の世界
第97号 待ちわびた春 2004年5月
北海道 厚沢部町
ニート彗星/マミヤM645 A300mmf2.8APO
●NO1 MAY.2004

2002年12月20日。今から約一年半前、僕はハッセルブラッド503cxを手にした。それ以来、一年半の間、ハッセルのレンズをそろえるために、写真を撮る量を制限してそのお金をレンズ代に残してきた。しかし、とうとう、2004年の2月にハッセルSWC/M 38mmF4.5をついに購入することができ、準備が整った。その後、春の到来に合わせて、ハッセルの試写を開始し、昨日5月21日、初めてハッセルで撮影した43本のフィルムの現像が仕上がってきた。結果は、Good !である。ハッセルブラッドはご存知の方も多いけれど、フィルムサイズが6cm×6cmで、正方形の形をしている。カメラ本体はスウエーデン製のカメラで、氷河が造ったカメラであることは以前にお話しした。今から一万年前の氷河の後退はスウエーデンの地表の土壌を削り、肥沃な土壌を奪い去った替わりに地面深くにある鉄鉱石を露出させた。そのため、スウエーデンは鉄の生産で世界的に知られるようになり、ハッセルブラッドというカメラもその影で生まれた。そのハッセルというカメラにはドイツのツアイスがレンズを供給し50年以上の歴史を有するが、モデルチェンジがほとんどなく、そのスタイルは今もって変わらないカメラである。ハッセルブラッドは確かにその能力は高いのだが、それ以上にその価格に驚かされる。カメラ本体の値段は30万円。各レンズの平均価格は約40万円。先程のハッセルSWC/M 38mmF4.5という超広角レンズ付カメラなどはなどはざっと80万円もする。その高価さのために僕にとっても誰にとっても長いことハッセルは雲の上の存在で、高嶺の花だった。でも、風景をやる限り、いつかはハッセルを使いたいという思いはやむことなく続き、2002年12月20日とうとうプラナーCF80mmf2.8 付のハッセルブラッド503cxを購入できたというわけなのだ。写真を始めてから16年目の冬のことである。だけれども、プラナーCF80mmf2.8 付のボデーは買えても、次のレンズが買えないというのがハッセルに憧れる人たちの一般的な状態で、僕は本職なのだから何が何でも途中で断念するわけにはいかなかった。それで、来る日も来る日も中古でレンズが出るのを待ち、

ハッセル一式
一年半に上の6本をそろえた。これだけ揃えば、9割の撮影は支障なく行えるもので、これに、Distagon60mmf3.5 、Tessar350mm f5.6, Tessar500mm f8の3本が揃えば、9割9分までの撮影をやっていける。残りの一分は30mm f3.5という魚眼レンズで、このレンズは値段が85万円もする割に使用が限られ、僕はそろえることはできないだろう。しかし、 f3.5といい、世界最高解像度を誇る魚眼レンズだけに、底知れない魅力を感じてやまないことは確かである。
 それで、この春は上の6本で撮影を開始し、この春の撮影に関しては、この6本のみで大きな問題を感じなかった。レンズ本数への不安もあったが、それ以上に今までマミヤ645でやってきて、ハッセルへ無事に替われるかということが一番不安だった。しかし、この春実際にやってみて、今後ハッセルでやっていけるだろうという手応えをつかんだ。 これで長かったトンネルを出て、沈黙を破る時が来たような気がする。あとはハッセルで疲弊した資金力を時間をかけて回復させていこうとしているところ。それにしても長かった。そう言うほかはないのだ。
 さてそれでは、肝心のハッセルの描写力はどうだったのか?!マミヤとは違ったのか?確かに、ツアイス製のハッセルのレンズはどれもマミヤのレンズを上回る描写力を持っていた。特に、Makro Planar 120mm f4というマクロレンズとPlanar 80mm f2.8の描写力が非常に優れていることがわかった。
●NO2 MAY.2004

