の世界
115 『二本の五稜郭タワー』 20063
★No.1

ついに、新しい五稜郭タワーが完成した。
高さ107m。従来の2倍の高さである。外観は、今までと違って近代的である。
今までの五稜郭タワーは飛行機の航路との干渉があって、建設当時今までの高さに甘んじなければならなかった。その結果、五稜郭の星形は見ることができず、各方面から不満の声があった。
 
 その声に対して、現社長の中野 豊氏は「私が目の黒いうちに必ず新タワーを建設してみせる!」と話されておられた。
 その新タワーが今年2006年4月に実現した。本格的なオープンは2006年12月を待つ。
先日、僕らも内覧会に呼ばれて、新タワーからの眺めを感応してきた。
確かに、五稜郭の全貌を見ることができるようになった。
五稜郭は本当に角が丸い星形だった。
ようやく雪が解けた頃で、茶色の地面が出て、それが桜の茶色の枝と重なって見えて、早春の城郭は茶色一色に見えた。
 それに対して、城郭の彼方、横津連山までに広がる函館の街並みは思った以上に色とりどりで美しかった。
 函館の街並みの美しさは、赤や青のトタン屋根が点在しているところにある。
 その様子が、今まで以上によく見えた。実のところ、そうした色とりどりのトタン屋根はもっと急ピッチに失われていると思っていた。しかし、思いのほか残っていることに安堵を感じた。

★No.2

僕の関心事は星形の五稜郭の全貌を入れるには、何ミリのレンズが必要か?ということだった。
というのも、中野社長からタワーを高くするということを聞いて以来、是非とも高くなったタワーからこの星の城郭に雪が舞う写真を撮りたいとずっと思っていたからである。
そして、五稜郭は冬になると市民の有志の手で堀に電飾が施されて、それが冬の大地に浮かび上がるのだが、その姿を高くなったタワーから見る姿はそれは美しいだろう!とずっと想像を膨らませていたからである。
しかし、新タワーから見る五稜郭全景は想像以上に広大であった。
最近揃えた自慢のハッセルブラッドの40mm広角レンズを勇んで持っていったが、五稜郭に向けるやいなや、そのレンズを通して見た感じは「まるで標準レンズをのぞいているよう!」であり、全然全部入らない。
僕は即座にこれは手強いと思った。それで、ハッセルブラッドはあきらめてライカにエルマリートR24mmをつけて、のぞいてみた。先程のハッセルの40mmよりかは幾分ましだが、これでもはみ出る。
結論として、今の手持ちレンズでは五稜郭の撮影はできないということがわかった。中判カメラでは先程の40mmよりずっと広く撮れるレンズといえば、魚眼レンズしかない。
確かに魚眼レンズも候補である。魚眼レンズもつい最近、オーロラを撮るために買ったばかりである。しかし、魚眼レンズの欠点は周辺が大きく歪むことである。これでは端正な城郭の姿を写せるかどうかわからない。
しかし、魚眼レンズは水平線を画面の中央に持ってくると、歪みを最小限に抑えられるので、この方法でなら撮れるかも知れない。
 しかし、その方法よりもライカなど小型カメラの超広角レンズに委ねる方が賢明だろう。
小型カメラには広角レンズと魚眼レンズと間にも「超広角レンズ」というもっと広く写せながら魚眼レンズのように歪まないレンズ群が用意されている。
それも今では14mm、15mm、17mm、19mmといった様々な焦点距離のレンズが揃っている。
ハッセルブラッドなど中判カメラにはこうした 「超広角レンズ」というのはなく、「超広角レンズ」の存在は小型カメラの最大の長所になっているのだから。
しかし、こうした超広角レンズ群は画角が人間の視野の2倍以上に及び、レンズ設計も大変で、周辺で大きく歪んで写ることは否めないし、鮮明な写真を撮るのは大変なことになる。
そういうわけで、レンズも大変高価になり、僕は憧れながらいまだに純正を買ったことがない焦点域なのである。
このように、今の戦力で対応できないことは残念なことだが、端正で、美しい五稜郭の撮影のためこの冬までに結論を導かなくてはならない。

