の世界
第99号 夏の大雪山撮影 2004年7月
沼ノ原からトムラウシ
五色ヶ原からトムラウシ
●NO1 JUL. 2004

2004年7月12日五稜郭のポストカードの解説文と取り組んでいる最中,気になってインターネットのYahooの天気予報を見てみると、なんと14日から上川地方で晴れると予報が出ている。なんとしても、この晴れを活かさなくてはならない!僕は急いで五稜郭の解説文を仕上げ、13日の夕刻7時過ぎ、大雪の撮影に旅立つことにする。
 14日早朝から大雪の稜線に立つためには、なんとしても夜のうちに登山口まで行かねばならない。あと6時間ほどしかない。6時間では間に合うはずもないのだが、淡い期待を抱いて、とにかく旅立つことにする。
 函館を出て、北海道の太平洋側を走り、十勝側から大雪山に向かうルートだ。それにしても遠い。500kmの行程である。途上、日勝峠を越えるあたりでもうすでに夜中の12時を越えたために、間に合わないと判断。あきらめて、日勝峠の手前、沙流川の河畔でそのせせらぎを聞きながら眠ることにする。
 早朝、予報通り晴れ。沙流川の谷間から見上げたのは、さわやかな青空だった。ああ、やはり力及ばなかった。これで今年の夏も終わりか!僕は青空を見上げながら悲嘆にくれていた。しかし、とりあえず日勝峠を越えることにする。峠の上空の空はやはり快晴だったが、峠の十勝側から見渡す十勝平野は雲海の中だった。もしかしたら、大雪も雲の中?そう一瞬思い、慶ちゃんに大雪方面を遠望してもらう。すると大雪山は雲海の上部に山頂をそびえ立たせており、快晴であることを知った。もはや間に合うはずもない。僕たちは無気力に十勝平野をふらふらと車を走らせながら大雪山の登山口に向かった。
 登山口に近づけば近づくほど天気は良くなり、いつもの国道273号線沿いの東大雪、十勝三股の白樺は青空にはえ、 目が覚めるほど綺麗だった。しばし、白樺の美しさに見とれた後、曇ってきたので、一応考えていた沼ノ原(ぬまのはら)登山口に向かう。この登山口は正確には「沼ノ原クチャンベツ登山口」といい、石狩川源流の川、クチャンベツ川沿いにある。この登山口から沼ノ原に上がり、沼ノ原から望むトムラウシ山の勇姿を撮影したいと考えていたのだ。
 

