の世界
第96号 北国の春 2004年4月
北海道 松前の桜
狩場山への道の途中で 瀬棚町
●NO1 APR. 2004

北国の四月は残酷な月だとよく言われる。確かにこのことは当たっている。4月にはいると、本州方面では桜が咲き、春が加速されていくが、北海道では桜が咲くためには5月の声を聞かなければならない。それも、函館でさえ5月初旬のゴールデンウイークでは桜は開花しない。桜が咲くには、まだまだ時間を必要とする。
 しかし、今年などはいつもの季節よりも早いとされ、5月初めのゴールデンウイーク頃に街の桜が満開を迎え、7日ほど遅れて、郊外でもオオエゾヤマザクラの濃いピンクが山肌を彩ることだろう。このオオエゾヤマザクラという桜は、本州の山桜と違って、非常にその花の色合いが濃く、濃いピンク色をしている。この濃いピンクとブナの蛍光を発するような緑のコントラストが北海道、特に道南の春の特徴で、僕はことのほかこの取り合わせを気に入っている。
 さて4月。色々なことがあった。まず2日には4月としては珍しく大雪が降り、あたり一面が真っ白に彩られた。

春のすすけた大地に、意気揚々とクロッカスが彩りを添える!
しかし、突然の大雪。4月2日のことである。
クロッカスも雪に埋もれ、貝のように花を閉じてしまった。
庭のクリスマスローズもすっかり雪の中である。なんと清楚な姿…
●NO2 APR. 2004

1日にはまずこれで冬は終わっただろうと思い、タイヤ交換をすませた(本州の方にはわかりにくいと思いますが北海道など雪国の車は冬は冬用のタイヤをはいているので、春になって雪の心配がなくなると、夏用のタイヤに交換します)次の日に大雪です。何というタイミングの悪さでしょう!しかし、さすがに冷え込みは少なく、次の日には雪は跡形もなく溶けていってしまいました。しかしこの大雪が予期することもできないとんでもないことを引き起こすことになろうとは、その時の僕たちにはわかるはずもありませんでした。
 その大雪から10日後、函館で僕たちの結婚式を挙げて下さった牧師がこの世を去るのです。
彼はこの大雪時の寒さで風邪を引き、それがもとであっけなくこの世を去るのです。67才のあまりに早く、あまりに突然の死に、僕たちは何かだまされているかのような脱力感に襲われます。そう、まさに自分たちが結婚式を挙げていただいたその場で、今度は牧師が花に囲まれて永遠の眠りにつかれているのです。日本キリスト教会函館相生教会牧師、真田卯吉牧師。僕たちは彼をどの牧師よりも好きで、愛していた。牧師館を尋ねると、すててこ姿で現れては、とぼけたひょうきんな姿で対応してくれるのに、しかし祭壇に立ち、神の言葉を語るときの彼はまるで神が乗り移ったかのように神聖で威厳に満ちる。この豹変ぶりが僕たちには不思議だったし、好きにさせる理由の一つだった。順子夫人と共にお二人の寄り添うお写真を撮らせてほしいと、何度もお願いをしていたが、自分の怠慢でかなわぬ夢となったことが悔やまれる。こんなところにも自分の甘さがあると、いくら自責しても自責しても全く足りない。何もかもが自分が想うよりも早く移ろっていく。

