の世界
120 『部分月食と秋の気配』 20069
  夏の本州の撮影の旅から帰って、しばらくは暑い毎日にうんざりであったが、ここ最近は朝夕に冷え込んで、とても寒くなってきた。
 季節もここまで来た頃、あれほどいやだっや夏の暑さがとても懐かしくなり、また再び夏に戻ればよいのに、と思うことしきりである。
 しかし、季節は巡るものであり、また再び巡ってくるまで他の季節の良さを十二分に満喫することこそ大切である。
 このことは大変重要である。もしかりに夏の無い時間を過ごしてしまって、いきなり秋や冬が来てしまったら、たいへんである。精神的に生きた心地がしなくなる。
 今年は、僕の場合、この夏に思いの半分にも満たなくても、夏に思い出を作ることができた。そのために、今度は秋をはっきりと意識でき、最近意識は明快である。
 ただ、押し迫るカレンダー制作のため、秋の撮影がなくなっていく。今年こそ、大雪山の稜線からの秋と雲海の作品を造ることを夢見てやってきたが、今年も、行く機会を持てなかった。
 おそらく今年の大雪山上部の一度目の秋の撮影のピークは9/18〜23にあっただろう。カレンダー制作はわずかにそれに間に合わなかったのである。 次のピークは山麓の秋であるが、おそらく10/7以降になろう。今僕は無理してでも、ここに一週間の撮影時間を捻出するのに必死である。がんばるぞ! 
 次に、本当は東北の秋も撮影したい!と毎日思う。秋田には曽利滝という美しい滝があり、大好きな田沢湖がある。むろん、八甲田、奥入瀬、蔦沼など、どれも皆魅力的な秋を演出してくれるだろう。
 想像したら、もういても立ってもいられなくなる。 でも、カレンダーの制作のピークにあたるだろうから、今年も無理なことが予想されるので、とても悲しい。カレンダーの制作は順調なのだが、その影で、秋の撮影が追いやられるのがいつも悲しい。
 ただ、東北は無理でも、その分函館近郊の秋だけは撮れるようにしよう!と強く考えている。
遊楽部岳付近の秋、大千軒岳の秋、大野の秋、狩場山の秋…など、自分にできることを精一杯やろうと考えている。
 
 さて、今月の作品は9月8日の明け方に起こった部分月食の作品。場所は迷うことなく大沼の東湖畔に決めた。大沼の東湖畔には大沼の全景が見渡せる最高のロケーションの湖岸があり、まるで美しい湖の舞台のようなところである。 場所としては同じく東湖畔にあるキャンプ場のわずかに南、車を数台置けるP(パーク)があるので、目印になる。ここに車を置いて、歩いて1分ほどで湖畔に出る。

 湖畔に出ると、そこは気持ちの良い砂地で、ちょっと入り江になっているので波がないことも多く、美しすぎる湖の展望が得られる。僕らの○秘ポイントであるが、大沼の広さを実感するにはここが一番だろう。
 ここで、例えば月食を楽しむなら小型の折り畳みイスと双眼鏡と熱いお茶を持っていけば十分楽しめる。月食の夜などは世界中で一番今ここが美しいのではなかろうか、と思えるほどに美しい。
 僕は沈みゆく部分月食する月をハッセルとライカの両方で写した。ライカに560mm相当の望遠を付け月食の様子を撮影し、ハッセルでは風景と共に月食の雰囲気を写した。 問題は月食の露出時間である。月の大きさは角度にして0.5度、つまり30′しかない。思ったより小さいのが月と太陽である。この小さな月の露出を正確に測ることは、僕の長年の夢であった。
しかし、ライカはその夢をかなえてくれた。なんの問題もなく、正確な露出を測定し、正確にピントを出し、ぶれることもなく部分月食が撮影できた。今までニコン、オリンパス、と苦労してきたができなかったことが、ようやくできるようになった。<  一方、作品の方はライカではなく、ハッセルでの撮影。最近、なぜかこういう写真を撮るとき、手際が悪い。
 思ったように手際よくこなせないような気がする。それでも、何とか短時間に数枚の写真が撮れて、ほぼ満足できる作品を北国通信で送れることは嬉しい。
 月は部分月食のピークを越えても、しばらくは欠けたまま西の空を静かに下っていく。あたり全体がほんのりと夜明けの明るさを帯び始め、世界全体は月の支配する黄色い色彩に夜明けの青い色彩が混ざり始め、微妙なトーンを見せ始めていた。
 そして、その配分が時と共に変化し、徐々に夜明けの青い色彩が濃厚になっていく。僕は撮影を続けながらも、月が沈む前に少しでも早く夜明けの青い色彩が深まり、明るくなることを祈っていた。
 しかし、その祈りは通じず、湖の上に漂うほんのわずかな霧の中に月が入った途端、それっきり月は顔を出さなかった。無念であったが、時は逆に回らない。
 何度もいくつもの雲に隠されながらも再び姿を現した月は最後に霧の中に没した。< >  こうして、部分月食の撮影に酔い浸った後、9月はカレンダーの制作の合間を縫って、夕焼けとか函館の夜景といった、短時間でできる撮影をしながら、撮影の勘を保った。しかし、1992年や1999年ほど劇的な朝焼けや夕焼けには巡り会うことのない秋空だった。秋は空が美しい季節だが、野辺もまた美しい季節である。秋が深まる少し前、原野に出かけると、ことのほか多くの秋の草花に出会える。僕はその花の名前を調べたり数を数えたことはないが、夏よりも多くの草花に出会えるかも知れないとは、秋の野辺でよく思うことである。
 