●NO2 JUL. 2004

国道から長い林道(14km)を車でことこと揺られながら登山口に向かう。途中分岐があり、右に行くと高原沼へ行き、 左に行くと沼ノ原クチャンベツ登山口だ。登山口では数台の車が止まっていて、偶然下りてきていた方に、さっそく山の状況を聞く。すると「今日はすばらしい日で、朝4時から登ったが、雲一つなく、トムラウシがくっきりと見ることができて満足した!」と興奮気味に話してくれた。加えて「この晴れは、3年目の悲願ですよ!」ともおっしゃられた。僕は彼の話を聞きながら、呆然と立ちつくし、今度いつ晴れるかも知れない白く曇った空を眺めてうなだれていた。
 彼と別れ、再び国道に戻る。時間があったので、いつも大雪山の情報をいただいている、層雲峡のビジターセンターに向かう。センターでは大雪山に関しての色々な情報が紹介されていて、役に立つことが多い。中でも、ヤフーの最新の天気予報を掲示してくれていたことで、僕たちは大いに助かり、このことが僕たちの運命を左右することになる。その天気予報によると、明日また晴れるというのである。気を落としていた僕は再び奮起し、この予報に全てをかけることにした。
 しかし、明日晴れるとして…どこから登ろうか?僕は最後の最後まで悩みに悩んだ。第一候補としては沼ノ原へのコース。第2候補は先程お話しした赤岳から上がるコースである。そのどちらも実に魅力あるコースで、甲乙つけがたい。そう思い悩みながらもとうとう当日の朝が来てしまう。朝6時、曇り。本当に晴れるのか?天を仰いだ。とにかく、 4泊分の食料をリュックに入れて、車を走らせて登山口に向かってもまだ迷っていた。結局、僕が向かったのは、赤岳へのコースだった。しかし林道途上、僕は気が変わって、赤岳に向かうのをやめ、急きょ引き返して沼ノ原クチャンベツ登山口にむかった。もうすでに空は晴れ始めており、朝7時を回っている。沼ノ原クチャンベツ登山口に向かいながら、その時初めて僕は今向かっているこの道の正しさを感じた。赤岳から上がれば、確かに多様なお花畑が広がり、その向こうに表大雪の美しい残雪模様が撮影できるだろう。このことは大きな魅力だった。確実性は撮影者にとって、なんともありがたいことなのだ。しかし、沼ノ原から上がれば、多様なお花畑に出合えるかどうかわからないが、沼ノ原には今だ見ぬ可能性がある。
 こうして、僕たちは初めてのクチャンベツ登山口から一路、沼ノ原への一歩を踏み出すことになる。
ここで、沼ノ原などおおざっぱにこのコースの説明をしておきます。
 今回上がった沼ノ原から五色ヶ原〜化雲平〜ヒサゴ沼〜トムラウシ山へのなだらかな反時計回りのルートは大雪山系の南側のルートで、十勝川の源頭を包み込むようなかたちで東から西へ半周します。そしてこのルートの最大の魅力は「日本一の広さ」にあり、五色ヶ原、化雲平、十勝川源流まで見渡す広大なお花畑に彩られた平原が何より美しいところです。晴れた日には気持ちのよい風が口笛を吹きながら吹き渡り、見渡す限りの広大な原野に、足取りは軽快です。しかし逆にガスがたちこめると、一寸先さえ見えなくなるので、ここを歩く時はどうしても晴れていてほしくなるわけです。
 さて、今からこのルートを歩いていきましょう。
クチャンベツ登山口を出てから初めのうち、2度ほど丸木橋を渡ります。その後、緩やかな登山口が続きますが、ちょうど沼ノ原への中間地点あたりで急坂になり、足取りも重くなります。しかし登りの場合、これにぐっと耐えて急坂を上りきれば、沼ノ原は目前。この地図(No9参照)には2時間半の行程のように書かれていますが、僕らでさえ1時間半で沼ノ原まで上がれます。しかし、ここで注意しなくてはいけないのは、下りです。下りではこの急坂、目もくらむほどですから、くれぐれも慎重に下りなければなりません。ほんのちょっとでも滑ったら終わりです。短い間ですが、注意の必要なルートなのです。
 

トムラウシに向かって、沼ノ原湿原を行く。
さて、沼ノ原に着くやいなや世界は見違えます。急に視界が開け、沼ノ原の広大な湿原の彼方に残雪模様のトムラウシ山とそれに続く山稜が大きく、右から左にカーブして見えます。言い忘れましたが、沼ノ原というのは、大雪山を代表する大きな湿原で、標高1400m程のところにある高層湿原です。沼ノ原には、いくつも小さな沼や池が点在しているのですが、その中でも特に目立って大きい沼を「大沼」と呼び、この大沼越しに見るトムラウシの山容は見るもの誰をもの心を打つように思えます。僕も初めて大沼越しにトムラウシの山容を見ることができましたが、その日本離れした景観には驚きあきれてしまいました。そして、何よりその広さは驚異的で、沼前方に続く針葉樹と広葉樹の並びなどの秀逸な風景におもわずため息が出てしまうほど美しいものでした。こうしてここにたどり着いた瞬間、僕は自分の判断が間違っていなかったことを確信するのです。写真撮影の場合、未来予測ほど難しいことはありませんが、それが無事に的中したとき程嬉しいことはありません。
 さて、大沼湖畔では、吹きゆく風を浴びながらテントが二張り、気持ちよさそうに張られていました。僕たちも何度もここで泊まろうかという思いが脳裏をかすめましたが、思い切ってその甘えは振り切り、大沼を後にして五色ヶ原の長い道のりに踏み出すことにします。
 五色ヶ原は大雪山最大のお花畑が広がるところとして知られ、特にチシマキンバイが黄色い広大なお花畑をつくることで有名です。僕は長いことそのような五色ヶ原に憧れを持ち、いつか来たいと思いを深めていたわけですが、この日とうとうその思いを果たします。しかし、肝心のチシマキンバイは今だ咲いておらず、やはりチシマキンバイの花の時期には早いことを知ります。(実は前日、おじさんから花が咲いていないことは聞いていたのです)
花はないし、長い五色ヶ原の登りにあきあきした頃、ようやく五色岳の山頂が見えてきます。沼ノ原を出てから4時間も歩きつづけていて、へとへとです。五色ヶ原では終始花はなく、五色岳にようやく到着です。五色岳からはそこを右(北)に折れ、愛しの忠別岳避難小屋に向かいます。忠別岳避難小屋は石狩川源頭部、ヌタプヤンベツ川源流域にある避難小屋で、実に快適な環境にあります。五色岳からはいやなハイマツこぎを強いられるのですが、
●NO3 JUL. 2004

