の世界
第105号 信 裁断機が来た!
●NO1

年月の流れは速い。もうあれから一月だ。北国通信を出し終えたら、心の風景を求めて積丹や名もない道南の風景を探しに行こうと思っていたのだが、それさえままならない。いったい人はどれだけ働けばよいのだろうか。
 またたく内に時間ばかりが過ぎていく。
さて、そんな中でも一月もあれば無為なことばかりではない。まず、年始早々大きな出来事があった。ついに乾燥機が来たのである。乾燥機とは水洗を終えた印画紙を温風で乾燥してくれるありがたい機械だ。大学時代の暗室には歴代使われてきた乾燥機があるのが当たり前で、乾燥機なしでプリントをしてみないと、そのありがたさはわかりえない。この乾燥機を譲ってくれたのは、最近北国通信に参加して下さった柏木さんという方のおつき合いしているプロカメラマンの岡伸治さんだ。最近デジタルへ仕事が移行したために、乾燥機を必要としなくなっていたらしい。
 1月の末、乾燥機は丁寧な説明書と共にここに贈られてきて、その日からもう第一線で僕たちの仕事を支えてくれるようになる。岡さんもその説明に書かれているように、乾燥機を 使うと乾燥にかかる時間は1/100になる。そして実際に使ってみると、なんだかとてもいい匂いがする。おまけに、冬なのでぽかぽかしてあったかでもある。なんとすばらしいものが来たのだろう。
 柏木さんとは、時をさかのぼること15年ほど前、函館で開いた初めての写真展『北国の童話』の時、偶然知り合う。それ以来、長いおつき合いをして下さっており、この度こんなに大きなお世話になることになる。しかし実を言えば僕たちは人から撮影に関する備品をもらうことは基本的にしない意気込みだけはあり、柏木さんからのお言葉でなかったら辞退していただろう。柏木さんとこの乾燥機を機会にもっと親しくなれればどんなにいいだろうという想いから乾燥機をお譲りいただくことにした。通り一辺の形容になるかも知れないが、彼女は普通の人ではない。明るさと丁寧さの奥の方に輝く人生への真摯さを感じる人だ。今までも遠くから彼女を見つめてきたが、これからどんな風に生きていかれるのか楽しみな方である。 

乾燥機 威風堂々 頼もしい姿
定着が終わった印画紙は流水中で水洗を行う。しかし、たいてい途中 水洗促進剤に浸して、水洗時間を短縮させる。この水洗をいい加減にすると、後々変色の原因となる。今までは、水洗後右の写真のように部屋中に乾かしていた。一晩はかかるのが普通だった。
それからもう一つ、革命的なことが起こった。それは長年夢見てきた裁断機の導入である。裁断機とは紙を切る機械のことであり、ずっと前からどうしてもほしい機械だった。しかし、インターネット上でどんなに調べても裁断機に関することが分からないまま時は過ぎていった。そんな折り、慶ちゃんが見つけてきた裁断機は理想科学の物で、定価30万円という。いくら必要としている物でも、いくら何でも高すぎる。そう思い思いしている矢先、今度は慶ちゃんがプラスというメーカーに数万円程度の裁断機があることを発見。30万円を覚悟していたときだったから、その話は僕にとって夢のような話だった。先程の乾燥機が乾燥時間を1/100に縮めるとしたら、この裁断機でも紙を切る時間を1/100にすることができる。僕たちは仕事上紙を切ることが多いが、
裁断機、便利な機械だ!
今まではロータートリムという厚み数ミリ程度の紙を切るのが限界の機械を使っていたために、紙の裁断には驚くほどの苦痛を伴っていた。しかもその切れ味は悪く、いつも僕はそのことが不満だった。
 しかし、慶ちゃんが見つけてきてくれたわずか数万円の裁断機と心を込めて譲って下さった乾燥機のおかげで、我らの丘のうえの小さな写真館はこの1月に大きな産業革命を遂げた。今までロータートリムで紙を切ってきたことを思うなら、この二つの出来事はまさに革命であり、大げさに言えば僕はこれらの機械のおかげで、命拾いしたようにさえ思う。
左が今まで紙を切る全てに使っていたイギリス製のロータートリムという機械。この機械はなかなかよくできたもので、紙を切るたびに同時にその刃を研ぐことで半永久的に使えるという。
 しかし、一度に切れる紙の量はコピー紙で10枚程度が限界で、切る仕事の多い僕たちにとって切ることは苦痛と苦悩の蓄積でしかなかった。それが上の裁断機の投入ではるかに速くなることは必至だ。もしかしたら、僕たちは裁断機と乾燥機合わせて、一年あたり約30日分の時間を儲けたことになるかもしれない。
 上の写真は今年のカレンダー発送時に切り取った便せんの山。カレンダー発送時この数十倍の切る作業が伴うわけで、このことが短縮されるとどんなに助かることになるだろう!夢のようである。
●NO3