 こうした、秋の草花の撮影はここしばらくずっとおあずけ状態なので、今から10年前に撮影したノコンギクの作品を見てもらいたいと、思います。これが今月の2作品目です。
 
 秋の野辺でもことの他目を引くのがこのノコンギクで、野菊を代表する花だと思います。
僕はこの時期10年の間ずっとカレンダーの制作にかかりっきりだったので、ノコンギクのまともな写真が撮れないまま10年が過ぎてしまいました。
 しかし、これからはライカも使えるようになったので、ほんのわずかな時間でも気軽に撮影できるようになり、これからはこの時期に咲く野菊のような花の写真も撮っていけるだろうと、期待しています。 
 秋の野は春とは違い、草が少し枯れかかっているせいか、哀愁を帯びて感じます。そんな哀愁の葉影で隠れるように咲くノコンギクの姿はあまりに可憐で、胸にぐっと来るものがあります。
 
 いつか、こうした初秋の野を思う存分撮れるようになりたいと、毎日思います。そして、こうした季節はずれの風景が撮れるようになって、作品がたまってきたら、カレンダーやポストカードにできない季節はずれの風景を加えて、写真集を作成したいと思います。
 写真集は今年までにつくろうと、思っていたんですが、やはり自分の力量を考えて断念しました。もっと初秋の野のように季節はずれの風景が撮れる力量が身についたり、また北海道でももっとマイナーな風景をもものにできる力量が身に付いてからにしようと、決心しました。
 
 この小さな北海道でさえ、僕はまだ知らない、行ったことのないところや行ったことのない季節がたくさんあります。いつも行けない行けないと悩んでいるだけの僕が写真集をまとめてはいけないと、思ったのです。
 そうした、季節はずれの風景の代表として初秋に咲く、ノコンギクの写真を選びました。どうぞ、皆様も秋野に出られて、過ぎゆく季節の感慨に浸ってみて下さい。
 
 最後にもう一言、付け加えますと、元来日本人は桜の花見よりも、ハギの花見を重視したそうです。(湯浅浩史先生の御本による)< そういうことから推察すると、我ら日本人は、もしかしたら春の快感や陽気よりも、秋の哀愁のような「奥ゆかしさ」を尊く感じる国民であったのかもしれません。
 このことは、日本独特の月見である十三夜の月見にも当てはまります。中国では中秋の名月を十五夜としましたが、日本ではその十五夜の月よりもむしろ、後の月見である十三夜のお月見を重視したようです。
 十三夜月はというと、まだ夕方の余韻が残る頃、東の空にその姿を現す月で、薄暮の美しさと月の輝きがブレンドして実に美しいのです。
 無論、月の撮影でも、僕は十五夜など満月を撮ることはあまりありません。それよりも、薄暮の頃の光の中に浮か月齢13の月を撮影することの方が、多いのです。(フィルムのラチチュードの問題のためもあるし、満月が昇ってくる頃はすでに、あたりは真っ暗で月しか見えなくなっている。)<

■追記
今年、なんと2007年カレンダー『北国の小さな物語』はカレンダー10周年を迎えます。ここまでこれたのも皆様のおかげ、といつも感謝しています。
 
 それから、北国通信のお客様にご報告。
北国通信第118号のカラー作品「睡蓮憩う」をカレンダー7月と最新のポストカードにしました。
この作品は、北国通信の客様からお褒めの言葉をいただき、それに気をよくした僕はカレンダーとポストカードの両方にさせてもらおうと思いました。
 
 また、第119号のカラー作品、『朝日に照れり』は最初からポストカードにすると決めていましたが、予定通りポストカードにしました。<  
 その他、珍しいところでは、函館五稜郭のポストカードを4種類新しくしました。そのうち、『城郭に咲く』『春の五稜郭』は北国通信第116号のカラー作品で、どちらも会心の作品になったと思います。
 
 この『春の五稜郭』は新しくなった新五稜郭タワーからライカの24mmで撮影していますが、この24mmというレンズでは「全景入りきらない」ということは以前の北国通信でお話ししたとおりです。< >  ただ、冬など天空から舞い降りる雪などを画面の中に写し込みたいという想いから、もっと広く、しかも端正に写せるレンズをずっと模索しておりました。そして数あるレンズを吟味し、僕はこの撮影にはライカのエルマリートR19mmf2.8が最適であると、思っておりまししかし、このレンズは幻のレンズと言っても良いほど中古市場に姿を現さないレンズであったので、僕はこのレンズを買うために長いこと待たなければなりませんでした。タイ  僕は焦りに焦っていました。脳裏には「新品で…」と何度