●NO3 APR. 2004

くしくも、真田卯吉牧師の通夜の次の日、ほぼ暗室が完成する。万事、この調子なのだ。お金さえふんだんにあれば、おそらく暗室など一週間もあれば完成したことだろう。しかし、暗室を…と思い始めてから、なんと2カ月もかけないと、完成させることができないわけで、この完成があと一月早ければ、間違いなく牧師夫妻の見事な写真を撮ることができていただろう。人生には悔やんでも悔やんでも、もうどうしようもできないことが多い。通夜の別れ際、牧師婦人から約束果たせなくてごめんね、と言われた。僕はずいぶんと前から「夫婦」というテーマで撮影をしてきており、この夫妻というテーマを完成させるためにもどうしても暗室が必要だった。しかし、ぼくは尊敬する牧師を失い、牧師夫妻を写真集の1ページに掲載することができなくなった。人には生まれてきたからには自分ができることで、お世話になっている人にご恩を返すべきだとぼくは常日頃考える。それが僕には写真を撮って差し上げることであるのだが、その肝心のことができない自分とはいったい何なのだろうか?
 牧師の通夜を終えてから5日後。函館夜景のポストカード集『Jewels in the Night』が完成する。この作品集は3月3日より作成を開始し、約2カ月かけて完成する。全く新しい作品集にしてしまうのではなく、その中の約半分ほどの作品を入れ替えての制作で、単価を下げるためにどうしても5000セット制作したかったので、最初から気合いが入っていた。
 まずはセットポストカードにはそれぞれ1冊の冊子が入っているが、印刷会社に手抜きをさせないために、写真製版からデザインまで自分がやり、印刷会社側に手出しをさせなかった。紙も、上質紙ではなく、写真のコントラストをつけるために光沢紙として、写真の質をキープした。このことで、冊子の写真は表紙の写真以外はほぼ満足のいくものに仕上がり、これからはどのセットポストカードの時にもこの手で行こうと思った。肝心の12枚のポストカードでは、今まで満足のいく仕上がりを得たことがなかったので、今度こそ!という思いから、かなり慎重に製版会社に指示を出した。その甲斐あって、今までになくほぼ満足のいく仕上がり具合となった。製版会社への指示の中には「女の子が見て、きゃ〜あ綺麗!と思わず叫びたくなるように」という指示まで書いた。社内の女社員の人たちの聞いて回ってくれたのだろうか?今までになく、見事な仕上がりを見せてくれた。
 こうして、2カ月の時を経て、ようやく函館夜景のポストカード集『Jewels in the Night』は完成した。12枚組のセットポストカードは1冊700円。たいていは3000セット造るのだが、これでは単価的にほとんど利益がなく、売れてしまうと、もう増判することもできないというのが現状。それで、今回は8年めにして念願の5000セットを制作でき、意気揚々というところ。出来の良いポストカード集を箱付めする作業は、楽しいもの。丁合といって、12種のポストカードを一列に並べて、そこから一枚づつとって12種類の異なったポストカードの束にしていく作業は僕の仕事であり、僕の得意な仕事。箱に詰めていくのは慶ちゃんが速い。箱を折るのも慶ちゃんの方が僕よりも速い。
「そこの綺麗なお姉さん私を連れてって〜」と言うんだよ!と呪文を唱えながら箱に詰めて行くわけです。北国通信のみな様も、初めて見事な仕上がりになった函館夜景のポストカード集『Jewels in the Night』はいかがでしょうか?

黄金に光る海に、銀の架け橋がかかる。
『Jewels in the Night』その他の作品から。今回の『Jewels in the Night』では函館の街の灯は天の星々が海に映った姿であることを強調した。
天の川が海に映った姿こそ函館の街の灯であり、街にともる命の灯と天を飾る星々とが循環し、見つめ合い、守り合い、初めて人々の心は癒される。今の人々の心が殺伐としているのは、心に星を持たないからであり、星になったおじいさんやおばあさんたちが天に輝いていないからだと、主張する。街明かりばかりが綺麗で、豪華になったとしても、それで星が見なくなったなら、その時僕たちは大切な祖先との交信ができなくなり、心が荒廃するのだと僕は考えている。
●NO5 APR. 2004