描写力って何?という声が聞こえてきそうですね。同じ条件で写し比べてみるとわかることですが、描写力とは大まかにコントラストと解像力と抜けの良さなどを見て判断します。「コントラストが高い」と表現するレンズというのは、「微妙な2色を分離する能力」のことだと思って下さい。次に「解像力」というのは、例えば、同じ色の枝が密集しているところを撮ったとして、解像力の高いレンズはそれを一本一本分離してきます。しかし、解像力の低いレンズはそれらを分離できず、一緒くたにしか表現できません。この解像力のテストは他に、ニコンやライカでもテストしましたが、これら35mm判のカメラレンズでは同じ画角を写すためには焦点距離が短くなるために、解像力はハッセルやマミヤに遠く及びません。 ここでちょっと写真の基礎に触れておきます。例えば、フィルムの小さい35mm判で標準レンズ(人間の目の視角に等しい47度前後の画角を持つレンズを標準レンズと言います)と言われている画角47度のレンズの焦点距離は50mmです。しかし、ハッセルやマミヤでは画角47度のレンズは焦点距離80mmのレンズです。このように同じ広さ(画角)を写すのに焦点距離が1.6倍になるためにその分マミヤやハッセルの方が解像力が大きくなります。つまり、解像力を上げるためには、焦点距離の長いレンズを使えばいいわけです。こう考えると、マミヤやハッセルといった、中判カメラの方がニコンやライカといった35mm判よりもより解像力の高い写真を撮ることができるということになります。
しかし、焦点距離を長くすれば長くするほどいいかというと、そういうわけでもありません。焦点距離の長い、大きなレンズには、色収差や球面収差が増えるという困った性質があります。このどちらの収差もレンズの解像力を落とします。かのニュートンはレンズにあるこの色収差を除去するのは不可能!と判断して、レンズを使った望遠鏡の制作は断念し、色収差の生じない鏡を使った望遠鏡を制作します。
これが有名なニュートン式反射望遠鏡ができた理由です。色収差というのは簡単に言うと、レンズがプリズムのような働きをして、赤や青で焦点が一点に結ばなくなる性質です。これを除去するためには、高価なレンズが必要となるのが実状なわけです。つまり、まとめますと、ハッセルのレンズは35mm判に比べ同じ画角では焦点距離が長くなるために、解像力が高くなります。しかし、マミヤとは同じ焦点距離ですが、高価なレンズを惜しみなく使い、色収差がないことやレンズ表面の研磨精度が高いためにマミヤよりも解像力が高くなります。また、レンズ内部の黒塗りやレンズ表面のコーティングが完璧なために、光りの散乱がなく、コントラストが高くなり、透明感が増加します。
 このような「光学理論」通りかそれに近く造られたのがハッセル用のレンズ群で、マミヤのレンズは技術的にできないというのではなくて、おそらくは価格の面から妥協している、と考えていいと思います。確かに、ハッセルとあらゆる場面で撮り比べてみると、マミヤの勝る点は一つもなく、ハッセルの優位はほぼ間違いはありません。しかし、価格の点でマミヤはよくやっている!言えると思います。その証拠に、マミヤ645の200mmf2.8 APOというレンズはいい線いっています。コントラスは劣るものの、比べなければわからないほどの高い品質をキープしており、「そこそこ写る」というのが正しい表現だと思います。しかし、ハッセルのレンズのようにはっ!とさせられるような抜けの良さ(透明感)やコントラストはやはりないのです。相手が悪いとはまさにこのことで、ハッセルさえなければ、国産トップクラスは間違いないレンズです。
 以上、ハッセルを使ってみて、とにかく解像力の高さと、抜けの良さ(透明感)とコントラストの高さには驚いてしまいました。金を惜しまずに理論通りにレンズを設計するとこのように写るのだということがよくわかりました。つまり、ハッセルのレンズ群は理論通りに設計された完璧なレンズであり、そういう意味で妥協を許さない冷徹な雰囲気を感じさせるもので、同じドイツのライカとは全く違う思想で造られたレンズであることがよくわかります。ライカでも試写してみましたが、ライカはあまり解像力を意識しておらず、ごく普通の写りをするようです。ハッセルのレンズが研ぎ澄まされた日本刀のような「真剣」だとすると、ライカはその逆で、工芸品のように心をうっとりと和ませてくれるような雰囲気を出してくれます。ぼくは、ライカは使うことは今後あまりないように思いますが、隣で慶ちゃんがシャッターを切るのを聞いていると、シャッター音を聞くだけで、格好良くてしびれるんですね。