それでも、40分ほど下れば忠別岳避難小屋につくことができます。僕たちがようやくたどり着いた頃、もうあたりは薄暗くなりかけていて、途上の雪渓の上から、避難小屋と幾張りかのテントが見えました。僕たちは急いで一番下のテントサイトにテントを張り、夕食の準備に取りかかります。この夜の夕食はレトルトカレー半分とご飯です。
あまりに疲れていて、食事がのどを通りません。へとへとです。 しかし、明日はこの重い荷物を置いて歩くつも
りだったので、そのことを思い、最後の力を振り絞って、食事を食べて、雪解け水の豪快な音を聞きながら眠りにつきます。
 次の朝はやはり6時頃までガスが出ていたので、今日は曇りかな?と思って起きます。しかし7時を過ぎると、ゆっくりとガスが晴れ、日が差し始めます。もしかして晴れるかも知れない!と淡い期待を抱きながら、テントの中からごそごそと這い出します。今日の予定ではこのまま北上し、忠別岳を越えて、平が岳の南に達し、ここでチシマキンレイカとタカネシオガマの混在した稜線越しに表大雪を撮影する予定でした。
 歩き始めてすぐに、信じられないことに晴れ始め、五色岳〜化雲岳〜ウナギ雪渓の山々が美しく望め、青く澄み渡った稜線上を白い雲が渡っていくのです。(写真右最下)疲れた体を引きずって、なんとか忠別岳にたどり着きます。
 忠別岳山頂にたどり着くと、ようやく表大雪の山々が望めるようになり、合わせてものすごい忠別川源流域の深い谷間を見下ろすことができるようになります。天人峡方面に流れ下るこの忠別川源頭部の深いこの渓谷のことを大地獄谷とも呼びますが、忠別岳山頂から見下ろすこの谷の深さといったら、決して言葉で言い伝えることができないほどすごいものです。この谷は、あまりに深いために一気に標高が下り、そのため木々に覆われており、なかなか抜
けの良い写真を撮らせてくれません。いつももやっとした抜けの悪い空気に覆われているのです。
 この日も、やはり抜けが悪く、記念写真程度の写真しか撮れませんでした。とても残念なことですが、今度秋にでも再び挑戦してみようと思います。
 次に忠別岳を越えて北上するとまもなく眼下には忠別沼が見え始めます。忠別沼も休息するにはことのほか気持ちの良いところで、沼を渡る風は本当にすがすがしく、気持ちの良い風が吹いてきます。
 沼の東側には、白く小さなワタスゲが無数に揺れその彼方には、東大雪の山々が青くかすんで見えます。忠別沼からほんの少し登りになっており、登り切ったところからは高根ヶ原から表大雪がずらりと見えて、それは壮観です。僕はこの日、この瓦礫地に咲くチシマキンレイカとタカネシオガマ越しに表大雪

忠別岳避難小屋に張った我らがエアライズ1型テント。 大人二人寝れてその重さ、1.5kgしかない。究極の軽さと美しさを兼ね備える。
ようやく忠別岳避難小屋が見えます。
●NO4 JUL. 2004