函館夜景の作品集づくりと平行して行っていたことに、モノクロ専用の暗室づくりがある。大学では写真部に属していれば、豪華な暗室が無料で使え、個人では手に入りそうにもない立派な用品を自由に使える。そして、そのことを対して有り難がることもなく、あるのが当たり前のものとして受け止めている。しかし、これらのものを個人がそろえるとなると、相当の覚悟が必要となる。暗室用品の一つ一つは別に高いものはなく、安いものが多いのだが、それらもまとまると相当な金額になってくる。そう、それらを新品でそろえるとなると一月分の給料ではまかなえないような金額になるから、時間をかけて中古を探し回ることが必要となる。こうして一言に暗室づくりといっても、予算の関係から予想以上に困難を強いられるわけなのだ。しかも、これだけ苦労して暗室用品を集めたとしてもカラー写真をプリントすることは個人では不可能で、もし無理してやったとしてもお店でやってもらえるような価格では絶対にできない。そこで、我々が手を出せる限界は自ずとモノクロ(白黒)ということになり、カラーのプリントはお店の自動現像機に任せた方が懸命である。
 ただ、モノクロといっても、簡単にできるものではない。学生時代に風景をモノクロでやったことがあるけれどその難しさのために、僕は途中でそれを投げ出してしまった。しかし、モノクロにも大きな可能性がある。例えば月面の撮影や星空の撮影にはかなり期待できる。コダックのモノクロフィルムにテクニカルパンという名前のフィルムがあるが、このフィルムの解像力には底知れないものがあり、扱い方に習熟できれば大きな成果を上げることができる。いきなり難しい話になってしまったが、理由は簡単である。現在、販売されているモノクロフィルムを現像所にお願いすると、ある決まった一定の処理しかしてもらえず、特殊なフィルムを使うことも、特殊な現像処理もやってもらえない。しかし、それを自分がすると、思ったようなフィルムを使い、思ったような現像をすることが可能となる。例えば、今お話ししたテクニカルパンというフィルムなどはその最たるもので、現像液を変えれば、感度が変わるばかりか、コントラストも変えられるのだ。テクニカルパン用にはテクニドールLCという専用現像液が用意されてはいるものの、その他に、D-19、POTA, HC-100などの各種の現像液が用意されているし、自分で調合した現像液を造って現像をすることもできるのである。この現像液を変えることで、コントラストと感度が変わり、テクニカルパンの超微粒子、超解像力とあわせて、普通のモノクロフィルムではえられない、高品質な作品を創ることができる。
 今、僕は幸運にも暗室を手に入れることができたので、これ幸いと、月面の撮影をやってみようと思って、試行錯誤し始めた。月というのは視直径が0.5度で、フィルム上に焦点距離の1/100の大きさに写る。例えば、焦点距離2000mmのレンズで月を写すと、フィルム上にはその1/100の大きさ、20mmの月が写せるという具合である。だから普通のフィルム(35mm判フィルム 縦×横24mm×35mm)内に月を写すためには、満月などの場合には特に
焦点距離を2400mmを越えてはいけない。上弦の月などは満月よりも細長いので、もっと焦点距離を上げて、3000mm程にすることができる。
 こうして月を撮影する場合、できるだけ焦点距離を上げてやれば上げてやるほど、微細なクレーターまで写すことができる。しかし焦点距離を上げて撮影すると、今度はフィルムからはみだしてしまうので、なかなか焦点距離を上げられないジレンマを感じることになる。これを克服するためには、フィルムの大きさを大きくするればよく645判を使うと最大5000mm程の焦点距離を使えるようになり、気流さえよければ、かなりの月面写真を期待できるのだ。ましてや、645判に先程のテクニカルパンを使えば、目の覚めるような月面写真を撮ることができるだろうと、期待は高まる。
 こうして暗室があって、モノクロ写真を撮影できることは今までできなかった月面や星夜の写真撮影までが可能となる。もちろん、これら月面や星の撮影ができるようになることは、暗室の嬉しい副産物で、この他にも、人物撮影や記念写真、風景写真へと大いに利用できる。慶ちゃんが言い出したこの暗室計画。もうすぐ本格的に始動を始める。彼女は、外国の風景をモノクロで写したかったそうで、本当にそんな撮影ができるようになったら、どんなにすばらしいだろう。
 もう一つ、モノクロ写真の最大の特徴はその品質の安定性だろう。いい加減な定着をしないで、ちゃんとした定着処理をすれば、カラー写真の何倍もその品質が維持できるし、デジタルでは得られないぬくもりが得られるだろう。特にデジタルは我々を大いに迷わせてくれるが、デジタル写真を毛嫌いするよりは、デジタルの良さ、悪さを理解して、最終的に自分がどちらの方に向いているか、考えればいいのだろうと思う。
 最近、高校の写真部の顧問の先生と話す機会を得たが、彼の学校の高校の写真部は暗室を経験することはなく、全員最初からデジカメを持って、撮影をしているという。写真部には写真を好きだからというのではなく、コンピューターができるから、という理由で属している生徒も多いという。こういうことを聞くと複雑な思いが胸の内を駆け巡る。
 自分の場合、大学時代から今まで写真を撮影するということは、フィルムや機材代のために飲むものも飲まず、食べたい物も食べないでやってきた。大学生でさえ、写真を撮るということは、金銭的な壁があって、相当な意志と幸運とがない限りこの壁を突破することはできなかった。ましてや高校生ともなるとカメラを買うということは