 タワーからの撮影の話しが長引いたが、今回の作品は五稜郭の城郭の堀からタワーを写したもの。
背の高い方が新しいタワーで、低い方が旧タワー。この二つのタワーが並んで見えるのも今宵限りと3月31日の夕刻に撮影に行った。
4月1日からは旧タワーのライトアップは消え、全て新タワーに移行するのである。従ってこうしたツインタワーの様相が撮れるのも今宵が最後ということであり、僕は最後の宵に全てを賭けた。
歴史的なニュアンスも感じ取れる。僕はこの作品を『去りゆく時』と題した。
低い方の旧タワーは5月31日でもって解体され、41年間の歴史に幕を引く。ある方面からツインタワーで!との要望もあったらしいが、中野社長は新タワー一本に移行することを決心した。
潔いことである。そんな社長のためにもこの変わり行く時の移ろいをきちんと写真に残すことは必要なことだろう。そんな想いを僕なりに込めた一枚である。
 幸いにも、その宵は風が強かったが、晴れて、三日月が宵空を飾った。
僕はハッセルブラッドに、ディスタゴン60mmをつけ、堀に二本のタワーが写り込むところを選んでライトアップされるのを待った。
 旧タワーの方は先にライトアップされたが、新タワーの方はいつまでたってもライトアップされない。
こうした撮影では宵の帷が落ちてしまったら写せなくなる。
夕刻の光が徐々に暗くなりながらもまだ残っている折りに、徐々にライトアップの明かりが明るくなってくるその微妙な交錯の瞬間を写さなければならない。
 僕は、雲に出たり入ったりを繰り返す月の様子に注意を払いながら、空の露出を一絞りオーバーに設定して撮影した。空の露出が一絞り露出がオーバーになると、少し諧調は失われるが、目で見た感じよりも少し明るく写る程度ですむ。
 しかし、暗くなりがちな堀に蓄えられた水はその分明るく写せるのである。
自分がこうだと思った撮影のチャンスはほぼ2分間しかなかった。でも、本当に2分間もあったのだろうか。少なくとも僕には一瞬の間に感じられた。
 そんなとき合わせて注意しないといけないことは、新タワーのハイライトが飛ばないようにすることと、月が動いてしまわないことである。そのために、僕は絞りをF4として、できるだけ速いシャッター速度になるようにした。その結果、感度100のフィルムで露出1秒で写すことができたのである。
 こうして、仕上がったフィルムを見て、良し!と思った。ハッセルブラッドのディスタゴン60mmはほとんど絞り開放に近いF4での撮影にも十分耐えて、見事な解像力を見せてくれた。
 このフィルムはおそらく1m四方に伸ばしても全く破綻しないプリントになるだろう。こうしたギリギリの撮影状況に立たされたとき、あらためてハッセルブラッドの有り難さを感じる。