これはライカが身近にないと絶対にわからない境地ですが、風景を完璧に写さなくてはいけないという絶対使命がないのであれば、ライカは情緒的で本当に心にしみいるカメラだと思います。北国通信の方の中にもライカをこよなく愛されている方がおられますが、その方がおっしゃられるには「ライカで写真を撮ると、気持ちがよくて、胸がす〜っとする」そうです。いやいや本当にその通りだと思います。森の静寂の中で、ライカのシャッター音が響くことがどれほど心地よいものか!一人でも多くの人にライカのシャッターを切ってほしいと思います。きっと写真を写す行為が人にとって何なのか!わかるのだと思います。北国通信の方々にハッセルをお勧めすることはしませんが、ライカを身近に置かれて、写真を撮ることはお勧めできます。

大沼の湿原。このフィルムの出来映えを見たとき、その抜けの良さに驚かされた。驚くほど透明感のある仕上がりになっている。
Makro Planar 120mmf4による姫リンゴの花。インクジェットでは伝えきれないが、フィルム上では、 リンゴの純白の美しさが 見事に描写されている。
●NO3 MAY.2004

ライカもハッセル同様高価なカメラです。ボデーだけでも定価40万円!目玉が飛び出ます。レンズも買ったらいったいいくらになるんだ!と怒られそうですね。しかし、ご安心あれ。中古があります。中古といってもライカの中古は一度もフィルムを通したことのないようなおそろしく綺麗な中古がたくさんあります。指紋一つついていない、綺麗なボデーが今では13万円ほどでしょうか。ライカだけは、お金じゃないなあ!と思う他はないカメラです。
 さて、長いカメラ談義が続きました。ともかく今後、僕は長年使ってきたマミヤからハッセルブラッドに替わります。ヨーロッパや日本の田舎をハッセルというスウエーデンのカメラで写すことは僕の長年の夢でしたから、ようやくこれが実現するところまで来たというわけです。それで、マミヤ645は今後一線を退きますが、マミヤは星を撮影する時に限定して使っていこうと思っています。
 また星を撮影するシステムについても長いこと悩み続けてきましたが、ようやくこの春に結論を出すことができ、胸がすかっとしています。たかが星を写すことだと思われますが、これがなかなか大変なことで、星を専門に撮影しない僕にとって、そのシステムを造ることは、長い間苦しみ続けてきたことでした。でもこれで、世界中の星空を一般撮影の延長線上で写せるだけのシステムを完成させることができ、ほっと胸をなでおろしています。ところが、今は、天文の人たちみんな南半球に彗星を見に行っていて日本にいないので、最後の詰めをできないでいます。彼らが無事に帰国してから、お願いしようと思っているところです。
 さて、今月の作品の一つが天文のみんなが燃えている二つの彗星の内の一つ、ニート彗星です。この彗星は日本からよく見えていましたので、僕もこれを撮影しました。撮影レンズは望遠鏡ではなく、マミヤの300mmf2.8APOという望遠レンズです。このレンズは今からちょうど一年前に星の撮影のために買っていたレンズだったんですが、長いこと一度も使うことなく手もとにおいてありました。そしてついに、ニート彗星のその夜、初めてその主役になりました。ですから、この作品がこのレンズで撮った初めての写真となったわけです。僕は長いこと、星の撮影を特殊なものとしてではなく、一般撮影の延長線上でやれなければ、自分には今後星を撮影していくことはできないだろう!と覚悟していました。その理由は昼間の撮影で疲れ、更に星の撮影までこなしていくことへの困難さを痛感していたからでした。それで、長いこと、「一般撮影の延長線上で」撮影する方法を模索してきました。その一つの方法として、マミヤ645用のこの
300mmf2.8APOというレンズを第一候補に考えていたのです。このレンズさえあれば、晴れれば→何も考えずにすぐに撮影態勢!となれるはずだと考えました。何といっても強味はマミヤのボデーが使えるということで、このことはただでさえ煩雑になることが多い星の撮影にとってとても大事なことだったわけです。この思いは、時をさかのぼること9年前。道北に初めて星を撮影に行って以来星の撮影では散々な目に合い続けていたことからの宿願でもありました。 あれから9年。この彗星の到来に当たって、ようやく思うようなシステムが組めたと大いに自信がついたというわけなのです。
