解体屋さんに引き取られて行く2代目丘のうえの小さな写真館号。
彼と過ごした、長い日々の事を思うと涙抜きでは語ることができません。
写真を始めた頃、ぼくの車は後輪駆動車に乗っていて、
冬になると、信じられないようなところで、はまって動けなくなりました。
例えば、スーパーの駐車場で動けなくなることもあったほどです。
また、美瑛町に長い時間かけて撮影に行った時、到着後わずか20分で坂道で動けなくなり、
地元の農家の人に、邪見にされ、冷たくされたりしました。
そのため、ぼくは四輪駆動車がほしくてほしくてしょうがありませんでした。
だから、写真を始めてすぐ、一番ほしかったのが、四輪駆動4WD車でした。
カメラよりも必要だと感じました。
それで、なけなしの金をはたいて、初代丘のうえの小さな写真館号を60万円も大金で購入しました。
しかし、初代丘のうえの小さな写真館号は、八雲の峠道路面凍結した道路で滑り
カーブを曲がりきれず、道の外につっこんでいきました。
こんなことは良くあることなので、僕はまたか、という思いで、スコップなどで脱出を試み始めました。
しかし、その後すぐに滑った車がつっこんできて、僕の車にどっしんとぶつかり、
つっこんだ人と八雲の警察に行くと、「警察は面倒だから行かない!!」と言います。
そうして滑った場所に二人で戻ってみると、今度はトラックとか乗用車とかが更につっこんでいて、
滅茶苦茶になっていました。
こうして、一代目の丘のうえの小さな写真館号は大破したわけですが、
運悪く、丘のうえの小さな写真館号につっこんだ車の人が、農協の安い保険にしか加入しておらず、
お金を支払ってくれませんでしたので
涙を飲んで、自己負担で2代目パジェロを買ったというわけです。
この出費は当時大きいもので、当時まだパジェロなど4WD車は高価で、
2代目パジェロも100万円はいたと思います。
こうして貯金の大半をはたいたことは今でもよく覚えています。
そうして、やってきた2代目丘のうえの小さな写真館でしたが、
2000年12月車検切れを期に廃車手続きをとるに至りました。
しかし、使えるところは使ってほしいので、自分達の手で解体屋さんを訪れ、
そこで2代目を売ってお金に変え、そのお金は肩身として3代目の車内に冷蔵庫の形で備え付けました。
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