さて、こうして二つの産業革命を遂げた我々だったが、1月末は春からの準備に忙殺されて過ぎ、2月初めからは 写真展の準備に忙殺される。写真展は2/22から札幌のサンピアザ光の広場で行う写真展のことで、すでにこれで7回目を迎える。写真展と一言で言うのは簡単だが、写真展の準備、運営、撤収まで入れれば、ざっと一月以上の時間を要する大仕事となる。ただ、サンピアザの写真展はどちらかというとイベント的な扱いなのであろうが、それでも手抜きをすることもできず、貴重な時間を湯水のように投入していかなくてはならない。特に今回は初めてその半分に白黒プリントを展示することを目的としているために、余計に時間を必要とした。全紙と半切という大きなサイズのプリントにするのは初めての試みであり、この結果は今後の白黒写真に対しての考え方を左右するに違いないわけで、そのために準備には慎重を期さなければならなかった。
 さてそれで、最初から全紙に伸ばすことはできないからまず手始めに全紙の1/4程の大きさのプリントをまず焼いてみることにした。
6×6判からのプリントはなんなく伸びて、全紙の1/4くらいでは何の問題もなく、なめらかなそのプリントは実に美しかった。しかし、35mm判から伸ばしたとき、問題が起こった。どうしてもぼける。どういうふうにしてもぼける。35mm判からだとこの程度のプリントしかえられないのか?僕は悩んだ。何度も何度も焼き直してみたが結果は同じだった。まずは引き伸ばしレンズを疑い、イーゼルという印画紙を乗せる台を疑い、ピントを合わせるルーペも疑った。それらの道具はどれも疑われるような物ばかりだった。引き伸ばしレンズは中古のフジノンEX75mmで2600円のレンズだしイーゼルも中古で800円のもの。ルーペも400円の安物を使っていたからだ。しかし、結果的にぼけたプリントになっていた理由は、僕のレンズの絞り値の設定にあった。レンズには絞りがついていて、その絞りはピントの合う範囲を調整する。すなわち、絞れば絞るほどにピントの合う範囲は広くなり、ぼけたプリントになることを防いでくれる。しかし、レンズは絞ると開口径が小さくなり、今度は回折という現象で輪郭がぼけ始めるのだ。そのために、一番適当の絞りを選び撮影したり、プリントしたりするわけだけれど、僕がこの絞り値を間違っていたために、何度やってもカチッとしたプリントが得られなかったのである。結局、回折を恐れずに絞りをF=16程度までに絞ると、焼きぼけは起こらなくなり、カッチリしたプリントが得られるようになった。しかし、この結果に対し、僕はやはり不満である。レンズの最高解像度は絞りF5.6〜8で得られるはずであり、絞りF16まで絞らないと好結果が得られないなどとは納得できるはずもない。ただ、ラボの専門の人に聞けば、絞りの設定というのはその焼く人によってまちまちであり、F16がだめだということではない、と教えてくれる。しかし僕のところはそんなレベルの高い問題ではなさそうだ。引き伸ばし機の平行はとれているか、イーゼルからの印画紙の浮きの問題は本当に無関係か?ルーペによるピント合わせに問題はないのか?様々な問題をもう一度見つめ直しながら、今度の写真展のプリントに挑戦しようと思っている。