●NO6 APR. 2004

親の援助なしでは、ほとんどの場合無理だろうし、例えカメラだけは買えてもフィルム代を支払える能力があろうはずがない。そう考えると、金銭的な理由だけから高校生がカラー写真をやることは不可能だったわけで、全員が好むと好まないに関わらずまずモノクロの世界にはいることが写真への入り口とされた。モノクロフィルムは確かに安いものなので、何とか高校生でも使えたわけである。
 しかし、デジカメの登場で事情は変わった。デジカメはカメラとコンピューターさえあればなんとかカラーで撮影をすることができる。カラー写真の入り口に何とか立てるのである。もちろんフィルム代はかからないから、カメラが一台あれば、何とかやっていける。しかも、デジカメには何の特殊な技術もいらないから、誰にでも簡単にできる。こうして、高校生が金銭的な壁を取り払われて初めからカラーの世界を扱えるようになったことはひとまず評価されることだと思う。そしてあとはその個人がどんな選択をしていくのかにかかっているのだろう。僕だって今大学生で、デジカメが目の前に売ってあったら、迷わず飛びついたかも知れない。それほど、写真のフィルム代現像代を払うことは苦しかった。しかし、幸か不幸か自分の大学時代にはデジカメはなかったわけで、自分は身を削りながら、涙を流しながら写真を写してきた。撮影をするためには、その何倍もの時間、バイトしないといけなかった。この苦しみの果てに今の自分がある。写真を撮るのにこの苦しみを伴わないとしたら、人は写真に対してどのような姿勢をとるのだろうか?変わることがあるのか?変わらないのか?今後が実に楽しみなところである。

制作中のの暗室。右手にある。引き伸ばし機はLPLのもので、こう見えても全紙までプリントできる。中古で25000円。この右側に時代遅れのボイラー室があって、この広さしか確保できない。この広さで全紙をプリントするのは至難の業だが、あるのとないのとでは大違い。狭いながらも念願の暗室である。
●NO7 APR. 2004