撮影に来ましたが、あいにくその2種の花が混在して咲くところを探し終えるまでに、雲に覆われてしまい、その夢は達成されずに終わってしまいました。とても残念でしたが、それぞれの咲いている風景は撮ることができたので、ひとまず満足することができました。曇ってきたので、さあ忠別岳避難小屋に帰ろうと思った途端、大粒の雨です!ばらばらばら!って感じで降り始めます。急いで、慶ちゃんとカッパをを半分づつはいて、避難小屋に向かいました。雨は途中ですっかり上がり、おかげで美しい雲の写真まで写しながら避難小屋にたどり着いたのでした。

高根ヶ原南部の瓦れき地に咲くタカネシオガマの群落。遠望される山並みは、表大雪の山並みで、左から旭岳、後旭岳、お鉢平を構成する山々そして白雲岳と続く。タカネシオガマはこうした風衝れき地に咲き、茎が太短いがっしりとした体型をしているので風に揺れず撮影しやすいいい子である。
 それに対しよく似たヨツバシオガマという花は茎が細長くひょろひょろして、草地を好んで生育している。そのためいつも風に揺れていて撮りにくい。個人的にはこのタカネシオアガマのような風に揺れないずんぐりとした体型の花が好きで、写しながらも頭を撫でたくなってしまう。
 この日ここに来たのは、チシマキンレイカという黄色い花とこのタカネシオアガマの混生した様子を撮影したかったからだが、残念ながら混生した様子を撮影することができなかった。多分、タカネシオアガマにはちょっと季節が早かったのかもしれない。もう少し調べてから再度挑戦したいと考えている。
●NO5 JUL. 2004

次の日は、ヒサゴ沼までの行程です。この日の最大のハイライトは化雲平とヒサゴ沼なわけですが、五色ヶ原の花の時期には早かったので、化雲平に対しても全く期待しないで行くことになります。まずは、五色岳へのハイマツ漕ぎ。このハイマツ漕ぎは何より嫌いですが、しょうがありません。五色岳の山頂に何とか着き、ここから西に向かって右折し、何度かハイマツを漕ぐと、そこは別天地、化雲平です。前ここに来たのは8月上旬。約半月早い再訪です。さて、花はどうだったのでしょうか?化雲平の東端付近ではようやく雪解けが終わりかけ、という状態でキバナシャクナゲが咲いている程度。ああ、やっぱりだめかな?と思って歩いていた矢先、もう少しで化雲岳への分岐というところまで来たとき、そこは一面のハクサンイチゲとチングルマの大群落。そしてその向こうにトムラウシが雲に見え隠れしながら見えている。思わずすばらしい!と絶叫。ハクサンイチゲは花の時期が早く、今まで晴れて撮影することができなかった憧れの花。その花の大群落と出会えたのだから、歓喜はいっそう!ただ、ホソバウルップソウという花は予想通り終わっており、やはりこの花を撮るためには、あと半月は早く来ないといけないことを思い知ります。
 こうしてあきらめかけたところに、驚くほど美しいお花畑に囲まれ、歓喜のるつぼになった後、歓喜はまだまだ続きます。前回通らなかった、ヒサゴ沼への道の途上、そこから見る十勝川源頭の美しさに思わずため息です。
ああ、この広く美しい大地に集められた雨があの雄大な十勝川となるのか!と思うと感慨無量。大きな雪渓の彼方に、広い広い十勝川源頭の平原が続いていたのでした。そのような広大な風景を飽きるまで堪能しながら向かうところが今夜の宿泊地のヒサゴ沼。ヒサゴ沼への降り口ではまたしても最上級の風景と遭遇。天国に風景があるとしたらこんな風景なんだろうなあ!と思わせるような最上の風景があった。僕の先を歩いていた慶ちゃんが立ちつくしており、「どうしたの?」と聞いた瞬間、全てを理解したわけです。しかも、途上からは雲間から日も差し始め天上の世界を思わせてくれる風景に酔いしれたのでした。
 