 もう一枚の作品には雪の上に立つ一本の樹木を選んだ。
丘の少ない道南ではこういった雪原の濃淡のある風景と出会うことは少ない。
何といってもこの写真の見せ場は太陽の照らし出す雪原の濃淡である。
そして、完全に影になりきらないところでは、雪面に模様が出て、その清潔で柔らかな模様を描き出すことにある。
こうした雪原の濃淡を描き出すためには、カラーの場合、全て露出にかかっている。
露出ミスをすると、全く面白くない写真になってしまう。
画面、黄色の丸あたりが一番明るいところで、まずはこの一番明るいところの露出を測る。
そして露出計の指す値から一絞り明るく撮る。つまり、絞り一段明るく露出するようにする。そして、念のためにシャドー部も測定する。
 こうして、明るくなりすぎず、暗くなりすぎないような露出を考える。 
実際、シャドーは目で見る以上に、暗く青く写るから注意する。
カラーの場合、UVフィルター以外に、シャドー部の濃さを調節する方法はないので、撮影時ほとんど人為的な調節は不可能なので、フィルムの目になって風景を見ていかなければ、いい結果は得られない。
 それと、正確な意志。一本の木の幹の模様をギリギリまで出したいのか、出さずに真っ黒につぶしてしまうのか。そういったことを考える。もちろん、木の幹の模様を全部描き出すことは不可能である。
 こうしたハイライトを測定して、シャドーは参考程度にするやり方は白黒とは逆の考え方である。
昔から、白黒では「シャドーを露出して、ハイライトは現像せよ!」と言われることとは逆の考え方である。
 もっとも白黒の場合なら、シャドー部は撮影時においてさえも自由にその濃度を変えて写すことができる。雪の影になっている部分はほとんどが青い色からできているから、その青い色をどの程度カットするかを写真家自身が考えて撮影する。
 つまり、レンズの前に何色のフィルターをつけて撮影するかが、写真家の判断に委ねられる。
たいていは、オレンジか黄色か濃い黄色か緑かを選ぶことになる。そのことによって、シャドー部の濃さを撮影時に決定できる。
こう言うと、白黒には自由度があることに気がつくだろう。その通りである。カラーは後にも先にもフィルターでの調節もプリントでの調節も不可能だからそれだけ撮影時の責任が大きい。
 僕はこの風景に対して、少しでも青に感度が低いコダックのE100VSというフィルムを用い、ハッセルブラッドのプラナー100mmで撮影した。
 露出は先程も言ったとおり、ハイライトを一絞り明るく露出して、シャドー部は参考程度にしか測定していない。
それでも、ほぼ完全な露出になってくれた。
もっとも、ある程度露出ミスしても、最終的にほんの少しだけは救いの手はあるので、そんなに怖がらなくてもいい。
 しかし厳密には、印刷用とプリント用とでは適正露出は違う。
印刷ではかなり暗くなってしまったシャドー部も拾って出してくれるが、プリントではシャドー部はフィルム同様には再現できないと考えて良い。
 プリント用印画紙の再現範囲はカラー白黒問わずフィルムより劣ることを知っておくべきなのである。そう考えると、フィルムにある全てのトーンをプリントで表現するためには、自分自ら印画紙の欠点を補うよう、手をさしのべながらプリントするべきであろうが、カラープリントの場合、それは不可能である。
 むしろ、現像所のプリント技師と連携を持って、自分の意志を明確に伝えていく方が現実的である。
このことは、印刷も同様である。
 こうして、カラー写真は最終段階でいつも写真家が撮影してきたフィルムを人手に渡さなくてはならず、その人々とうまくコミュニケーションがとれなければ、良い結果が得られないというジレンマに必ず突き当たる。
 しかし、むしろ僕の今の考えでは、カラーの場合には、手慣れた現像所や製版会社のオペレーターに任せるべきだと考えている。
 これに対して、白黒は最初から最後まで自己責任で仕上げる。このことが白黒とカラーでは大きく違っている。白黒の自由度は計り知れない。
 僕はこうした白黒を今になって始めた。少し遅かったというのが実感である。デジタルの鉾先は真っ先に白黒追放に向けられる。白黒フィルムがなくなるのは、時間の問題のような気がする。
 しかし、それでも、ハンガリーのフォルテ社は倒産の危機を国の助力によって脱し、前よりも日本の量産店での扱いも増えるなど明るい話題もある。
 しかしその反面、ハッセルブラッド社が50年以上生産してきた僕の愛用するハッセルブラッドがなくなりそうな気配である。
 こういう気配からも白黒カラー問わず銀塩写真は風前の灯火である。しかし、なくなるまでにはまだ時間がある。
 少なくとも僕は銀塩写真で貫く方針を固めたところである。最後の最後まで銀塩写真を撮り続けよう!これが丘のうえの小さな写真館の決めた方針である。
 こんなことを予測もせずに、僕はハッセルブラッドやライカに進んだ。もしかしたら、僕は何かしら大きな力に導かれてハッセルブラッドやライカに進んだのではあるまいか。
 もし、ハッセルブラッドを知らなければ、ライカを知らなければ、そして白黒を知らなければ、僕もあっさりお金の負担に負けてデジタルに進んだのかも知れない。そう思うと、この辛さも運命!と思うのである。
次のことを何度でも言いたい。
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