■小型のジッツオ三脚(G1226三脚)が来た。

5年ぶりになるのか、小型の三脚を手に入れた。ジッツオG1226三脚である。三脚のみの重量は2kg、と非常に軽量で雲台と合わせても2.5kgと非常に軽い。ジッツオ三脚はフランスの三脚で、国産とは比較にならないほど優れている。 僕はジッツオ三脚を使い始めてから15年になるけれど、もし一度使ったら絶対にこれ以外の国産三脚などは使えなくなる。一般に、三脚は重いほどいいと思いこんでいる人がいるようだが、決してそんなことはなく、三脚を構成するアルミニュウムの質がその性能を左右する。アルミニュウムの質が高ければ、軽くても強固な三脚になるのである。このジッツオというメーカーの三脚は、国産のプロ用と言われて売られている三脚に比べれば、軽くできているが、強度は非常に高い。一度、カメラ店などに行かれる機会があったら、国産のプロ用と歌われた三脚を持ってみられるといい。その重さにあきれ果てること間違いなしである。よくもまあこんなものを使っているものだと感心するに違いない。でもご安心を!たいてい人たちは、あんなものは使いません。いや、使えません。普段僕が使っている三脚はジッツオG1345三脚。雲台と合わせて、重さ4kgもある。何のストレスもなく中判カメラを500mmまでほんのちょっともぶらさずに写すためには、どうしてもジッツオのこのクラスの三脚が必要で、いたしかたない重さである。風景写真を撮る場合、この三脚の重さに耐えられる体力がどうしても必要なのだ。しかし、これを持って何時間も歩き回ったりすることは苦痛で、これよりもう少しでいいから軽量の三脚がほしいと思っていた。しかし、この強度を確保しながら軽量化するとなると、カーボン製の三脚にするほかなく、定価だがこのクラスのカーボン三脚は10万円を超えてしまい、とても買えそうになかった。それで、アルミ三脚を考え、このG1226三脚を長いこと探し回っていたのである。しかし、ジッツオ三脚はどちらも、地面と接するところに金属製のスパイクを備え、柔らかな地面に三脚を立てる場合に、大きな威力を発揮する。これが国産ではPL法によりできなくなっているから、国産の三脚は外で使うのには適さない。しかも、重い重い三脚なのに、ちょっとでもひねってみるとグニャグニャで、ひねり強度が全くなく、使えそうなものが一つもない。ジッツオ三脚は数年前に更に改良されたが、その改良の全てが的を得たもので、改良点を見るたびに、ぼくは歓喜したことを覚えている。たいてい最近の改良は、自分にとっては改悪の場合が多いが、ジッツオ三脚はこうなってほしいという点の全てが意に添うものとなり、登場してきた。使うに当たって、自分は障子戸などに使う隙間テープを貼って、金属の冷たさから手を守っている。写真で白く見えているのは、そのテープのもので、こうすると、冬でも全く寒さを感じない。三脚の話に終始したが、三脚の頭に着いている雲台もジッツオのものは優れている。特に、最近の自由雲台(写真手前の小型三脚に付いている)は良くできており、従来の使いにくさを克服し、強度も十分にある。僕のものはマグネシウムでできた自由雲台で、アルミニウムに比べ20%程軽量になっている。

上の三脚が僕が普段使っている三脚でジッツオG1345三脚。雲台と合わせて4kgほどあり、数時間持って歩くには重かった。
下の三脚が今回ゲットしたジッツオG1226三脚。重量雲台共で2.5kg程と非常に軽い。さすがにこれだけ小さいと軽くていいのだが、強度に問題が残り、中判カメラでは荷が重い。しかし、 この両者の中間を埋める三脚がなく、仕方なくこの三脚を長い こと探していた。大雪山に中判カメラを持っていきたいために 長いこと悩んでいたのである。
ジッツオ三脚の金属スパイクの石突き。数年前、全世界的にジッツオの三脚の石突きは写真にあるようにこの金属スパイクの石突きに変わった。その他にも多くの改良が加えられて登場したジッツオ三脚を見たとき、僕の胸は高鳴った。三脚は写真家の命であり、一度いい三脚を手にすると、一生涯使うことになるから、選択にはことのほか慎重になる。この金属石突きは牧場や湿原など、ふわふわした土地での撮影が多い僕にはかけがえのないものだ。国産ではPL法という法律のために、このような三脚の生産は事実上できない。
●NO8 APR. 2004