 最後まで不安であったのは、300mmf2.8APOというレンズの描写力のことでした。買ってから長いこと使えませんでしたので、なかなかその答えを出せずに苦悩しました。しかし、まずは彗星を写してみての結果は、合格点です。星の撮影ではコントラストと周辺減光が一番の問題になりますが、なかでも、周辺減光は重要なことです。レンズをカメラにつけてシャッターを上げてしまい、カメラのフィルム面の角ところに目を置いて後から覗くとどのくらいそこに光が来ているかを見ることができます。つまり、周辺部の光量を見ることができるのです。 フィルム中心に対して周辺にどのくらいの量の光が来るかをチエックするわけです。この周辺光量のチエック時にこの300mm f2.8APOはかなりいけるだろう!という予想はついていました。しかし、いくら、アポクロマートとはいえ、レンズを7枚も使用した望遠レンズがコントラストや総透過光量など望遠鏡並には写るはずがない!と思っていました。しかし、結果はまずまずで、予想より周辺減光は大きかったものの、レンズ枚数の多さによる減光は少なく、コントラストの低下も思ったよりも少ないという結果が出ました。望遠鏡などは、使っているレンズがせいぜい4枚くらいなために、レンズ表面で反射して損失する光量はとても少ないのが特徴です。しかし、カメラ用の望遠レンズはレンズ構成が多くて光量の損失が多くなり、星の撮影には向かないのが一般的です。しかし、最近マミヤはこの300mm f2.8APOのようなカメラメーカーの威信(意地)を懸けたようなレンズを造ってくれたために、望遠鏡ではなくても、ここまで写せるようになったわけです。マミヤに拍手喝采です。このレンズで星を写せるということがわかると、まさに百人力です。途端に僕は水を得た魚のように生き返ります。というのは、星空というのは、300mmまでの焦点距離のレンズがあれば写してしまえるものがほとんどで、この焦点距離を超えるとあとは、800mmクラスの望遠鏡で写すものになるわけです。つまり、この300mmが使えるということは、例えば、南半球に星を写しにいったとしても、思うところの90%以上の星空を一般撮影の延長線上で写すという芸当がやってのけられるのです。しかも、この300mmがあれば、目をつぶっても使えるマミヤが使え、慣れない望遠鏡用カメラに苦心惨憺しなくてよいのです。その昔、ペンタックス6×7というカメラを天体用に購入して、えらい目にあったことを思い出します。

左側が300mf2.8APO 右側300mmf5.6ULD.開放F値が2絞り違うレンズの大きさ比較。例えば、F2.8ですい星を写すと、10分で写せるが、F5.6だとその4倍以上のの40分以上かかる。すい星などは、40分間も露出していると 恒星の間を移動してしまうためにどうしてもF値の明るいレンズが必要になる。
●NO4 MAY.2004

夜のこと。フィルムが入れられないとか、半夜で電池が切れてしまったとか。もう散々な目に合いました。もう使い慣れないカメラを特別に持ち出してくるのはこりごりで、これからはマミヤとハッセル仲良く星空に向けて撮影できますので、今とても楽しい気分で、ようやく未来が開けた感じがします。ハッセル&マミヤ共に、フィルムは入れやすいし電池はいらないし、ピントは合わせやすいし、レリーズなども不必要で、星を写すにはどちらも最適なカメラです。しかも、
マミヤの300mmf2.8APOはお気づきの方もおられると思いますが、F2.8!です。今回の作品になった、彗星の作品は感度800で露出時間たったの10分! F2.8だとなんと10分で写ってしまうのです。これがF4だと20分かかり、F5.6だと40分かかるといった具合です。いかに、f2.8が偉大かわかってもらえると思います。それでなくても短い北海道の夏の夜。この夜も2時半には夜明けでした。夜の時間は正味5時間しかないのですから、f5.6のレンズなどでやってたら、一晩に5枚も撮れません。赤道儀には、2台〜3台のカメラを搭載できるようにしていますが、それでも滅多に晴れない新月の夜に、F2.8でばんばん撮れる光学系は本当にありがたいものなんですよ!
