丘
の
う
え
の
小
さ
な
写
真
館
北
国
通
信
の世界
第
114
号
北
国
通
信
『春の光 二題』
2006
年
2
月
春の光に輝く落部川(おとしべがわ)。3月7日。この日は冬型の気圧配置で、冷たい北風が雪を舞い散らせていた。
今年もまた、猛烈な勢いで冬が終わっていく…。このことはここ数年ずっとである。
確かに、今年は雪が多かった。しかし、その多いはずの雪がアッという間に溶けていくのを見ていると、僕は悲しくなり、焦燥感に駆られる。
今僕が感じているこの季節の進み具合は、僕の中では4月初旬でなければならない。それが3月初旬に現実に起こっている。春が来てほしくないわけではない。冬がこのままいてほしいわけでもない。季節が一月、自分の感覚とずれているのが気に入らないだけである。
ローマ時代、暦は3月から始まった。つまり、一月、二月はローマにはなかった。このことは2006年カレンダーに詳しく書いた。今の道南の様子を見ていると、まさにローマ時代のごとく季節の始まる3月の様子である。
そんな急速に変化しつつある季節の変わり目にあって、本格的な季節が来る前に僕はなんとしても突き止めなくてはならないことがあった。
それは「ライカで風景が撮れるか」ということに対して、一つの結論を出すことであった。
僕はそのために、今まで苦しい思いを重ねて、ライカのレンズを一つ一つ揃えてきた。そしてまだ全部は揃っていなかったが、季節は待ってくれない。僕はカバンに慣れないライカレンズを詰め込んで、春の北海道道南に出かけていった。
3日間の予定で道南を撮ることにし、その一日目はいつものように函館から北へ30km程のところにある鳥崎川に出かけた。
鳥崎川は別に取り立てての銘渓ではない。ごく普通の渓谷であるが、北海道の北の渓流とは違った北海道の道南らしさがある。
何が道南らしいのか?と聞かれそうであるが、その雰囲気が道南らしいのである。これより北に行けば渓谷の雰囲気は変わるし、これより南に行って津軽海峡を越えると、これまたそこの雰囲気となる。
強いていえば道南の川は小規模で、暗く、野性的な印象を持っている。
よく本州の人が抱く平野を雄大に流れる川ではない。小さな山が幾つも連続して、その山々のすき間にできる小さく曲がりくねった谷間を川が流れていく。そして比較的見苦しい植林が少なく、原生の実に美しい広葉樹の小さな山肌が何とも言えず美しく、それは冬でも春でも、最も道南らしい雰囲気を見せてくれる。雄大なのではない。
実に小さいが、野性的な自然である。上の写真などはそうした道南の川、鳥崎川の冬の夕暮れ時のものである。そこはかとなく小さいがどこか野性的な雰囲気が伝わるだろうか?
次の日は、北海道道南を西に向かった。
函館(丘のうえの小さな写真館のある七飯町)から渡島半島を(おしまはんとう)を西に向かうとすると、いったん津軽海峡に出て、津軽海峡沿いに西に向かう。
その途上、日本雄一の男子修道院であるトラピスト修道院がある。以前この修道院にはよく行っていたが、最近は全く足を運んでいなかった。
久しぶりに通りかかったトラピスト修道院だったが、今まで国道から見えていた修道院の建物が、杉の生長で見えなくなっていた。
また、トラピスト修道院に向かう長い坂道に沿う街路樹のポプラはほとんど消え、やたらと見苦しい杉ばかりになっていた。以前、ポプラの葉越しに見える修道院は美しかったのに残念である。
しかし、トラピストからの道は小高い丘の上を行くため、輝く津軽海峡がよく見えた。
今日は暖かい日である。
雪融けはますます進み、あたりは雪融けの水蒸気で霞んでいたが、案外津軽海峡はよく見えた。幸せな気配が漂っていた。春の陽気に包まれて、気分はうっとりしていた。
僕は昨日の豆パンを頬ばりながら、さらに西へ西へと進んだ。そして時間も迫っていたから木古内町(きこないちょう)で津軽海峡と別れて、内陸に入った。
内陸の道は道道5号、木古内江差線で、終始可愛い江差線の鉄道と寄り添って道は松前半島を横切って江差へと続いていく。
この道は昔からよく来た。昔は木古内から江差まで40km区間一本の街灯もなかった。
僕にはそれが自慢でならなかったが、最近は立派な意味のない駐車場が建設されて、煌々と不似合いな街灯を取り付けている。
昔は、街灯が一本もなかったために、すごくもの寂しく、特に夜などは暗く陰鬱な気持ちになったのだが、その道は僕の青春時代のようでもあり、それゆえ僕の心にこの道はしっくりときた。
そして、今でもそういった不似合いな街灯はあるのだが、それでも昔の雰囲気が至る所に残り、僕を喜ばせてくれる。特に江差線はすばらしい。駅など、とても小さくてメルヘンそのものである。人間の身の丈ほどの大きさの可愛いらしい駅舎。
