになろうとは思いもよりませんでした。最近まで、北大水産学部が札幌に移転するという噂があって、その話は本当になるところでした。しかし、函館市のたっての希望で、水産学部は今まで通り函館に残ることが決まります。

〈No6〉

それ以来、どういうわけか、僕の回りに函館にいて函館のために何かをしたいという想いを持つ人が増えてきた矢先のことでした。最近、そんな函館をぼくなりに表現するべく、実働しようと思っているところだったので、回りに函館を愛してくれる人が増えてくるということはなんと心強いことでしょうか!
『函館の風の中で』は今から12年前、僕は絶対的な自信を持ってこの作品を創り、世に問いました。今は、その時のような自信は僕にはなく、謙虚になってしまった僕がいます。創作家というのは、もっと自己主張が激しい人が向いているそうですが、僕には最近自己主張の情熱がありません。むしろ、淡々とした静かな想いが湧き起こってきます。何かがほしい、何かが好きだ、何かを創作したいという、静かな情熱が心の中で燃え栄るばかりです。こんな自分が見つめる今の函館を加えて、『函館の風の中で』を数年後をめどに制作したいと考えます。今はカレンダーの制作に全力投球したり、総合カタログを作ったりとまとまった時間をさまざまに使ってきていたので、なかなか写真集の制作に余力しない年が続いていました。しかし今後なんとか空き時間をこしらえて、写真集の制作に情熱を傾けていけるようになりたいと思います。
写真集ではありませんが、今からの冬中に『Jewels in the Night』という函館の夜景のポストカード集を改版する予定です。『Jewels in the Night』はこれで5版目くらいになり、その都度改版を重ねてきましたが、今回もマイナーチエンジするつもりです。「函館の夜景は、天の川が海に映った姿…」そんな想いを作品集にぶつけてみたいと思います。もし機会があったら見てみて下さい。
 今回はだらだらと長いこと書いてきましたが、この辺でいったん終わりにします。もう少しお話ししたいことは次の追伸で書くことにします。それではこの辺で失礼します。


追伸1)函館の水族館は以前国土と函館市によって80億円規模のものが計画され、つぶれましたが、今度は函館市営    の小さな水族館ができるそうです。小さな水族館構想は実は僕が提案したことですが、市議会議員の人を    通してうまく市政に反映してくれたようです。実体がどうなるかは不透明ですが、優秀な人材が登用され    ればいいですね。

追伸2)最近、大雪の日から引き続き庭のえさ台に色々な餌を置くようにしました。すると、最初20羽ほどのスズメが最近では80羽以上に膨れ上がりました。スズメの他に、ヒヨドリ、アカゲラ、シメ、シジュウカラ、カケス、ヤマガラなどが姿を見せています。この冬、これらの鳥を撮るために、望遠レンズを用意しているのですが、なぜか、撮る気が起きません。餌をやって、食べているのを見ていると、満足してしまうようです。冬に食べる餌の量で、春からの子供の数が変わるということを聞いたことがありますが、はたして丘のうえの小さな写真館で子育てするスズメたちの来春はどのようになることでしょう?ベビーラッシュを期待しちゃいますね。

追伸3)最近、冬だというのに蝶が館内で羽化してしまいました。驚いた僕たちは一時間でも長いこと生きてもらうために、花を買ってきましたが、3日ほどで死んでしまいました。慶ちゃんの手厚い看護も実を結びませんでしたが、1時間でも長くこの世を味わってほしいという想い、蝶に通じていたらなあ〜と思うばかりです。