 さて、ニート彗星ですがこの作品を撮影した5月14日の夜は、偶然にも彗星がかに座の甲良のところにある、プレセぺ星団に見かけ上接近した夜でした。かに座のプレセペ星団は双眼鏡で見ると、100個くらいの星が集まった散開星団であることがわかりますが、肉眼ではどうやっても星の群とは見えず、白いぼ〜っとした雲のようにしか見えません。 そのため、昔中国では、これを人魂だと思って、気味悪がっていたようです。またインドでは、中国とは逆に釈迦が生まれたときに月がかに座にあったことから、大変おめでたい星座としていたと言います。また、ギリシアでは、プラトンなどはこのプレセペを天上界との出入り口として、人が生まれてくるとき、その体に宿るべき魂が天上界から下りてくる出口だと考えていたようです。
 ところが、1610年、ガリレオがこのプレセペの正体を初めて見破ります。彼が造った望遠鏡ではざっと50個ほどの星にしか見えなかったようですが、その実体は今から3億年前に誕生した総勢577個の若い星の集団で、地球から520光年彼方にあるんだそうです。
 このプレセペに見かけ上ニート彗星が近づくということで、僕はとても楽しみにしていましたが、実際その夜も更け始めると、プレセペとニート彗星が白い雲のように上下に仲良く並び見えました。そして、上側にあるプレセペを双眼鏡で見ると散開星団に見え、下側のニート彗星の方は立派な尾をたなびかせた大彗星のようです。貴重な撮影時間でしたが、息子の有情にも望遠鏡を覗かせたらよく見えたようで、なんかよくわからないものの、それが彗星であることだけはよく分かった様子でした。暗い夜空を背景にして、彗星が長い尾をたなびかせて飛ぶ勇姿は本当に美しいものです。でも、お願いだから、地球にぶつからないでと祈るばかり。有〜ぽんに「あの彗星は、太陽よりもず〜っと大きいんだよ!」と話しましたら「え〜〜〜?」と言ってどうしても信用しない。暗いからなのですが、大きさだけは、太陽よりもずっと大きい。あんなのが地球にぶつかったら、地球はひとたまりもない。うまくぶつかることなく、無事に鑑賞程度で通り過ぎてくれることが誰のためにもなるというものなわけです。
 さて、天文の人達はニート彗星もさることながら、南半球からしか見えないリニア彗星とニート彗星を同じ夜空で見ようと、南半球まで出かけている人が多いようです。同じ夜空に同時に二つの彗星を見るのは、人類史上初ということで、多くの人が歓喜しているようです。しかも、リニア彗星の尾は50度にも伸びているそうで、南半球に行った人達はそれは喜んでいるのだろうなあ!と思うばかりです。僕はあいにく準備不足でオーストラリアには行けませんでしたが最初にお話ししましたように、星を撮影する機材も揃ったので、今後は十分にオーストラリアへ撮影に出かけることができるようになります。南半球に出かけて星を見る旅というのは、真冬の北海道から見る冬の天の川の続きを見る旅でもあり、氷点下20度の北海道で冬の天の川を撮影した次の日にオーストラリアに行って、その天の川の続きを撮影したいなどと考えます。この夢の実現のためにたくさんの時間をかけてきましたが、もう本当に実現できるところまで来ています。その他、南半球では何が何でも、南十字星付近の天の川を撮影したいことと、射手座さそり座付近の天の川を天高く見てみたいという想いもやみません。北海道からはどんなにがんばってもさそり座のしっぽの先は見えてもきゅ〜っと曲がったしっぽの曲がりは見えません。このあたりが何となく長年気に入らないのです。
 さて、次の作品はハッセルブラッドで撮影したものから初めてお送りできる作品です。レンズはPlanar80mm f2.8でフィルムはコダックE100VSです。場所は函館近郊鶉(うずら)というところで、函館から江差に向かう国道沿いです。結局今年の春は、この国道227号線沿いに毎日出かけて撮影していました。この付近は大した名所などもないのですが、樹種が豊富で、微妙に違った緑の葉をつける樹木が山肌を飾り、なんとも日本の山水の原点のような風景をあちこちに見いだすことができるところです。霧雨にむせいで咲く山桜。山肌を埋める新緑の妙。この緑を写すために、ハッセルを買ったのだと言わんばかりの風景があちこちにあるわけです。違った色彩が豊富にある風景はどんなレンズでもそこそこ写すことができます。しかし、緑一色の風景。これが実に難しい。目で見る分には、どの緑も微妙に異なり、実に多様な緑色に映る。しかし、そうかと思って写してみると、全部同じ緑色に写って、がっかりさせられる。それが今までだった。そうやってマミヤの限界を知ったとき、写真家として「目に見えるものは写せる!」という信念のもと、ハッセルへ進んだ。この緑を写すためには、ツアイスの造ったレンズしかなかった。何とも皮肉なことに、日本的な情景を写すために選んだ機材がスウエーデン製のカメラにドイツ製のレンズをつけて、フィルムはアメリカ製。日本のレンズに日本のフィルムで写すと、日本的なしっとりとした情感を出せない。なんとも不思議なことだ。来月東北、奈良、四国へ遠征してくる。持っていくフィルムはコダックのフィルム。来月の作品は北海道のものではなく、東北、奈良四国の作品とその旅の様子をお話ししたいと思います。

大野川新緑 Hasselblad 503cx Sonnar250mm f5.6 f22 1/2秒
出合いの滝 Hasselblad 503cx Sonnar250mm f5.6 f16 1秒
山桜濡れる Hasselblad 503cx Sonnar250mm f5.6 f22 1/4秒