鳥を見るようになってから、もっと綺麗に見ていたいという想いが年々積もっていた。そのためには、優秀な双眼鏡がどうしてほしかった。時をさかのぼること18年前。バイトして初めて双眼鏡を買った。5000円だった。気軽な気持ちで一台ほしかったのだ。しかし、実際にそれを覗いてみて、僕は絶望した。全く見えないのである。怒った僕は、さっさとゴミ袋の中に捨ててしまったという苦い思い出がある。あれから18年。その時の思いのために、僕はポロプリズムの双眼鏡が嫌いで、いつかダハプリズムの最高の双眼鏡をほしいと思っていた。しかし、この18年間は長いもので、そのうちに、自分が良いなあと思える皮で巻かれた双眼鏡のほとんどは姿を消し、気がついたときには手に入らない存在になっていた。双眼鏡の詳しい人に聞いてみると、手に入れるためには、ドイツのオークションをする必要があるといわれ、事実上断念していた。それが、最近矢継ぎ早に2台の理想の双眼鏡を手に入れ、肌身離さず持っている。一台はニコンの9倍30mmの双眼鏡でもう一台がライツの7倍42mm。双眼鏡も望遠鏡も理論的にはレンズの直径が大きいほど性能が高いのだが、望遠鏡はともかく昼間使う双眼鏡はレンズの口径があまり大きくても意味がない。たいていの昼間ならば、口径4cmもあれば十分なのである。人間の瞳径などはおそらく2mmもないのだから。
 さて、この2台の双眼鏡。見た目や理論的な性能もよく似ているが、実際に覗いてみると、驚くほど見え味が違う。端的に言えば、ライツの双眼鏡は常軌をを逸している。驚くほどコントラストが高く、驚くほど解像力が高い。庭に来る鳥たちの羽の一筋一筋が鮮明に見え、あまりに綺麗で、カメラのファインダーに持ち替えるたびに、がっかりするようになってしまった。まともにものを造るということはこういうことなのか!とライカの製品を見ると思い知らされる。
おそらく、レンズやプリズムをこれ以上磨けなくなる限界ぎりぎりまで入念に磨くのだろう。見た目には、細身の女性を思わせるようなきゃしゃな雰囲気を持ちながら、これが文句なしに世界一の見え味なのだろう。双眼鏡の活躍するところは鳥だけではない。森の中に茂る葉の一枚一枚を、花の一輪一輪を覗くときなどにもその真価をを発揮する。もうすぐ、ニート彗星が見えるようになるが、彗星なども双眼鏡で見ると、たちまち心に突き刺さるような印象が与えられる。月などもそうだ。5月5日明け方、月没時に皆既月食するが、これも見応えがある。南の地方の人は見逃せないチャンスだろう。一台で良いから、自分の好きな双眼鏡を持っていることは、心の豊かさに通じていく。