ヒサゴ沼の北斜面に広がるチングルマのお花畑。まるで天上の世界を思わせる最上の風景である。
●NO6 JUL. 2004

ヒサゴ沼では夕刻から雨となり、夜半過ぎにはその雨は激しさを増し、雷を伴い激しく降り始めます。眠っていてもまぶた越しにピカ!と光って目の前が明るくなるほどです。明日どうなるのだろう?と不安な夜です。テントの耐久試験のような風も吹き荒れます。
 朝が来てみると、7時頃まではポツポツ、ザーくらいの雨でしたが、その雨も朝8時頃にはすっかりと上がり、さあ、出発です。今日は一気にクチャンベツ登山口まで帰る日です。距離は長いですが、きつい登りはないのでずいぶんと楽な行程です。途中、化雲平からトムラウシを狙って撮るという夫妻に出合いました。登山口まで僕たちののろのろペースと同じ速さの東京から来た3人組もいました。今日は、この4日間で一番天気に恵まれません。五色ヶ原ではチシマキンバイが2日前に比べ、だいぶ咲いていましたが、それでも、原を覆い尽くすような大群落とはなっておらず、次回に期待ということで帰りを急ぎます。 
その途上、沼ノ原を見下ろす最後の高台にダケカンバが二本、登山道の両脇に並んでいるところがあり、それはまるで森の窓辺のよう。その木に寄り添って、小休止。東大雪、石狩岳連峰が美しく爽やかに望めます。このダケカンバの高台の先は急坂になっており、慎重に下りる。下りきったところには「五色の水場」と呼ばれている、実に美しい水場があり、ここでも小休止。ここを過ぎれば沼ノ原までは鼻歌混じりのるんるん気分。沼ノ原ではしばし広大な天上の湿原に酔いしれ、登山口への急坂を慎重に下って、ゴールとなる。
 こうして、僕たちの夏の大雪撮影は無事に終わり、ほっと胸をなで下ろしているところ、今回の作品はこの夏の大雪撮影から2作品。一枚は、沼ノ原から見るトムラウシのもの。もう一枚は化雲平のチングルマのお花畑越しに見るトムラウシ山の作品です。トムラウシをご存知ない方のために、少々補足を。トムラウシ山は山頂が5峰からできており、それが王冠に見えることから、大雪山を登る人の憧れの山になっている。どの人も山ならトムラウシ、花ならコマクサのことを話題にする。今回紹介したこのコースをとる人はそのほとんどがヒサゴ沼を基地にして、トムラウシをアタックしてくる人が多く、ヒサゴ沼にテントを張り、そこに荷物を置いてトムラウシの山頂に向かうのである。

沼ノ原の五色の水場の上にあるダケカンバの木立から望む石狩岳連峰。登山道の両脇に2本のダケカンバが生え、
その樹木に憩うとき、そこはまるで五色ヶ原の門でもあり、森の窓辺のようでもある。
●NO7 JUL. 2004

確かに誰が見てもトムラウシは秀逸な山容をしていることには間違いなく、威厳に満ちて見える山だ。しかも、大雪山の奥に位置するために、車で行ける範囲からはほとんどその姿を見ることができず、そのせいか余計神秘的な印象を受ける山でもある。僕たちは撮影に行っているために、その山に登ることはしないが、近くから見るだけに十分にその威厳を体感できるのである。
 今後、8月、9月と仕事がうまく運べば、8月、9月ともに大雪山へ足を運ぶのが今の目標であり、それに向けて仕事を急ピッチで片づけなければならない。8月は是非ともエゾオヤマノリンドウ咲く裾合平やタチギボウシが揺れる浮島湿原を訪れたいし、9月には大雪山の稜線の紅葉を撮影したい。特に毎年9月はカレンダー制作のピークに当たってしまい、1997年以降、7年間秋の大雪の撮影から遠ざかってしまっている。9月、秋の大雪を撮影することは今の僕の大きな念願であり、この北国通信で秋の大雪の様子を紹介することができるようになることがもっかのところ大きな目標になっています。なんとしても実現しなければならないのですが、どうなることでしょう。あまり僕は要領のいい方ではないので、今のところあまり自信はありませんが、最後まであきらめることなく9月の大雪行、実現したいと思います。

ヒサゴ沼キャンプ指定地。海の日の連休初日のため大混雑。
この前日、大雨と雷で大変な夜を過ごした。
夕食時、次の日の昼のおにぎりのご飯も炊く。米を4日分も
持って上がると、とても重いのだけれど、なかなか米に変わる
良い食料の見当がつかない。
クチャンベツ登山口まで無事に帰ってきた。