●NO4

さて、今月の作品は冬山の作品から2景。まず白黒の作品は道南今金町から写した東狩場山系の東端にあるメップ岳の作品。メップ岳とは、泉の湧く山という意味で、別段有名な山ではない。この作品は全紙あるいは半切のプリントを写真展に展示しようと考えており、小さいながら先にお届けいたします。 
 僕は長いことこのような北海道の無名の山を白黒で撮りたいと考えてきており、特に冬山の姿にはずっと引かれてきていた経緯があります。白と灰色とそして時にかすかな夕映え色に染まる無名の山がそこに威容を放っている姿にはなぜだか放浪心がくすぐられ、僕をどこまでも尽きない旅の空へ誘います。豊かな緑の樹木に覆われた夏山も同じく感慨深いものがあるのですが、北海道の無名の冬山の山容はそれ以上の緊迫した雰囲気を持ち、人々の暮らしを見守ると同時に、人々の暮らしの限界をも感じさせようとします。特に北海道の山里は人も少なく、この狩場南麓の今金町近郊でも牧畜を営む家々がわずかに点在するばかりであり、その山々の威容とは相対的に人々の生活は無力でもあります。この絶対力と無力との対比を感じることが、僕をして人里から山々を撮影する気持ちを高めさせることになります。しかし、僕はあくまでそこに住む人が長年親しんだり、畏敬するような観点で山々を撮影したいのではなく、あくまで通りすがりの旅人を装っていたいと思うのはどうしてでしょうか。何でも知り得ることがいやでもあり、知らないからこそ新鮮であり、驚きも倍増するという劇的さを求めているからかもしれません。
 僕は今度の写真展のタイトルを『冬を耐える歌』としました。そしてその冬を耐えた者が求める世界を日溜まりにあるとし、日溜まりを誉め称えることに全精力を傾けたと言えます。北国の冬はそれほどにも日溜まりが少なく、歳と共に日溜まりのありがたみを恋慕うようになります。そして、最終的に日溜まりにあるときこそ我らが真なる人生の時間であると叫びたくなる気持ちを抑えつつ、冷静に日溜まりの幸福を歌います。すなわち冬を耐える歌は言い換えれば、日溜まりを恋い慕う歌であり、合わせて「生きることは日溜まりの中にあること!」という真意を作品No3『永遠の冬』という作品との対比に込めようとしています。そして、大雪山からの2作品と次の『湖畔のベンチ』という作品は憩いの意味を問う作品であり、日溜まりと合致したもう一つの大きなテーマとして憩うことを扱っているのでそれも見ていただければと思います。作品点数には制限があり、これ以上の主題を掘り下げて展開をすることができなかったことは、いつかもっと大きな会場で実現するときの課題として残すことにします。

夜遅くまで写真を選び続ける。膨大なストックの中からどの写真を選び、どこに配置するかが決まれば、ほぼ8割は完成したと同じこと。その代わり、この作業には途方もない時間を必要とする。
さて次に、カラーの作品。名もなき山を背景に立つ松の木の作品。これもほぼ同じ地域での撮影で、この日の最終の一枚。この一枚を写し終えたとき日は地平線に湧く雲の中に没し、もう2度とその姿を見せてくれませんでした。
しかし灰色の山を背景にしたほのかな光に輝く世界は北国の冬の夕刻の雰囲気を余すところなく込められたと思っており、この夕刻の最後の光に向けられたハッセルの250mmレンズの描く世界は僕の理想の作品に近い。夕暮れ時の色合いというのはよく注意してみれば、それは微妙なトーンを含みながら毎日変化していく。青白いとき、灰色がかった時、青緑色に色づくとき青灰色になるとき、湿度のせいなのか、気温のせいなのか、雲の配置のせいなのか、まさに千変万化して、一日も同じ日がない。しかし、写真は絵画と違って自分の心の望む色彩を想像して描く仕事ではない。自分の望む色彩になる日を毎日祈りながら待つのが仕事である。その意味では、神だのみという色彩が強い仕事だと言えるわけであるのだがせっかく神様が与えて下さった千載一遇のチャンスを生かせるように、確かな技術だけは身につけておかなければならないだろう。
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