●NO9 APR. 2004

双眼鏡を買うときの注意点は星を主体で見ない限り、口径が4cmほどで倍率が7倍から10倍の範囲のものを探すのが良い。あとは、ポロプリズム(よく双眼鏡のモデルになるタイプ)とダハプリズム(前ページの写真の双眼鏡)の2種類があるので、好みの形の方を選ぶ。メーカーとして、ニコン、ツアイス、ライカがよく、ポロプリズムが好きな人はツアイスのものが比較的安くて見え味がいい。ニコンの双眼鏡もいいのだが、その多くはIF式(インデビデュアルフォーカス)を採用していていることから、通常使用では実に使いにくい。できれば、IF式ではなく、CF式(センターフォーカス)のタイプが良い。いつか、双眼鏡の選び方は、ホームページで紹介できたら良いなあ〜と思っているところです。
 さて、一番最後に今月の作品の紹介をしていきます。
まず、桜の作品。この作品は北海道一の桜の名所、松前城で写した桜の作品です。松前は函館から西に100km程離れたところにあり、城内では多くの品種の桜が咲き誇ります。つまり、多品種の桜が見られる貴重な存在で、樹木好きの僕としては、毎日いても飽きないようなところです。しかし、この時期、松前までの100kmの道のりには、誘惑が多くてなかなか松前までたどり着きません。以前、4日連続して松前に向かいましたが、途中があまりに綺麗だったので、最初の3日間、とうとう松前に着くことなく帰宅した記憶があります。それほどまでに、この時期の北海道は美しく、言葉に尽くせないものがあるわけです。松前城の天守閣の回りでは多くの人が宴会を開いているので、迷うことなくそこを通り過ぎて、山の方へと歩いていくと途端に静かになり、桜の向こうに海が見えるような美しい世界が広がります。
人の気配は全くなく、驚くほど静かになります。かつて、大型のカメラを使っていた頃、松前の撮影をしていて苦しかったことを思い出します。最近機材が軽くなり、実に軽快な気分で撮影でき、楽しむ余裕や感じる余裕が生まれました。
もし本当に感じていたいのなら、カメラなども持たない方がいいのかも知れませんが、持たないで行くと、どういうわけか気持ちが締まらなくなって、かえって僕の場合よくありません。ソメイヨシノや山桜以外の桜を見たくなったら、迷うことなく松前の桜を見に行ってほしいものです。
 

●NO10 APR. 2004

次の作品は狩場山の小さな滝の作品。この作品は今からもう14年も前に撮った作品で、狩場山を瀬棚町側(南から)真駒内川沿いに林道を行ったときに出会える風景です。しかし、この林道はずいぶん前から閉鎖になり、長いこと行けない状態が続いています。僕はこの作品にあるような野性的な風景こそ北海道道南の特徴で、日本で最後に残された秘境と位置づけています。巷では知床や大雪などが大自然というような印象を持っているようですが、道南の山奥に入っていけば、そんなことは間違いであることに気がつきます。道南の山奥の自然は規模こそ小さいですが、かえって小さくて荒々しいが故に、野性味を帯びて僕の目には映ります。14年前の僕ではそんなことを知る由もなく、この作品などに何の価値も見ることができないでいました。そして、あれから14年が経ち、14年経った自分がこの作品を目にしたときの感慨は実に新鮮なものでした。かつて、この林道の垂直の岩場に黄色い花が群れて咲いていたことがありました。ぼくはその花に近づいて、写すかどうか迷いましたが、結局写さないでその場を立ち去りました。その時の僕にはその場の価値などわからなかったのです。こうして、その時の情景は僕のまぶたの裏にだけ焼き付いて、ひとときも忘れることがありません。林道が開通しない限り、もうそこには行くことができない、夢のまた夢の出来事となってしまったのです。
そしてまた、その当時の日記には6月だというのに、フキノトウが雪の間から出ていたことに対する、驚きを記しています。6月3日のことだったと思いますが、確かに、雪の間からはフキノトウが出て、ようやく春が来たことを告げていたことを思い出します。今では、7月下旬でも雪解けして、ようやく春が来るような世界を知っているから、そんなに驚くべきことではないような気がしますが、当時の僕には信じられない出来事だったのです。ここからの風景ではかなえられないことがまだ二つ三つあります。狩場山の南麓に当たるこの付近は、北海道一を誇るブナの大樹海があり、晩秋の夕暮れにその様子を写したきりになっていること。それから、真駒内川の新緑の作品を写しておらず、ブナで知られる石橋氏の作品を見るにつけて、うらやましい思いを膨らませています。またここからブナの大樹海の上空の星空を写したかったですね。本当に山奥の山奥。絶対に誰も来ない世界での夜の雰囲気を写したかったわけですが、これもかなわない夢になっています。いつかここは無理でも、森の中から見る星空の写真をもう少し撮ってみたいとカメラを見るたびに思い思いします。

狩場山南麓に咲く野の百合。最近この作品のような素朴な作品に心引かれる。1990.6.24