うっとりする。その途上、雨が降り始めた。
木古内〜江差間の道道5号線道沿いの様子。途上雨が降り始め、雨霞みの風情が良かった。
信じられないことに、雪ではなく雨が降り始め、雪が融けて、空気中がむんむんとした湿気で充満する気配だった。
雪が融けてなくなるのは、寂しかったけれど、そのような雰囲気は悪くなかった。
今まで冷徹なまでに寒さだけが支配していた冬の気配はなく、南風の運んできた温もりが充満していた。
僕は懐かしさもあって、途上にある神明という地域にむかっていた。
かつて、そこで、僕は満月に照らされる雪原の家を写し、それを初めて作った『北国の童話』というセットポストカード集の裏表紙に使った。
今から15年前のことである。しかし、そのフィルムは印刷会社の倒産のごたごたの中、紛失され、おまけに製版フィルムまで行方不明となり、『北国の童話』というセットポストカードもそのフィルムも幻となってしまった。
そんな思い出深い神明に来たのは、もう10年ぶりになるのだろうか。どうなっているだろう?やはり不安だった。しかし、神明にたどり着いてすぐ、江差線の可愛い駅舎が出迎えてくれた。可愛かった。駅舎を撮影する時間はなかったが、いつかまたここに来て、じっくりと駅舎などを写すことを誓って、先に進んだ。
すると、良く見知っている風景が目の前に現れた!僕は一度写した風景は滅多なことがない限り、忘れない。
遠く過去の日のいつかに写したことのある牧舎が今なお朽ち果てることなくそこにあったのである。
牧舎は、雪融けの暖かな気配に霞みながら、そこに凛として立っていた。
嬉しかった。こんなこともあるのだ。何でもなくなるものばかりではない。
変わらずそこにあるものと出会うことは、なぜこんなに人を喜ばせることなのだろう。
人生が放浪に近く、はかないからか。それとも、めまぐるしい時代に生きているからなのか。
遠く過去のある日に出会った牧舎がそこにまだ健在であった。牧舎の背景にある小さな山々の重なり、気配、山肌の疎林などがここ道南の特徴である。
次の日は晴れたので、北へ向かい、落部川、遊楽岳を経て、狩場山に達するいつものルートを考えた。
今回のカラー白黒共にこの日に写した。
国道5号線を北上、途上落部川によった時に、今回のカラー作品を写した。今回のカラー作品は35mmカメラの深い被写界深度をいかして、速いシャッタースピードで写したために、降雪が流れずにピタっと止まって写った。
中判カメラではこうはいかない。早速ライカの価値を知ることになった。
落部川付近でしばらく過ごしてから、再び北上を開始し、いつも通り遊楽部岳の北側からいつもの道道42号線を通り、狩場に向かうつもりだった。
その遊楽部岳の北側から遊楽岳北麓の原生の森の一部を撮ったのが、今回の白黒写真。上の写真がそれですが、いかがでしょうか。
遊楽岳北麓の原生の森の一部を、ライカのアポエルマリートR180mmF2.8という望遠レンズで撮っています。
暖かな春の光を望遠レンズの視点で撮っています。
フィルムはフジのアクロスという平凡な感度100のフィルムで、フィルターはオレンジ色のフィルターをかけて撮影しています。
最近、白黒撮影におけるフィルターワークを体得したので、僕はこの場面では迷うことなくオレンジ色のフィルターをかけて撮影しています。
印画紙はイルフォードの普通の印画紙を使い、号数は2.5号。それをハッセルで写すような大がかりなことをせずに、カメラのオート露出と少々の露出補正で撮影していますから、実に快適な撮影です。
写すときの気分も爽快、樹木の間を差し込んでくる春のお日様のすがすがしさを十分に感応しながらの撮影です。露出がわからない〜という苦しい思いを伴わない気持ちの良い撮影です。こういう点も、白黒の良いところですね。
この後、狩場へ進路をとったときにはすでに空は雲に覆われ、静かな静かな夕暮れの時間を楽しみながらその日は暮れていきました。
こうして、3日間に及ぶライカの撮影テストを終え、目下、暗室で検討を加えている最中。
ライカは風景に使えるのか?今のところこの答えはまだ出ていません。
その答えを出すには実際にポストカードやカレンダーや写真集に使ってみたり、大きめにプリントしてみたりと色々な角度から検討しなくてはいけないので、まだ時間が必要です。しかし、ライカのレンズもさることながら、最新のライカのカメラは思いのほか使いやすく、目の前も見やすく、風景にも十分使えそうな気がしています。
今後に期待していて下さい!
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