僕は瀬戸内海の穏やかな気候の中で育った。
そんな僕がいつの頃からか北に憧れるようになって
北海道に住むようになった。
そうして15年が過ぎようとしていた冬のこと
厳冬の夜の十勝平野で星空の撮影をしていた。
その時、オリオン座の足下を縫って、
冬の天の川が遙か地平線の彼方に沈み込み、
見えなくなっていく様子を飽きずに眺めていた。
その時の、気温は氷点下−20℃。
僕はこれ以上着れないほどのダウンジャケットに
身を包んでいたが、それでも寒く、
厳冬の夜の十勝平野で、身動きできないで星空を撮影する
困難さを身にしみて感じていた。
しかしそれと同時に、あの冬の天の川の行方が
気になってならなかった。
こうして僕が寒さに震えながら冬の星空を撮影している同じ時、
あの天の川の彼方では、半袖姿で星空を見ている人がいるのだ!
このいたたまれないが、しかし不可思議な現実を前に
その時の僕はどうしてよいのかわからなかった。
しかし、時が経つほどに
今度は心の中で、南へ向かう気持ちが芽生え始めた。
ダウンジャケットの中で寒さに震えながら想像した
あの暖かな穏和な南の世界へ憧れ始めた。
北には、寒さの中に見いだす相対的な暖かさがある。
寒い夜に、身体を丸めてダウンジャケットの中に身をくるむなら
柔らかな鳥の羽毛が僕の肌を撫で
心臓のかすかな温もりさえも愛しく感じる。
しかし、凶暴な北の寒さは
鳥の羽毛の優しさよりも、心臓の鼓動ぬくもりよりも強く
僕の体を凍りつかせ、縛り上げては根を上げさせる。
こうして、北の寒さは、南への憧れの気持ちを揺り動かさせる。
そんなことがあってから僕は南を強く意識するようになる。
南から渡ってくる渡り鳥や南からの暖流や、
低気圧が運んでくる南風の優しさが気になり、
コーヒーや紅茶やミカンなど、北では育たない作物が育つという
南の風土への憧れは日増しに大きくなっていった。
こうした南への憧れは
日本的な「和」の情感とも結びつき、
日本的な「和」の情感と「南」への憧れが一つになって
僕の気持ちは北から南へといっそう強く向くようになる。
しかし、そうした南への憧れとは別に
北へ憧れる気持ちは萎えるどころか、更に大きくなって
北の清冽な美しさ、清らかな聖地に向かう心は更に強まっていく。
例えば、僕の心の北の彼方には、
いつもサンタクロースの住む聖地がある。
しかし、こうした美しき北の聖地に向かうためには
寒さに立ち向かう若き戦士のような覚悟が必要であり、
その覚悟もまたやはり衰えることはなく、
理想を求める気持ちにかげりは微塵もない。
年と共に、体力は衰える一方であるが
しかし、精神は更に強く大きく理想の世界を渇望し、
それを不可欠なものにしている。
南へ!そして北へ!
自己の理想とする世界と出会うための心安らかなさすらいが
僕の人生にはどうしても必要である。